27. 悔いる烏と鳴く獣
早朝、まだ太陽が眠気眼をこすっている時間帯に僕たちR.W.M.U一班は八咫烏本庁から出された車に乗って、セントラルエリアを一時離れることになった。自室で長時間勤務の疲れを癒そうと深い眠りに落ちていたとき、突然部屋の扉が開かれて深刻な顔をしたトバリが僕を呼び出したのだ。下の階に降りると僕以外の全員が既に起床していて、ろくに身支度も整えないまま迎えの車に放り込まれた。トバリ以外に事情を知っている者はいないようで、ホムラでさえ少し声に動揺を表しながら彼女に詰め寄っていた。トバリは跡がついてしまいそうなほど眉間に皺を寄せ、絞り出すように答えた。
「………ボクも、衝撃が大きくてうまく説明できないんだ。ごめん。今は甘えさせてくれないか」
いつも気丈なトバリが弱々しく答えるものだから、ホムラもそれ以降は心配そうに彼女を見つめるだけだった。僕は身体が二度寝を求めていたのもあって、切羽詰まった様子のトバリを見ても「最近彼女のこういう顔しか見てないな」なんて、ぼんやりと考えていた。どこか夢心地で車窓を流れていく街並みを眺めていた僕を、今の僕は叱ってやりたい。トバリが心を乱す出来事に、僕が平静を保っていられるわけがないだろう、と。
案内された九命猫の人事部で、僕たちはヨシミツさんの訃報を聞かされた。
「……え?」
僕の口から飛び出した疑問符は、自分でも驚くほどに震えていた。視界の端がじわじわと暗闇に浸食されていく。いったいどういうことなんだ。ヨシミツさんは、昨日までに死の気配を感じさせるようすはなかったのに。
「……どうして…?…っ病気でもあったんですか!?ヨシミツさんは!それともなにか不慮の事故で.…!」
僕は向かいの席に座るマサヨシに、前のめりになって尋ねた。机についた自分の手が震えていた。体が壊れた機械のように不自然に震え続けている。マサヨシは感情が抜け落ちたような顔で淡々と答えた。
「襲撃された。燦然世代にだ」
「……っ!?」
マサヨシの言葉に、僕以外の一班の皆も動揺したようだった。黙ってマサヨシの話を聞いていたコハルが、静かに口を開く。
「……なぜ、『猫の足跡』が燦然世代に狙われたんですか。セントラルエリアに出没する奴らが、わざわざそこを抜け出して人目に付きにくい場所で素性を隠している私たちを狙う理由が分からないです」
コハルは今までにないくらい怒っているようだった。触れるものすべてを傷つけてしまいそうなほど冷たい空気をまとっている。マサヨシは先ほどと変わらない表情で答えた。
「ヨシ…加藤警部の携帯端末から通信があった。まさに襲撃を受けているさなか、彼は襲撃者から情報を引き出して本部に知らせようとしていたと思われる。……なぜ、覆面事務所の存在を知ったのかは不明なままだが、襲撃者は確実に加藤警部が八咫烏の人間であると分かっていたようだった」
「……そうですか」
コハルはそれ以上口を開かなかった。膝の上で強く手を握りしめて俯く。コハルを様子を見たマサヨシは一瞬苦しそうに眉を歪ませたあと、再び冷静を装って事件の概要を話始めた。
「俺は彼と会話をしていた襲撃者の肉声を聞いている。襲撃者は女である可能性が高い。そして会話の内容からそいつは加藤警部を燦然世代に勧誘していたと思われる。彼がそれを断ったために奴らが言う『救済』を加藤警部に決行した…」
マサヨシは自らの携帯端末を机の上に置き、画面に映っている再生ボタンを押した。挑発するような言葉と小さくてうまく聞き取れない何かが端末から流れている。しかし、聞こえてくる二つの声に僕は聞き覚えがあった。
「こ、この声ヨシミツさんと……」
「……あの依頼人っ……!!」
襲撃者の声を聞いたコハルが激情を顕わにした。マサヨシは音声の再生を止めて続ける。
「この音声記録からは詳しい会話の内容は聞き取れない。俺がさっき話した情報は解析を終えた後の音声から分かったものだ。…だから俺はまず初めにこの音声を聞いたとき、真っ先に猫の足跡が受注中の依頼の詳細を確認した。従業員である鷹崎クンと癒月隊員でないならば、この声は直近の依頼主のものである可能性が高いと考えたからな。加藤警部には、たとえ一般人からの依頼でも俺に共有するように言ってあったから、依頼者の実名さえ分かればそいつの素性が知れると思った……だが」
マサヨシは耐え切れないといったため息をついた。
「『加賀美海』という名の人間は、都市に存在していなかった」
「……っ!」
コハルが感情に任せて自分の膝を殴りつけた。その様子を見たカスミが心配からか挙動不審になっている。
「初めから…、初めからこうするために私たちに近づいて……!!あの女……!」
コハルがきつく唇を嚙み締めた。彼女はヨシミツさんを殺した者に相当な怒りを向けていた。それから再び黙り込んだコハルに代わり、トバリがマサヨシにさらなる状況説明を求めた。
「本当に奴らの襲撃なのか?キミたちの技術を疑うわけじゃないが、キミの話からは燦然世代の犯行であることを証明する要素が感じられない」
トバリの声には動揺が現れていた。マサヨシは少しの間何も言わず、やがて机の上に一枚の紙の資料を置いた。
「襲撃者が口にしたと思われる内容だ。あまり外に出すもんじゃないが、お前たちには見せるべきだな」
僕たちはこぞって資料を覗き込む。そこには現実離れした思想を持ち合わせていないと口にしないような言葉が並べられていた。そこにある一節を目撃したホムラが声を上げた。
「…!『司教』……」
ホムラが指で示した箇所を見たカスミが、酷く狼狽えた。
「マジだ……ほんとに『司教』なんていやがったのかよ……」
僕は二人が心を乱している「司教」という単語にピンと来ていなかった。しかし、僕を除いた全員がその言葉に深刻になっていた。
「…確かにこれは奴らの犯行を裏付けている」
「ああ。これまで名ばかりの存在だった燦然世代の有力者が、俺たちの前に姿を現した。二週間前に明らかになった燦然世代の市民誘拐事件の件も含めて、奴らが新たに動き始めていることは確実と言っていい。今回の事件によって上もようやく緊張し始めたみたいだ。これからは今まで敷かれていた行動制限が緩和されて、俺たちも行動しやすくなる」
マサヨシは改めて僕たちの顔を見る。
「上は一刻も早い作戦の完了を目標にしている。早速今日から燦然世代の本拠地を特定するために再び動き始めるそうだ。…お前たちを呼んだのは襲撃者と接触した事務所の従業員に情報を提供してもらいたいからだ。それとR.W.M.U.の主力である一班の戦闘員たちと今後の動きについて相談したいと上からお達しがあったんでな。朝早くから呼び出して申し訳ないが、もう少し協力してくれ」
マサヨシは立ち上がり、僕とコハル以外の三人を連れて部長室を出ていった。彼らと入れ替わりで人事部所属と記されているネームプレートを首から下げた二人が入室する。彼らは僕に会釈をして向かいの席に座った。
「私たちは九命猫人事部の者です。部長からお二人にお話を聞くよう命じられました。これからお二人にいくつか質問させていただきます。確実な答えを求めているわけではありません。なのであまり気を張らずに、むしろ曖昧な証言でも私たちは必要としています。今回の事件の襲撃者について、できる限り詳しくお聞かせいただきたいです」
「ご協力お願いします」と人事部の二人は頭を下げた。僕は彼らの顔に喪失の悲しみが滲んでいる気がした。先ほど説明をした男性の隣に座る女性は、目の下が赤く腫れていた。ヨシミツさんの死によって心に傷を負ったのは僕たちだけじゃないようだ。
「はい。知っていることはすべてお伝えします」
コハルは真剣な声色でそう告げた。僕は彼女のように真摯な返事をしたかったが、心労がたたったせいかうまく声が出なかった。九命猫に所属してから、大事な人を失うという発想すら僕の中から消えかけていたのかもしれない。僕は両親を失ったときの喪失感を思い出して、人事部の二人の話が終始うまく聞こえてこなかった。
「ありがとうございました。お二人の情報は調査に役立たせていただきます」
気が付くと人事部の二人は席を立ち、僕たちに頭を下げていた。僕は何も言葉を発せなくて、同じように頭を下げることしかできなかった。
「それでは、私たちは失礼します……ああ、そういえば」
退室しようとした人事部の男性が何かを思い出したかのように僕たちを振り返った。
「お二人とも、ヨシミツさんのお顔を見て行かれますか?今彼のご遺体は親族の方に引き渡されるまで、本庁の安置所に納められています。…人事部長のご意向でヨシミツさんの助手をされていたお二人は、安置所に立ち入ることを許可されているようなので、もしよろしかったら」
彼はそこまで言うと女性とともに会釈をして部長室を出て行った。僕は彼の言葉に背筋が凍る思いがした。
(ヨシミツさんの遺体を、見たいなんて思えない…。どんな死に様だったのかなんて、知りたくない。大事な人が痛めつけられた証拠が残っている状態なんて…)
「シグレ」
僕が彼の提案を憂いていると、頭上からコハルの声が聞こえた。彼女は立ち上がって、僕に手を伸ばしていた。
「行こう」
コハルは真剣な表情でそう言った。しかし、僕はトラウマに邪魔をされて動けないでいた。
「…………いや、僕は……」
「怖くても」
コハルは僕の手を取って立ち上がらせた。彼女自身を見下ろしている僕にまっすぐなまなざしを向けている。
「慣れなきゃ」
「……………うん」
僕はそのままコハルに手を引かれて部屋を出て行った。
〇
八咫烏本庁の最上階、都市を一望する壮大な景色が映る巨大な窓を背に黒革の上質な椅子に座っている男がいた。男は広い部屋に二つしかないデスクの上の資料を眺めため息をつき、もう一つのデスクにうつむきながら座っている若い男を一瞥した。
「次の予定はわかっているな」
「……はい」
若い男はただ一言だけ返事をした。それ以降は人形のように同じ姿勢を保つだけだった。男は彼の様子にため息をつく。
「…緊張しなくていい。今から会う者たちはお前も顔を知っている」
「…………はい」
「お前はいつも通り…俺の指示に従っていれば大丈夫だ」
男がそう告げると、扉をノックする音が聞こえてきた。
「司令長官、お呼びの者をお連れしました」
「入れ」
男が入室を許可すると、数名の警察官が男に立ち敬礼をした。男が緩慢な動きで手を上げると彼らは姿勢を直す。来室した者の中で一人だけ年齢が高い男が一歩前に立ち、用件を司令長官と呼ばれた男に説明した。
「烏頭尾司令長官。此度の燦然世代による警察官襲撃に際し発足した新たな作戦の要となる、カルト教団燦然世代謀殺部隊一班の戦闘員をお連れしました。今回の非常事態を受けてまずはこの者たちに司令長官のご指示を頂きたく九命猫を代表して参りました」
ウトオと呼ばれた男は目下の者たちに威風を見せながら、顔を知る中年の男を労った。
「ご苦労だった、今橋殿。そして久しいな『セントラルエリアの番人たち』」
九命猫の人事部から三人の警察官を連れて来たマサヨシは、ウトオの言葉に首を垂れる。そしてウトオはマサヨシの後ろで神妙に姿勢を正している若い警察官たちに目線を寄こした。彼らはまっすぐにウトオを見つめており、そこに最高位についているウトオを畏れている気配はない。彼らはウトオを見ているのではなく、彼の口から告げられる新たな任務を欲しているのだった。獲物を眼前にした獣のような彼らの目は、ウトオを恐れさせた。ウトオはひときわ目立つ容姿の少女の名を呼ぶ。白い髪の少女は一歩前に進み、ウトオに三日月の瞳を向けた。
「ああ、本当に久しいな。『国家統率保安機関司令長官』烏頭尾晃雅サマ」
白い髪の少女は刺々しく言い放った。彼女の背後にいるマサヨシの頬がわずかに引き攣る。少女の失礼な態度に、ウトオは気を悪くするそぶりは見せず、むしろ彼女に謝罪の意を込めた言葉をかけた。
「貴殿が私に怒りを覚えるのは当然のことだ。己が下した決断によって貴殿は幾度も歯がゆい思いをしてきたことは、私も承知している。あの惨劇以降、私は貴殿たちが燦然世代の足取りを掴むための手立てを奪ってしまったも同然の行いをした。申し訳ない」
少女はウトオの謝罪に小さく息をつき、姿勢を保つために体に込めていた力を抜いた。
「….…はあ、こちらこそ失礼な物言いをして申し訳なかった。今ボクは親しい間柄の者が死んだ知らせを聞き、心がさざめいている。彼の死を契機にようやく行動を許されたことに喜ばしさも、腹立たしさも感じている。冷静を保つことができなくてキミに強く当たってしまった。どんな処罰でも受けるさ。最高命令責任者のキミに無礼を働いたのだから」
少女は自嘲するかのように乾いた笑いをこぼしながら、力なく両手を広げた。烏頭尾はそんな彼女の冗談に笑った。
「トバリ殿。私が貴殿をそんな些細なことで罰することはしないと、わかっているだろう。貴殿は我らに…いやセレスチャル市民にとって希望なのだから」
トバリと呼ばれた少女はウトオの言葉に肩をすくめた。
「まさか。買いかぶりすぎだウトオ司令長官。ボクはボクの得意なことをやっているまで。その言葉はキミのすべての部下に与えるべきだよ」
トバリは談笑にもつれそうな雰囲気をもとに戻すため、先ほどから一言も喋らずに自分たちのやり取りを眺めていた若い男に視線を向けた。
「……キミも、随分とお久しぶりだ。『司令長官補佐』烏頭尾晴朗様」
トバリが挨拶をすると、ハルオという名の男は無言で会釈した。ハルオの様子にウトオは眉尻をわずかに下げ、心配そうなまなざしを向けている。トバリはそんな光景を「慣れたものだ」と言わんばかりに言葉を続けた。
「キミがこの場に同席しているということは、司令長官補佐からも今回の作戦に助言を頂けるのだね。お二人がともに司令を行うということは、今回の作戦で長きにわたる戦いに終止符を打つ…そう考えていいかい?」
トバリが尋ねるとウトオは大きく頷いた。
「その通りだ、トバリ殿。今まで私は些か保身に走りすぎていたのだと、今回の襲撃で思い知った。己の配下に就く者たちを危険に晒すことを恐れ、その結果一人の優秀な警察官を失ったのだ。奴らの動向が見えなかったことに安堵し、やがて大きな油断を招いてしまった」
ウトオは机の上で組んだ手に力を籠める。
「そして私は『セレスチャルそのもの』を恐れていた。私は国家保安機関の最高位である。いくらセレスチャルがこの国にとって大きな存在であろうと、都市に従うことが国民の安全を保障することに繋がるとは限らない」
彼の言葉にトバリは真剣な表情を作った。
「……もうやめるんだね。市政の圧力に屈することを」
ウトオは再び深く頷く。瞼を閉じている彼は、過去の自分に不甲斐なさを感じているようだった。
「改めて、本当に今まで申し訳なかった。私は己の弱さに負け、判断を鈍らせていた。己が失うことを恐れるあまり、貴殿らのやるせなさを無視するかのような決定ばかり行っていた。……あの惨劇で犠牲になった者たちを無下にする行いだったと猛省している」
「あの惨劇」という言葉を聞き、トバリとその後ろで心静かに話を聞いていた少年が反応した。少年は無表情のままだが、わずかに肩を跳ねさせた。トバリは深いため息をつき、広い部屋の高い天井を見上げた。
「…………あのとき、生き残ってしまったことがボクの人生の最大の汚点だ。セントラルエリアが炎と銃弾の雨に晒されたとき、ボクは一生分の絶望を味わった気でいた。だがあのときは……大規模テロのとき以上に己の無力さに打ちひしがれた」
トバリは静かに目を閉じた。彼女の瞼の裏に浮かんでいるのは、どの惨劇を映した光景だろうか。過去を追想しているトバリを見て、マサヨシは眉を歪ませた。自分よりはるかに若い彼女の口から、「戦火に斃れていればよかった」なんて聞きたくなかった。
「……心新たに、セントラルエリアを取り戻す戦いへ赴くとしよう。司令長官、ボクらに命令を」
トバリは漂わせていた視線をウトオに向け、再び敬意を示した。彼女に続き、後ろで待機している二人の少年も姿勢を正す。ウトオは三匹の猛獣が自分ににじり寄ってくる気配がした。ウトオは首に一筋の汗が伝う感覚に我を取り戻し、毅然とした態度で彼らの本能に対抗する。
「カルト教団燦然世代謀殺部隊第一班、貴殿らに敵の本拠地の捜索及び首謀者の討伐を命ずる!」
史上最も大規模な「秘密作戦」が始まる。司令長官の言葉に各々の隊員が士気を高める中、マサヨシは猛る若き精鋭たちの背中を見つめることしかできなかった。
〇
本庁の地下フロア、廊下を進めば地下駐車場の一角に辿り着く場所に「霊安室」と示された空間が広がっていた。コハルとともに生体認証装置の前に立つと、静かに自動ドアが開かれる。その先の受付にコハルが自分の氏名と用件を伝えると、受付の人はまっすぐにとある部屋へと案内してくれた。
「お帰りの際は再度受付にお戻りください。お二人の訪問を記録しますので」
「わかりました」
「それでは、失礼します」
受付の人は部屋の扉を閉めて退室した。僕はしばらく閉じられた扉に目を向け部屋の中央から目を逸らし続けていた。心なしか部屋が冷たい気がした。遺体を安置しているために室温が低いだけだと言われればそれまでかもしれないが、それにしたって体の震えが止まらない。
「……やっぱり無理だよ、僕は…」
僕の脳内に両親の死に目が浮かぶ。あの時のように傷塗れで、中身が飛び出していたらどうしよう。大事な人が、人の形すら保っていない肉塊になっていたらどうしよう。数々の不安に襲われて、僕はヨシミツさんに目を向けられなかった。僕は弱音にコハルが叱咤することを身構えていたが、いつまで待っても彼女の声は聞こえてこなかった。
「……コハル?」
僕が恐る恐る薄めになって彼女を探すと、金属製の台の上に乗せられた分厚いビニールシートに包まれた遺体の傍らに立ち、立ち尽くすコハルがいた。僕は彼女に声を掛けようとしたが、思わず言葉に詰まった。コハルはその瞳から大粒の涙を流していた。
「……あなたは死ななくてよかった」
コハルは唇を震わせながら言葉を紡ぐ。
「死ぬはずじゃなかった。あなたは、奴らに対面することはなかったはずなのに」
静かな部屋に彼女の悲痛な叫びが響く。
「奴らの狙いは私たちだったはずなのに!あなたは代わりに犠牲となることを躊躇いもしなかった!!」
コハルはとうとうしゃがみこんですすり泣き始めた。無秩序な息遣いに混じって、か細く後悔の念が聞こえる。
「あの時私が残っていれば……あなたを一人にしなければ………」
僕は彼女の弱った姿にひどく悲しくなってしまった。しきりに「ごめんなさい」と呟く彼女はいつもより幼く見える気がした。僕は自分のトラウマに向き合うことより、コハルが自分を責め続けている様子の方が耐え難いと思った。僕は小さくなった彼女の隣に立ち、横たわっているヨシミツさんに視線を落とした。
「…っ」
彼の首に一目見て命に至ったと分かる深い傷がつけられていた。傷は首を取り囲み、まるで何かが巻き付いたかのような痕跡を残している。僕は胃液が食道に逆流している感覚がした。傷から覗く赤黒い肉が僕のトラウマの光景と重なる。思わず首から目を逸らすとヨシミツさんの顔が見えた。
「あ…」
彼は生前と変わらない穏やかな表情をしていた。
「……ヨシミツさんは僕たちを守ってくれた」
僕の言葉にコハルが反応する。
「さっきの音声、ヨシミツさんはずっとマサヨシさんに届くような大きな声で相手を挑発してた。きっと通信してることを悟られないようにしてたんだ。……通信装置を起動して、それから相手の気を逸らそうなんて意思がある行動でしかないと思う」
僕がコハルの方を向くと、彼女も僕を見上げていた。涙で濡れた瞳が僕を捉えている。
「……コハルなら、ヨシミツさんがどんな思いで行動したか僕よりずっとわかるはず」
僕はヨシミツさんの当時の状況を想像しながら泣きそうになった。ヨシミツさんが予想していたよりずっと穏やかな、誇らしげにも感じられる表情を浮かべていたから、彼に守られた命であることを自覚してヨシミツさんのことが恋しくて仕方なくなってしまった。気が付くと僕はコハルに驚かれるくらいボロボロ泣いていた。
「……っ、もしヨシミツさんが僕たちを帰らせていなかったら、僕は絶対燦然世代に殺されてた。だからっ、僕は言わないといけないんだ…『守ってくれてありがとう』って……」
肩を震わせながら号泣する僕の横にコハルが並び立った。彼女は呆れたような笑みを浮かべて僕の背中に触れた。
「ありがとうございます……ヨシミツさんっ……」
言葉にした瞬間、ダムが決壊したかのように涙が溢れてきた。そんな僕の様子にコハルは本格的に呆れてしまったようで、やや強めに僕の背中を叩き続けていた。
僕はコハルとともにヨシミツさんに別れを告げた。受付に寄ることを忘れずに行い、別行動の三人を待つため本庁内のカフェテリアで休憩することにした。
(ここに来るの、あの時以来だ……)
正直この場所には嫌な思い出があるが、端の席に座ったためかつてのように目立つことはないだろう。僕たちは互いに目を腫らしているため人目を避けたかった。人が少ない時間帯のため、大きな窓から朝日が降り注ぐ心地よい席を確保することができた。僕たちはすっかり泣き疲れてテーブルに突っ伏す。
「……柄にもないことしちゃった」
コハルが先ほどの自分を恥じているようだった。とはいっても僕の方がよっぽど醜態を晒した気がする。
「僕も、あんなに泣いたのは久しぶりだったな」
「…ふふ、シグレは泣きすぎだよ。ヨシミツさんが心配するでしょ」
コハルがいつもの調子を取り戻したようで、僕は安心して顔が緩んだ。コハルには「締まりのない顔」と笑われてしまった。
「……ヨシミツさんが前に言ってたの。『人が死んだらその人は神様に会いに行く』って信じているのはセレスチャル市民くらいだって」
コハルはヨシミツさんとの会話を思い出している。
「郊外の人は違うの?」
「うん。ヨシミツさんが『学校で神様について授業するのはセレスチャルくらいだ』って言ってた。前にカスミと学校の話をしたら、『地元じゃそんな授業受けたことない』だって。だから私、神様はセレスチャルを創った人の妄想でしかないんじゃないかなって」
僕は幼いころに通っていた学校の記憶を思い出そうとした。初等学校以外まともに通ったことがないから、コハルの話がいまいちピンと来ない。
「……それは歴史の授業?」
「そうだよ。セレスチャル創立当時に掲げられた『神に見守られた都市』っていうコンセプト。絶対テストに出るって、耳にたこができるくらい聞かされたの」
「中等学校での授業だったら、僕はあまり分からないかも…」
「そっか。…知りたかったら私が教えてあげる。わかる範囲でだけど」
僕が自分の知識の無さを嘆いていると、コハルが前のめりになって励ましてくれた。
「……というか、私も最後まで学校に通えたわけじゃないから!別に学力で差別される組織じゃないし、気にすることないよ。あと、歴史ならトバリに聞いて。あの子、学校でも習わないようなはるか昔の出来事もなぜか知ってるから」
「そうなんだ。…トバリなら納得かも」
「暇があれば市立図書館に通ってるからね。あの場所、もはや博物館レベルで本が置かれているから、読書好きにはたまらないみたい。そのうちなくなっちゃうって言われてるけど、本当に撤去されたらトバリが可哀そうだよ」
(市立図書館…実際に行ったことはなかったな。今度行ってみたいかも)
僕は歴史について意気揚々と語るトバリを想像した。きっと僕が聞いたこともない話をいくつも教えてくれるのだろう。僕は思わず笑みをこぼしてしまった。
「…ああそうだ。ヨシミツさんの話の続き。ヨシミツさんの実家はテラだったって知ってる?」
「てら…?」
聞きなじみのない単語に僕は首を傾げた。
「私もヨシミツさんから初めて聞かされた。『寺』っていうのは、ホトケを祀る場所らしいよ。セレスチャルにはないんだよね」
「……ほとけ」
僕はまたもや知らない単語に首を傾げる。
「『神社』ってあるでしょ。神様に感謝するために建てられた社。創立記念日になるとたくさんの人でごった返してる…市内にあんなにいっぱいあるんだから、わざわざ人気の神社に行かなくてもいいのにって私は思うんだけど。まあそれはいいとして、寺は神社の『仏』バージョンだってヨシミツさんは教えてくれたの」
「その…仏?に感謝する場所ってこと?」
「そういうことみたい」
コハルは僕の答えに頷いた。新たな知識を得て、僕は郊外への興味がわいた気がした。
「じゃあ郊外の人は神様じゃなくて仏を信じてるってことなんだ」
僕が自分なりの答えを口にすると、コハルは微妙な反応を示した。
「うーん…私も昔そう思ってヨシミツさんに聞いてみたの。そしたら郊外には寺だけじゃなくて神社もあるって言われて混乱しちゃった」
「えっ」
僕は思わず声を上げてしまった。では郊外の人は神と仏どちらも信じているということなのだろうか。僕が頭を悩ませているとコハルが朗らかに笑った。
「不思議だよね。郊外って都市とはまるで違うみたいに聞こえる。…ヨシミツさんがなんて言ってたか教えてあげるよ。答えは『別にどちらも信じていない……僕はね』」
「なんだそれ!」
困惑する僕にコハルはさらに笑い出した。
「変だよね。ヨシミツさん寺の生まれだってのに、仏すら信じてないって言うの。でも存在を否定してるわけじゃないみたいで『いたらぜひ会ってみたい』とも言ってる。郊外の人は仏は崇める対象じゃなくて、目標にすべき存在って教わってるらしいよ。少なくとも、彼らにとっていい存在ではあるのかも」
「目標……頑張れば人は仏になれる、ってこと?」
「かもね」
僕はまるで異文化について勉強しているかのような気分だった。ヨシミツさんが生まれ育った地はどんな場所だったのか、もっと知りたいと思った。
「結論は『郊外の人は神様も仏も、本当に存在するとは思っていない』。だから『神様に会いに行く』って発想は彼らの中にないってわけ。……あはは!こんなに不思議な話、直接話してあげればよかったのに。ヨシミツさん」
「……僕も直接聞きたかったな。こんなに頭がこんがらがる話」
僕とコハルは互いに顔を合わせて笑った。そしてひとしきり笑った後、僕の胸に彼がいないことの寂しさがよぎった。
「……ミミさんが燦然世代の人間だったなんて、全然気づけなかった」
僕は自分の無力さを悔いた。僕と同い年くらいの少女が、容易く人を手にかける判断をしたなんて、未だに信じがたいと思ってしまう。
「無理もないよ。私だって気づけなかったんだから。……あの依頼に対する違和感をもっと追及すればよかった」
僕らの間に沈黙が流れる。しかし、すぐに僕の腹の虫がそれを割いた。
「……前にもこんなことあったよね」
「うう、思い出させないで…」
コハルが僕の腹から鳴った音に苦笑いを浮かべる。本当ならこの時間帯はすでに朝食を済ませているはずなのだ。空腹になるのも無理はないと思いたい。
「じゃあ、ここでご飯食べちゃおうよ」
コハルは立ち上がってカフェテリアのメニューを物色し始めた。僕も慌てて彼女に着いていく。
「いいの?三人を待たなくて…」
僕は未だに連絡が来ない三人を案じたが、コハルは特に気にしていないらしい。
「……みんなが遅いからしょうがないよね」
コハルは僕ににやりと笑って見せた。いつも通りの彼女を見ることができて、僕は「大丈夫だ」と心の中で呟いた。




