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三.


 ヤナギは一ヶ月の間、沢良宜さわらぎの豊穣祭へ駆り出されていた。神聖な儀式を執り行うために、姫巫は戦以外にもよく駆り出される。祭のために、姫巫の補助として巫数人と采女うねめも駆り出された。

 豊作を願う儀式は一ヶ月かけて無事に終わった。

 ようやく戻ってきた街中には、不穏な噂が充満していた。黄昏国たそがれこくの者たちが捕らえられたという噂だ。

(もしかして、カガミたちが……?)

 ヤナギは急ぎ王宮へ馬を走らせた。側に控えていたチズコも慌てて馬を急がせる。

 台王への報告もほどほどに、ヤナギは忌み部屋の近くまで行く。カガミたちが捕らえられているわけでないことはわかったが、気がかりなことに変わりなかった。

「ヤナギ様、これ以上はお近づきになりませんよう」

 そう言って、忌み部屋の見張り兵たちはヤナギを部屋へと近づかせようとしない。どんなに懇願しても追い返されてしまう。

「何故?」

 切迫した声で訊くヤナギを、兵たちも困憊こんぺいした様子でいさめる。

けがれが移ってしまいます。血の穢れは最も強く、残りやすうございます。戦場で受ける穢れは仕方ないにしても、自らすすんで穢れを受けに行ってはいけません」

 なおも、引き下がろうとしないヤナギの肩をチズコが押さえた。

 不承不承、社殿へ戻ろうとしたちょうどその時、クルヌイとカガミが通りかかった。都の視察帰りなのだろう。簡素な衣服を身につけている。

 ヤナギはふかぶかと礼をするカガミに詰め寄った。クルヌイもチズコも、その様子に驚いたようだった。

「誰も息絶えたりしていないでしょうね」

 忌み部屋。その部屋に入れられた者が生きて部屋から出られる可能性はほぼない。

 それでも、聞かずにはいられなかった。

 一ヶ月ぶりに会ったカガミは少しやつれていた。うっすらと目元が暗い。

「……ああ。だが」

「カガミ、それ以上は言ってはいけない」

 クルヌイはヤナギの質問に答えようとするカガミを制した。

 ヤナギはクルヌイを睨めつける。

「クルヌイ王子。私はこの国の姫巫です。たとえ王子であっても、私に隠し事をするなど許されませんよ」

 普段とは打って変わって強い口調でヤナギは言う。クルヌイもカガミも生唾を呑む。しかし、王子は頑として何も教えなかった。

 嫌なものを察知したのだろう、チズコはヤナギの袖をひっぱり社殿へ帰らせようとする。

 しかし、ヤナギはそのまま皆の制止を振り切って忌み部屋へ向かい出した。

 鼓動が速まる。

 妻戸に手をかけ、一気に開け放つ。

「いけない、姫巫! 今中では拷問が行われて……!」

 クルヌイの声が遠い。

 ヤナギの目に飛び込んできたのは一人の女だった。

 その女はだらしなく男にしなだれかかっている。彼女は虫の息だった。

「ひ、姫巫様……!?」

 戸口横にいた数人の兵たちが慌てた様子でどよめく。

 ヤナギは懐に入れていた短剣を握りしめ、思いきり兵に向かって振り下ろした。悲鳴が上がる。

 兵の耳のすぐ横に短剣を突き立てた。ヤナギは言い様のない怒りに歯軋りする。

「高天原国の恥めっ。……今すぐ出ていけ!」

 這うように我先にと兵たちは忌み部屋から逃げ出ていった。

「ヤナギ様!」

「ヤナギっ?」

「近寄らないで!」

 異変に気づいて忌み部屋に入ってこようとするチズコやカガミたちを一喝する。

 ヤナギは巫力を使って忌み部屋の周囲に結界を張った。

 女の様子はすさまじかった。衣服は破れ、艶めかしい肌があらわになっている。何度も何度も凌辱りょうじょくされたと一目でわかる。抵抗した際につけられたのか、額から鼻先にかけて切り傷があった。傷は浅くもなく、深くもない。しかし、確実に跡が残る傷だった。兵たちはそれを楽しんでつけたのかと思うと怒りに身が引きちぎれそうになる。

 女が閉じていた瞼を開けた。その目は焦点が合っていない。彼女は細い指で男の頬をなぞった。安堵の笑みを浮かべる。

「ハ……ルセ……さま」

「喋るなっ」

 男――ヤサカニは女を仰向けに寝かせて、必死に薬草を胸元につけている。

「くそっ。血が止まらない」

「ヤサカニ……。その、人は」

「…………出て行ってください」

 震える声でヤサカニは言った。

「でも……」

「出ていけ! 穢れが貴女にまで移ってしまう」

 こんな時にヤナギの身を案じてくれるヤサカニに胸がしめつけられる。

 忌み部屋の奥に目を転じれば、縄で縛られた男たちが声を押し殺してないている。彼らは一様にヤナギを睨んでいた。

 ヤナギは少しだけたじろいだが踏みとどまり、ヤサカニが持ってきたと見られる薬草箱を漁る。目当てのものはすぐに見つかった。ヤサカニが女に押し当てているものとよく似た形状をした薬草。

 ヤナギはヤサカニの横に座ると、血が流れ出ている女の腹に薬草をあてがった。

「血止めの薬草はこちらよ」

「ヤナギ様……」

 救いの神を見る目でヤサカニはヤナギを見た。ヤナギは頷くと、女の状態を見る。

「……肋骨が折れている。添え木を――」

「こちらに」

 ヤサカニのものではない声に振り仰ぐと、そこにはチズコがいた。

 ヤナギは驚きつつも添え木を受け取る。

「そなたには私の力、効かなかったの?」

 ヤナギは女に応急処置を施しながらチズコに訊いた。

 チズコはにっこりと笑った。

「わたくしも、こう見えて巫修行は積んだのです。術の抜け道も知っております」

 自分の術が破られたことに少々むっとし、ヤナギは「そう」とだけ呟いた。

 手早く処置をすませ、女を端にあった藁の上に寝かせる。女の青ざめた顔色に幾分か色が戻った。

 ほっと息を吐き、立ち上がろうとするヤナギをヤサカニの手が止めた。彼の右目は潤み、揺れている。

「二人とも、すまない」

 か細く吐き出された言葉にヤナギは思わずヤサカニを抱きしめた。

 彼の体は冷たい。今にも凍えて消えてしまいそうな彼が、幼子のように感じた。

「大丈夫、大丈夫よ、ヤサカニ」

 そう言って、ヤナギはヤサカニの頭を撫でる。

 ヤサカニは顔を伏せる。ヤナギの肩にヤサカニの熱い涙がにじむ。

 ようやく落ち着いたヤサカニはヤナギに非礼を詫び、立ち上がった。

 ヤナギとチズコの知識と力で女は一命を取り留めた。

 ほっとして忌み部屋を出るヤナギに怒りの形相をしたカガミが近寄ってきて、彼女の手を取った。

「ヤナギにみそぎを。鏡月池きょうげついけの一帯の人払いを」

「ではわたくしが連れて行きます」

 申し出たチズコにカガミは首を横に振る。

「いや、俺が行く。お前も忌み部屋に入ったから血の穢れが染みついている。さあ、早く」

 半ば引きずられるように、ヤナギはカガミと共に鏡月池へ向かった。

 そして、カガミは池に着くなりすぐに用意してあった木綿の衣を手渡してくる。

「早く身を清めるんだ」

 切迫した表情で自分を見るカガミにヤナギは戸惑った。このぐらいの血、戦場では常に浴びているのだ。それを彼が知らないとは思えない。

「平気よ、あれくらいの血」

「平気なものか!」

 カガミは怒鳴った。その声にヤナギは身をすくませる。

「……血は呪詛じゅその種となる。いいから、さっさと洗い清めろ」

 ヤナギはしぶしぶ橘の木の隙間より体を滑り込ませた。池のふちで素早く衣に着替える。

 カガミは離れたところで鏡月池に背を向けていた。

「……そなたはどうして、こんなによくしてくれるの」

「さあな」

 カガミが何を考えてヤナギに近づいているのか、さっぱりわからない。だが、一つだけ言わなければいけないことがある。

「ねえ、カガミ」

 ヤナギは鏡月池に身を沈ませながら、カガミへ声をかけた。

「なんだ」

「あの人たち、助けてあげて」

「ヤナギ、それは――……」

 カガミは声を詰まらせた。やはり、あの者たちはカガミの仲間なのだ。

 ヤナギは確信した。

「仲間なんでしょう?」

 返答はない。

 ヤナギは背を向けたままのカガミを橘の木々の合間より見据えた。

「見捨てては駄目。皆でこの国へ来たのなら、皆で黄昏国へ帰って」

「しかし」

 カガミは口ごもった。

 ヤナギにはわかっていた。

 カガミは頭が切れる者だ。彼は無謀なことをしない。このままでは、仲間を見捨てて自分とヤサカニだけで密かに黄昏国へ帰ろうとする。仲間を見捨ててでも己の志を遂げようとする。

 カガミの背が少しだけ小さく見える。彼は色々なものを背負っているのだ。その重圧が彼を苦しめている。

 ヤナギに乗しかかる宿命と同種の重圧。それは決して抗えないものなのだろう。

「お願い」

 ヤナギは肯定も否定もしないカガミに頼んだ。

 遠くで鳥の鳴く声が聴こえる。沈んでいく夕陽が楊の肌を赤く照らす。

「………………わかった」

 微かに耳に届いた了承の言葉に、ヤナギは目を閉じた。



 その日の夜。日が沈み、夕食が済んで各々部屋へ戻る。

 カガミとヤサカニは忌み部屋での一件もあり、クルヌイの計らいで休暇をもらっていた。

 カガミは水浴びを済ませて部屋に戻ると開口一番、ヤサカニへきつく言い放つ。

「余計なことをしてくれたな、ヤサカニ」

 ヤサカニは頭を深々と下げた。

「……まさかヤナギ様が来ようとは露とも知らず」

「放っておけば良かったんだ」

 カガミは窓辺近くにある燈台に明々と灯る火に切れ木をくべる。炎は激しく燃え盛る。

「カガミ様、それはあんまりです。ルイは呪詛の使い手です。このようなところで命を落とさせるなど、もったいない」

 ヤサカニの言葉に苛立ちを覚える。ルイが黄昏国でも稀有けうな呪詛を扱える者なのはカガミだって知っている。

「ヤサカニ、あいつらは何故あのような状況に陥っていると思っている」

「それは……」

「俺たちの名を兵に明かさないからだ」

 ヤサカニは目を見開き、息を呑んだ。

「お前が行なったことは、俺たちが首謀者だと宮中の者に触れ回るような行為だ。そのような情け、俺だったら間違いなく迷惑だ。守ろうとしている者に自ら名乗りを上げられるなど、たまったもんじゃない」

 カガミは冷たい目でヤサカニを見た。ヤサカニは口許を手で押さえ、顔面蒼白となる。

「――っ。申し訳ありません」

 彼は情け深すぎるのだ。その情が時として悪い方へ作用することもある。

 ルイを凌辱した兵たちは、いったんヤナギやカガミたちに謝ってきたものの、彼らの目にはあきらかに不審の色合いが見てとれた。

 きっと、噂は広まる。それが台王へ伝われば自分たちは断罪される。

「ヤサカニ、決行するぞ」

 決意を胸に秘め、カガミは口にした。

「……え?」

 唐突なカガミの物言いにヤサカニは呆けた声を洩らす。

「高天原国を出る」

 簡潔にカガミは言った。

「騒ぎを起こす。……心配するな、皆で脱出する」

 仲間を切り捨て脱出するのだと解釈して表情を曇らせたヤサカニのために、最後の言葉をつけ加える。

「はい」

 ヤサカニは少し歯切れ悪く答えた。

 カガミは窓の外に覗く月を挑み見た。空高くある半月はカガミたちを嘲笑っているかのように見える。

 朽葉色の双眸を細める。

「黄昏国の復興は、誰にも邪魔させない」

 神にだってな、と呟いてカガミはわらった。






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