8月6日・燃ゆる生命
(なん…だこれは………!)
目で見た光景を、脳が認識しているのはわかる。しかし、それを「現実のものとして見る」かどうかは、また別の話だ。たった数分前に存在していたはずの自分が知っている光景とあまりにも違う、今目の当たりにしている辺りの惨状に、自分の思考が追いつかない。
爆風によって大半の建築物は一瞬のうちに破壊されつくされている。隣の鉄骨入りで建てられたビルですら、衝撃波を受けて窓枠が全て消し飛ばされていた。爆心地から程近い我が家が、半壊状態で済んだのは奇跡に近かった。
しかし、それ以上に。
目の前を歩く多くの幽鬼の様な人間の姿に、寛明は声を失った。
頭髪は焼け縮れ、身体は全身酷い火傷を負っている。衣服はボロボロとなって原型を留めないものも多い。しかしよくよく見ると、それはボロキレなどではなく、はげ落ちてぶら下がっている皮膚のようだった。その腕が擦れないようにするためなのか、皆一様に幽霊のように両手を前に差し出し、よたよたと歩いている。
それだけではない。被害者達の声にならない呻き声と共に、何か「キシキシ」「チャリチャリ」という音が聞こえてくる。よくよく見れば、爆風によって粉々になった硝子の破片が身体に刺さっており、それが擦れて鳴っているのだった。
そんな人間が次々に現れ、炎から逃れようと川へ向かってよたよたと歩いている。その有様は、まるで地獄の責め苦から逃げ出してきた亡者の列の様であり、いっそ炎に飲まれて死んだ方が楽なのではないかと思えるほど、俄に人間であったとは信じられない有様だった。
巻き上げられた粉塵により暗くなった空を、赤い炎が不気味に染め上げる。周りの状況を見るにこの場を一刻も早く去らなければ火災に巻き込まれる事は必至だった。
「逃げるぞ、立てるか?」
廣明はそう言うと返事を待たずに、まだ気絶している晴夫を抱え上げ、シズ子の手を引っ張った。全身の痛みを気にしている余裕はない。貴重な本数冊を地面に素早く埋め、手帳とペンを肩掛けカバンに入れ、倒壊を免れていた防災鞄をひったくるようにして手に取ると、3人は炎の色が濃い市内と逆方向に走り出した。
哀れな被災者に構っている余裕は無かった。
路面電車は、脱線して炎を上げている。
あちらこちらの家屋が倒壊し、道を塞いでいる。
吹き飛ばされた瓦やガラスが道に散乱していて走りにくい。
そこら中で水を求め、助けを求める人が溢れかえっている。
うめき声 鳴き声 怨嗟の声 声にならぬ声
助けなければ でもどうにもできない。
それらに捕まっていては逃げることができない。
申し訳ない すまない ごめんなさい
あらゆる謝罪を思い浮かべながらできる限り早くこの場を遠ざかろうとする側から、倒壊した家に挟まれた者が生きたまま、火傷を負って思うように身体が動かない者が生きたまま、倒れて息も絶え絶えになっている者が生きたまま、その生命を焼かれていく。そんな光景や声が津波のように押し寄せてくる。
そんな「炎と死の津波」を振り払いながら逃げる中、ずっと近くから聞こえてくる音がある。
ジャリジャリ
キシキシ
チャリチャリ
何かと思っていると、それは我が子に刺さった硝子の破片が擦れて聞こえてくる音だった。
そのままにしているのは、あまりに忍びない。
晴夫が気絶しているうちに大きなものは取り除き、ぼろ布を巻いて止血をする。幸い大きな動脈血管を傷つけていなかったのだろう、脈打つような出血は見られなかったが、やはり怪我の程度は酷い。早いところ医者に見せなければ。
とにかく早くこの地獄を抜け出そうと、三人はまた力を振り絞って走り始めたのだった。