17. 覚悟と前進
2025年9月22日 文字抜けを一字修正しました
僕はホムラと共に八咫烏本庁のカフェテリアで、マサヨシと共に人事部へ戻ったトバリを待っていた。お昼時なこともあり、カフェテリアはそれなりに賑わっている。僕はホムラに昼食を奢ってもらい、デザートにホイップクリームがたっぷり乗ったラテを味わっていた。クリームがかなり甘いので、ラテを砂糖抜きにして正解だった。
「……トバリ、遅いね」
僕はなかなか帰ってこない彼女が少し心配になった。僕をトバリたちと同じ組織に入れるため、彼女にかなり無茶な交渉をしてもらった。僕がたまたま八咫烏が納得する人間だっただけで、僕の入隊がイレギュラーであることは変わらない。
(もしかしたら、一人でマサヨシさんに怒られてたりするのかな、トバリ……)
僕一人のために彼女に損な役回りをさせてしまっていることが申し訳なかった。
「トバリのことだ。おそらくマサヨシさんと世間話でもしているのだろう」
ホムラはお目当てのシフォンケーキをつつきながら、「心配はいらない」と言った。
「彼女はマサヨシさんに懐いている。あの人はなんだかんだ俺らに甘いからな。今回のように勝手な行動をしても、罰則を与えられた試しがない。甘やかしていると言えば聞こえが悪いが、俺らを尊重しようという気持ちからの寛容であると、俺は思っている。まあ、近寄り難い雰囲気ではあるが、信頼できる人だよ」
「そうなんだ……」
僕も会議室での様子から、マサヨシは優しい人だと思った。言葉の節々から滲む僕を気遣うような様子が見られたからだ。
(トバリが怒られてないならいいんだけど…)
ぼーっとしながらラテを飲んでいると、カフェテリアの入り口に目立つ容姿の少女が見えた。白い髪と綺麗な顔立ち、自信に満ち溢れた立ち姿は間違いなくトバリだろう。
「あ、トバリ…」
僕が入り口を指さすと、ホムラもそちらを向いた。トバリはきょろきょろと辺りを見渡している。どうやら僕たちを探しているようだ。ホムラは手を振って、僕達の居場所を彼女に知らせた。僕が先に気づいたけど、人に注目されるのが怖くてホムラに任せてしまった。トバリはすぐこちらに気づいたようで、一直線に僕たちのテーブルへ向かってくる。悠々と歩いていく彼女を見た人が、驚いたり、何とも言えない顔つきになったりした。
「ここにいたのか」
トバリは僕たちのテーブルの上を一瞥した後、頬を膨らませた。
「ずるいじゃないか。ボクが仕事をしている間にここでゆっくりしていたなんて」
ホムラはセットで頼んでいたアイスティーを飲みながら、他人事のように答えた。
「仕事だったのか。それは大変だったな。てっきり楽しく雑談しているものかと」
「む、今回はちゃんと仕事だったさ。というかキミ、どこにいるか連絡くらいはしてくれてよかっただろう?おかげで一度駐車場に戻ってしまったじゃないか」
「仕事の邪魔をしてはいけないと思ってな」
トバリはぷんすかしながら、ホムラに詰め寄った。
「『仕事とは思わなかった』とついさっき言ったのはキミじゃないか!」
ホムラはそっぽを向いた。僕は二人のやり取りに苦笑いするしかなかった。
(多分、ここでも甘いもの食べてると思われたくなかったんじゃないかな…)
すでにホムラの皿は空になっている。彼の思惑は成功したようだ。
「……ねえ、やっぱりあそこにいるのってさ.........」
「ここで何やってるんだ?」
「気づかなかったけど、あの子と一緒にいるってことはあの二人.........」
僕たちの周りの席で、ひそひそ声が聞こえだした。カフェテリアにいる八咫烏の人たちが、僕たちの方を見ている。
「規制線の中が仕事場だろ?何でここにいるんだ」
「あんまり言うなよ。普通にかわいそうな子たちだろ」
「上はあの部隊をどう扱ってるんだ?」
「いまどきテロ関連の仕事なんて取り扱わないだろ?俺らがそれと向き合わずにいられるのは、九命猫のおかげだよ。そんであいつらの部隊は一番めんどい残党処理を任されてる」
「ひええー。効率主義が過ぎるだろ。つくづく倫理が欠如してるな」
トバリとホムラは話題の対象となって顔を曇らせた。僕が困惑している間にも、周りの人たちの声は届いてくる。
「俺、第二署所属でよかったわー。九命猫に異動とか絶対嫌だし」
「でも、第一の人ってテロがきっかけで本庁所属になったも同然じゃない?そこはラッキーだよね」
「いやいや、いつかなくなる部門の所属とか絶望でしょ」
周りの人たちの話の内容が理解できなくても、彼らが九命猫にとっていい話をしていないことが僕にもわかる。どうして僕たちがいると分かったうえで話を続けることができるんだろう。聞こえていないとでも思っているのだろうか。僕が静かに怒りを燃やしていると、突然僕を刺すような話が聞こえてきた。
「てか、あの細い子もしかして通達に会った子じゃない?」
「ああ、公衆の面前でセントラルエリアに飛び込んだ奴?」
「……!」
僕のことを話題にしている人が現れた瞬間、トバリは僕の手を引いた。
「帰ろうか、少年。少し騒ぎすぎてしまったみたいだ」
僕は彼女に連れられて、カフェテリアを後にした。
僕たちは逃げるように行きに乗ったエレベーターへ乗り込んだ。僕たちはお互い何も言わなかったけれど、全員がこれ以上八咫烏本庁の中で過ごすことに気乗りしていなかったと思う。
「.........ごめんね、不快な思いをさせてしまった」
トバリが暗い顔で僕に謝罪してきた。ホムラも静かに僕に頭を下げた。
「な、なんで?二人のせいじゃないのに....!」
僕はカフェテリアで彼らを好き勝手言う人間に怒っていた。しかし当の本人たちにそんな様子はない。
「どうしてあんなこと言うの?二人は....R.W.M.U.はセントラルエリアを取り戻すために動いてくれてるんでしょ!なのに、あんな言い方....!」
僕はカフェテリアで聞こえてきた言葉を反芻した。いまどきテロ関連の仕事なんて...?テロのおかげで本庁所属に...?大規模テロが残した傷に苦しめられている人たちがいるのに、どうしてそんなこと言えるんだ!!僕が感情を昂らせていると、トバリが首を横に振った。
「仕方がないんだよ。ボクたちは暗殺部隊だ。いくら国が創った部隊であるからといって、皆が肯定的な意見を持っているかと言ったら答えはノーになる。だから皆に白い目を向けられることも、よくない噂が広まることも仕方がないことなんだ」
トバリは冷静だった。僕は自分たちが理不尽な物言いをされているのに、どうして彼女が落ち着いていられるのかわからなかった。
「でも......!」
僕が反論しようとすると、トバリはボクの唇に人差し指で触れた。
「いいんだ。ボクたちは望んでここにいる。誰に何と言われようと、ボクたちは使命を全うするのみ。...憎しみを向ける相手を間違えてはいけないよ、少年」
トバリは静かに僕を諭した。ホムラも彼女に同意している。
「俺たちはかわいそうな人間ではない。九命猫に配属されることを望んだのは俺たちだ。八咫烏はただその道を示しただけで、俺は復讐のためにここに残ることを選んだ。これはすべて俺が決めたことだ」
ホムラの言葉には強い覚悟が込められていた。二人の覚悟を前にして、数々の浅慮な言葉に対する僕の怒りは小さくなっていった。僕は完全に納得がいったわけではないが、これ以上彼らに食い下がるのは野暮だろう。こんなにも誇り高い彼らには、もはや冷笑も浅慮も無意味なのだから。
駐車場に着くと、ホムラが送迎の車を手配してくれた。
「.........では、よろしくお願いします。マサヨシさん」
どうやら行きで運転手と護衛を務めてくれたマサヨシの部下たちが、僕たちを拠点へ送ってくれるそうだ。ホムラがマサヨシと電話をしていると分かると、トバリがホムラに電話を替わるよう促した。
「や、マサヨシ人事部長」
トバリがスピーカーをオンにしたらしく、めんどくさそうな様子を隠そうとしない声が聞こえてきた。
「.........何だ?まだ用事があるのか」
「少年の件、もう承認されたみたいだね。本庁の人間が少年のことを把握しているみたいだよ」
マサヨシは「ああ.........」とこぼして、しばらく無言になった。
「仕事を減らすために今伝える。鷹崎クンにも聞かせてくれ」
「承知した。最初からスピーカーだよ」
「.........いたずらも大概にしろ」
トバリは僕に近くに寄るように手招きしてきた。僕たちはホムラの携帯を三人で囲む。
「お察しの通り、上は鷹崎クンの入隊を認めた。そんですぐに八咫烏の人間に、秘匿義務を課すために高崎クンの情報を共有した。.........俺は対面申請書とメールを送った瞬間上に呼び出されて、いろいろ説明させられた。ありとあらゆる申請をすっ飛ばして俺を呼んだんだろうな。わかってはいたが、上層部は嫌なやり方をする」
マサヨシが深いため息をついた。彼は一体いくつの幸せを逃してきたんだろうか。
「そうか、わかったよ。ご報告ありがとうマサヨシ人事部長」
トバリは僕に向けて華麗にウインクをした。僕もうれしくて首を何回も縦に振った。
「そんで、鷹崎クンは今後トバリの下に配属されることになる。鷹崎クンをどう扱うかはお前次第ということだ、トバリ。ただ鷹崎クンは訓練を受けていないということを頭に入れておけよ。まあお前ならうまくやると思うが.........」
「もちろん、少年を守ると誓ったからには彼を参加させる任務はきちんと選ぶよ。それとキミが資料を送ってきた行方不明事件のことも調査を進めておく。また分かったことがあれば連絡するよ」
「ああそれか.........。なんで上はいつも俺を介して一班に任務内容を伝えるんだ.........」
「それじゃあ、またね!今日はありがとう、マサヨシ人事部長」
トバリは満足そうにマサヨシに感謝を伝えて電話を切った。最後にマサヨシの小言が聞こえた気がするが、彼女は華麗に無視した。
「ふう、これで少年の最初の任務は完了だね!」
トバリは嬉しそうに僕の肩をたたいた。
「うん.........僕は何もしてないけど…」
「まさか!今回マサヨシ人事部長と八咫烏の上層部にキミの入隊を認めさせることができたのは、キミの出自のおかげと言ってもいい。キミはあまりいい気分にはならないかもしれないけど、それだけキミの血筋は役に立つんだ。これからの任務でもキミの名前でこちらが有利になることだってあるだろう。ボクらはキミに感謝しているんだよ。ボクたちR.W.M.U.のもとに来てくれてありがとう、同志少年」
トバリは僕に握手を求めた。僕は気分が高揚して、思わず両手で彼女の手を握った。トバリの肌は白く柔らかく、かさついていて肉がない僕の手とは比べ物にならないほど綺麗だった。
〇
薄暗く、厳かな広間にステンドグラスから差し込む光が降り注いでいる。光は赤い絨毯の上を極彩色に彩り、教会の聖堂を模したこの空間に神秘性を演出した。祭壇に飾られた蝋燭の火が揺れている。ここに火を灯すことができる人間は、限りなく少なくなってしまった。闇夜に紛れて、同志の命を奪っていった悪魔どものせいで。規則的に並べられた長椅子に、3人の少年少女が各々の場所で着席している。一番前の席に座っている長髪の少年は、腕を組み、苛立ちをあらわにしていた。
「……遅い。どこで油を売っている?あの愚か者は…」
少年は鋭い眼光で入り口の扉を睨みつけた。
「まあまあ~、大司教様だってまだ来てないんだし許してあげようよ~」
長髪の少年の後ろから、少女が身を乗り出した。どこかのんびりとした口調の彼女は、遅刻している者に対して怒りを感じていないようだ。
「しかし、あれの傍若無人さは目に余る。今回はあらかじめ予定されていた司教会議だというのに…」
長髪の少年は舌打ちをこぼし、のんびりとした少女は「あちゃ~」と深刻さに欠けた反応をした。
「でもさぁ、大司教様も遅くない?あの人が遅れてくることなんてなかったのに」
長椅子に寝転んでくつろいでいた少年が二人の会話に混ざる。少年は大きな目と小さい唇をしており、中性的な顔立ちをしていた。
「大司教様って、意外とお寝坊さんだったり?」
中性的な少年はクスクスと笑った。彼の態度に長髪の少年はため息をつく。
「あの方がそのように自堕落なわけないだろう。彼には何か正当な理由があるはずだ…あの愚か者と違ってな…!」
長髪の少年の怒りは収まらなかった。「あっちゃ~...」と中性的な少年は揶揄うような反応をした。
ぎいぃと重厚な音を立てて扉が開かれた。広間にいた少年少女がこぞって注目する。
「……遅くなって、ごめんね」
穏やかな声をした青年が入室した。青年は大人しい顔に似合わない煌びやかな装飾を身にまとっており、彼自身の動きを制限するほどに飾り付けられていた。青年を一目見た少年少女は敬虔に膝をついて、頭を垂れた。
「お待ちしておりました。大司教様」
「うん。みんな楽にしていいよ」
「あはは、大司教様やさしー」
青年に頭を上げるよう指示されると、中性的な少年は素早く元の姿勢に戻った。
「おい、大司教様の前だ」
長髪の少年に注意されると、長椅子に再び寝転んだ少年はぶうたれた。
「いーじゃん、だって大司教様だし」
「無礼だぞ!」
長髪の少年は再び怒りをあらわにした。
「ふふ、きにしないよ。司教会議はそこまで厳格な場でもないからね」
青年が笑いながら言うと、長髪の少年はしぶしぶ引き下がった。中性的な少年は「ほらねー」と彼を煽るような態度をとった。
「あの~大司教様、どうして遅れてしまったのでしょうか~?」
のんびりとした少女が青年に遅刻の理由を尋ねた。青年は「ああ...」と苦笑いをして答えた。
「実はついさっき教主様がお眠りになってね。そばにいるよう仰せられたから、しばらく見守っていたんだ」
のんびりとした少女は「そうだったんだ~」と納得したようだった。
「っち、あの愚か者はいつになったら来るんだ…。俺たちだけでなく大司教様まで待たせるつもりか」
長髪の少年は苛立ちを募らせて、つま先を小刻みに上下している。彼の発言に青年が何かを思い出したようにはっとした。
「ごめんみんな。あの子はボクのお願いを聞いてくれているんだ。司教会議に彼が来ないことを早めに来て伝えるつもりだったのだけれど...色々タイミングが悪くてね」
青年は申し訳なさそうに眉尻を下げた。長髪の少年は慌てて姿勢を正す。
「そうでございましたか」
「迷惑をかけたね。あの子にはボクが会議の内容を伝えておくよ。だから、彼の欠席はボクに免じて許してくれないかな?」
「大司教様がそう仰るなら」
長髪の少年は深々と頭を下げた。青年は彼に「ありがとう」と微笑んで、祭壇の前に立つ。
「それじゃあ始めようか」
青年は一人一人に話を促すよう、目を合わせていく。
「今回の作戦の首尾を」
「はい。教主様のご意向に従い、決行日の22時に悪魔祓い30人を本作戦に駆り出します。過去に悪魔が現れたとされる場所を中心に、複数の班に分けて行動をとらせます」
「実力者を真ん中に置く陣形を組んで、悪魔の奇襲から強い人たちを守る作戦です~」
「そんな感じでーす」
彼らの話を聞いた青年は、にこやかに頷いた。
「みんなありがとう。ボクは教主様のそばにいなければならないから、いつものように手伝うことができない。ここでキミたちの無事を祈っているよ」
青年の言葉に3人は頭を垂れた。青年は祭壇を見つめ、手を合わせた。そしてぎこちなく腕を上げ、蝋燭の火を消した。
「ボクたちがより多くの人々を救うために、再び前進するときが来た」
青年は自分の瞼を撫で、蠱惑的な瞳を覗かせた。
「地上を照らす灯をその手に宿す導き手たちよ。天の寵愛と加護があらんことを」




