18. 異常事態発生
八咫烏本庁から無事に帰還した僕たちは、セントラルエリア内の拠点で今後の方針を決める話し合いをしていた。昨日トバリのもとに送られてきた未成年連続行方不明事件の調査を開始するため、トバリは彼女自身の見解を班員に共有している。
「行方不明者が最後に確認された場所が規制線の近くであったこと、ボクが少年を見つけた場所に悪魔祓いが出没していたこと、これらの違和感を考慮するとやはりこの事件には燦然世代が関わっていると思う。…もしこの推測が正しければ奴らはボクたちが知らぬ間に行動範囲を大幅に拡大していることになる。行方不明者は当然のことながらセントラルエリアの外の住人だ。奴らの凶手が5年の月日を得て、再び市民に降りかかっている。一刻も早く事態を収束し、行方不明者の保護、もしくは発見に努めなければならない」
トバリが鬼気迫る表情で状況の深刻さに言及した。机を囲む他の班員たちも燦然世代の名が出た途端目の色を変えた。そんな中で僕は一人、得も言われぬ不安に襲われていた。
(もしトバリの考えが本当だったら、大規模テロの犯人たちがまた行動し始めてるってことだよね…。また5年前みたいにたくさん人が死ぬような大惨事が起こったら…?)
僕は寒気がした。もうあんなひどい目には遭いたくない。セントラルエリアに来るまで、この都市で何が起きているのか本当にわからなかった。だがこの組織に入って、様々なことを知って、今こうしている間にも5年前の悲劇が繰り返される可能性を考えずに生きている人たちが大勢いることが恐ろしかった。
「奴らは比較的セントラルエリアの中央に出没していた。奴らの根城があると推測される区域の周辺を重点的にパトロールしていたことが、この事態に気づくことを遅らせる原因になったか…」
「くそ…あいつら何がしてえんだ……」
カスミが拳をきつく握りしめた。任務から帰ってきたばかりの彼の手には、新しい傷ができていた。
「同感だ。奴らが市民を誘拐する目的が読めない。奴らにとって殺人は手段でしかない。わざわざ手間をかけてまで市民をセントラルエリアに連れてくる理由は何だ」
ホムラが極めて冷静に疑問をぶつけた。
「……仲間を増やしたいとか…?」
一つの仮定を提唱したのはコハルだった。彼女は話し合いを始めてから、どこかおびえている様子だ。
「理由は奴らに直接聞けばいい。まずはどうすれば奴らの凶行を止められるかを考えよう」
トバリは淡々と作戦を伝えていく。僕は話し合いの間、余計な思考に支配されて集中することができなかった。
僕は作戦会議が終わった後、ソファに腰かけながらぼんやりしていた。初等学校で誰かが壊した花瓶の欠片が教室に隠してあるのを、僕だけが見つけてしまったときと同じような息苦しさを感じていた。先生がそれを見つけるまで、死刑執行を待つ囚人のような気持ちで過ごしていたのを思い出す。いつ先生の雷が教室に落とされるのか、そしてそれを知る由もない生徒が普段通りはしゃいでいる姿に心を痛めたっけ。
「はあ…」
何かにたとえてみると、何とも稚拙な不安だ。こんな調子で任務を遂行できるのだろうか。僕がため息をつくと、自室に戻ろうとしていたコハルが僕の隣に腰かけた。
「シグレ、大丈夫…?」
彼女は心配そうに僕を覗き込んだ。その声に彼女の方を見ると、思っていたより顔が近くて驚いてしまった。
「だっ…大丈夫だよ」
顔が熱くなり、思わず明後日の方向を向いてしまう。コハルは僕の返答に納得がいっていないのか不満そうな声を上げた。
「本当…?さっきの話し合いのときも上の空だったよ…?」
「う…」
僕は痛いところを突かれて、何も言えなくなった。コハルはしばらく僕を見つめた後、柔らかく笑った。
「シグレは私と同じ任務を担当するんだよね。わからないことは何でも聞いてね。私の方が隊員として先輩だから…!」
コハルは頼もしくそう言ってくれた。にっこり笑う彼女を「かわいい」と思ってしまう。
「あ、ありがとう…」
話し終わった後もコハルはしばらくの間僕の隣に座っていた。僕が彼女の小さな頭を見下ろすと、視線に気が付いたのか、綺麗な瞳がこちらを向いた。
「どうしたの…?」
コハルが小首を傾げる。変に見つめすぎて、失礼だっただろうか。
「ごめん、何でもない」
慌てて視線を逸らすと、コハルが静かに語り出した。
「……私、シグレとは仲良くできそうって、初めて会った時言ったよね」
「え?うん…」
僕は再びコハルを見た。彼女は胸に手を当て、わずかに俯いている。
「それはね、シグレのことをトバリから聞かされた時に、似てるって思ったからなの」
「似てる…?」
コハルも僕の方を向いた。彼女は僕をまっすぐに捉えている。
「そう。私とシグレ、すごく似てる」
コハルは僕と彼女自身を交互に指さした。彼女のしなやかな指先の動きが目に焼き付けられる。
「それってどういう……」
(……!!)
突然僕の後ろからただならぬ気配がした。勢いよく振り返ると、じっとりと僕を睨みつけるカスミが立っていた。
「楽しそうだなぁ……俺も混ぜてくれよ……」
カスミは硬直する僕の隣に座り、肩に腕を回してくる。
(なんで二人で僕を挟む形に座るんだ…!)
「いやっ、別に大した話は……!」
じりじりと僕に迫るカスミに弁明しようとしたが、コハルはカスミがソファに座った途端さっきまでの話題を持ち出さなくなってしまった。彼女はうらやましさと牽制の目を僕に向けているカスミを見て、笑っているだけだった。
(コハルと僕が似てる……ってどういうことなんだろう)
結局コハルは話の続きをすることはなく、カスミを含めた3人でしばらく談笑して時を過ごした。
「手伝ってくれてありがとう少年、おかげで予定よりずっと早くキミの部屋を用意できたよ」
夕食を食べて拠点のリビングで暇を持て余していると、トバリが上の階とこの部屋を行ったり来たりしているのが見えて、気になって声をかけた。すると彼女は僕の部屋を用意するために空き部屋の片づけをしていると言う。僕は慌てて手伝いの申し出をし、約2時間ほど二人で部屋の掃除と荷物の運搬をしていた。空き部屋の使用ができるようになったころには、時刻は午後10時に差し掛かろうとしていた。
「そんな、というか僕が使う部屋だからさすがに自分で片付けないと……」
「ふふ、殊勝な心掛けだ。班員の生活の場を確保するのは班長の役目なのだから、気にしなくていい」
「それはそうと」とトバリは完成した部屋の床で休憩する僕を覗き込んだ。
「キミ、帰ってきてから元気がないね。何かあったのかい?」
僕はぎくりとした。僕はどうやら気持ちが表に出やすいようだ
「それ、コハルにも聞かれた……」
僕が目を泳がせると、トバリは楽しそうに笑った。
「コハルも優秀な隊員の一人だからね。後輩が悩んでいたら快く相談に乗ってくれるだろう」
「あの、僕ってそんなにわかりやすいかな…?」
「この二日間でキミの辛そうな顔と嬉しそうな顔の二つしか見てこなかったからね。さっきまで後者だったのに、突然辛そうな顔をしていたら何かあったと疑うのは当然だろう」
トバリは僕と同じように床に座り、僕は彼女と向かい合う形になる。二人きりで話す機会は数える程度にあったが、一つの空間に二人だけという状況は初めてだ。そう自覚した瞬間、僕は急に鼓動が乱れた。
「話せる範囲でいいから話してほしいな。班員のメンタルケアもボクの仕事だからね」
トバリは魅力的に笑った。コハルに笑いかけられたときとは違う胸の高鳴りがする。
「……班長はいっぱい仕事があって大変だね」
「そうだとも。でもボクは苦痛じゃない」
彼女の瞳が僕を促す。僕は声を震わせながら胸の内を吐露した。
「…こ、怖くなっちゃって。あ、ここでの仕事がとか、皆のことがじゃなくて……都市にいたときは何も感じなかったんだ。もうテロは終わって、僕はずっといじめられるだけなんだって。でもここにきて燦然世代の存在を知って…今までの僕みたいに何も知らない人が大勢いることが怖くなったんだ。5年の間僕たちは嘘を信じきっていて、本当は安心なんてできる状況じゃないって知ったとき、大げさだけどすごい裏切られた気持ちになったんだ。…これから調査する事件が燦然世代の仕業だってわかったとき、また大規模テロみたいな、ことが…始まるんじゃ、ないか…って」
僕の脳裏に大規模テロで爆発したシアターの光景が浮かぶ。瞬く間に暗闇に閉じ込められ、無限とも感じられる時間を血と焦げたにおいの中で過ごした。…両親の死体に縋りながら。呼吸が苦しくなる。体が耐えられないほどの不安に押しつぶされていく。
「…!少年!」
視界がじわじわと暗くなる。自分の異様なまでに乱れた鼓動だけが聞こえる。すでに視力がなくなりかけていた僕の目に、トバリが看過できないといった顔で僕を呼んでいる様子が見えた。彼女の手が僕の両肩を強めに掴んでいる。こんな状況でも僕はトバリが自分に触れてくれていることが、彼女が心配してくれていることがうれしいと思ってしまった。意識が沈み、体から力が抜けていく。
「…っ!少年!!」
突然体に衝撃が走り、僕は無理やり覚醒させられた。体に害をなすような強い衝撃ではなく、包まれるような柔らかく温かいそれで。はっとしたとき、僕はトバリに抱きしめられていることに気がついた。
「!?とっ、トバリっ…」
トバリは僕を抱きしめたまま、背中を撫でてくれている。その手つきはまるで赤子をあやすときのように慈愛に満ちていた。彼女の柔らかさが全身にダイレクトに伝わり、不安が全く別の動揺に塗り替えられる。
「ボクに合わせて呼吸をするんだ。ゆっくり、確実に…」
トバリの呼吸音が僕を正常に導く。彼女は僕が落ち着くまで背中を撫で続けてくれた。どきどきと心臓はうるさいままだが、彼女の匂いと温かさに包まれて僕は確かに意識を取り戻した。
「あ、と、トバリ…その…」
願わくば、ずっとこのままでいたいと思うほど心地よかったが、僕は彼女に無事であることを伝えた。トバリの体が僕から離れていく。僕の体に彼女の温もりが残っているのを感じる。
「……落ち着いた?少年」
トバリは心配そうに僕を観察している。首に手を当て、手首を抑えて脈動を確かめている。僕の体はどうやらおかしくなってしまったようで、どんな形であれ彼女に触れられると胸が高鳴ってしまう。
「うん。ごめん急に…」
「謝らなくていい。こちらこそ、無理に話をさせてしまってごめんね」
トバリは僕の目の下を引っ張り粘膜の色を確認した後、僕から離れた。
「…八咫烏は都市の混乱を避けるために、燦然世代の存在を市民に隠している。都市に奴らのようなカルト集団が存在していることが市民の耳に入れば、彼らは疑心暗鬼になるだろう。『ご近所さんが宗教にはまっていた』という曖昧な情報からでも、おそらく燦然世代との繋がりを疑ってしまうほどに。何も悪くない人が次々と悪役に仕立て上げられていき、ついには自ら立ち上がる者が現れるだろう。…自分は英雄であると謳いながら」
僕の部屋という空間はまるで懺悔室のように静かだった。トバリは目を伏せながら、淡々と話し続ける。
「八咫烏は都市に私刑が横行することを危惧している。燦然世代の存在を市民に明かすことは、大規模テロの被害を直接的に受けてない人々まで不幸にするリスクがあるんだ。…ボクも初めて奴らの存在を聞いたときは、キミと同じような恐怖を感じたよ。でもそれと同時に、ボクが直接奴らに罰を与える機会があると知ってしまったんだ」
トバリは僕をまっすぐ見て、力強く訴える。
「ボクたちが任務を完遂し、奴らの存在が完全に無くなれば、きっと本当の平和は訪れる。偽りの平和で都市が成り立っているのなら、嘘を本当に変えてしまえばいい。そのためにボクたちがいるんだ。少年、ボクたちで世の中を変える。もう二度と大規模テロの悲劇を繰り返すことのないように、ボクたちは自らの不安に打ち勝つ必要があるんだ」
トバリは僕の手を取った。彼女の手はいつだって僕に安心を与えてくれる。
「少年、ここにはボクたちがいる。前を向くことが怖くなったら、仲間の顔を見ながら歩めばいい。だから、キミも自分の恐怖の対象に向き合ってほしい」
トバリが手に込める力が強くなる。彼女の掌は僕を律するに十分な力を持っていた。
「うん…頑張るよ。話を聞いてくれてありがとう。ちょっと楽になったから」
トバリは僕の言葉に微笑んでくれた。
突如トバリの通信機が受信を知らせた。ノイズとともに女性の声が聞こえてきた。
『至急、一課二班班長から一班班長。一班班長、応答せよ』
「こちら一班班長、どうぞ」
『こちら二班班長。トバリ、異常事態が発生してる』
通信機から聞こえる声は冷静だが、緊張感が伝わってくる。
「何があったのか教えてくれ」
『ええ。二班が管理するセントラルエリア内の複数生体認識カメラに、燦然世代と思しき反応が確認された。数は50近く、小集団を形成して8か所に分散しているわ』
「場所を送ってほしい。一班が対応に向かう」
『了解。応援は必要?』
「ボクの生体反応が途切れたら、二班と三班も出動してほしい。それまでは監視を続けて」
『…了解』
しばらく通信機から声が聞こえなくなると、トバリの携帯に情報が送られてきた。
『それと、一つの集団の近くにホムラ君の反応があるわ。彼にも私から指示を出した方がいいかしら?』
「お願いするよ。ボクは近いところから掃討にあたっていく。ホムラの位置はこちらでも把握できるから、彼に無理をしないよう伝えてほしい」
『了解。また何かわかったとき、すぐに繋ぐわ』
「了解」
僕が呆気にとられているとトバリは通信機を再び携帯し、急いで部屋を出ていく。彼女が僕を手招きしたので僕も慌ててついていった。
(一体、何が起こっているんだ…?)
階下に着くと、トバリは部屋で過ごしていたカスミとコハルを招集した。トバリのただならぬ様子に二人も真面目な表情を見せる。
「二人とも、異常事態だ。奴らが集団でセントラルエリア各地に出没している。数は50人近く確認したらしい」
二人は目を見開いた。カスミは拳に力を込め、コハルは悲鳴を押し込むように口に手を当てている。
「一班は直ちに出動する。ボクとカスミは先に夜間パトロールに出ているホムラと合流し、掃討にあたる。コハルは本部への連絡と拠点の番を」
「「了解」」
二人は指示を聞いた後、すぐさま身支度を始めた。
「少年は……………そうだな」
トバリは僕を振り返って、不敵な笑みを浮かべた。
「よし、共に行こうか。キミが不安に打ち勝つための第一歩にしよう。大丈夫。キミのことはボクたちが守るし、ボクは絶対に仲間を傷つけさせない」
トバリは見慣れたブルーのシャツの上に、重厚な防護ベストを着用した。そして顔の下半分を黒い布地で覆う。
「セントラルエリアの番人と呼ばれるボクたちの実力、その目で確かめてほしい」
僕はいつもと違う彼らの様子に気圧され、無言で頷くことしか出来なかった。しかし、不思議と怖くなかった。僕の隣にトバリとカスミがついてくれているからだろうか。僕はカスミから顔を隠す覆面を渡され、トバリに身を守るためのベストを装着させられた。視界が狭くなり、体がずっと重くなる。彼らはこんな装備でセントラルエリアを駆け回っているのかと、畏怖の念を抱いた。
「行ってらっしゃい……無事に帰ってきて」
コハルが玄関まで見送りに来てくれた。僕たちは彼女に頷いて、夜の闇の中へ駆け出して行った。
2025年10月15日 表現を一部修正しました




