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三.


 広い部屋の中央に置かれた寝台の上、ムロは多くの人々に囲まれていた。

 カガミはもちろん、バショウやルイたちも集まっている。皆一様に心配そうにムロの顔を眺めていた。

 医師や薬師がかわるがわるムロの体や目、口内を診ている。

 協議の間で昏倒したムロは、丸一日経った現在も目を覚まさない。

「……ヤナギ様……」

 うなされながら、ムロはかの姫巫の名を呼ぶ。カガミの右眉がはねる。

「状況は?」

 カガミの問いに、医師や薬師たちは顔を見合わせて首を横に振った。

「昨日もお伝えしたとおり、ムロ様が倒れた原因はわかりません。ですが、だんだん脈拍も弱くなってきており、命の危険が大きいことは確かにございます」

 医師の一人がそう言うと、カガミはじっとムロを見た。

 カガミはムロの手足におぞましい紋様が浮き出ているのに気づき、瞳孔を開いた。黒と藍を混ぜ合わせた不吉な色合いは、ムロの首もとにまで達している。

まじないが進行している……)

 直感的にそう思う。成長を促進する呪いの代償は大きい。それが今、彼を襲っている。

「王子――――これはわしの私見なんじゃけど」

 薬師の一人が緊張した面持ちで口を開いた。

「ムロ様は、疫病や疲労によって倒れたのではなく……たたられているかもしれん」

「祟りだとっ? 滅多なことを口にするんじゃない」

「バショウ」

 強い口調で言い募るバショウを手で制し、カガミは薬師に笑んだ。

「興味深い意見だ。話を聞こう」

 薬師はぽつりぽつりと話し始めた。青空市場でムロと会った際、彼自身がそう口にしていたこと。ムロの体が、呪いをはね除けようと拒絶反応を起こしていること。

「……もともと、呪いとは人を神に供物くもつとして差し出すためにあるものじゃけえ。わしらじゃあムロ様の容態を良くも悪くもできはせん」

「助ける方法はない、と。そういうことか?」

 カガミの疑問に、薬師の顔が歪む。その表情は、知りうることを言うか言うまいか迷っている者のものだった。

 薬師は深く長い息をつき、頭を垂れた。

「もしかすると、もしかするとムロ様を助けられるかもしれん者をわしは知ってる。必ず治る、と断言はできんけど。……黄昏国の最果て、善灯村ぜんとうむらに住んどって、呪いや薬草に精通しとる奴がおるき」

 場にいた医師や薬師らがいっせいにその薬師を見た。

「名を、サブライと」

 ざわり、とカガミの肌が粟立った。その名をカガミは何度も聞いたことがある。

 "激昂げっこう大蛇おろち"。高天原国たかまのはらこくの元武官長。ムロの育て親。

 脳内を様々なことが駆け巡る。

 一人の医師がカガミの前に進み出て、薬師と同様に頭を垂れた。

「カガミ様。サブライはこの都にも名が通るほどの名医でございます。ありとあらゆる道に通じており、奇病も和らげる薬を煎じることができるとか。ただ、昔、高天原国で武官だったと聞いております。そのため、あまり皆彼のもとへ近寄らないらしいですが」

 カガミは視線をムロに向けた。

 何者にも屈しないムロの瞳は固く閉ざされている。苦しげに浅い呼吸を繰り返す異母弟。

「……早馬を出し、サブライをここへ連れて参ります」

 ルイは早口にそう言い、踵を返した。しかし、そんな彼女の肩をカガミは引き戻して首を横に振った。

 カガミはムロの掛布を剥ぎ取った。そして、ムロの片腕を自らの肩に担ぎ上げる。

 呆然とするバショウたちを尻目にカガミは扉に手をかけた。

「呼んでいる暇はない。国一番の駿馬の準備をしろ。そのサブライとやらにムロを見せに行く」



 黄昏国たそがれこくは広大な領土を有している。亡国寸前と囁かれて久しいが、今はまだ圧倒的な存在感を以って諸国を寄せつけない。

 長き戦を傍観し続ける識者たちは言う。高天原国に対抗し得るは黄昏国だけだと。

 カガミは馬上より、明け染める荒野を眺めた。手綱を引き、馬の速度を落とす。自分の前に乗せたムロは浅い呼吸を繰り返している。いつもなら一つに結っている彼の長い髪が風に揺れる。

 決して澄み渡ることのない、灰色が混じった空。高天原国との戦が熾烈しれつさを増すにつれて黄昏国の空は灰色になっていったのだと昔、師より教えてもらったことがあった。

 カガミはふところより地図を取り出した。黄昏国の中でも最果てにある善灯村。東の大国である炎來国えんらいこくとの境目にある村。

 地図上では、この辺りのはずだと目を凝らして村の存在を探す。国と国との境目にある村は戦の火の粉を浴びやすいため、人目につかぬようにひっそりと息を殺している場合が多い。

「……あれか……」

 鬱蒼うっそうと生い茂る森の向こう側から細い煙がいくつか立ち昇っている。朝餉あさげの支度をしているのだろう。

 カガミは馬から降りると、手綱を握って自ら先導を切った。馬は足元がおぼついていない。いくら黄昏国一の駿馬だと言っても一昼夜駆け続ければそうなる。

「よく耐えてくれた。村に着いたら十分な休息を取らせよう」

 カガミはそう言って馬のたてがみを撫でる。馬は「わかった」とでも答えるように一声啼いた。

 意外にも広い村だというのは馬や荷車が通るための道が森の中にあることから推測できた。水のにおいがする。

 かさついた喉が水を欲する。出奔した時に持ってきた水はほとんど全てムロに飲ませた。ムロの命は風前の灯だ。カガミは、彼を差し置いて水を飲むことなどできなかった。

 数刻ののち、村の入り口へ辿り着いた。のどかな風景は殺伐としたこの国の状態に似つかわしくない。ゆっくりと善灯村の中を歩く。簡素な造りの木でできた家々はどれもあしわらで入り口を隠している。女たちは家の前で火を焚いて朝餉の支度をしていた。あわやヒエを煮込んだにおいはカガミの腹をよじった。

 ふと、一人の女と目が合った。彼女は早朝の訪問者に警戒を示し、眉根を寄せた。

「こんな朝早くから、この村に何のようだい」

「サブライという者を捜している」

 女は馬にかつがれたムロを見ると、合点がいったのか一人頷く。

「ああ、その子をサブライに診せにきたのか。すまないね、近頃よく炎來国の奴らが来るもんだから気が張っちゃっててねえ」

 さっとカガミの目の色が変わった。

「炎來国の奴らが……どうしてこの村に?」

 問うと、女は首を捻った。

「わかんないけど、いっつもサブライのところに行ってるみたいだよ」

「そうか、ありがとう」

 足早に立ち去ろうとするカガミに向かって女は声をかけた。

「サブライの家はこのまま真っすぐ行ったらある社殿を右に曲がったところにある水辺のほとりだよ! 他の家とはちょっと離れてるからすぐわかるはずさ」

 親切に教えてくれた女に対してカガミは一礼した。

 女の言ったとおりに歩いていくと、サブライは既に起きているらしく、家の前では火が焚かれている。しかし、サブライはそこにいなかった。火に煽られている器の中には水しか入っていない。

 入り口に垂れているムシロが揺れた。その隙間より、浅黒い肌をした屈強な男が姿を現した。顔に刻まれた大小さまざまな裂傷だけが白く浮いている。数々の激戦を潜り抜けてきたつわものに相応しく、広い肩幅と巨大な体つきをしている。

 サブライはカガミを見て固まった。そして、馬に背負われているムロを見ると表情を和らげた。

「こうも立て続けに客人が来る日など、久しぶりだ」

 サブライは食事の用意をすると言って一旦家の中に戻り、しばらくするとムシロからひょっこり顔を覗かせてあたたかくカガミたちを家の中へ迎え入れてくれた。馬は家のすぐ脇に流れる川べりに繋ぎ、たくさんの穀物と水を与えてくれた。カガミには雑穀と木の実を潰して煮詰めたものをよそってくれた。それを口にした瞬間、身が震える。張り詰めていた糸が切れて、どっと疲れが体中を回った。

「ハルセ王子……で間違いないか」

 名乗っていなかったにも関わらず、サブライはカガミの正体を当てて見せた。カガミは飯を食べる手を休めて頷く。

「よく、知っているな」

「わしは、もともと高天原国の武官だ。王子の顔は一度戦場で拝見したことがある。……たしか、王子の初陣の時だったと記憶している」

 カガミは息を呑んだ。ぴんと張り詰めた空気が流れる。

「――……まあ、昔のことはいい。今はムロのことだな」

 そう言って、サブライは荒く肩を震わせて呼吸するムロのそばに寄った。ムロの睫毛が微かに動く。呪の紋様は彼の右頬まで侵蝕している。

「ムロを助けられるか」

「こればかりはわからない」

「あなたは名医だと都の者から聴いた。なんとかならないのか」

 身を乗り出すカガミの肩をサブライは押し戻す。

「ムロは今、戦っている。己を乗っ取ろうとしている神――地祗ちぎとな」

 衝撃がカガミを襲った。呼吸することも忘れた。

 〝地祗〟とムロは戦っている。そうサブライは言った。

 言葉をなくしたカガミにサブライは非情にも告げる。

「この子はそれを覚悟の上で呪を受けた。……王子、ムロに呪を刻んだのはわしだ」

 カガミは思わずサブライの胸倉を掴んだ。

「ふざけるなっ。禁忌きんきの術を――――何故っ」

 視界が霞んだ。動揺に肌が粟立つ。

 サブライはいたって静かな瞳でカガミを見据えた。その目はムロによく似ていて、カガミは視線を逸らす。

「あなたが動揺しているのはわしがムロに禁忌の術を施したからか。それとも――――」

「言うな!」

 カガミの声が上擦る。カガミは耳を塞いでうずくまった。

「〝地祗〟が関わっているからか」

 弾かれたようにカガミはサブライを振り仰いだ。

 つり上がったサブライの眼からは何の感情も窺えない。

「伝承がある。神々はこの世を造った際に己の血脈しむを受け継ぐ一族たちも造った。

 中でも巨大な神の血脈――――天を支配する天神あまつかみの一族は〝神の目〟、地を支配する地祗ちぎの一族は〝神の腕〟、海を支配する海若かいじゃくの一族は〝神の口〟と呼ばれた。神の血脈を受け継ぐ一族たちにはそれぞれの呼び名どおりさまざまな能力を有していた。彼らは長き年月を経て血を薄めた。

 しかし、まれに神が与えた太古の力を持って生まれてくる者もいる。その者たちは神の申し子と呼ばれる。

 ……ムロが地祗の一族の正統な血を引いているのは会った時からわかっていた。申し子ではないものの、地祗を体に宿す資格があり、素質があった。だからこそ、わしも賭けたのだ。大切なものを守りたいのだとひたむきな目で訴えてきたムロなら、と」

 サブライは空を見つめて言葉を重ねる。

「わしは伝承を語る一族の末裔。母よりいつも聞かされていた。古くより、ヒトに宿る神の力は混沌とする世を統治するために使われてきた。常に歴史の覇者は〝神の腕〟だった、と母はいつも言っていた」

 真摯な瞳でサブライはカガミを見つめる。

 その視線が更にカガミを追い詰めた。手が小刻みに震える。

 カガミは、すっくと立ち上がった。

「俺は…………神など信用しない。神は、人間を青草としか見ていないのだから」

 頑ななカガミに向かってサブライは厳しい表情を送った。

「何を恐れることがある。地祗は王子の守り神。そうだろう、〝神の腕〟……いや、〝地祗〟の申し子よ」

 ムシロをぞんざいに払いのけてカガミは外へ飛び出した。

 残されたサブライはムロの額に手を置いた。




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