8月5日
1943年 5月 開発中の原子爆弾のターゲットが日本と決定される。
1944年 9月 アメリカとイギリス間で核仕様に関する秘密協定締結。
1944年 5月 原爆投下目標とされた広島は空爆対象都市から外される。
1945年8月2日、8月6日に原子爆弾による攻撃を行うことが決定される。
第一目標:広島
第二目標:小倉
第三目標:長崎
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8月5日 広島は晴天であった。
8月3日から4日にかけて雨が降ったが、この日は高気圧に覆われて夏らしい青い空が見えていた。
久し振りの晴天の下、各家庭では朝から主婦達が洗濯などの家事に追われていた。それは市内中心部より1〜2kmほど北西の横川地区にある、ここ山瀬家でも同様であった。この家の主人である「山瀬廣明」は、元は外務省の職員として勤めていた。ボルネオに出向する命を受け、出発を待っている間に海軍から応召がかかり、1945年2月よりここ広島に居を移している。元々海外の言語に非常な興味を有しており、特にエジプトのカイロ大学に留学をと考えていたようだが、就職難の時世もあり、言語研究は専ら独自の活動にとして細々と続けるしかなかった。
軍属となって広島に転居してからも、その研究熱は衰える事がなく、寛明は空いた時間を見つけては書物を読み漁り自己の研究に没頭していた。もっとも、それは軍の要職を務めていた養父の影響もあって、肉体を酷使する部署ではなく、海外の情報分析を任務とする部署に配属されたおかげでもあるのだが。情報分析官として勤務する傍ら、近隣の学校にも語学の特別講師として招かれて何かと忙しい日々を送っていたため、「最近は思うように書物を読む時間もとれない」と愚痴をこぼす毎日だった。
平和な世であれば軒先に風鈴が風に揺れて音を鳴らしていたのだろうが、戦時下で何事も「辛抱」「我慢」が蔓延っている。うるさくセミが鳴く中、廣明は団扇を仰ぎながら久し振りの非番である時間を使い、
うずたかく平置きで本が積んである一部屋で、片手で団扇をあおぎながら書物を読みふけり、粗雑に作られた紙に時折ペンを走らせていた。
ラジオから聞こえる大本営発表にも興味を示さないのは、いかにもこの男らしい所作ではあった。徐々に減っていく配給から、戦況は思わしくないことぐらいは容易に推測できる。闇雲に勝利を信ずるような盲目的なところはなく、「負けるときは負ける」と達観しているところが、また廣明の性格を物語っていると言えよう。
妻のシズ子は朝早くから洗濯物、配給の列に並び、今は晴夫の遊び相手をしていた。他の兄たちは学童疎開で田舎に行ってしまったが、晴夫はまだ2歳と幼いため、一緒に暮らしていた。時折湯呑にぬるい麦茶を入れて持ってくるが、廣明は書物から目を離さずに「ん。」と短く言って受け取る。シズ子の方も邪魔をしないように何も言わずにまた晴夫の元に戻るのだった。現在からすれば文句の一つでも飛んできそうな振る舞いだが、当時は特に珍しい光景ではなく、二人の仲が悪いというわけではない。それでもシズ子は小さなため息をついてその場を離れた。
しばらくすると、台所から昼飯の準備をする音が聞こえ始め、やがて匂いが漂ってきた。研究欲も空腹には勝てず、廣明は本を畳むと台所へと向かった。
「おーい、今日の配給はどうだった?」
「今日は久しぶりにお米が配られましたよ」
「おおそうか。それは良かった」
「でも、やっぱりもう少し欲しいですね」
「それでもうちは軍から少し貰ってるからな」
「ええ、わかってますよ。でもたまには晴夫にお菓子を食べさせたいものですね」
「砂糖は貴重品だからなあ」
この日の夜は空襲警報が2回あり、眠れない一夜とはなったものの、久しぶりに米の配給が行われたこの日は、久しぶりとなる米飯の食卓を囲んだ家庭も多かった。きっとそれぞれの家庭では話が弾み、中には次の日のお弁当にと、大事に米をしまっていた家庭もあっただろう。
そして、まだその時は迫りくる原子爆弾による、翌日からの地獄の惨状を誰も想像していなかっただろう。しかし、この時テニアン島ではMk-1核爆弾リトルボーイを搭載したB29「エノラ・ゲイ」が、人類初の核爆弾投下の命を受け、飛び立つ時を待っていた。