軍都・廣島
日本列島の西部・広島県の西部に位置する広島市は、中国地方における地方中枢都市である。南には世界遺産である宮島をはじめ、大小の島々が点在する風光明媚な瀬戸内海が穏やかな波を湛え、北には緑深き中国山地があり、冬ともなれば白い雪山でスノーレジャーを楽しむ人が数多く訪れる観光の名所でもある。全国で人口減が課題となっている現在でも人口は微増を続けており、街中は活気に溢れている。
その中心地にほど近い安川のほとりに、廃墟となったドーム状の鉄骨を戴く廃墟がある。元は「産業奨励館」と呼ばれていた、広島が持つもう一つの世界遺産である「原爆ドーム」である。今でこそ「平和都市・ヒロシマ」として世界に知られるこの街は、明治の世から第二次世界大戦、日本では「十五年戦争」「太平洋戦争」「大東亜戦争」などと呼ばれていた頃までの間、「軍都・廣島」だった。
日清戦争時に「大本営」が置かれ、明治天皇も滞在するなど一時は首都としても機能していたこともある。街の南にある宇品港は重要輸送拠点の一つであり、似島は「検疫所」「捕虜収容所」として機能した。呉は言うまでもなく「海軍工廠」であり、「大和」を始め、数々の軍艦が造船された。軍の関連工廠や多くの官公庁が置かれ、関連業者や人間が集まって国内でも有数の大都市へと成長していった。「単なる地方の一都市」ではなく、国の中枢を担う機能を持ったこの都市が、人類初の核兵器使用のターゲット候補に挙げられた事は、戦略上何も不思議ではない。
ただ、そこに住まう市井の人々に、果たしてどれだけ「軍都の住人」としての意識があったのだろうか。そして、自分が「軍関係者」として見られていることにどれだけの自覚があったのだろうか。
この物語では、そんな「廣島」に住んでいた、ある一人の人間に焦点を当ててみようと思う。