二.
玉のような兵たちの汗が飛び散る。
西門兵は朝夕二回、武官長であるムロの指揮のもと修練を行なう。怠る者は誰であれ、それなりの追加訓練を受けさせられるので誰もが一心不乱に槍や剣を振っていた。
日頃の訓練時の団結具合が実際の戦で的確に動けるかに直結する。西門兵たちは肉体的な訓練以外にも戦略や軍略も学んでいる。
それはムロの強い意向だった。彼が武官長となってから、着々と西門兵は力をつけてきた。戦での武功は西門兵に注がれる。
ムロは兵たちの力不足によってヤナギを傷つけたくなかった。
ムロは剣を打ち合う兵たち油断なくを見ていた。
「武官長」
ふいに、寄りかかっていた木材の横手より、門番の男が顔を覗かせた。
「どうした」
「いえ、いつもの商人の男が武官長に、と」
男は馴れた調子で小さな皮袋をムロへ差し出す。
「そうか。ありがとう」
ムロは男が去ると、いったん訓練場より離れて忌み部屋の裏側に足を運んだ。そして、門番の男より渡された玉を太陽の光に透かし見る。彼は皮肉げに笑った。
「終いだ」
格子越しにも、外が人で賑わっているのがわかった。
「やけに外が騒がしいね。ヤサカニ、ちょっと様子を見てきて」
クルヌイの頼みにヤサカニはすぐさま頷き、外へ出る。
「一体何があったんだろう」
「大方、武官同士のいざこざを皆が見物しているのでしょう」
「はは、そうですな。有り得る話だ」
部屋に残った王子の近衛兵たちは談笑する。
「…………」
カガミの胸に、嫌な予感が過る。
しばらくして、大きな音を立て八榮爾が戸を開く。顔が真っ青だった。
「どうだった」
問うクルヌイに、ヤサカニは絞り出すような声で言った。
「沢良宜の東方にある邑の男が引っ立てられてきていました。その男は先ほど兵が目を離した隙に自害を図り、絶命したようです」
ヤサカニの言葉にクルヌイは顔をしかめる。
「それはまた物騒な。その男、何をしたの」
ヤサカニの唇はかさついていた。
「男は、黄昏国の者で……高天原国の内情を密かに探り、内から砕くことを画策していたとのことです」
どよめきが起きる。
素早くカガミとヤサカニは視線を交わす。ヤサカニは頷く。
カガミたちの仲間が捕まったのだ。
カガミは目を細め、眉根を寄せた。
おかしい。
もとよりこうなるかもしれないことは予想していた。だが、何の前触れもなしというのがカガミは気にかかった。
「可哀想に」
クルヌイは沈痛な面持ちで言った。
「まだ何も咎はしておらぬのに。策を練ったというだけでこれほど大げさになるとは」
誰も頷かなかった。
「詳細は」
西門にある寝所に向かいながら、カガミはヤサカニに聞いた。
「は。沢良宜の邑に潜入していたサクサが妻を娶っていたらしく、その妻に計画を吐露してしまったようです。彼は先ほど何も吐かずに自害したと聞き及んでいます」
計画が露見した理由はあえないものだった。潜入した邑の女に惚れて結婚した男が、女に寝所で計画を漏らしてしまったから。具合の悪いことに、女は邑の長の娘だったという。
「そのような事態を防ぐために二人一組として送り込んだというのに、マクは何をしていたんだ。大体、その報告が届いていないんだ」
「それは私にもさっぱりわかりません。マクの訃報を知らせる密書は届いてない……」
あ、とヤサカニは言葉を止めた。カガミは怪訝げにヤサカニの顔を見る。
「どうした。何か思い当たる節でもあるのか」
「……数ヶ月前、ムロ武官長が私の目前で玉を割られたことがありました。その後は密書がきちんと届いていたので多分ムロ武官長はそれが何か知らずに牽制してきたのかと思い、頭の片隅にとどめて置いたのですが」
「何だとっ、ムロが?」
その時、一人の少年が二人の前に現れた。
カガミとヤサカニ相手に気配を消せる者などたかがしれている。二人は厳しい眼差しで少年を見た。
少年――ムロは唇を動かす。
「マクははやり病で死んだ」
はっとカガミは息を呑んだ。
「バショウは危険を察して、カガミたちだけでもすぐさま黄昏国へ帰還するよう玉に込めた」
ヤサカニも目を見開いた。
ムロはおもむろに麻袋を突き出し、それを下に向けた。ばらばらと幾つかの玉が零れ落ちる。
「黄昏国に伝わる古代文字。それを俺が読めたことが運のつきだったな」
カガミたちは何かしらの動きがあった時、高天原国の者に悟られぬよう玉に古代文字で密書を込めてやりとりする取り決めを交わしていた。
「報告が来ないと思っていたら、やはり握りつぶされていたか」
重要な知らせは全てムロが握り潰していたのだ。カガミは唇の片端を上げた。
「さすが、この国の礎を守る者だ。だが、それならどうして俺たちを捕らえない。台王や王子の危機が迫っているやもしれんぞ」
カガミの挑発にムロは憂鬱げな顔をして、何も言わずに去ろうとする。
ヤサカニがムロの喉元に短剣を突きつける。
「答えろっ」
ムロは冷めた目線をヤサカニへ送る。
「隻眼の男など、赤子のようなもの」
ムロは素早くヤサカニの右ひざを蹴った。激痛に襲われたヤサカニはうずくまる。
ムロは何も言わずに去る。その後ろ姿は近寄りがたさを感じさせた。
カガミは目を細めた。
ヤサカニは蹴られた右ひざをかばいながら立ち上がる。
「あいつ……何か策を練っているのでしょうか」
「いや」
ムロの中にあるためらいをカガミは見抜いていた。
「ムロの中に、迷いが生じている。あいつは俺たちのことを誰にも教えないはずだ」
ヤナギを傷つけない限り、と最後に小さくつけ加えた。ムロの行動の全てはヤナギを起因としている。
「カガミ様、お言葉ですが。それは考えにくいかと」
ヤサカニの反論に、カガミは片眉を上げる。
「何故だ?」
「ムロは高天原国の武官長。私だったら、もしもこのような事態になればすぐにでも首謀者を引っ立てます」
「…………鍵はヤナギが握っている」
カガミは断定した。
「ヤナギが俺たちを信じたからこそ、ムロは手出しをしてこれなかった。ヤナギのおかげで三年も命拾いしたな」
「本当に、あなたは飄々《ひょうひょう》とおっしゃる」
青ざめてヤサカニは天を仰ぐ。夕闇に紛れて満月が顔を出す。
「明日から拷問が始まります。我々の名を同胞が口にすれば、我々は磔の刑にされて確実に黄昏国は滅ぼされてしまう」
「ヤサカニ。何を今更」
カガミは不敵に笑った。
「こうなるやも知れぬことは、この国へ辿り着いた当初から予期していただろう」
押し黙るヤサカニにカガミは背を向けた。
見上げた空にはいつの間にか満天の星が広がっている。それにカガミは手を伸ばし、拳を握った。
目を背けたくなる光景、とはこのような光景のことを言うのだろう。
地獄だった。
阿鼻叫喚の叫びが上がる。
ぞくぞくと、カガミの同胞たちが忌み部屋へと引っ立てられてきた。一つの綻びは、全てを壊す。おのおのの村に台王は兵を派遣し、出自の怪しい者を厳しく洗い出した。その中でも今回の騒動に関わりがある可能性が非常に濃厚な者たちは有無を言わさず都へと連行された。
内部崩壊を企む者たちの存在に台王はたいそう立腹しており、早く首謀者の名を吐かせて火にくべろと言って聞かなかった。
それを涙を浮かべて諌めるのはクルヌイだけで、他の者は台王の意向に賛同していた。
こうして、拷問が始まった。
東門兵は太い棍棒で男の背中をあらん力で殴打した。男は小さなうめき声を上げて血を吐く。
背中には無数の傷と血が滲んでおり、肉が見えていた。
「言えっ。首謀者の名を言えば、貴様たちは黄昏国に送還してやると台王が仰っていたぞ。意識がなくなる前に、さっさと吐くんだ」
「は……。そう言って、わたし達を皆殺しにするのだろう」
なお抗おうとする男に、東門兵はさらに一発を加える。
「バショウ! やめろ、やめてくれえっ」
「あたしが代わるから! お願い、バショウが死んじまう……」
忌み部屋のすみに縛られた他の罪人たちが声を枯らして泣き叫ぶ。
拷問の役目を授かった総勢五名の兵たちはそれを面白がって笑う。東門兵や南門兵らは、忌み部屋にいる者を人と見ていなかった。
カガミは忌み部屋の入り口付近で、じっとそれを見ていた。ちらりと横目でヤサカニを見やると、彼は手足を竦ませている。
カガミとヤサカニの二人も拷問の役目を授かっていた。クルヌイはそのような穢れた役目を二人に課すことには反対だと拒否したが、台王と側近は強引にそれを取り決めた。高天原国を裏切れば明日は我が身だと思い知らせたかったのだろう。
「ほら、お前らもぼうっと突っ立ってないで、叩け」
兵たちがカガミたちに棍棒を渡す。
「……あ……俺は……」
ヤサカニは身を震わせて棍棒を取り落とした。そして、戸口を開けると走り去った。
「ちっ。やはり黄昏国出身の者は駄目だな。血が腐っている」
言いながら、兵たちはバショウを打ち続ける。悲痛な叫び声が響く。
兵たちの目は尋常のものでなかった。狂気の瞳。それをカガミは腕を組み、壁にもたれかかって冷めた目で見つめていた。
「ムロ武官長も、このありがたい役目を辞退されたと聞いた。それに触発されたかは知らんが、西門兵は誰もが頑なに役目を拒否したらしいじゃないか。首謀者の名を吐かせた者には、たんと褒美を与えると台王が仰せであるのに」
一人の兵は笑いながら入り口に佇んだままのカガミに声をかけた。
「カガミ、おまえもまさか、棒立ちのままいる気か」
そう言われ、床に這いつくばって必死に息をしている男の目の前にカガミは立った。
顔を赤黒く腫らしたバショウの縋る目がカガミとかち合う。
カガミは顔色を変えずに彼を打つ。
「言え」
冷淡に命令し、更に打つ。
嘲笑が上がる。東門兵や南門兵たちは黄昏国の者同士が対峙するのを面白がっているのだ。
バショウは息も絶え絶えにカガミを見据え、言った。
「……われらは、誓って、同志を……売りませぬ」
再び嘲笑が起こる。
「馬鹿め! 貴様らの仲間は今頃我先に逃げ出しているだろうに! そのような者をかばうなど、さすがは黄昏国の者だな」
そう言うと、兵たちはバショウを取り囲み、いっせいに打ち据えた。
「…………っ」
拷問は何時間にも及んだ。
それでも彼はカガミとヤサカニの名を吐かなかった。
「明日はそこの太ったおまえの番だからな」
そう言い残して兵たちは忌み部屋を出ていく。一人ずつ折檻することによって、恐怖を植えつけようとしているのだ。
カガミたちが忌み部屋から去る際、バショウの目から一筋の涙が伝った。