表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜を明かすために  作者: 深鈴東
第二章
26/27

25. 猫探し

「そうだったんだ…。僕がいない間にそんなことが…」

 僕とコハルは臨時被災者施設での仕事を終え、迎えに来てくれたヨシミツさんの車に乗っていた。帰りの道を走っている間、ヨシミツさんが施設を離れている間に起きた出来事をできる限り彼に話していた。彼が特段気にしていたミネのことや施設の住人達との交流のこと、そしてそこで出会った姉妹が何らかの事件に巻き込まれたこと。施設で事件が起こったことを聞いたヨシミツは、悩まし気な声を上げた。

「被災者の人たちにとって、臨時被災者施設は安心できる場所でなければならない。今までは常設されたセキュリティのおかげか、警察が介入するような事件は起こらなかったんだけど…。今回の事件をきっかけにまた新たな対策が講じられることを祈るよ」

 車は数分で探偵事務所に到着した。ヨシミツさんは駐車場に入る前に僕らを下ろしてくれた。彼から鍵を預かり、コハルと二人で先に事務所の中に入る。どうやらヨシミツさんが冷房を付けたままにしてくれていたらしく、心地よい温度の空間が作られていた。僕とコハルは揃ってソファに崩れ落ち、そのまま動けなくなった。

「つ、疲れた…」

「何もしないって、こんなに疲れるものなんだね…」

 僕たちはかれこれマリの病室の前で一時間ほど動かずに見張りを行っていた。トバリからの許しが出るまで動くことはできないと思った僕たちは、睡魔と戦いながら彼女が病室から出てくるまで待っていたのだ。

(トバリが出てきた後も、マリは病室から出てこなかったんだよな。あの後トバリから見張りを遂行したことを感謝されたけど、そのあともずっとトバリは忙しそうにしていた。本当にマリの身に何があったんだろう)

 僕が天井を眺めながらぼんやりしていると、コハルが僕に声をかけてきた。

「ねえ、この資料見覚えある?」

 コハルは机を指さしている。重い身体を起こして机を見ると、確かに机の上に紙が置いてあった。コハルとともにそれを覗いてみると、知らない人名と連絡先のような情報が記されていた。

「『加賀 美海(かが みみ)』…?誰だろう」

 僕たちが見知らぬ名前に首を傾げていると、駐車を終えたヨシミツさんが事務所に戻ってきた。彼は僕たちが資料を見ていることに気が付くと「しまった」といった顔をした。

「いけないいけない。急いで出発したから依頼者様の個人情報を置きっぱなしにしてきちゃった」

 ヨシミツさんが急いで資料をファイリングする。僕は資料にあった名前のことが気になっていたが、それはコハルも同じだったようで僕より先にヨシミツさんに尋ねていた。

「ヨシミツさん。その資料、施設に来る前はなかったですよね。新しい仕事ですか?」

 ヨシミツさんはコハルの問いかけに、困ったように笑いながら答えた。

「そう。僕が二人を迎えに行こうとしたら事務所の前にお客さんがいてね。手続きだけ済ませておいたんだ。…すごく久しぶりに一般市民の方から探偵業務の依頼が来たよ。資料にあったのはその依頼人さんのお名前と連絡先」

 ヨシミツさんの答えにコハルは勢い良く立ち上がった。

「また浮気調査とかですか?!」

 心なしかコハルの目が輝いているように見えた。そんな彼女を見て、ヨシミツさんは苦笑いを浮かべる。

「あはは…。今回は幸い可愛らしい依頼だったよ。逃げちゃった飼い猫を探す手伝いをしてほしいんだって」

 コハルはわずかに肩を落とした。

「なんだ…。うちはペット探偵じゃないのに…」

「まあまあ。依頼者の人もダメもとでうちを訪ねたそうだよ。今時こういう個人的な依頼を受け付けるところは少ないからね。追加で報酬もいただけるから、いい機会だと思って承っちゃった」

 ヨシミツさんは僕たちしかいないのに小声になって続けた。

「それに…こうやって市民からの依頼も受け付けないと、誰かに怪しまれてしまうかもしれないから…」

 ヨシミツさんはいつも外からの目を気にしている気がした。仕事柄必要な警戒心なのかもしれないが、正直こんなさびれた場所にある事務所を注視する人なんていないと思う。僕は突然の展開に驚きつつも、新たな仕事への期待感を募らせていた。

(この仕事に就く前に一般人の依頼を受けることもあるとは聞いていたけど、こんなに早くその機会が訪れるなんて!)

 僕は自分では気が付かないうちにそわそわしていたようで、ヨシミツさんと目が合うと彼が微笑ましそうに僕を見ていた。

「シグレ君は一般の方の依頼を受けるのは初めてだよね。今回は二人と同い年くらいの女性が依頼者だから、きっといい関係になれると思うな」

 ヨシミツさんは僕に向けて親指を立てながら笑いかけた。彼の言葉通りなら、今回の依頼に僕も本格的に参加させてくれるのだろう。ヨシミツさんは「色々な人と関わりたい」という僕の要望をなるだけ叶えようとしてくれる。僕は口角が上がっていくのを抑えることができなかった。

「それで、その依頼人と次に会うのはいつなんですか?」

 コハルが髪の毛先をいじりながらヨシミツに尋ねた。彼女はどうやらこの依頼に乗り気じゃないようだ。

「3日後だよ。彼女は学生さんだから休日にしか時間を割けないみたいなんだ。それで、二人には悪いんだけど…人手が必要だからその日も出勤してくれると助かるな…なんて」

 ヨシミツさんは申し訳なさそうに僕たちを見た。僕は勢いよく首を縦に振る。

「もちろんです!」

 僕とは対照的にコハルは唇を尖らせている。

「猫探しって…シグレを人目の多いところに行かせるのはどうかと思うけど……まあ、シグレは乗り気みたいだしいいですよ。事務所に来ることは私嫌いじゃないですから」

 僕たちの答えを聞くと、ヨシミツさんは表情を明るくした。

「ありがとう…!僕もシグレ君を守るために色々手は尽くさせてもらうから安心して!」

 喜ぶヨシミツさんを横目に、コハルは僕に険しい顔を向けてきた。

「いい?今は割と自由にさせてもらってるけど、君は本当は行方不明扱いなんだからね!いくら見た目が変わったとはいえ、君に執着してる市民がいないとも限らないんだから。油断しないでしっかり自分の正体を隠す努力をすること!わかった?」

 僕はコハルに気圧されて、何度も首を縦に振った。彼女は僕を心配して依頼を受けることを渋っていたようだ。誰かに見つかってはいけない僕がいるといないとでは、一般人の依頼を受けることのリスクは全く異なるだろう。そんな状況でも二人が僕の意思を尊重してくれたことが、本当にうれしかった。

「……ありがとうございます。二人とも」

 きちんとお礼を言うつもりが、照れくさくなって言いながら下を向いてしまった。そんな僕を見て、二人がそれぞれ微笑ましそうにリアクションを取っていることが、また僕をむず痒くさせた。




 長い間都市を照らしていた太陽が眠る準備を始めたころ、僕たちはようやくセントラルエリア内の拠点に帰ってきた。激務を終え、僕とコハルは拠点に着くや否や共同スペースのソファに倒れこんだ。

「さっきも休憩したはずなのに、家に帰ってきたら一気に疲れが…」

「わかる…。私もすごい疲れた……」

「ただいま」も言わずにだらけだした僕たちに、留守を任されていたホムラは読んでいた本を閉じて近づいた。

「お疲れさま、二人とも。何か飲み物を用意するから、とりあえず手を洗ってきてくれ」

 ホムラに促された僕たちは、のろのろと洗面所に向かった。手を動かすのもおっくうになって水に手を触れさせるだけになっていると、水道水と石鹸のにおいに混じって、ココアのような甘い匂いが漂ってきた。共同スペースに戻るとホムラがテーブルの上に温かい飲み物を用意してくれていた。僕たちは食事を心待ちにしていた子どものように、まっしぐらに席についてそれぞれマグカップを手に取った。一口飲むと、ミルクの優しい甘さとココアのほろ苦さが広がって、身体の中心から温まっていく心地がした。仲間と一緒に暮らしていて分かったことがたくさんあるが、そのうちの一つがホムラは飲み物を淹れるのが上手いことだった。彼は彼自身の趣味である紅茶はもちろんだが、トバリが好むコーヒーや、僕のようにコーヒーが苦手な人向けにココアも絶品に仕上げてくれる。ホムラが作る飲み物はまるで魔法がかけられているかのように、疲れを癒してくれた。信頼している人物の手作りだから、と言われればそれまでかもしれないが、誰かが手作りで温かいものを用意してくれることは、僕にとってかけがえのない思い出になりうる出来事だった。

「今日は随分と長い間事務所にいたな」

 ホムラが席について閉じていた本を開いた。自分で淹れた紅茶をお供に読書を再開するようだ。

「本当はもっと早く帰ってこれたはずなんだけどね。ちょっとトラブルが発生しちゃって」

 コハルが飲み物を冷まそうと、息を吹きながら答えた。

「トラブル?二人は大丈夫だったのか?」

「うん。追加で仕事ができただけだったし、トラブルに巻き込まれた子を助けるためだったから全然平気。でも、臨時被災者施設で見過ごせない事件が起こっちゃったから、九命猫はきっとその対応に追われると思うけど」

 コハルはようやく一口ココアを飲んで、ほっと息をついた。「沁みる~」と声を漏らし、随分とリラックスしているようだった。

「そうか。だからトバリも帰りが遅いのか。しかし、被災者施設で事件が起こるなんて想像がつかないな。あそこは最新鋭のセキュリティが機能している。外部から誰かが侵入することが不可能であることを考えると、おそらく窃盗や強盗の類ではないのだろう」

 ホムラは冷静に分析を始めた。印象的なつり目を僅かに細めて、事件が発生したことに懸念を示している。

「外部から誰かが侵入してきた可能性がないことを考えると、事件が施設内の人間で完結することになる。だとすれば今後しばらくは施設の住人の間に不要な不安と緊張が生じるだろう。………寝食をする場がそのような状態になることは強いストレスのもとになる。下手したら新たな不和を生み出すきっかけにもなるかもしれない」

 ホムラの言葉にコハルは同意した。

「同じ境遇の人たちが事件を引き起こしたなんて受け入れたくないだろうし、事件の被害者の気持ちを考えると…相当なケアが必要になると思うな」

「ああ。だが、ここまで俺の推測に過ぎない。詳細は本部から情報が出るまで余計な考察は控えるようにしよう」

 ホムラはそう言うと読書に集中し始めた。ホムラの様子を見たコハルは事件についての話題を終わらせて、僕に話しかけてきた。

「シグレ、今度の一般人の依頼についてなんだけど」

 僕は飲み物片手に二人の鋭い分析に圧倒されていたため、コハルの声に我に返った。

「う、うん。なに?」

「正直猫探しって果てしないと思うんだよね。四人でセレスチャル中を探し回っても見つかるわけがないし。猫の行動範囲がわかってたとしても、飼い主でも何でもない私たちが近づいたら絶対逃げちゃうでしょ」

 コハルはヨシミツさんが受け入れた依頼に対する愚痴を言い始めた。やはり彼女は今度の依頼に乗り気ではないようだ。

「わざわざ探偵事務所に依頼しに来るってことは相当大事にしてた猫だったのかもしれないけどさ、最後の頼みの綱として事務所(うち)に来るのはちょっと変だよね。探せばもっとちゃんとした機関があったんじゃないかと思うんだけど。…こんなさびれた探偵事務所を訪れるなんて、依頼者は変人なのか、それとも周りの人間に知られたくないのか…」

 コハルは少々性格が悪そうな笑みを浮かべた。僕はちょっと嫌な予感がしてホムラを一瞥したが、彼は一心に本に向き合っていた。僕は小声になってコハルに軽く注意した。

「コハル…一応お客様の事情だから、勝手な憶測はやめた方がいいんじゃ…」

 コハルは僕がちらちらとホムラを気にしている様子に気が付いたのか、僕の心配事を鼻で笑った。

「ふ、別にいいでしょ。この場にお客様がいるわけじゃないんだし。あいにく、私はホムラみたいに私生活でも自重を大切にするタイプじゃないから」

 コハルの言葉にホムラが一瞬こちらを見たが、特に何も言わずに本に視線を落とした。僕は密かに安堵し、何も気にしていないような顔でココアを飲むコハルを見つめた。僕の視線に気が付いたのか、コハルは少し鬱陶しいと言った顔をこちらに向けた。

「別にタイプが違うからって、馬が合わないとかそういう感じじゃないから。同じ空間で生活してたら普通に違う考え方も受け入れるようになるし、お互い甘えたり我慢したりを繰り返して毎日過ごしてるの。だから私が好き勝手人の悪口言ってるのも、ホムラは受け入れてくれてると思ってるから」

 コハルは何も言わずに本を読み続けているホムラを見つめ、意地悪な笑みを浮かべた。

「それに、ホムラも人の悪口が嫌いってわけじゃないから。勢いに乗ったときはホムラの方が酷いこと言ったりするもんねー」

「……」

 ホムラはさすがに顔を上げてこちらを見た。彼は相変わらず無表情だが、それでも好き勝手言われていることに腹を立てている様子だ。

「心外だな。俺はあくまで事実しか言っていないつもりだが」

「この前本部で開かれた報告会で、気に入らなかった八咫烏の人さんざん言ってたじゃん」

「あれは歳だけ食った大人を批評したまでだ」

「そのセリフの時点でそこそこひどいんだけど!」

 コハルは笑いながらホムラと会話を続けた。僕は彼らの様子にちょっとあっけに取られたものの、二人の人間味が強い一面を見た気がして、親しみを感じた気がした。

「ホムラは人を見る目が厳しいんだよねー」

「……そうなの?別にそんな風に思ったことないけど…」

「私たちには優しいんだよ。甘やかしすぎなくらいに。そうそう!ちょっと前の話なんだけど……」

 コハルがホムラの新しい毒づきのエピソードを話始めようとすると、慌ただしく階段を駆け上る音が聞こえてきた。勢いよく部屋の扉を開けて入室してきた人物は、僕たちの予想通りだった。

「っあ~…。ようやく帰ってこれたぜ…」

 いつも通り単独任務から帰還したカスミは、疲労を募らせたような顔でダイニングに着席した。彼の定位置であるコハルの隣に座っている。カスミが隣に来た瞬間、コハルは明らかに姿勢を良くして彼に笑いかけた。

「おかえり、カスミ。今日はケガしてない?大丈夫?」

「おお、コハル!ただいま。今日は前みたいにヘマしなかったぜ!その証拠に…今回の任務でついた傷はこれだけだ!」

 カスミは先ほどまでの疲れた顔が嘘みたいに、コハルに明るい笑顔を向けた。褒められ待ちの犬のように目を輝かせているが、差し出された彼の腕には目を背けたくなるほどくっきりとした切り傷がつけられていた。そして案の定傷を見せられたコハルは、不機嫌そうに頬を膨らませた。

「……もう!それは立派なケガの一つでしょ!こっち来て!手当するから…」

 コハルはカスミを連れて部屋を出ていった。彼女に腕を引かれていくカスミは予想外の反応に困惑しているのか、コハルにされるがままになっていた。二人がいなくなって一段と部屋が静かになり、僕とホムラはお互いに顔を合わせた。

「さっきのコハルの話聞きそびれちゃった」

 僕が笑いながら残念そうにすると、ホムラはわずかに目を逸らして気まずそうに返した。

「……彼女の話はあまり鵜吞みにしないでくれると助かる。だらしない大人を見ていると苛立ってしまうことは俺の悪い癖だと自覚しているが、君もそう思わないか?俺たちより世の中を知っている彼らが、恥ずかしい行動をしているところなぞ見たくないと…」

 ホムラは興が冷めたのか、読んでいた本を閉じてしまった。手元に置いてあった紅茶を仰いで、僕を見つめてくる。僕が彼の問いに答えあぐねていると、すぐにホムラは撤回した。

「いや、何でもない。これは俺の個人的な問題だ。同意を求めていいものじゃなかったな」

「え、いや違うよ。ただうまく言葉にできなかっただけで…僕も嫌なことをしてくる大人は嫌いだ」

 僕の幼稚な答えを聞くと、ホムラは穏やかな声で「ああ。俺もだ」と同意してくれた。共同スペースは静かになったが、何やら上の階から賑やかな声が聞こえてくる。こもってしまっていて聞き取りずらいが、カスミが何とかコハルに弁明しようとしている場面がありありと想像できた。僕は普段のコハルとカスミの前でのコハルの態度の違いを思い出して、つい吹き出してしまった。

「相変わらず、コハルはカスミの前だとしっかりしてるよね。カスミが帰ってきてから、ホムラの口が悪いエピソードも中断したし…。別にいつものコハルでもカスミは好きだと思うけどな」

 僕が天井を眺めながらそういうとホムラも頷いた。

「そうだな。まあ、意中の相手に自分を良く見せたいというのはわからなくもないが、その裏で俺たちが彼女のストレスのはけ口にされていることは少々不服だ」

 ホムラは少し遠い目をして僕と同じように天井を見つめた。

「……まあ、さっきのように愚痴を聞かせてくれるということは、俺たちは彼女に信頼されているということだろう」

「そうだね」

 コハルはカスミの前では初めて出会ったときのようにおしとやかに振舞っているが、本来の彼女はそうではないことも仲間と暮らしていてわかったことの一つだ。これはコハルに聞かれると怒られてしまうので、カスミを除いた他の隊員たちはコハルの素をカスミに口外しないことを暗黙の了解としている。しばらくすると腕に包帯を巻かれたカスミがしょぼくれた様子で戻ってきた。彼にとっては大したケガではなくとも、コハルは少しでも彼が傷つくことを嫌った。そこには少なくない仲間を想う気持ち以外の感情が存在しているのだろう。僕は密かに彼らの関係が良い方向へ向かっていけることを願っていた。そのためにも一刻も早くセントラルエリアの問題を解決しなければならない。僕はしょげている様子のカスミに無言でグーサインを向けた。カスミは首を傾げるだけだったが、ホムラは僕の挙動を見て笑ったような吐息を口から漏らしていた。





 波乱が巻き起こった臨時被災者施設での仕事から三日が経ち、僕とコハルは予定通り「猫の足跡」に出勤していた。今回は都市に繰り出すため制服ではなく私服である。依頼人が訪ねてくる時間までまだしばらくあるため、僕とコハルは事務所のソファでくつろいでいた。当日になってもコハルは僕が今回の依頼に参加することを渋っているようだ。拠点から車でともに移動している間に、何度も勝手な行動はしないように念を押された。車内がちょっと剣呑な雰囲気になってしまって、運転手のマサヨシの部下に申し訳ないと思った。もちろん僕も迷惑をかけないよう気を付けるつもりだ。僕は深呼吸をしてこれから会う依頼人の前で醜態を晒さないように気を引き締めた。

「二人とも、今日も暑いからちゃんと水分を持って行ってね。それと、これが市内を探索するときに情報共有をするための通信端末!…運営費が多くないから二つしかないんだけど、これで手分けして探しに行けると思うから…!」

 ヨシミツさんがキッチンからペットボトルの麦茶を持ってきてくれた。ヨシミツさんは目の下に隈をつくっている。本来の九命猫の任務に加えて、一般人の依頼を受けることは彼の睡眠時間を奪うだけになってしまうのではと思うのだが、ヨシミツさん曰くこれも市民に疑いの目をかけられないために大切だという。僕はヨシミツさんに自分の体調も心配してほしいと思った。



 事務所の中にインターホンの音が鳴り響く。依頼人が到着したようだ。僕は緊張から背筋を伸ばし、コハルはのんびりと入り口のドアに向かっていくヨシミツを眺めた。ヨシミツさんに連れられて事務所内に入ってきたのは、大人しそうな少女だった。

「こちら、今回の依頼人の加賀 美海(かが みみ)さん」

「こんにちは…!今日はよろしくお願いします!」

 ミミはぺこりと僕たちにお辞儀をした。緊張しているようであわただしく視線を動かしている。僕は自分より緊張している彼女を見て、段々と冷静になっていった。

「こ、こんにちは!僕は鷹崎時雨です。この事務所で助手をやっています」

 僕が自己紹介をすると、ミミは少しほっとしたような表情になった。

「……同じく助手をやっている癒月恋春です」

 僕の少し後ろに立っていたコハルがいつもより控えめに自己紹介をした。彼女の気が乗らないことを依頼人に悟られないように気をつけねばと思う。

「それじゃあ時間も惜しいし、加賀さんの方から迷子になった子について教えてもらおう。加賀さんこちらにどうぞ」

 ミミはヨシミツさんに案内されて、ソファに着席した。僕とコハルは彼女の向かいの席に座って、迷子猫の情報を共有してもらう。

「えっと~…いなくなった子はこの子です。うちで飼っているんですけど、掃除のために窓を開けたらそこから出て行っちゃって」

 ミミが差し出したスマホには、ベッドの上で眠る白猫の画像が表示されていた。見たところまだ子猫のようだ。

「普段外に出したりはしていないし、もういなくなってから五日経っているんです。多分慣れない環境で疲れちゃってるんじゃないかなって…。だから少しでも手がかりが欲しいんです!」

 ミミは両手を握りしめながら俯いた。彼女は飼い猫のことをとても大事にしていたのだと思われる。僕は彼女の悲しそうな顔を見て、俄然依頼に対してやる気がわいてきた。

「きっと、僕たちが手がかりをつかんで見せます!」

 僕がそう言うとミミは顔を上げて笑顔を見せてくれた。

「ありがとうございます…!私ももちろん一生懸命探します!」

 僕は何となくミミはカスミと接しているときのコハルを想起させた。しかし、当のコハルはいつもの活力を感じさせず、僕とミミのやり取りを聞いているだけだった。

「加賀さん。この子のお名前は?探すときにきっと役に立つと思うんだ」

 ヨシミツさんは白猫の写真を指してミミに尋ねた。ミミは手をきゅっと握って小さく猫の名前を口にした。

「……ミィです。私にとっては妹みたいな存在なんです」

 ミミとミィ。確かに似通った名前だ。僕は忘れないように、仕事用のメモに猫の名前を記した。

「ミィちゃん、か。了解しました。それじゃあ早速加賀さんに心当たりがある場所をリストアップしてもらっているから、二組に分かれて探しに行こう!ミィちゃんの痕跡や他に猫がいそうな場所を見つけたら、お互いに報告しあうこと。それと、危険な場所には近づかないこと!」

 ヨシミツさんは学校の先生のような口調で注意事項を説明した。僕たちは彼の言葉に頷くと、二組に分かれて猫探しに出発した。





 僕はコハルとともにミミから教えてもらったエリアを中心にミィの捜索を続けていた。事務所をでてから早一時間、成果と言えるミィの手がかりは得られていない。それはミミとヨシミツの方も同じようで、未だに通信端末に連絡は来ていなかった。僕は改めて自分の携帯に視線を落とし、ミミが事前に調べてくれた猫が好みそうな場所を確認した。ミミが自分で調べたであろう情報が何枚もの資料にまとめられている。ミミが忙しい合間を縫ってこれをつくったと思うと、彼女が愛猫を大事にしている気持ちが伝わってきた気がした。

「……よし。コハル!次はこの辺りの路地を探してみよう」

 僕は公園のベンチに座って休憩していたコハルに声をかけた。彼女はため息をついてしぶしぶ立ち上がると、僕の前を歩きだした。コハルは僕が猫探しに参加する条件として、僕が彼女から離れないことを提示した。コハルは僕が調べたいところに足を運んでくれるが、その中に少しでも僕にとって危険な場所があれば近づこうとしない。コハルが言うにはR.W.M.U.の執行官としての勘が危険な場所を教えてくれるらしい。僕はまだまだ新人であることに加えて二年間監禁されていた過去があるため、執行官としての勘おろか都市の土地勘すらもない。だから僕はこの捜索の間はコハルに従うしかなかった。


 セレスチャル:イーストエリアの大通り。三車線の車道を挟んで様々な店舗が立ち並ぶ人気スポットだという。それなりに人通りがあるが、コハルは立ち寄ることを許可してくれた。僕がひときわ狭い建物と建物の間にできた隙間のような道の前で立ち止まると、コハルは一瞬ぎょっとしたような顔をした後「仕方ない」とため息をついて隙間に体を滑りこませた。

「狭いなあ…入れたとしても出てこれるかわからないくらい」

「だ、大丈夫だよ。一応詰まらずに進めているから…」

 僕は前を進むコハルの小さな頭を見下ろしながら、狭い路地を壁伝いに進んでいった。

「……あ、ちょっと広いところにきたかも」

 少し進むと二人並んで立てるほどに開けたスペースに出た。辺りを見渡すと、他の道にも繋がっているようだ。猫が好みそうな人気のない薄暗い場所ではあったが、今のところその気配はない。僕は姿勢を低くしながら手がかりを探そうとする。

「こんなところまで探しに来たんだったら、奇跡でも何でもいいから見つかってほしいな…」

 コハルは服をはたきながら、気だるげに呟いた。僕は頭上から聞こえる声に苦笑いした。

「きっと見つかるよ。コハルもほら。こっち探して」

 僕がそうお願いすると、コハルは明らかに口角を下げつつも姿勢を低くした。

「見つかるわけないのよ。猫がセントラルエリアに行ったりしてたら、絶対見つけられないでしょ」

「あはは…そうなってないことを祈るしかないよ」

 そして僕たちはしばらくこの狭い路地で猫の痕跡を探すことにした。「きっと見つかるよ」とは言ったものの、未だに猫一匹すら見かけていない。探す時間はまだ残っているが、ここまで成果がないと不安になってしまうものだ。

「……………!?こっ、コハル!あそこ!」

「!」

 突然僕の視線の先を影が横切った。その影は大通りの方向に進み、その手前で僕たちを振り返る。しなやかな曲線と揺れるしっぽはまさしく猫のシルエットだった。

「猫!やっと見つけた…!ミィちゃんかな?」

 僕とコハルは少し先で動きを止めている猫が逃げないように、適度な距離を保った。

「…でもあれ黒猫だ。依頼人の猫は白かったよね」

 コハルが目を凝らして猫を観察した。彼女は件の猫でなかったことにわずかに肩を落とした。

「でも、このあたりに猫がいることがわかった。もしかしたらミィちゃんも近くにいるかもしれない」

 僕は改めて周りを探そうと体の向きを変えた。すると、驚いたような顔をして黒猫がいた場所を指さしているコハルと目が合った。

「ね、ねえちょっと…!」

「?」

 後ろを振り返ると僕のほぼ真後ろにまで、先ほど現れた黒猫が近づいていた。

「へっ!?」

 僕が驚いて間抜けな声を上げてもその猫は逃げることなく、じっと僕のことを見つめている。僕とコハルは異様な光景を目の前にして、思わず顔を合わせた。

「…ど、どうするの?この猫、ずっとシグレのこと見てるけど……」

「……ど、どうしよう…………」

 二人で一匹の黒猫に見つめられて情けなく硬直していると、黒猫はふいっと僕たちに背を向けた。しかし、猫は歩き出す様子がなく、背中越しに僕たちを見つめている。その姿はまるで「着いてこい」と言っているかのようだった。

「……」

 僕が一歩黒猫に歩み寄ると、猫は数歩大通りに向かって進んでいった。そして再び僕たちを振り返る。

「……僕たちに着いてきてほしいみたい?」

 僕は後ろで固まっているコハルを振り返った。彼女は我に返ると整った眉を歪めて怪訝そうな表情をつくった。

「ほ…ほんとに?気のせいじゃなくて?」

 僕は再び黒猫を見るが、猫は依然として僕にまなざしを向けていた。この場から動かない僕を見て、呆れているようにも見える。僕は猫の居場所は猫が一番知っているのかもしれないと淡い期待を抱き、その黒猫についていくことにした。

「着いていってみよう。もしかしたら、あの子が猫がいっぱいいる場所を知っているかもしれない」

「……わかった。でも、危ないところには行かせないからね」

 僕はコハルの忠告に頷いて、先を歩く黒猫に着いていった。



 黒猫は人間である僕たちに配慮することなく悠々自適な道案内をした。塀に飛び乗り、さっきの路地より狭い場所に入り込み、さらには絶対に僕たちが入ることができない軒下にまで潜り込んでいった。僕とコハルが慌てて回り道をすると、黒猫は僕たちが来るまで必ず待っていた。改めて黒猫が本当に僕たちを導いていることを実感する。まさに猫らしい気ままな道案内に翻弄されていると、冒険の終わりが突然やってきた。黒猫がとある場所で足を止めたのだ。

「……ここは?」

 僕とコハルが黒猫の視線を追うと、歩道よりも低い場所に続いている薄暗い階段があった。黒猫は僕たちが追い付いたことを確認すると、軽やかに階段を下りて行ってしまった。

「あ、待って!」

 僕が慌てて猫を追いかけようとすると、コハルが僕の腕をつかんで制止した。

「ちょっと」

「わっ…どうしたの、コハル」

 コハルは階段の先を険しい顔で見つめている。どうやら僕をこの先に行かせたくないようだ。

「だ、大丈夫だよ。他の猫がいないか確認しに行くだけだから」

「……私が先に行く。シグレは後ろから着いてきて」

 コハルは僕より先に階段を下りて行った。黒猫はすでにその姿が見えなくなっている。階段を下りた先で待っているのだろうか。僕はコハルの後に続いて、やけに足音が響く空間を下って行った。

「この階段、どこに繋がってるのかな」

「さあ。でもそこまで長くないみたい。…ほら、もう行き止まり」

 コハルが指さす先を見ると、コンクリートの壁があるのみでこれ以上先には進めないようだった。しかし、その手前で黒猫が右側の壁を引っ搔いている。かすかにカリカリと音が聞こえてきた。

「ここ……?」

 僕とコハルは黒猫が引っ掻いている壁を覗き込んだ。そこにはところどころ塗装が剥げた、木製のドアがあった。黒猫はこのドアを引っ掻いていたようだ。

「え、この中に入れ…ってこと?」

 僕とコハルは顔を合わせて、同時にドアを見つめた。この先にはいったい何があるのだろうか。ただ、なんとなく気軽に足を踏み入れてはいけないような感じがした。こんな人目につかない所にあるドアなんて、近づかない方がいいに決まってる。照明一つもない地下空間は、正直人がいるのかすら怪しいほど寂れた印象を覚えた。

「は…入るべきなのかな……」

「ううん。絶対入らないで。こんな誰がいるのかもわからない怪しいドア、開けちゃダメに決まってるでしょ。だいたい人が居てもいなくても不法侵入になるから…」

 「戻ろう」と言ってコハルはもと来た道を帰ろうとした。僕は黒猫とコハルを交互に見て逡巡した。コハルの言うとおりだ。本来こんな怪しい場所、近づくべきじゃない。それにヨシミツさんにも危険な場所には行かないよう言い聞かされたのだ。しかし、僕の足元で僕を見上げている黒猫を放っておく気にもなれなかった。この黒猫はずっと僕のことを見ているのだ。僕とコハルの猫探しに協力しているというより、僕そのものをここに連れて来たように感じられた。

(この先に、もし……万が一、()()使()()についての手がかりがあるとしたら…?)

 僕の勝手な期待に過ぎないのかもしれないが、この黒猫に何か運命的なものを感じる気がするのだ。僕は思わず黒猫に問いかけていた。

「……君は、僕のことを知ってるの?」

 黒猫はただ僕を見つめているだけだった。

「何してるのシグレ…!早くこんな場所離れよう」

 階段を数歩上った状態でコハルが僕を呼んだ。その顔には苛立ちというより、不安や焦りといった感情が浮かんでいる気がした。コハルは僕の状況を考慮して、捜索中ずっと安全のための判断をしてくれている。彼女にこれ以上迷惑を掛けられないと思った僕は、最後にもう一度黒猫を見て小さく「ごめん」と呟いた。

「………にゃーーーー!!!」

「!!??」

 僕が黒猫に背を向けた瞬間、猫が絶叫のような鳴き声を上げた。狭い地下空間にその絶叫がこだまして、まるで怪物の叫び声のように響いた。

「えっ!?ど、どうしたの……?」

 僕が思わず振り返ると、右耳にさびた蝶番の音が飛び込んできた。……扉が開かれたのだ。

(まさか、人が居たなんて……!)

 僕がブリキ人形のようにぎこちなく首を右に回すと、壮年の男性が僕を見下ろしていた。

「さっきから騒がしいな。……おや、見ない顔だね。キミは客かい?」

 僕にどこか色気ある笑顔で尋ねた彼は、僕の顔を見ると何かを感じ取ったように目を細めるのだった。














評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ