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夜を明かすために  作者: 深鈴東
第二章
30/31

29. 抱えた過去と重み

「じゃあまたね!お互いお仕事がんばろ!」

 ミナミは僕たちの迎えの車がある地下駐車場までともに下りて見送りをしてくれた。車に乗り込む際彼女を振り返ると、ミナミは目が合った僕に手を振ってくれた。

(明るい人だったな…)

 僕がカーテンが閉じられた車窓にしばらく視線を寄こしていると、隣に座るホムラが話しかけてきた。

「ミナミさんは君がセントラルエリアに迷い込んだ時、俺と同じ時間に出動していたんだ。だから俺に運ばれている君を目撃していた。彼女もセントラルエリアで活動する部隊に所属していて、俺たちとは別の任務に就いている」

「そうだったんだ…」

 ミナミが僕を目撃したのは、僕が九命猫に入る前のことだったらしい。つまり彼女から見た僕は侵入者という咎められる立場から、国の公的機関に拾われたという異端に見えているのだろう。それなのにミナミは僕に友好的だった。彼女がおおらかなのか、ともにセントラルエリアで活動しているという仲間意識が働いているのかは定かではないが、貴重な情報源になるかもしれないミナミと良い関係でいられるのならどっちだっていい。

(トバリの先輩なら、同期には話していないような彼女の過去も知っているかもしれない)

 車が水上用に切り替わるときの揺れを感じながら、僕はこれからのことを一人考えていた。




 車は厳重な警備が敷かれたゲートをくぐり、セントラルエリアに進入する。車内は外から漏れ出していた都市の喧騒が消え、自分の呼吸の音が聞こえるほど静かな空間になった。僕たちの拠点はゲートから近い距離にあるため、車であればセントラルエリアに入ればすぐに到着できる。車は建物が並んだ路地に繋がる歩道の前で停車し、降車用のスロープを展開した。いつも僕が探偵事務所から帰るときに降ろしてもらっている場所と同じだ。

「ありがとう。マサヨシ人事部長にもよろしく頼むよ」

 助手席に座っていたトバリは運転手に感謝を伝えて車から降りた。後部座席にいた僕たちも彼に頭を下げてトバリに続く。早朝に拠点をでてから正午に帰ってきただけなのに、ひどく疲れてしまった。今日はもう何か新しいことを始める気は起きない。

(これから、僕は一体どうなるんだろう)

 帰ってきた途端、今まで鳴りを潜めていた不安が一気に押し寄せてきた。普段思考の妨げになるはずだった都会の音は何も聞こえない。セントラルエリアの静けさが、今は僕に牙を向いている気がした。



「ただいま我が家、そしておかえり我が戦友」

 トバリがあくびを噛み殺しながら片手間に言う。僕たちは荷物を下ろすこともなくぞろぞろと共有スペースになだれ込んでいく。僕以外の皆もやはり疲労を募らせているようだった。

「はあ、少しだけ休憩しようか。そうだな……一時間後に再びここに集まってくれ。今後について共有しなければならないことがいくつかあるんだ。時間までは自由に過ごしてくれて構わないから」

 トバリはそう言うと、すぐに部屋を出て行った。僕はソファに座って天井を眺めた。余計なことを考えないように必死だった。

(共有したいことって、やっぱりこれからのことだよね…)

「……」

 目をつぶって現実逃避しようとすると、隣にコハルが座ってきた。

「……不安?」

 コハルは控えめに尋ねてきた。きっと彼女も同じように不安なのだと思う。

「うん…かなり」

 同じ境遇のコハルなら正直に話しても聞き入れてくれるだろうと思って、素直に不安であると伝えた。彼女はゆっくりと瞬きをして、僕と同じように天井を眺めた。

「そうだよね。私ですら不安なんだもの。……でも、そこまで深刻にならなくていいと思う」

 その言葉に僕はコハルの方を向いた。彼女は目を閉じて言葉を紡いだ。

「私はシグレがここに来るまで、一班の中で唯一の非戦闘員だったの。だから任される仕事もみんなと違うし、人事部からヨシミツさんの所に紹介されるまではずっと一人で拠点を守ってた」

 コハルは曇りのない眼で僕を見つめた。

「でも、私は寂しくなかったよ。みんなは必ず帰ってくるって信じていたし、私の仕事は絶対必要だって思えてたから。……みんなが私に頼ってくれるから、私はここに必要なんだって思えるようになったの」

 コハルは不安を微塵も感じさせないようなまなざしを僕に向けている。

「だから安心して、シグレ。きっと私たちは次も同じ任務に就くことになるはず。先輩として、シグレが自信をもってみんなのサポートに回れるよう、私頑張るから!だから……あまり深刻にならないでいいよ」

「……!」

 コハルの言葉は僕に重くのしかかっていた不安を和らげてくれた。そうだ。何よりも信頼している一班の仲間が、今更僕をお荷物扱いなんてするはずもない。皆が僕を必要としてくれているかどうかは、僕がこの場にいることが答えを証明しているだろう。トバリに拾われた命、そしてヨシミツさんに守ってもらったこの命を、僕自身が大切にしなければならない。

「ありがとう……コハル。そうだよね。どんなことがあっても腐らずに行動し続けなきゃ。……だって僕は八咫烏なんだから」

 コハルは僕の言葉に笑顔で「その意気だよ!」と返してくれた。




「さて、時間になったし始めようか。ボクたちの今後の動きについての共有と……少年のための勉強会を」

 トバリはさっきまでの疲労を感じさせないような振る舞いで僕らの前に立った。カフェテリアで見た時と同じように、僕たちに華麗なウインクを披露する。楽しそうな彼女に呼応してカスミも「よっしゃ!」と僕を見た。せっかく皆が時間を作ってくれたのだ。この機会に疑問に思っていることはすべて聞いてしまおう。

(これから忙しくなるのに、皆の足を引っ張るわけにはいかない……)

 僕は姿勢を正し、気を引き締めて作戦会議に臨むことにした。

「それでは、まずは上層部からの命令を全員で共有するとしよう。ボクたちR.W.M.U.一班が命じられたのは『燦然世代の壊滅と首謀者の捜索』だ。ボクたちの最大の目的と、上層部が設定した目標がようやく一致することになる」

 トバリは自身のノートパソコンを机の上に置いて、その画面を僕たちに見せながら説明を開始した。

「要するに、これからはボクたちが望むような任務を上が出してくれるということになるね。より大規模な掃討作戦も、かつて断念したセントラルエリアの奥深くの捜索もすべて可能になる」

 そこまで言うとトバリは僕たち一人ひとりと目を合わせながら、まるで小さな子供と約束を取り付けるときのように、少しもの悲しげに言う。

「つまり……これからは任務の危険度が極端に上がるということだ。ボクはキミたちを信頼しているし、積み上げてきた経験がキミたちの強靭さを物語っているとも思う。でも、ボクはこの組織に入ってから一度仲間を失った経験があるんだ。……あの時ばかりは一体どうすればよかったのか全く分からなかった。自分が生き残ってしまったことをひどく悔いた時間もあったくらいに追い詰められたこともあったんだ」

 トバリは目を閉じていた。彼女の瞼の裏に一体どんな光景が写っているのだろうか。

「……今後八咫烏は可能な限りの戦力を投下していく。今までにないほど激しい戦闘が起こることだって考えられる。その時が来た時にボクはキミたちの命を最優先した行動を指示すると先に伝えておくよ。ボクたちは安全な都市を、奪われた平和な日々を取り戻すためにここにいるんだ。キミたちは犠牲になるためにこの組織にいるわけじゃない。それをわかっていてほしい」

 トバリはゆっくりと瞼を開いた。彼女の瞳に僕が映っている。僕は本当に彼女の過去を知らないのだと、つくづく実感する。言葉にするだけであんなにも悲痛な顔にさせるような過去を聞いて、果たして許されるのだろうか。

「……と、こんな風にキミたちのリーダーは時折過去を思い出して臆病になることを、知っておいてほしいな。弱音を聞かせるのはボクとしては恥の一つなのだけれど、円滑な連携を達成するために腹を割ることにするよ!」

 トバリは急に饒舌になって自身の胸を叩いた。多分少し照れているのだと思う。僕は彼女の仕草に思わず笑ってしまった。カスミとコハルもはにかみながら僕らのリーダーに賛同している。ホムラは相変わらずの無表情だが、きっと彼も僕たちと同じ気持ちだろう。

「物わかりの良い部下たちでよかったよ。さっきも話したようにこれからは任務の形態が大きく変わってくる。上の命令には従うがやり方を決めるのはボクだ。ここに所属してから長いボクですら初めて経験する任務だって増えてくるだろう。がむしゃらに模索しながら色々作戦を練っていくから、キミたちも今まで通り協力してほしいな」

「おう!任せろ、トバリ(リーダー)!」

「無理をせずに、俺たちを頼ってほしい」

 戦闘員の男子二人が彼女に頼もしい一言を送る。僕もトバリに何か伝えたくて、頭で考えるより先に口を動かした。

「あっ、ぼ、僕も!できることは精一杯やるから…頼ってほしいな…!」

 僕たち三人の言葉にトバリは綺麗に笑ってくれた。

「……!ありがとう。頼りにしてるよ」

 トバリの信頼に応えようと奮起していると、一人何も言わずに考え込んでいたコハルが挙手をした。

「一つ聞いてもいい?トバリ」

「もちろん。…今回の作戦会議は決戦に向けての大切なものだ。皆も疑問があったら遠慮なく質問してくれ」

「ありがとう」

 コハルは少し伏目になって尋ねた。

「その……私たちの目的はしっかり理解しているつもり。だから燦然世代の掃討に力を注ぐことは理にかなっているし、同意できるの。…でも、私たちに今回の事件の調査は命じられていないのかなって……」

 コハルはヨシミツさんが殺害された襲撃の調査に関わりたいと思っているようだった。彼女の気持ちは僕もよくわかる。しかし、コハルの質問を受けたトバリは苦い顔をしていた。

「……上層部がボクたちに命じたのは、ボクたちの主な仕事に関係することのみだった。襲撃者の特定や事件の動機、どこから情報が漏れたのかを調査することはボクたちの管轄外だ。…キミの気持ちはわかるが、ボクたちは八咫烏だ。命令にはきちんと従わねば」

 トバリの答えは極めて現実的だった。だが、コハルは納得した表情で彼女に感謝を伝えた。

「うん……そうだよね。ごめん、わかりきったことを聞いて。ありがとう。ヨシミツさんのために…それにもちろんトバリのためにも私は私ができることを精一杯やるから」

 彼女の言葉を聞いたトバリは、再び綺麗に笑った。

「……頼もしいよ、コハル。だが、本格的な調査に関わることはないとしても、覆面事務所で活動していたキミと少年にはこれから助力を請われることがあるかもしれない。……そして、襲撃者に直接制裁を下すことになるのはボクたちだ。だから、襲撃者の足取りがつかめるまでは事件調査の玄人たちに頼らせてもらおう」

「……うん!」

 コハルはしっかりと頷き、トバリはその様子に満足そうだった。

「……ボクの自分語りにずいぶん時間を使ってしまったな。本筋に戻ろう。次に、今回の襲撃者について情報共有をしておきたい。ボクたちが本庁で聞いたように、襲撃者は燦然世代の『司教』である可能性が高い。少年にはまだ燦然世代の構造について詳しく説明できていなかったね。口頭での説明に加えてあとで資料のコピーを渡しておくよ」

 トバリはノートパソコンに資料を映しながら話し始めた。

「今回の襲撃者として最も有力なのが燦然世代の幹部…司教の一人である『カガミ』という人物だ。八咫烏が保管する『燦然世代:組織構成(仮)』の記述にて、燦然世代の司教の中で女性は一人だけだと判明している。今回の特定はヨシミツさんが残した証拠によって早急に完了するだろう。何より、八咫烏はセレスチャルすべてのセキュリティ施設や防犯機能を統括している。現在はその機能が停止しているセントラルエリアもやがて調査のために多くの人員が充てられることになるだろう。…襲撃者が燦然世代だとしても居場所の特定に時間はかからないだろうな」

「……」

 僕はヨシミツさんを襲ったというミミの姿を思い出した。彼女は僕と同い年の、本当に普通の少女に見えた。そんな彼女が燦然世代の重役であるなんて、信じ切ることはまだ難しいと思った。トバリは続けて、資料のある部分を拡大する。そこにはいくつかの会話の記録と、『燦然世代:司教』とカテゴリ分けされた人物名が記載されていた。そして確かに「カガミ」という三文字が記されている。

「これが八咫烏が調査の根拠としている燦然世代について詳しく記した資料だ。ここに書かれている情報はセレスチャル大規模銃乱射爆破テロが起こった当時に逮捕された者の供述をもとにしている」

「……え?あ、そうなんだ…?」

 僕は思わず驚きで声を出してしまった。燦然世代の者たちは洗脳状態で、まともな会話を図ることは不可能であると聞かされたはずだ。僕が疑問を抱えていることに気が付いたのか、トバリは逮捕者についての情報を補足してくれた。

「燦然世代は多くの洗脳状態の信者を抱えている。その洗脳を施された者たちを『悪魔祓い』と呼んでいるんだ。しかし、燦然世代は全ての信者が「悪魔祓い」であるわけではない。……そしてこの供述者も悪魔祓いではなかった。燦然世代で洗脳を施されるには特定の条件を達成する必要がある。供述者はそれを満たしておらず、さらに自らの意志と関係なく教団に入団させられた、二世信者だった。……彼は悪魔祓いであった父親に命令されて、とある建造物に爆弾を仕掛けたらしい。幼少から父親を恐怖の対象として見ていた彼は、逆らえないままテロに加担してしまった……」

 トバリはそう言うと小さくため息をついた。彼女の簡単な説明でも胸糞悪い話であることは十分伝わった。供述者はどんな心情でテロの惨禍を見ていたのだろうか。

「供述者の当時の言葉が文字起こしされた資料を八咫烏は所持している。もし、彼本人の供述で学びたければ、閲覧して欲しい」

 供述者の話題はそこそこに、トバリは次の説明に移る。

「それと…ボクたちの仕事への認識を改めてもらう必要があるな。少年、キミが初めてここに来た時にボクたちは暗殺部隊であると言ったね。それは間違っていないのだけれど、暗殺部隊として機能するのは悪魔祓いに対してのみだ。洗脳状態でない信者は逆に保護対象となる」

「保護対象……?」

 僕の疑問符にトバリは頷いた。

「そう。以前キミを連れて燦然世代の掃討にあたったよね。そのときにボクとカスミは奴らの目が赤いかどうかをずっと注視していたはずだ。今のところボクたちは、対峙した燦然世代が悪魔祓いであるかどうかの判断材料に目の色を使うしかない。そしてボクたちは『悪魔祓い(洗脳済みの者)しか処刑してはいけない』。まだ洗脳されていない信者たちの多くは、比較的最近になって()()()()入団させられた者たちが多くを占めている。……テロ当時の供述者のように。燦然世代に支配された生活を送っている人たちを助けることも、ボクたちの仕事の一つなんだ」

 トバリは話しながら新たに一つの資料を提示した。そこには九命猫の組織構造や業務内容が事細かく記されている。トバリは「対最優先事項部」という項目を拡大して続けた。

「ここにはボクたちの服務が詳しく書かれている。……キミがこれからも外部の仕事に関わりたいと思っているのならぜひ読んでほしい」

 トバリはそう言って僕に微笑んでくれた。僕が以前から外部と関わりがある仕事に就きたいと言っていたことを覚えてくれていたみたいだ。

「………?なんか、変じゃねえか?」

 トバリが次の説明に移ろうとすると、突然カスミが口をはさんだ。

「どうしたんだい?何か疑問でも?」

 トバリがカスミにそう尋ねるが、カスミは何も言わずに何かを考えているようだった。そして段々彼の顔が青ざめていき、次に発した声は震えていた。

「こ、今回の襲撃は『司教』がやったんだろ…?だったらなんで、誰も燦然世代が来たって気が付けなかったんだ?そいつの目もぜってえ赤いはずだろ?」

 カスミは僕とコハルを見た。その顔は気づいていけないことに気づいてしまった時のような、ひどく怯えたような顔をしている。コハルはカスミの膝に手を乗せて、彼を落ち着かせようとした。

「カスミ、落ち着いて……確かに私たちは気がつくことができなかった。あの依頼人は私たちと同い年で、燦然世代の人間としてはあまりにも普通に見えたから……。それになによりも依頼人の目は()()()()()()。だから私たちだけじゃなくてヨシミツさんも見抜くことができなかったの。奴ら、確実に私たちを欺くための方法を知ってる」

 コハルの言葉にカスミは息を呑んだ。彼が危惧していることを僕も理解した気がする。彼女の言葉にカスミはとある確信を得たようで、震えながらトバリを見た。

「なあ…トバリ、もしかして今ってとんでもない状況なんじゃねえのか……?奴らは…奴らは本当にセントラルエリアの中だけで生き延びてるって言えるのか……?」

 カスミはいつになく怯え切っているようだった。僕は彼がそんな状態に陥るなんて思ってもいなかったからか、今の状況をとても深刻に感じる。しかしそんな僕の心配をよそに、怯えたカスミを見たトバリは冷静に告げた。

「ああ、そうだよ。コハルの言う通り、燦然世代はボクたちの目を欺く術を身につけている。今ボクたちは、すぐにでも動き出さねば大規模テロのような悲劇を繰り返させてしまうところまで追いつめられているんだ」

「お…おい!わかってんならなんでそんな落ち着けるんだよっ……!」

 焦るカスミを見て、トバリは少しからかうような調子の声色で彼に詰め寄った。

「まったく…いつもの堂々とした振る舞いはどこにやってしまったんだい?敵の動向に心を乱されるなんてキミらしくないよ」

 そう言ってトバリはカスミの額にデコピンした。

「あだっ……そ、それはそうだけどよ…」

 カスミは額をさすりながら弱弱しく呟いた。彼はまるで苦手なものと対峙して行動を渋っている子どものように、迷いがある視線をトバリに向けていた。カスミの様子を見たトバリは息をついて、彼の肩に手を乗せて彼を窘める。

「九命猫だけでなく八咫烏全体が腰を上げた時点で、燦然世代は()()()()の脅威としてみなされたんだ。もしかしたら今もどこかで奴らに平和を奪われている市民が存在しているかもしれない。でも、そんな仮定を頭に描くたびに足を止めてしまっては、本当に防ぎたいものも防げなくなってしまうよ」

 トバリはカスミの肩に乗せた手を上下に動かして、安心させるように軽く叩いた。

「これまでずっと一緒にいたんだ。キミが何に怯えているのかボクも分かっているつもりだよ。……怖かったら今みたいにいつでも不安を口にしていい。一緒にキミの中にいるかつての君(トラウマ)を慰めてあげよう」

 トバリの言葉にカスミはゆっくりと顔を上げた。そして彼の手に重ねられた小さな手へと視線を落とす。

「大丈夫。私たちがいるよ、カスミ」

「……!」

 カスミにとって、その小さな手の温もりは恐怖を退けるための十分な力を持っているようだった。

「……へへ、そう…だな!大丈夫だ!」

 カスミは小さな手を両手で握り返して「ありがとな」とコハルに言った。そしてわざとらしく咳ばらいをすると、いつもの調子で軽口を言い始めた。

「トバリだけが俺たちに弱ってるところ見せんのはかわいそうだろ?だったら俺も、道連れってな!」

「……自ら道連れにされにきたパターンは初めてだよ」

 トバリは呆れながらも調子を取り戻したカスミに安心しているようだった。僕はほっとすると同時に、少しさびしさを覚えていた。

(みんなと仲良くなれたとは思っていたけど……僕はトバリのことどころか、みんなのこともやっぱり知らないんだな……)

 いつか、僕が聞かなくてもみんなからそれぞれの過去を打ち明けてくれるような関係になれるだろうか。カスミの恐怖の原因を瞬時に見抜いた彼女たちを見て、僕は少しだけ無力に感じた。

「トバリ、忘れないうちに覆面事務所がどうなったのかをシグレに伝えた方がいいと思う」

 ホムラが再び脱線した会話の軌道修正を図った。彼の提案にトバリは頷く。

「そうだね。きっと少年は一番気になっているだろうから。……少年、結論から言うと『猫の足跡』は解体されることになった。都市の機密を管理していた施設が襲撃されたんだ。今後おそらく八咫烏は似たような機関ですら設立しないと思われる」

 分かっていたことだが、いざ言葉にされるとかなりショックだ。しかし、僕は平静を装って彼女の話に聞き入る。

「キミの主な活動場所が無くなってしまうことは不安だと思うけれど、新しい職場では必ず一班の誰かがキミを指導できるように手配するから、仕事のことで過度な心配を抱く必要なないよ。今後キミはこの拠点や臨時被災者施設での活動に関わっていくことになると思う。施設では必ずボクの部下として仕事にあたってもらうし、拠点ではコハルというプロにマンツーマンでの指導をお願いするからきっとすぐに慣れるはずだ!」

 そこまで言うとトバリは僕の手を握って、まっすぐな視線を向けて来た。

「ごめんね、少年。ボクはキミを守ると言ったのに、大切な人を失う場面に再びキミを連れてきてしまった。キミはもしかしたら、ヨシミツさんの気配を排除しようとしている八咫烏に憤りを覚えるかもしれない。でも、少なくともここにいる者たちは決して彼のことを蔑ろにすることはないから。だから、めげずにボクたちに着いてきてくれないか」

 トバリは手に込める力を強めた。僕は彼女の思いや誠実さに涙が出てしまいそうだった。

「……トバリが謝る必要なんてないよ。あれから僕は強くなれたと思う。今回のことだってちゃんと自分の気持ちに整理をつけたつもりなんだ。……それに、僕とコハルはヨシミツさんと約束したから」

「ね」とコハルの方を向くと、彼女も頷いてくれた。僕たちの様子にトバリは数回瞬きをして、笑みを浮かべた。

「ふふ、キミたちが同じ仕事に就いたことは大正解だったみたいだ」

 トバリは再び僕を見上げると、いつものように安心させるような態度で力強く言い切った。

「強くなったね、少年。キミを拾った者としてボクはとてもうれしいよ。もう必要がないかもしれないけれど、これはキミが安心できるようにのおまじないだ。…少年、これから()()()()()()()()()()()()()()、ボクたちはキミの味方だよ」





 重要な話し合いが終わり、僕たちは今日残された時間を自由に過ごすことになった。僕は共有スペースで文書のコピーを用意してくれているトバリの帰りを待っていた。改めてこの拠点には何でもあることに気づく。一階は完全に仕事用のスペースであり、書類や武器など者が雑多にまとめられている。トバリはそこに置かれたコピー機を使用しにいった。彼女が言うには今回僕がもらう予定の資料は厳しく管理されていて、データでの受け渡しが不可能なのだという。

(僕が間違ってどこかに流出させたりしたら、大問題で済まされないだろうし……納得できるルールだと思う)

 僕は組織に入隊してから支給された携帯を眺めながらそんなことを考えていた。性能がいい故に僕では使いこなせない。過ちを犯す可能性は十分にあるだろう。

「待たせたね、少年」

 八咫烏の厳格なルールに感謝しているとトバリが戻ってきた。彼女は山、とまでは言わないがかなりの量の紙を抱えている。

「ありがとう……こんなにたくさん」

「かまわないよ。むしろ必要なことだからね」

 トバリから資料を受け取ると、予想以上に重たくて不覚にもふらついてしまった。彼女が余裕で持ち歩けるものすらまともに持てないのか、と思わず顔が熱くなった。トバリは僕の様子を見て少し吹き出した後、「部屋まで持って行こうか?」と申し出てくれた。しかし、恥ずかしさとちょっと見栄を張りたくて、彼女の厚意を断った。

「……あ、そうだ」

 僕は部屋から出ようとして、トバリに聞きたかったことを思い出した。

「トバリ、…いらない紙とペンをもらってもいい?その、自分なりにちゃんと勉強したいなと思って」

 作戦会議のときに見せてもらった資料をそのまま読んだとしても、うまく理解できる気がしなかった。それに後から見返したいと思った時にこの状態で該当箇所を探すのは大変だろう。だから自分で重要なことを書き留めながら勉強したいと思った。僕の頼みを聞いたトバリは、突然ものすごく嬉しそうな顔になって、僕に顔を近づけて来た。彼女のまつげが数えられる距離まで接近し、僕の心臓が勝手に跳ね上がる。

「いい心がけだよ、少年!それならボクが持て余しているノートをキミにあげる!ボクが普段使いしているものと同シリーズなんだ。簡単にファイリングができるし、書き心地もとてもいいんだ」

「…!いいの?」

「もちろん!」

 トバリはにかっと笑って見せた。僕は彼女がなぜそんなに嬉しそうなのか分からなかったけど、お揃いのノートをプレゼントしてくれるというだけで、ぽかぽかとした心地になった。

「ありがとう……すごく嬉しい…!」

 思わずそう言葉にすると、トバリは僕の頭に手を置いてきた。

「キミは…素直だね、本当に」

「…?と、トバリ?どうしたの…」

 もはや無心で僕の頭を撫でているトバリに、なんだかむず痒くなってしまう。顔だけでなく身体全部が熱くなって、僕はとうとう耐え切れなくなった。

「あっ、あ、ありがとう!本当にっ!……じゃあ、部屋にこれ置いてくるからっ……!」

 僕は逃げるように部屋を出た。廊下で扉を振り返ると、トバリがにやにやとこちらを見ていた。僕は彼女の視線に思わず頬を膨らませて、速足で自室に向かった。冷たい廊下の床を踏みしめていても、上がった体温は下がってくれなかった。





 夜、風呂に入って寝る準備を整えた後に、僕は机の上にトバリからもらったノートを開いた。紙の表面を撫でるとさらりとした感触がして、ペンを滑らせたときの感覚を容易に想像できる。僕は昼間の出来事を思い出して勝手に顔が緩んでしまった。

(せっかくトバリが用意してくれたんだ。頑張らないと……)

 僕は資料のコピーを見ながら、特に覚えておきたいことをノートに書き写していった。ペンを握り、紙に文字を書くなんていつぶりになるのだろう。かつて身につけたはずの能力が眠り込んでしまったことを自覚するのはかなりしんどいものだ。しかし、それでもめげずに書き続けた。続けるうちに再び書く力が目覚めてくれると信じて。

「大丈夫……まだ読める字にできてる……」

 手が震えて、字が躍ってしまっても大丈夫だ。トバリは僕にノートを渡すときに約束してくれた。

「キミがこの一冊を使い終わる日が来たら、一緒に新品を買いに行こうね」

「うん……頑張るよ。きっと期待に応えて見せるから」

 僕のつぶやきは夜特有の静けさに吸い込まれていった。僕は少しずつ、でも着実に前に進んでいけると思った。




 〇




「眠れないのかい?」

「……君こそ」

 深夜、八咫烏が抱える秘密組織の拠点で二人の少年少女が肩を並べていた。少女はソファの上で体育座りをしながら、彼女の隣で本を読んでいる少年を観察していた。少年は少女の視線に気づいているようで、時折横目で彼女を一瞥する。少女は少年と目が合うたびに彼に微笑んだ。

「……何か、気になることでも?」

 少年は本を閉じて少女に向き直った。少女は少年の気を引いたことに満足そうに口角を上げる。

「キミが眠れないのは……カスミのことが心配だから?」

 少女の言葉に、少年はわずかに目を見開く。表情の変化が乏しい彼の動揺を、少女は容易く読み取った。

「カスミがあの精神状態になるのは久しぶりだったから、僕も少し焦ったよ。でも彼が自ら都市の状況を把握できたことは、成長と言えるね。いつも上からの命令を耳に入れたときは、悟りを開いたような顔でボクの説明を待っていたのに」

「そうだな……」

 少女はくすくすと笑った。少年は彼女の言葉に、どこか居心地が悪そうに視線を逸らした。

「……俺はそんなにわかりやすいか」

 少年のつぶやきに少女は微笑みを返すばかりだった。少年は彼女に押し負けて、ぎこちなく心の内を打ち明ける。

「……カスミが酷く動揺していた時、俺は彼に何も言えなかった。彼の状態を気にかけていられるほど冷静じゃなかったんだ。…それが情けない」

 少年は無表情のまま俯いた。少女は少年が一人抱えていた悩みに真摯に耳を傾ける。

「ホムラ。キミは今日、ずっと怒っていたね。本庁で襲撃事件について聞かされた時も、司令長官から命令を受けたときも……。キミの怒りの原因は一つじゃない。でも大元はすべて燦然世代にもたらされたものだった」

 ホムラと呼ばれた少年は少女の言葉を肯定する。

「俺もカスミと同じように、奴らが再び都市全体の脅威になりうると気づいて、トラウマを呼び起こされた。だが俺は……カスミのように恐怖を感じるのではなく、飲み込まれそうなほど激しい怒りに苛まれた。カスミと俺が弱った原因は同じだ。『大規模テロが発生したときと条件が重なりつつある』……これ以外ない。……俺は友人一人を失くし、それに対してカスミは家族全員を奪われた。俺はこの組織の中でただ一人肉親を失わなかった者であるのに、いまだに()のことになると周りが見えなくなる。なんて軟弱な精神だろう」

 ホムラの答えに少女は悲しげに彼を見つめた。ホムラは体を丸めて、自分を抱きしめるような姿勢になる。

「いつか……この怒りに支配されてしまうのではないかと、そんなことを危惧している。俺は自分の傷口を押さえることに精一杯で、カスミに声をかけることすらできなかった……」

 少女は丸まったホムラの肩に頭を預けた。少し重くなった右肩にホムラが顔を上げる。

「……キミはカスミのことを可哀そうだと思う?」

 少女の質問にホムラは言葉を詰まらせた。

「それは……違うと答えたい」

「うん。彼は自分の力で立ち上がった。それなのにそんな見方をするのは、ボクも違うと思う」

 少女は再びホムラに尋ねた。

「じゃあ、キミがカスミに対して献身的になろうとしたのは……いったいどんな感情から?」

「……本当に痛い質問をする」

 ホムラは自身の肩にもたれかかっている少女に「降参」の意を示した。

「毎度のごとく君は俺の悪い癖を止めてくれる……ありがとう、トバリ」

「いいんだよ。キミはいつもわかってくれるから」

 トバリと呼ばれた少女は、ホムラの肩にさらに体重をかけた。

「ボクからしたらカスミの不安も、キミの不安もどちらも同じくらい大切で重要なんだよ。だからキミたち二人とも遠慮なんてしないでいいんだ」

 トバリは上目遣いでホムラを見た。

「キミはもっと、自分自身を大切にして」

 トバリの願いにホムラはゆっくりと瞼を閉じる。

「……ああ。心得た」

 ホムラの返事にトバリは満足げに笑って、今度はホムラの身体の側面に背中を預けた。

「まあ、カスミについてボクはあまり心配していないんだよ。なんてったって彼には、効果抜群のセラピストが傍にいるからね!」

 トバリの意見にホムラも同意した。

「そうだな。あの二人はお互いが心の支えになっている。……俺は君から与えられてばかりだが」

「そんなことはないよ。ボクが一班に所属される前から、ボクのことを知っているのはキミしかいないのに。キミはずっと、ボクの重しになってくれている」

「重し…?」

 ホムラがトバリを見下ろすと、彼女は天井を見つめていた。

「そう…ボクを現実にとどめておいてくれる、大事な重さ。キミや他のみんなの存在はボクを過去のしがらみから遠ざけてくれる。今何をするべきなのか、正しい判断をするために必要な理性を呼び覚ましてくれる……」

 トバリは頭を傾けて、再びホムラを見上げた。

「ボクほど過去に囚われている人間は、きっといないだろうから……」

 ホムラは彼女の言葉を頭の中で反芻した。彼には思い当たる節がいくつかあった。()()()()が起こる年、彼女に起こった変化をホムラはずっと記憶していた。しかし、それをトバリに問うたとしても、自分には何もできないことをなんとなく察していた。

「……気づかないうちに俺たちも二人のような関係になっていたんだな。心の支えというよりは、抑止力として」

「ふふ、そうだよ。キミはボクを正しい道に連れ戻してくれる。ボクはキミの怒りを鎮めることができる…………こんな風にねっ!」

 トバリはもはやホムラにぶつかりに行く勢いで彼に体重を預けた。ホムラは小さくうめき声をあげた後、どこか呆れたような視線をトバリに向ける。しかしすぐに軽く息をついた。トバリは彼が笑っていると分かる。やがてトバリの身体に、しっかりとした重さが伝わってきた。ホムラも彼女に少しだけ身体を預けたようだった。相手から伝わる体温と、互いに預け合った重さが心地いい。トバリは段々と瞼が重くなっていくのを感じた。

「…………これから判明する事実に、シグレは耐えられるだろうか」

 ホムラの問いかけにトバリの意識が浮上する。本部との関わりが深い二人には、今回の襲撃事件は全貌が見えているも同然だった。八咫烏内で公表されたときは、組織で共有しないといけないことも理解している。

「……こんなことになるなんて予想できなかった。ボクが少年を八咫烏に連れてきたことは、大きな間違いだったのかな」

「今回の件は誰も予想できない。襲撃事件を契機に一連が明らかになった。……シグレを守るために君が下した判断は間違っていない」

 ホムラの言葉にトバリの頭がわずかに動いた。

「……ありがとう」

 俯いたトバリの顔はホムラから確認することができなかった。ただ、今は何も考えずに休んでほしいと、ホムラは彼女の小さな頭に手を乗せる。白く美しい髪が指の間を通り抜けていく。

「もう寝よう。眠たいだろう」

「うん……」

 生返事をしたまま動かないトバリに、ホムラは「仕方ない」と彼女を部屋まで運ぼうとした。しかし、立ち上がろうとしたホムラの服をトバリが掴んで離さなかった。

「寒いから……動かないで……」

「……」

 それだけ言って再び瞼を閉じたトバリに、ホムラは諦めて元の体勢に戻った。彼女の寝息を聞いていると、少しずつ自分の瞼も重たくなっていく。

(今日くらい、いいだろうか)

 無理やり自分を納得させたホムラは、トバリの傍で深い眠りに落ちていった。








2026年 3月5日 一部表現を修正しました

2026年 3月9日 誤字を修正しました

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