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四.


 初夏の香りは国中を清々しく駆け巡り、陽の光は農作物を成長させる。

 高天原国の都を行き交う人々は皆、額に浮かぶ汗をぬぐっている。

 カガミとヤサカニはそんな都の大通りを歩いていた。ところせましと露店が立ち並び、人呼びが店の前で大声を張り上げている。

 二人は夏風邪をこじらせた王子に代わって都の見回りをしていた。熱が高いというのに、どうしても視察に行くと駄々をこねた王子に自分たちが代わりに見てくると言った手前、適当にはできない。カガミたちが見てきてくれるなら、と渋々室で横になっておくことを承諾した王子のことは他の護衛が見張っている。

 カガミとヤサカニはなるべく目立たないように麻で織られた生地の装束を着込み、袈裟を目深に被っていた。街道へ続く門前にある市場や一般の民が住まう区域を一通り視察し、都の南東にある貧困層の住まう区域へと足を向けた。

 水の腐った臭いと大量のはえが貧困区域には充満していた。夏の日差しにやられた人々は軒下に座り込み、顔を伏せている。ぴくりとも動かない彼らは死んでいるかのようにも見えた。

「相も変わらず、凄惨な状況だな」

 カガミは初めてこの区域を訪れた時から変わらない死の臭いに辟易しながら言った。

「ええ、王子に報告申し上げねばなりませんね」

 貧困区域の有り様を木簡に書き記しながらヤサカニは答えた。

 希望の光が消えた目。昼だというのにいっこうに活気がない区域。骨と皮だけとなって汚れた川の水を飲む子供たち。

 全てを静かに見回し、カガミは袈裟をふかぶかと被り直した。

「ヤサカニ、都の中だけでもこんなにも落差が激しい。時は満ちたな」

「……」

 答えないヤサカニを見据え、カガミは嘲笑を洩らす。

「どうした。情でも移ったか」

「そのようなことはないです。俺がどれだけこの国を憎んでいるか」

 反論したヤサカニの表情に一片の惑いを感じ、カガミは常々思っていたことを口に出した。

「お前の場合、高天原国を憎んでいるというよりは姫巫への怨恨と見受けられるがな」

 ヤサカニはぐっと声を詰まらせる。

 畳みかけるようにカガミは言う。

「三年前は訊かなかった理由を訊こう。何故、あの時ヤナギを殺そうとした」

 一瞬の間の後、ヤサカニはカガミから視線を剥がした。

「…………彼女が、俺の左目と左耳を奪った姫巫だったからです」

 俯き加減でヤサカニは言い切った。両の手の拳は固く握られている。

 カガミは目を見開く。

「父上より、お前がその目と耳を失ったのは十二年前のことだと伺っている。その時、ヤナギは六つ。まだ、あいつは姫巫ではなかったはずだ」

「いいえ、ヤナギ様です」

 強い口調でヤサカニは断言した。静かな川べりで二人は睨み合う。

 ふと、ヤサカニが瞳を曇らせる。

「彼女自身に聞いたら、違うと彼女は答えました。その目が嘘ぶいているようにはみえませんでしたが」

「だったら」

「あの、目」

 ヤサカニの手が震える。その手で彼は自分の顔を覆った。

「あの空虚な宝玉のようなまなこ。間違いない」

 カガミは腕を組んで訊く。

「先代姫巫ではないのか?」

 その問いにヤサカニはゆるりと首を横に振った。

「先代姫巫を模した彫り物を拝見しましたが、あの者ではなかった。まだほんの幼子である女児が、俺の未来を奪った」

 沈黙が下りる。ぼそりとヤサカニは呟く。

「カガミ様の言う通りかもしれません。俺は、姫巫に私恨を抱いている」

「……ヤサカニ……」

 生臭い風が二人の間を駆けた。

「それも、もしかしたら人違いかもしれない憎しみを」

 彼の顔は戸惑いと遣り切れぬ憎悪、そして哀傷に満ちていた。

 ヤサカニはそれきり口を開かなかった。

 午後の日差しは突き刺すように肌に食い込んでくる。貧困区域を一回りしたカガミたちは再び市場を歩き出す。

 二人は露店の一つで握り飯を買い、頬張りながら王宮へ足を向けた。

「ヤナギは」

 カガミが口火を切る。

 横にいたヤサカニの肩がにわかに強張る。

 しかし、カガミは気にせず言葉を続けた。

「ただの少女だ。姫巫だなんだと祀り上げられているが、心根は純朴そのもの。タダビトだ」

 ヤサカニは眉根を寄せて顔を歪めた。

「〝姫巫〟が、人だと。そういうのですか」

 声をひそめて言うヤサカニにカガミは頷く。

「ああ。ただ、この国のために道具として使われている哀れな者」

 ――怖い。

 ヤナギが洩らした心の声を思い出し、カガミは下唇を強く噛んだ。

「泣いていた」

「え?」

 ヤサカニは予想外の言葉に呆ける。

 二人とすれ違う人々はあまりの暑さに顔も上げたくないのか下を向き、足を引きずるようにして歩いている。

「このまま戦場を駆け続ければ、いつか何も感じないようになりそうで怖いと、泣いていた」

 つい先日、ヤナギから聞いたことをそのまま伝えれば、ヤサカニは瞠目した。

 カガミは慎重に言葉を選びながら唇を動かす。

「先代姫巫より真名で縛られ、あいつは姫巫になった」

「そのような、こと」

 関係ないです、という声は小さく立ち消えた。

「ヤサカニ」

 カガミは立ち止まる。ヤサカニの足も止まった。彼は強すぎる感情を楊に持っている。それはいつか、カガミにとっても黄昏国にとっても、ひいてはヤサカニ自身にとってもよくない事態を呼ぶ気がしてならなかった。

「憎しみを持てばそれだけ相手を意識してしまい、いつしか捻じれた感情を生む」

 カガミは憂鬱げにヤサカニを見た。

「あまりヤナギに深入りするな」



 都の視察から戻ったヤサカニたちは王子に報告をして部屋を辞す。

 カガミはその足で鍛練場へ向かった。彼の腕は確かだ。それは日頃からこっそり鍛錬を積んでいるからだとヤサカニは知っていた。

 ヤサカニはどちらかといえば知略を武器にしている。だから敢えてカガミの鍛錬につき添わず、書物庫に向かった。

 書物庫は寝殿のすぐ脇にあり、クルヌイの室からそう遠くないところにある。そこには国内外問わず貴重な文献や物が置かれており、学の宝庫である。しかし、近年は知恵より武力をたっとしとしている台王の意向もあり、貴族や豪族たちはこぞって鍛錬に明け暮れて知識は二の次という風潮が強まっていた。

 ヤサカニから言わせてもらえば、知力を上げずに武力だけ上げることは馬鹿馬鹿しいことこの上ないことだ。

 戦において、一瞬の判断が生死を分かつ。知識があれば瞬時に生存するにはどうすればいいか判断がつくだろう。だが、なければ策は浮かばず死んでしまう。無駄死にだ。

 カガミもそれは重々承知の上であり、夜にはよくヤサカニに文献や軍略の話を持ちかけてくる。そうしたことも頭に入れず、ただ戦う者たちはただの捨て駒だ。

 書物庫の戸を開けば、少しだけ湿った匂いがした。ふと、扉の近くに座っていた司書官と目が合う。ヤサカニと司書官はそれぞれ頭を下げた。

 司書官は貴重な文献や木簡、物が盗難に合わないように見張りも兼ねて置かれている。

 ヤサカニはいつもどおり、軍略や戦に関する項目の文献が並ぶ棚を目指し、奥へと進んでいった。

(…………ヤナギ様。姫巫…………)

 カガミの忠告は的を射ていた。

 ヤサカニはヤナギを強く意識している。こうしている今でも、浮かぶのはヤナギのことだ。

 この十二年。

 自らの目を、耳をもいだ者の顔を忘れたことはない。異常なくらいの意識は、カガミの言うように、捻じれを生みかねないことはヤサカニだってわかっている。

(それでも――)

 姿を追ってしまう。彼女がヤサカニに気づいていなくとも。彼はヤナギを常に目で追っていた。

「あ」

 間の抜けた声がした。

 ヤサカニは声がした方へ首を回す。

 書物庫には先客がいた。

 ヤナギが書物と書物の間に挟まっている。膝には分厚い文献を置いていた。椅子があるのだから、それに座ればいいのにと思った。

 ヤサカニは間の悪い気まずさを感じる。

 ちらりと目を配れば彼女が何を読んでいるか察しがついた。ヤナギが読んでいたのは、黄昏国のことが書いてある書物だった。

 ヤナギはわざわざ立ち上がって一礼する。

 ヤサカニも小さく一礼し、積まれた書物を脇にどけてヤナギの横に腰を下ろす。

 ヤサカニは久々にヤナギと口を聞いた。

「黄昏国のことを知りたいのですか」

 問えば、即座に彼女は首を縦に振った。

「ええ、黄昏国や地下にある他国のことが知りたくて。……戦で何度か地下の国々へ赴いているけれど、ちゃんとした知識はあまりないから。まあ、どの文献にも書いてあることは一緒だったけど」

 そう言ってヤナギは書物のとある一行をヤサカニに示す。そこには蜘蛛の廻廊を出た途端、黄昏国や地下の国々の記憶の一切が消えたという記述があった。

「……黄昏国の空は、淀んでいる」

 ヤサカニは自然と話し始めた。何故、自分がヤナギへ黄昏国の話をしているのか、自分自身不思議に思った。

「この国のように虹色に見えたりはしない」

「虹色や青色ではないの?」

 心底驚いた瞳で見つめられ、内心困惑する。ヤナギの双眸には美しい光がある。

 戸惑いを悟られぬよう、平静を装ってヤサカニは答えた。

「いや、青色をしている時はありますが、高天原国のように澄んだ色ではない。くすんでいます。絶えぬ戦の狼煙がそうさせているのだと言う者もいるくらいに、哀しい色をしている」

「へえ」

 真剣にヤナギが話に聞き入っている様子を見ていると、自分の心が和らいでいくのを感じた。

「しかし、だからこそ存在出来るものもある。それが拯溟しょうみょうの花。ヤナギ様は見たことがおありですか?」

 ええ、とヤナギは頷いた。

「夢から覚めた時に、散らばっていたことが何度か」

 ああ、と八榮爾は納得した。

「黄昏国の者と夢路が同じだと、そういった事象が起こることがある。……拯溟の花は、黄泉路を迷う者たちを導く花として知られています」

「そうね。でも、この国では長くもたないし、育たないわ」

「拯溟の花は、澄み渡りすぎた土地では呼吸することの出来ない花なのです。だから、我々の国だけでしかあの花は生きられない」

「……美しく、気高い花。自分の望まない場所では、潔くその身を投げうる」

 ヤナギは読んでいた書物を床へ置き、両膝を抱える。彼女の物言いには、どこか憧憬が感じられた。

 気を取り直してヤサカニは言葉を続けた。

「あとは、そうですね。高天原国と違って大きな建造物はごくわずかです。王の住まいもさほど大きくないし、豪族たちの家も簡素だ」

 ヤサカニは黄昏国の王宮を思い描こうとしてみたが目の奥が霞がかり、黄昏国の記憶を手繰ることはできなかった。

「ヤサカニは蜘蛛の廻廊を通ってこの国へ来たのでしょう?」

 当たり前のことを訊いてくるヤナギに疑問を覚えながらも、ヤサカニは頷いた。するとヤナギは小首を傾げる。

「何故、そんなにも記憶を保有しているの」

 ヤサカニは、そんなことかと微笑を洩らす。

「それは、黄昏国を出奔しゅっぽんする際に自国や他国のことを記した文献を持参したからです」

 ヤサカニは数多くの文献をこちらへ持ってきていた。高天原国に行った者は来た国のことを忘れる。逆もまたしかり。

 ヤサカニが十二年前、高天原国から黄昏国へ戻った時は高天原国の地理がすっかり抜け落ちた。

「たしかに蜘蛛の廻廊を抜けると、あちらの国のことは忘れます。だが、こちらに来てから得た情報は消えない。高天原国に来た当初は本当に戸惑いました。あなたが見られていた書物が述べているように、記憶が全て抜け落ちたんです。でも、俺には持参した書物がありましたから」

 ヤナギは感心しきったように両手を握り合わせ、目を丸くした。

「すごい機転。普通ならそこまで頭が回らない」

 そう。普通なら、高天原国へ行く者は逃亡者か兵のどちらかだから黄昏国の文献など持っていかない。

 しかし、ヤサカニたちの場合は違った。始めから、潜入するつもりだった。だから、そんな用意周到なことができたのだ。

「ありがとう、ヤサカニ。おかげでたくさんの情報を知ることができた。それにしても、そなたとこんなに喋ったのは初めて」

 礼を言うヤナギに思わずヤサカニは訊いた。

「あなたは、怖くないのですか」

 きょとんとしてヤナギは瞬いた。

 戸惑うのは当たり前だ。いきなり、怖くないのかと訊かれて戸惑わない者がいるだろうか。

 左目のあった部分が、ちりちりと痛む。幼き少女の残像がちらつく。

「俺は、三年前にあなたを亡き者にしようとした。そんな俺が恐ろしくないのですか」

 ヤサカニの問いに、ヤナギは目を吊り上げた。人形のような美しい瞳に一抹の炎が宿る。

 その生きた瞳は誰かに似ていて、ヤサカニは息を詰まらせる。思わず視線を彷徨わせた。

「恐ろしくなんてない」

 彼女は真摯に答えた。迷いは微塵も見受けられない。

「その後、一度たりともそなたは私を傷つけようとしなかった」

「それは、機会を見計らっていたからかもしれませんよ。今のような」

 ヤサカニは緩くヤナギの首筋に手を当てる。彼女はその手をやんわりと外した。そして、言う。

「殺意を感じない」

 そう言われて、はっと我に返った。ヤサカニは素早くヤナギから離れると、片膝をついて頭を垂れる。

「……申し訳ございません。恐れ多いことを」

「いいえ」

 優しい声色。彼女はこうして自分を傷つける者全てを許すのだろうか。許すことは、自らの傷を抑え込むことでもある。

 それを考えると、心臓に鋭く鈍い痛みが走った。

 それに、とヤナギは付け加える。

「あの時殺されていたら、私はその程度の役目だったということ」

「…………っ」

「では、私はこれで退室します。祈祷の刻限が来るので」

 しなやかな動作で書物庫を後にするヤナギの姿が見えなくなるまでずっと見つめていた。

 彼女の姿が見えなくなると同時に、ヤサカニはその場にうずくまった。

(まるで操り人形のようだ)

 笑わないからくり人形。手足にくくりつけられた糸で好き勝手に動かされる哀しい人形。


『あの時殺されていたら、私はその程度の役目だったということです』


 ヤナギは死ぬことを恐れていない。

 危うげなヤナギの思想が、ヤサカニは気にかかった。



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