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四.


 夜陰に紛れて影が二つ動いた。


 高天原国たかまのはらこくの都をおおう夜は静かだ。厳かな静けさは、眠れぬ者を更に眠れなくさせる。

 ヤナギは神杷山しんはやまにある社殿の渡殿で欄干に身を預けていた。空を見れば、星々がところ狭しと輝き誇っている。

 今日は朔の夜。太陰が太陽に隠れる日。

 ヤナギは顔を伏せた。

「ヤナギ様……?」

 自分の名を呼ぶ声に顔を上げる。

 驚いた顔をしたチズコが近寄ってきた。まさか、このような夜深けにヤナギが起きていようとは思わなかったのだろう。チズコの手には短刀と勾玉が握られている。どうやら、侵入者が来たと思ったようだった。

 笑みが零れる。

「侵入者はいない」

 そう言うと、あからさまにチズコは肩を落とした。

「まったく、夜中に渡殿で星見なんて……心臓に悪いのでやめてください」

 チズコは文句を垂れながらもヤナギの横に腰を下ろす。

 渡殿からは斎庭が眺望できる。

 池に泳ぐ魚が跳ねた。水面には満天の星が映っており、幻想的な雰囲気をかもし出している。

「見て、チズコ」

 ヤナギは池に映り込む星空を指差した。

「星が動いている。……全ては今日、明るみになる」

 弾けたようにチズコがヤナギを見た。チズコの表情は、暗がりの中でも強ばっているのが見てとれる。

 渡殿のつまに置かれた燈台の灯が風に揺らめく。

 ヤナギは更に言葉を重ねた。

「わかっていたの、こうなること」

 さわさわと木がそよぐ。

「気づいていたの、こうなること」

 チズコは何も言わない。

 ヤナギは痛々しく微笑んだ。

「それでも、あの人たちを信じたいと思った」

 言葉の意味に勘づいたチズコは、鬼気迫る表情でヤナギの小袖を掴んだ。

「いけません……行ってはなりませんっ。あなたは今宵、絶対に神杷山を離れては……」

 チズコが言い終わる前に、ヤナギはするりと身をかわした。

「今から起こることは、姫巫であるヤナギ一人が計画したもの。そなたや他の采女たちは無関係。ねえ、チズコ――」

 ヤナギの真白い装束が風にはためく。無数の鬼火たちが、ヤナギの行く道を示すかのように神杷山を下る山道に列をなしている。

「赦してほしい」

 そう言い残し、ヤナギは山を駆け降りた。

 それと同時に、悲鳴のようなチズコの声が辺りに木霊した。



 闇はとても暗く、深かった。

 庭の要所要所に備え付けられている灯かりでさえ、全てを照らし出すことはできない。

 だが、星の弱々しい光を受けて、忌み部屋の前で番をしていた者たちが倒れているのがわかる。

 カガミとヤサカニは息を殺して忌み部屋の中に入り込んだ。

 忌み部屋にいた者たちは目を白黒させる。

「カ……ガミさま……ヤサ……カニ様……」

「出国する。高天原国の内情は掴んだ。……あとは、戦に入るだけだ」

 カガミはそう口にする。

「皆、己の足で走れるか」

 カガミが訊くと、皆すぐに頷く。それを確認してから、カガミは部屋から駆け出した。

 忌み部屋に入れられていた仲間を助けたカガミとヤサカニだったが、それは自殺行為に等しかった。

 松明たいまつの炎が遠くから近づいてくる。

 カガミたちは近くのくさむらに身をひそめた。

 兵たちは開け放された忌み部屋に入って行く。

「なんてことだ、あのならず者たちがいないぞ!」

「くそが、誰かが手引きしたのか……っ」

「おい、お前。襲ってきた奴の顔を見ていないのか」

「へ、へい。いきなり後ろからやられたもので。見ていやせん」

 どうやら、顔は見られていなかったようだ。

 囚人が脱走したのがわかり、兵たちは殺気立っている。今、迂闊うかつに動けば捕らえられるかもしれない。

「とりあえず、ムロ武官長を呼んでこい。あの人ならきっと、奴らを見つけ出せる」

「はっ」

 カガミのこめかみに冷や汗が伝った。深手を負った者を四人も抱えている。分が悪い。ひとたび見つかってしまえば、無傷で御殿を抜けることは不可能に近い。

「カガミ様、ここは俺がおとりとなって……」

 ヤサカニの案に、カガミは首を横に振った。

「いや、そうするとお前が捕らえられる可能性が高い。囮は使わない」

「では、わたくしが……。元より、ハルセ様へ捧げた身でございますゆえ」

 顔に大きな傷を負ったルイが申し出る。しかし、それにもカガミは首を縦に振らなかった。

「馬鹿をいうな。国に親を残して来たんだろう」

「ですが」

「何かいい案を捻り出す。だから、気をくな」

 こうして小声で話している間にも、兵たちの数は増してきている。

 乱闘を起こさず、一人も欠けることなく、ここから脱出できる案を必死で模索するが、気が焦ってうまい案が出てこない。

(強行突破しか道はないのかっ)

 一人の兵士がカガミたちのひそんでいる叢へ足を伸ばした。

 思わず、拳を握る。

 ちょうどその時、わっと大きなどよめきが起こった。叢に足を進めていた兵士も慌てた様子で踵を返す。

 危機一髪とはこのことだろう。カガミは急いでその場を移動した。

 何があったかはわからないが、無駄な戦闘を回避できたのだ。ありがたいことだった。

 急ぎ、渓谷へ続く東門前に向かう。木々の隙間より真っ赤な炎が見えた。カガミは驚き、目を見張る。誰かが宮殿に火を放ったのだ。

 何とも運がいい、とカガミは口角を吊り上げた。この騒ぎのおかげでカガミたちの脱走は幾分か楽になる。

「カガミ様! あれを……っ」

 ふいに仲間の一人が声を上げた。

 それにつられて仲間が指差す方向を見た。渡殿が見える。逃げ惑う人々の中で、彼女だけが凛とした佇まいで立っていた。

「…………っ」

 少女の唇が動く。それに合わせて忌み部屋からも炎が上がった。

 真象しんしょうの力。紛れもない、神の力。

「ヤナギ――」

 カガミの呟きに、ヤナギがこちらを見た気がした。



 戦に備えて兵たちへ稽古をつけているところにチズコがやって来た時、ムロは内心、動揺した。

 チズコは、夜深けが訪れたら社殿へ来るようにと言い残してその場を去った。

 約束の刻限となり、ムロは重い足取りで鏡月池きょうげついけみそぎを行ない、簡素な装束の上からゆがけを着た。いつなんどき、非常事態が起きるとも限らない。

 なので、本来ならば戦を連想させるものを神杷山に持ち込んではいけない決まりがあるのだが、武官だけは特別に武装を許可されていた。

 木々がムロを拒むかの如く、鬱蒼うっそうと生い茂っている。

 ムロは右腕をさすり、薄く笑った。

「……俺を拒むか」

 三年前、初めてこの梔子齋森くちなしさいのもりへ踏み入った時も感じた疎外感。そしてこの前、ヤサカニに半ば強引に連れて来られた時にも感じた拒絶。

 その理由はただ一つ。ムロに宿った呪いのせいだった。

(かまわない。たとえ、神に忌まれようと。人々に忌まれようと)

 鬼火さえもムロを神杷山へ導こうとしない。

(ヤナギ様さえ、救えるならば)

 ムロは勘を頼りに神杷山への道を進んだ。神杷山の入り口に当たる楠には太いしめ縄がある。常は閉まっているその神域を今夜、チズコは開放してくれていた。それを見つけ出すことくらい、鬼火の案内などなくても容易いことだった。

 ほどなくして、しめ縄が巻かれた巨大な楠の木のもとへ辿り着いた。ムロは老木に触れて目を閉じた。

 結界のゆるむ音がする。

 再び目を開けると、夢幻さながらの景色が広がっていた。

 四季など、この神杷山にとっては関係ないものである。椿に橘、もみじに桜。本来なら並び立たない植物が主張し合っている。

 夜半過ぎであるというのに、神杷山は淡く照り輝いていた。自ら発光しているのか、とムロは圧巻の眺めを双眸に刻み込んだ。

 山と言っても小さな山だ。数刻もしないうちにムロは頂上へ辿り着いた。

 星々を映す池にかかる天弓てんきゅうの橋を渡り、社殿へ近づく。

 美しく砂利をならした斎庭に面する廊に、一つの影が見える。

「……チズコ……?」

 風に掻き消されそうな声で呟く。一つの影が動いた。

 一つの影――チズコは、廊で顔をおおってすすり泣いている。

 訳がわからず、ムロは困惑気味にチズコへ尋ねる。

「どうした?」

 答えは返ってこない。

 よりいっそう、チズコのすすり泣きがひどくなった。

「具合でも悪いのか?」

 心配になってきて、ムロは廊に近寄った。すると、弾けるようにチズコが飛びすさった。彼女の顔からみるみるうちに血の気が引いていく。

「ムロ……あんたは必ずヤナギ様の頼みを聞いて。お願いだから」

 チズコがムロに頼ったことなど、ほとんどない。その彼女が薄暗い中でもわかるくらい腫れた目をして懇願している。

 自然、ムロの顔が引きしまった。

「何かあったのか」

 チズコは視線を落とす。彼女は下唇を力いっぱい噛みしめた。

「……わたくしでは役不足。宿運を担う資格もない。でも――ムロ、あんたなら……」

 言葉を切ってチズコが頭を上げる。彼女の目とムロの目が交錯こうさくした。

「あんたなら、きっと。ヤナギ様の御心も高天原国も救えるから」

 意趣いしゅがわからず、聞き返そうとした矢先、チズコが都の方を指差す。

「ほら、定めが回り出した」

 ムロの顔が強張る。

「まさか……っ」

「ムロ、カガミ様たちは今夜逃走するつもりだ。それを助けるために、ヤナギ様も山を降りられた」

 ムロはヤナギと行き違いになった己を呪った。もしかしたら、止められたかもしれないのだ。悔やまずにはいられない。

「くそっ!」

 黒く長い髪を振り乱し、来た道をムロは引き返した。

「――ヤナギ様」

 チズコは呟き、涙をぬぐう。その双眸は危険な色を含んで輝いた。



 梔子齋森は常人の立ち入らない森である。それはすなわち、太古のままの姿で自然が存在しているということだ。

 ヤナギは飛ぶように森の中をひた走った。剥き出しになっている木の根に何度もつまずきながらも宮殿へ急いだ。

 ようやく北門へ辿り着く。いったん立ち止まり、乱れた呼吸を整えてから、一気に忌み部屋のある西門へ駆け出した。

 しかし、そんなヤナギの腕を誰かが掴んだ。はっとしてヤナギは振り向いた。

 ムロだ。彼は眉根に皺を寄せ、険しい表情を象っている。

 肩で息をしているところを見るかぎり、よほど急いで来たことが見てとれる。

「あいつらを助ける気ですか?」

「……離せっ。いくらそなたでも邪魔立ては許さない」

 必死なヤナギの様子にムロは微かに動揺を見せた。その隙をついて、ヤナギはムロの手から逃げる。

「ヤナギ様っ。ムロは……ムロは、あいつらが逃げ出そうが捕まろうがどちらでも構わない。ただ――ただ、あなたが皆に忌まれることはあってほしくないのです」

 ムロの顔が泣きそうに歪む。

 ヤナギは目をそらした。

「私が助けなければ彼らは深手を負ってしまう。はたまた捕まってしまうかもしれない。それでは、意味がない」

「意味が、ない?」

「ムロ、そなたは覚えている? いつか、そなたは私に訊いたでしょう。『戦のほむらは、いつになれば鎮火するのか』と。私は答えた。『姫巫を継ぐ者がこの世から消えた時』と」

「…………あいつらが、〝姫巫〟を滅ぼせる者だと?」

 ムロの声が震えている。

 ヤナギは深く頷いた。

「『救って。神などいらないの。姫巫の呪から私を解放して』と。何度も何度も、私は願ってきた。……ごめんなさい、ムロ」

 自然と涙があふれてくる。呆然と佇むムロを置いてヤナギは西門へ走り出した。

 走りながら、ヤナギは唇を動かした。

『渡殿の端にある燈台が風に揺られて倒れて炎を床にともす』

 じっとりと汗が背中を伝う。神経が研ぎ澄まされていく。

『それは次第に燃え広がって御殿を包む』

 胸の奥に痛みが走った。清浄さを必要とする真象の力はヤナギの体を圧迫する。気を抜けば、力は暴発する。

(長くはもたない。炎があまり燃え広がらないよう抑制しておけるうちに……どうか、早く脱出して)

 ヤナギは中庭を横切り、忌み部屋が見える板の間に上がった。ふと、木々の合間よりカガミの姿が見えた。驚いた顔をしている彼を一瞥し、顔をそむけた。



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