26. 優しい人
「いらっしゃい。こんなところを訪ねてくるなんて、珍しいね。よかったら中でゆっくりしていかないかい?実はここで密かにバーを営んでいるんだ。もちろん未成年も大歓迎だよ」
ドアから現れた男性は、扉をさらに開けて僕を誘おうとした。部屋の中は暗い赤色の壁で統一されており、微かにムーディーな音楽が聞こえてくる。一際目につくのは精巧な意匠が施されたカウンターと、壁と一体化した棚に置かれた無数の酒瓶だった。戸惑ってその場から動こうとしない僕に、男性は柔らかい表情を浮かべた。
「おや、もしかしてここがお目当てじゃなかったかな。でもここで会ったのも何かの縁だ。お友達もご一緒にどうぞ?…悪いようにはしないよ?」
男性は扉から顔を出し、階段付近で動きを止めていたコハルに笑いかける。コハルは男性と目が合うと肩を跳ねさせて、後ずさりした。彼女は男性を警戒しているようだ。
「え、えっと…僕実はこの猫を追いかけて……って、あれ?」
気がつくと、僕たちが追いかけていた黒猫が僕の前から消えていた。あたりを見渡すと男性が開けた扉の先に、バーのカーペットの上でくつろいでいる黒猫がいた。僕がびっくりして部屋の先を凝視していると、男性が黒猫を抱き上げて僕に寄こしてきた。
「こいつがどうかしたのかい?よくうちのところに来てくれるんだけど……君の所の子だったのかな」
黒猫は男性の腕の中で呑気に毛づくろいをしている。僕は猫を恨めし気に見つめた。
(こいつ、僕に用があってここに連れて来たんじゃなかったのか……?)
予想外の状況に陥ってしまい、僕はどうしようもなくなってしまった。何も言わずに硬直する僕を見て男性は眉を下げて笑った。
「おやおや、大丈夫かい?……キミはこいつに誘われてここに来たんだろう?ならキミも大切なお客様だ」
男性は僕の片手をすくい上げて言う。
「それに、キミとなら心が通じ合える気がするんだ。きっとここを気に入ると思うよ」
僕は男性の妖しい微笑みに目を奪われてしまった。抵抗する気も起きず、ただ彼に引き寄せられていく……
「っ遠慮します!!失礼しました!!!」
僕はコハルに思いっきり両肩を掴まれて現実に引き戻された。そのままコハルに腕を引かれて、階段に引きずられる。
「何勝手にお邪魔しようとしてるの!危ない行動はしないって約束したよね??」
コハルは珍しく語気を強めて僕を叱責した。その表情には焦りと動揺が見られる。
「ご、ごめん…」
僕はコハルに引きずられながら後ろを振り返った。男性は僕たちの失礼な態度を気にする素振りもなく、僕たちに向かって手を振っていた。
「気が向いたらまたおいで。……いつどんな時でもここで営業してるから」
男性は僕を見つめながら穏やかに笑っていた。
「初めて会った人に簡単に絆されそうになっちゃってさ」
「う…ごめんって……」
黒猫の後を追いかけていた間に探偵事務所に集合する時刻が迫っていた。僕たちはあの黒猫以外に猫のしっぽを掴むことができず、結局収穫無しのまま帰途につく。コハルは黒猫に導かれた先で出会った男性に、まんまとついていこうとした僕に怪訝な目を向けていた。
「外に看板も立てずにあんな場所でお店を開いてるなんて、怪しさ満点じゃん…。あの男の人からいい匂いでもしたの?」
「は、反省してるからもう勘弁して…」
僕がコハルの視線から逃れたくて猫背になると、彼女はため息をついて「気をつけてよね」と言った。僕はコハルが心配してくれることに申し訳ないと思いつつも、彼女の言葉がどこか引っかかっていた。
(コハルがあの人からいい匂いがしたのかって言ってたけど…あながち間違いじゃなかったっていうか、あの人が一瞬すごく魅力的に見えたんだよな…。変な意味じゃないけど、あの人に着いていったら何かがわかる気がしたんだ)
僕はあの男性が何かを知っている気がしてならなかった。僕が初めて会う人ならば、向こうも同じように僕とは初対面のはずだ。それなのに、あの男性はやけに僕に親し気な感じがした。
(時間が取れたら、またあそこに行ってみようかな…)
コハルの言う通り怪しいはずの男性だったが、僕はなぜだか彼に興味がわいてしまった。
見慣れた探偵事務所の応接スペースに、ミミは肩を落として座っていた。飼い主のもとからいなくなってしまった子猫を探すために僕たち「猫の足跡」の職員たちは奮闘したが、日が暮れるまで捜索しても子猫、ミィは見つかることはなかった。すっかり意気消沈してしまったこの猫探しの依頼人ミミは、ヨシミツさんに慰めの言葉を掛けられながら気持ちに整理をつけようと必死だった。
「……やっぱり、見つからないですよね。今日一日探して、簡単に見つかるとは考えてなかったけど…気配すらないって、ちょっと悲しいです」
ミミはか細くそう言うと、手の甲で目を拭った。僕は彼女になんて言葉をかけていいか分からなかった。
「……難しいよ。やっぱり…」
コハルは依頼人に聞こえないような声量で呟いた。僕が隣を見ると、彼女はミミを苦しそうな顔で見ていた。コハルはミミの努力が水泡に帰すことがわかっていたようだった。僕は何とか彼女を元気づけようと、可能性の糸口を提案しようとする。
「で、でも!今日僕たち猫を一匹見かけたんです。もしかしたらその周辺をくまなく探したらミィちゃんだって……」
しかし、そこまで言うとヨシミツさんが首を横に振った。
「もう、これ以上ミィちゃんの捜索はできなくなったんだ。僕と加賀さんが都市に出ている間に、加賀さんの親御さんから連絡が来てね。加賀さんの携帯に『これ以上やっても無駄だからあきらめろ』って。実は加賀さんはご両親に秘密で僕たちに依頼をしたらしく、以前からミィちゃんを探すための手立ては打っていたみたいなんだ。…それでも成果は得られず、あとに残された手段は自分で探し出すことのみ。それでお小遣いで支払える値段で依頼を引き受けてくれるうちの事務所を最後の手段にと…」
「そんな…」
僕は思わず悲痛な声を上げてしまった。ここまで愛猫を探すために頑張ってきたのに、親のたった一言で諦めてしまうのか?僕は下を向いたままヨシミツさんの説明を聞いているミミを見る。彼女は肩を震わせているが、やがて決意したように顔を上げた。
「…両親の言う通りです。これ以上何をやっても仕方ないって、自分でもわかってました。……でも、途中であきらめたら、今までやってきたことが無駄になってしまう気がして。それであきらめたくなかったんです」
ミミは悲しそうに笑った。
「もちろんミィに帰ってきてほしかったけど、気がついたら私、ミィのためじゃなくて自分のために頑張ってたのかもしれないです……本当にダメな飼い主だなあ~…ミィもこんな私に呆れて、出て行っちゃったのかな~…」
ミミはボロボロと涙をこぼし、ついには大泣きしてしまった。それからの時間、ただひたすらミミを落ち着かせるために必死になっていた僕たちだった。
〇
「猫の足跡」。私がかれこれ一年以上お世話になっている九命猫の覆面事務所。その役割はセントラルエリア関連の事柄を一般警察機関に共有する連携機関。しかし今は随分と緩い空間に成り果てている。私の同僚であるシグレは、猫探しを依頼してきた女子高生を必死に慰めようとしていた。彼は主観抜きにしても誰かの役に立ちたがる気がする。それはお国を守るためには必要な精神性なのかもしれないが、身の危険を顧みずに突っ走る癖は直した方がいいとつくづく思う。せっかくトバリに救ってもらった幸運な命なのだから、もう少し慎重に使えばいいのに。
(まあ、一度ラッキーを知ってしまったら、人間無謀にもなるか……)
私はシグレの隣に座る目を赤く腫らした少女を見た。今回の依頼を持ち込んだその人であり、話を聞く限り彼女も無謀に挑戦したがる性分のようだった。行動する中で不可能に気づいたときはすぐにでも計画を打ち止めにするべきだと思うが、彼女はそうしなかったらしい。そしてたった今、突き付けられた現実に打ちひしがれている。
(誰か、彼女を止める人はいなかったのだろうか)
私は彼らのような人間が嫌いなわけではない。ただ、理解できないだけだ。私は成長することで自分に降りかかる悪い出来事から逃げる力を得た。私と年が近い彼らにもその力はあるはずなのになぜ、正面からぶつかってけがをしようとするのか。
「……分からないな」
「なにがだい?」
二人の無謀者に向けていた視線を正面に向けると、ヨシミツが私を見つめていた。その手にはいくつかの湯飲みを乗せた盆が乗せられている。彼はにこりと笑うと湯気が立っている茶を一つ私に差し出し、残りをソファに並んで会話を続けている無謀者たちに差し入れした。そして私の向かいの席に着席した。
「ごめんね。独り言だったかな。でも何か悩み事があるなら、話してほしいな」
ヨシミツは相変わらずの人が好い笑顔を私に向ける。私は彼に杞憂だと伝えようとした。
「特に悩み事はないです。……あ、でも」
私は彼に一つ疑問をぶつけた。
「ヨシミツさんはどうして、この依頼を断らなかったんですか」
「え」
ヨシミツは細い目をわずかに見開いた。そんなに意外な質問だっただろうか。私は淡々と心の内を述べていく。
「ヨシミツさんは私たちが臨時被災者施設で仕事をしているとき彼女に依頼の概要を聞いたんですよね?私だったら、その時点で彼女を止めます。無謀が過ぎますから。彼女が辛い思いをする前に止めるべきだと思うんです」
ヨシミツは無言で私の話を聞いている。彼も依頼人を止めるべきだとは考えなかったのだろう。
「……いえ、やっぱり何でもないです」
私が顔を逸らすと、彼から小さく笑い声が聞こえてきた。
「…ふふ、コハルさんにはやっぱり怒られちゃうか」
私は彼の言っていることの意味が分からず、思わず眉をひそめた。
「いや、怒っているわけではないですけど…」
ヨシミツは穏やかな顔で私の問いに答える。
「もちろん僕も加賀さんを止めた方がいいと考えた。でもそれは警察官としての僕の意見だ。今の僕は依頼人に寄り添って共に手を尽くす探偵だからね。結果が見えていたって、彼女が望むことを全力でサポートしないといけない。…そのためにコハルさんとシグレ君を巻き込んじゃったのは申し訳ないと思っているよ。でも、僕は彼女の最後の頼みの綱だった。僕は僕の都合で彼女の願いを蹴ることはできないと思ったんだ」
ヨシミツは私の目を見つめながら、穏やかに、そして力強く言う。
「大人として、みんなの頑張りを真っ先に否定するなんてできないよ」
「……ほんとにお人好しですね」
私はヨシミツの言葉で腑に落ちた。彼はずっとこういう人だった。ヨシミツは再び穏やかな笑みを浮かべる。
「そうかな。でも僕の故郷では似た考え方をする大人は多かったと思うよ。それにコハルさんだってお人好し…とはちょっと違うかもだけど、優しいよ」
私はヨシミツの言い分にぎょっとした。
「なっ…にを言ってるんですか。そんなことないと思いますけど」
ヨシミツは変わらず笑顔で続ける。
「そんなことなくないよ。コハルさんはずっと加賀さんのことを心配してくれているんでしょ。彼女が辛い目に遭うことを避けたいがために、彼女を試練から遠ざけようとしているのだから。もちろん僕もそれは正解の一つだと思う。実際、コハルさんは加賀さんのことを考えて僕の選択に疑問を感じたんだから」
「それは、辛い目に遭うことを良しとしないのは人間誰でもそうでしょ。私は単に依頼人みたいな考え方が理解できないだけで……」
「コハルさんは優しいって言われるの、あまり好きじゃない?」
私はヨシミツの問いに口ごもった。
「……分からないです。ただ、自分ではそう思っていないから、人にそう言われてもいまいち納得できないのはあります…」
「優しい」は一般的に褒め言葉なのだろう。しかし私はそうではない「優しい」の評価を知っているからか何なのか、なぜか素直に喜べないことが多かった。
「そっか。でも少なくとも僕はコハルさんを『賢くて、優しい選択ができる人』だと思っているよ。自分がどんな人間なのか、理解してるのはとても立派だ。でも自分が思い描く自分像と他人から見た自分が違うことにも、目を向けてみて。僕はコハルさんがコハルさん自身のことをどう思っているのかは分からない。もし僕が思い描くコハルさんと自分像で後者の方が…そうだな、社会的に悪い評価を受けていて心外だと思ったのなら、それは努力をするきっかけになるかもしれない」
ヨシミツは私をまっすぐに見つめた。
「自分の心に問いかけてみて。コハルさんはどこかで『自分は優しい人なんかじゃない』って自分を否定してはいないかい?僕はコハルさんが、いい評価を受けている自分を受け入れられていないように見えるんだ」
「…………」
私は言葉が出なかった。でも、「優しい」の言葉が私に響かない理由が嫌悪ではないことは、私自身はっきりとわかっていた。ヨシミツは私が話し出すのを待っているようで、これ以上何かを言うことはなかった。
「……私は、大切な仲間にずっと隠し事をしています。だから、私は賢くも優しくもない」
絞り出した本音に、ヨシミツは一段と穏やかに笑った。
「教えてくれてありがとう。コハルさんはそんな風に考えてたんだね。聞けて良かったよ」
ヨシミツはそこまで言うと、湯飲みに口をつけて一服した。しかし、それ以上追及してくることはなかった。
「……え?私の隠し事の内容とか聞いたりしないんですか?」
「…?誰かに知られたくないから隠し事にしてるんでしょ?僕はただ、コハルさんが褒められた時に微妙な顔をしていることが多かったから、その理由が知りたかっただけで…」
ヨシミツは至極当然かのように言った。私は思わず拍子抜けした。
(この人、打算とは無縁の人だったな…)
私がヨシミツに若干呆れていると、ヨシミツは微笑ましそうに私を見た。
「そうか。コハルさんは自分に自信がある方だけど、心では自分のことを認められなかったんだね。いつかきっと、褒められている自分のことも受け入れられるようになれるよ。コハルさんは優秀な人なんだから!」
私はペラペラ喋っているヨシミツを思わず制止した。
「…っ、やめてください!何ですかその生暖かい目は!そっ、それに私が褒められ慣れてないみたいな…!別に微妙な顔なんてしてませんから!あといちいち覚えてるのちょっと変態みたいですよ!!」
「えぇっ!?」
背中が変にむず痒い気がして、思わずヨシミツを非難した。予想外の言葉をぶつけられたのか、ヨシミツは珍しく大声で驚いている。じっとしていられなくて勢い良く立ち上がったが、椅子がたてた音でシグレと依頼人の二人がこちらを見た。不安そうにこちらを見ている二対の目に、また居心地が悪くなって特に何もせず着席する。半ば八つ当たりで依然として驚いた表情をしているヨシミツを睨みつけた。
「そ、そんな風に分析されるのだったら、ヨシミツさんに本音を話さなければよかったです。私はヨシミツさんを信頼してるから話してみたのに…」
「え、僕のこと信頼してくれてるの?」
あからさまに嬉しそうな顔をするヨシミツに、再び背中がむず痒くなって、激怒しているのかと思われてしまうほど大きな声で畳みかける。
「はっ…、当たり前で……ああもう!ちょっと考えたらわかるでしょ!?組織の仲間には秘密を隠してることすら言ってないんですから!!」
「わかった、わかったよ…!落ち着いてコハルさん!」
「ヨシミツさんが始めたんでしょうが…!」
こんなに自分の感情が抑えられなくなったのは初めてだ。ヨシミツがこんなに食えない人間だとは思わなかった。私はちょっと彼のことをなめていたのかもしれない。
「と、とにかく。私はヨシミツさんが言うように、優しい人間じゃないですから」
私は咳ばらいをして話を終わらせようとした。ヨシミツは申し訳なさそうに笑う。
「そうだね。僕の考えすぎだったかな。コハルさんは無謀な人を見るとほっとけないだけだったね」
「…どこからそう判断したんですか」
「え?だってコハルさんの一番身近な人が、かなり無謀な人だからてっきり…]
身近な人、と言われて私の頭の中に、太陽のような笑顔を私に向ける彼が思い浮かんだ。その瞬間顔が一気に熱くなるのを感じた。
「なっ……!いい加減にしてください!ヨシミツさん!!」
「えっ、また変なこと言っちゃった?」
ぽかんとするヨシミツに私は「無謀な人が好きなんじゃなくて、ほっとけない人がたまたま無謀だったんです」と言い返そうとしたが、これ以上余計なことを彼に話すわけにはいかないと色々な感情を飲み込むことにした。
〇
探偵事務所「猫の足跡」は、セレスチャル:イーストエリアの人目につかないビルの密集地に門を構えている。一見すると廃ビルにしか見えない建造物のワンフロアは、都市の秘密を扱うには最適ともいえる環境だった。
「二人とも、今日はありがとう。明日はゆっくり休んでね」
事務所の玄関口で靴を履き替えるシグレとコハルに、ヨシミツは感謝を伝えた。殊勝なシグレはヨシミツに頭を下げ返し、顔に疲労をにじませたコハルはあくびを噛み殺しながら片手をあげた。
「それじゃあ、気をつけて」
ヨシミツは扉から顔を出し、助手二人が階下に下りて迎えの車に乗り込む様子を見届けた。ここ最近仕事が長引いて、本来の迎えが来る時間とは違う時刻に車を要請してしまうことが多かった。ヨシミツはきっと苦い顔をしているであろう同期に、今度詫びとして彼が好む菓子類を差し入れしようなどと考えながら事務所内に戻った。すると、ともにシグレとコハルの見送りをした本日の依頼人であるミミが、部屋の中央に立ち尽くしていた。彼女は保護者の迎えを待ってからの帰宅となる。ヨシミツは来客を立ったまま待たせるわけにはいかないと、ミミにくつろいでいるよう促そうとした。
「加賀さん、親御さんは遅くなるって言っていたよね。どうか遠慮せず座って待ってて」
ヨシミツは笑顔で彼女にそう伝えるが、ミミが動くことはなかった。
「………加賀さん?」
ヨシミツが彼女の顔を覗き込むと、ミミはようやくヨシミツを振り返った。彼女はどこか不自然に笑っていた。
「加賀さん、どうかしたの…」
ヨシミツが言葉を紡ぐ間に、ミミはヨシミツの正面に回り込んだ。そして、昼間とは印象が異なるのんびりとした話し方で語り始める。
「あなたは優しい人ですね~ヨシミツさん。私、あなたみたいな人初めてです~。そうだな~……
ここで死んでしまうのがもったいないくらい、素敵な人~」
「なっ……」
ヨシミツはミミの突然の狂言に後ずさりした。彼が警戒の姿勢をとっている間にも、ミミは動くことはなくただヨシミツを視界にとらえて離さない。
「私嬉しかったです~。あなたが私を元気づけようとたくさん言葉をかけてくれたこと~。……八咫烏の人たちは意地悪な人ばっかりって思ってたけど、あなたは違いました~」
「……!?」
ヨシミツはミミの発言に肩を跳ねさせた。
(どうして僕が八咫烏の人間だと…?)
ミミは首のあたりを引っ掻くような動作をした後、首に貼られた皮を剥いでその本性を顕わにした。ミミのときとは異なる明るい髪を二つに束ねた少女は、ヨシミツを戦慄させる容姿をしていた。
「っ!?悪魔祓い……!!」
少女の両目が、赤く染まっていた。
「っ、くそっ!!」
ヨシミツは身を翻し、護身のための武器を手に入れようとした。しかし、悪魔祓いの少女から目を離した瞬間、身体がぐらりと傾いてその場に倒れこんだ。
「ぐ、……っ!」
ヨシミツの片足に銀製と思われる鎖が巻き付いていたのだ。その鎖には捕らえた獲物を逃さないよう、鋭利な棘の装飾が施されている。ヨシミツは足に走った幾多もの鋭い痛みに苦悶の表情を浮かべた。冷や汗をかくヨシミツとは対照的に、悪魔祓いの少女は手鏡で優雅に自分の身だしなみを整えていた。彼女の手鏡から伸びる無数の鎖のうち一本が、ヨシミツの自由を奪っている。
「やっぱり、目を隠すなんてよくないです~。教主様に与えていただいた力の証なんですから~」
少女はうっとりと鏡に映る自分の顔を眺めていた。その間にヨシミツは鎖の拘束から逃れようと、必死に身をよじった。しかし、足を動かすたびに鎖についた棘が深く深く突き刺さっていく。
「あ……ぐっ!」
身悶えるヨシミツに気が付いたのか、悪魔祓いの少女はゆっくり彼に近づいた。
「だめですよ~。私、今考え中なんですから。あんまりけがを増やしちゃいけません~」
「……か、考え中…?」
ヨシミツが少女を睨みつけると、少女は赤い目を三日月にした。
「私、あなたを新しい光の導き手として教主様に謁見させたいなって思ってるんです~!でも、あなたは敵側の人間だし~、年齢も少し高いし~…教主様がお認めになるかは分からないんですよね~。でも見た目がお若いから、その点はもしかしたら教主様もお気に召されるかも~」
「どうですか~?」と笑顔のまま尋ねる少女に、ヨシミツは絶望感を抱いた。
(こいつ、僕が八咫烏の人間だと分かったうえでその話を聞かせているのか…?)
「あなたが私とともに行くというならば、私は喜んで教主様にお願いしますよ~。あなたのように誰かのためを思って行動できる慈愛に満ちた人なら、きっと多くの人を救えるはずです~」
「……」
ヨシミツは突破口になるものを探して、手で体中のポケットを探った。その間少女は自分の思い通りに行くことを信じ切っているのか、彼を止めることはしなかった。
(…携帯だけか。警棒も銃も今は奥の部屋に……)
ヨシミツは胸ポケットに入っていた携帯を握りしめながら、思わず唇を噛む。しかしすぐに、覚悟を決めた。
「…………」
ヨシミツは息をついて自身の携帯を素早く操作した後、端末を悪魔祓いの少女に向けて思い切り投げつけた。しかし端末は少女の意表を突くことはできず、少女に避けられたのち部屋の隅に飛んでいき固い衝突音を響かせた。
「……断られちゃいましたか~」
少女は自分に攻撃を仕掛けたヨシミツを、先ほどとは全く異なる冷たい相貌で見下ろした。赤くよどんだ目がヨシミツの運命を物語っている。しかし、ヨシミツは自分の運命を悟ったとしても笑みを浮かべながら少女を見上げた。
「僕はお前のことがどうしようもなく嫌いでね。きっと僕たちは分かり合えることはできないと思うよ」
少女は虚勢を張るヨシミツを冷たいまなざしで射貫く。
「僕だけじゃない。僕の仲間もお前たちのことが嫌いで仕方ないんだ。自分たちの言い分を通すためにこうやって武力で相手を押さえつける.…そんな武器を手放すことを知らない野蛮な人間に、理性的に対応しようとしても無駄だからね」
少女はヨシミツの言葉に顔を歪ませた。ヨシミツは少女以外の誰かにも言葉を届かせるように、舞台に上る演者のように大げさな口ぶりで少女の癇に障るようなことを彼女にぶつけていく。
「あえてここで言っておくよ。お前は僕を褒めたつもりでお仲間に誘ったのかもしれないけど、お前たちと同じになることが相応しい、なんて僕にとっては侮辱でしかない。僕はお前を最もひどい言葉で非難する。都市に住む者は誰もお前たちのような異端を認めようとしない!!」
少女は手鏡を持つ手に力を込めた。彼女が怒りで震えていることがわかる。ヨシミツは最後の仕上げとでも言わんばかりに声を張った。
「さあ!殺せ!!お前をあの世で待ち続けて、お前たちが言う救済などなかったと思い知らせてやる!!!」
少女はひときわ大きく目を見開いて、怒りをあらわにした。しかし、彼女は衝動に任せてヨシミツを手にかける様なことはせず、ぶつぶつと何かを呟きながら下を向いている。
「……私は教主様に選ばれた司教の一人…………。すべての人間を等しく光の子へ……」
やがて大きく深呼吸した少女は、怒りを鎮めて笑顔をヨシミツに向けた。
「……あなたが私の思った通りの人でなかったのは残念です~。ですが、私の役目は果たさねばなりません~。どんなに不敬な方でも、等しく救済を施して差し上げなければ~.…」
少女がいくつかの鎖をヨシミツに向けて放つ。腕と胴体すらも絡めとられたヨシミツだが、依然として力強く少女を睨みつけていた。
「もう一度言う。お前たちがやっているのは単なる殺しだ!」
「私たちの救済がいかに素晴らしいかを、あなたはすぐに見届けることになります~」
ヨシミツの首に、命を刈り取る鎖が伸びる。首の皮膚をずたずたにする棘に喘ぐ。ヨシミツは鎖を操る少女に、最後にある疑問をぶつけた。
「…なぜ、ここの存在を知っていたんだ…いったいどこから、僕が八咫烏の人間であると知った…!」
少女はヨシミツの首に巻き付いた鎖を引っ張りながら答えた。
「う~ん……誰が聞いているのか分からないので、言わないでおきます~」
「それでは~」と少女は敬虔に祈りを捧げる姿勢をとった。
「あなたに天の寵愛と加護があらんことを」
星月夜、誰も近寄らない廃ビルが立ち並ぶ路地に少年が身を隠していた。少年は誰かを待っているようでしきりにあたりを見渡している。
「おまたせ~今行くね~」
少年が顔を上げると少女がビルの屋外階段から彼を見下ろしていた。少年は少女を一目見ると、安心したかのように鋭い目を綻ばせた。
「うまくいったようだな」
「うん!ひとまず任務完了だよ~」
少女は片手でピースサインをつくって少年に向けた。少年はなるべく人気のない道を選びながら、少女と並び歩く。月明かりに彼の白い装束が反射して、不気味なほど神秘的な気配をまとっていた。
「まさかこんなところに、悪魔たちの活動拠点の一つがあるなんて知らなかったよ~。情報提供者に感謝だね~」
少女がそう言うと、少年はふん、と鼻を鳴らした。
「俺は奴らが俺たちを、ただ金を落とす存在として認識していることが腹立たしい。たとえ教主様が関与をお認めになったとしても、俺は最後まで疑わせてもらう」
少年は苛立ちをあらわにした。すると、少女が少年の頬を両手で掴んで彼を窘めた。
「もう!また怖い顔になってるよ~。慎重なのはいいところだけど、相手との関係を壊しちゃうようなことはしないでね~」
少年は少女の行動に若干慌てつつも、取り繕って冷静に答えた。
「あ…ああ。もちろんだ。カガミ」
少年の答えに満足したのか、カガミはにこりと笑って彼を解放した。そして上機嫌に彼の前を歩きだす。
「きっと、教主様も褒めてくださるよね!」
カガミは少年を振り返り、星空にも負けないほど綺麗な笑顔を見せた。少年はカガミに笑い返す。
「ああ。楽しみだな」
赤く染まった二人の両目が、都市を静かに見守っている月の光に照らされて輝いていた。




