五.
朝の光は善灯村全体を橙に染める。朝餉を食べ終わった子供たちは元気よく森へ駆けていく。大人だけでなく、子供たちもまた村のために食料や水の採取をおこなっているのだ。
ハルセとサブライは言葉少なに家路を辿った。
「サブライ様、おはよう」
「この前は弟の熱を下げてくれてありがとう」
道すがら、屈託ない笑顔で子供たちはサブライに声をかける。大人たちは高天原国の武官長であった彼を恐れているのか遠巻きに一礼するだけだったが、子供たちはそのようなことなど歯牙にもかけず、サブライの腕へ足にまとわりついてきた。サブライは柔和な表情で子供たちの頭を撫でる。
「また何かあったらすぐに言いなさい」
大地にしっかりと根ざした大樹のような優しい眼差しは慈愛に満ちている。
子供たちは手を振って森へ向かっていく。
「随分と懐かれているな」
「ああ。わしの薬湯が人々の役に立つのは嬉しいことだ」
「……あなたの人柄もある。〝激昂の大蛇〟殿」
ハルセの皮肉にサブライは口の端を上げた。
「おや、あんた無事にサブライに会えたんだね。良かった良かった」
サブライの家へ着く直前、一人の女が気安く声をかけてきた。カガミにサブライの居場所を教えてくれた女だ。
「先ほどは助かった。ありがとう」
女に向かってカガミが笑って見せると、女は顔を赤くした。
「いいよ、そんくらい。それにしたってサブライ。炎來国の奴ら……どうにかしてくれないかい」
「うむ。迷惑をかけているのならすまぬな」
「迷惑ってほどじゃないけど、みんな怖がってるよ。またこの村が戦禍に巻き込まれるかもって」
サブライは髭を撫でた。俯き加減の彼の表情は読み取れない。
「ま、早くあいつらが来ないようにしておくれよ」
そう言うと女はサブライの肩を叩き、その場を去った。
カガミとサブライが家に帰ると、ムロは幾分か落ち着いて眠っていた。唸ることもなく、眉間に皺も刻んでいない。サブライはムロの横に腰を下ろすと、脇にあった器を手に取り、それをムロの口へと薬湯を流し込んだ。ムロは無意識下で薬湯を飲む。
「穢れに効能がある薬湯を煎じた。神に抗うのには清浄さも必要だからな。……わたしにできるのはこれぐらいだ」
しばらくの間、カガミもサブライも何も話そうとしなかった。ただ、子供たちの笑い声や鳥たちの歌声に耳を傾けていた。
「わしのところに炎來国の使者が何度も足を運んでいる」
石の器に何種類かの薬草を入れてすり潰していた手を止め、ぽつりとサブライは口火を切った。
聞けば、サブライは炎來国に挙兵を促されていた。炎來国は黄昏国と合流して高天原国にきばを剝こうとしていたが、きっかけが掴めずにいたのだ。
黄昏国と炎來国はもともと壊滅的に仲が悪い。黄昏国の支配下にくだるのを炎來国王はよしとしなかったらしい。
「なるほど、それであなたに白羽の矢が立ったわけか」
戦場を駆ける兵の中でサブライの名を知らない者はあまりいない。戦場での地位が上にあればあるほど、サブライの名は重きを持つ。彼の出陣した戦はどれも高天原国側が勝利をおさめていた。
そんな彼が高天原国を離れ、黄昏国で細々と暮らしている。
炎來国の者も、サブライの名を聞いた瞬間に〝激昂の大蛇〟であるサブライを思い浮かべたらしく、もともとは〝高天原国の武官長・嵯武禮〟と同一人物かを探るためにこの村に来たと正々堂々本人に告げたという。
サブライを味方につければ、黄昏国と同等の交渉ができると炎來国は踏んだのだ。黄昏国が腕の立つ兵に困窮しているのを知っている隣国だからこそ考えることのできる策略。
「あなたが炎來国と手を組むのならば、俺はかの国と同盟を結ぼう」
「王子……」
「恥ずかしながら、我が国は傾いている。武に長けた者のほとんどは他国に流れ出ていってしまった。だから、より強き者が加担してくれるのならば――同盟だって組んでみせる。サブライ、俺はこの戦に全てを捧げる所存だ。王子の地位だっていらない。ただ、絶対に負けるわけにはいかない」
サブライは黙って聞いていたが、やがて一つ溜め息をついた。
サブライは激昂の大蛇の名に相応しい、威厳ある瞳でカガミを見た。
「それほどまで、戦に勝ちたいのならば、神をその身に降ろせ。神を制すには同等の力がある神が必要となる」
「神は、人に手を貸したりしない。自らの傀儡を望んでいるだけ」
「申し子であれば、強い気力と想いがあれば体を乗っ取られたりしないものだ」
カガミはサブライの言葉に了承しかねた。人の手で最後を飾りたいという矜持もある。
だがそれ以上に、幼い頃の出来事が神の介入を拒む。
「わしが参戦したところで、勝敗は見えている。高天原国には海若がついているのだ。神の前では人など塵芥と同じ」
「それでも!」
カガミの語気が荒くなる。
「それでも、勝たなければならないんだ! 海若に縛られ続けて苦しんでいる者のためにも!」
カガミの脳裏にヤナギの泣き顔が浮かんだ。声を上げずに涙を流す姫巫は、いつも心で助けを呼んでいた。はっと我に返り、カガミは口を閉ざす。
(俺は――――何を)
求めているのは黄昏国の復興である。間違っても敵国の大将である姫巫の解放ではない。
カガミは軽く首を振る。
「何も持ち得ない手で守れるものなど、たかが知れている」
深い声色が響く。
「王子、貴殿ならわかるはず。身分や金、全てをかなぐり捨てたところで何も守れないことを。わしは、サコやムロを守りきるだけのものを持っていなかった。だが、王子は違う。貴殿が望めば地祗は必ず応えてくれるだろう。その力はいくら望んでいる者がいようと、貴殿しか持ちえないもの。みすみす拒絶されるは、愚行かと」
サブライの言葉の端々から感じ取れたのは、悔みと羨望だった。
「……神降ろしの代償は?」
「そなたの未来。神の力に体が耐えられなければ死ぬ。よしんば耐えられたとしても、神を長く体内にとどめた者は体の老化が止まる。老いるという未来を神は奪う。永劫、生き続ける苦節が訪れる」
答えを聞いたカガミは何も言わなかった。
神だけが知っている、この戦の行く末を。
これから先、数多の魂が関わることとなる始まりの宿命を。
想いの濁流は宿命の本流へ雪崩れ込む。
高天原国、黄昏国。古代史に残る二大国の最大にして最後の戦が始まろうとしていた。