14. いつか見た夢
いつもご愛読ありがとうございます!遅れてしまい申し訳ありません。これからの話は、更新頻度が低くなる代わりに一話一話の文量を増やせていければと思います。
「それじゃあおやすみ、少年」
時刻は夜の10時を過ぎた頃、僕の体調を気遣って他のみんなは早々に自室に戻って行った。僕は寝室の用意がなかったため、ソファで眠ることになった。部屋の電気が消され、夜独特の静けさが広がる。僕は久しぶりの柔らかな寝床に沈み、瞬く間に夢の世界へ旅立とうとしていた。
(今日は、色々なことがあった………)
今日一日だけで、一生分の数奇を味わった気分だ。大きな屋敷の中で小さくなって震えることしかできなかった僕が、まさか国家機関の一部隊に所属することになるなんて。こんな話誰が信じると言うのだろうか。
(九命猫、悪魔祓い、燦然世代、国家機密………)
情報を整理したいのに、瞼が重くなって思考が鈍くなる。もう限界が近づいていた。
(セントラルエリア…、暗殺部隊…、根絶やし……)
(復讐……………)
僕は目を閉じて、今日という日に別れを告げた。
「…………ん、?」
意識が浮上する。朝が来たのかと思い目を開けたが、視界に広がるのはどこまでも続く闇だった。おかしい。僕はソファに寝そべっていたはず。どうして立ち上がっているのだろう。何よりここは拠点じゃない。全てが闇に包まれた空間だ。両足が生ぬるい水に浸かっている。僕が一歩踏み出すと、確かな抵抗とともに水が揺れて光る水紋を描いていく。ここでは水が揺れる音、跳ねる音しか聞こえない。僕の心臓の音すら聞こえてきてしまいそうなほど静かだった。僕は夢を見ているのだろうか。
「……だ、誰か〜…いませんか…?」
あまりにも現実離れしている空間だが、足に水が触れる感覚と生温い空気がリアルすぎて、夢かどうか不安になるほどだった。僕は思わず自分以外の誰かがいないか、暗闇に向かって呼び掛けた。しかし、返ってくるのは水の音ばかりだった。
「…っ」
僕は途端に寒気がした。このままずっとこの空間に閉じ込められてしまうのではないかと怖くなった。僕はじっとしていられなくて、ただひたすら前に進んだ。ばしゃばしゃと水が跳ね、光の水紋が生み出される。僕を追い抜かして行くそれらも、ある瞬間に闇に飲み込まれて見えなくなってしまう。いつか僕も闇の中に消えてしまうんじゃないかと、言われもない不安に襲われる。夢なら早く覚めてくれと、必死に願いながら歩き続けた。
「シグレ」
遠くで誰かが僕の名前を呼んでいる。気がつくと闇の中にぼんやりと光が灯っていた。その中に透き通る白い髪と肌をした、苦しいほど美しい少女が立っている。僕は、彼女を知っている。
「………トバリ…さん?」
僕は慌てて彼女に近づいた。彼女の目の前に来ると、光の中にトバリさんがいるのではなく、彼女自身が光り輝いていることに気づく。トバリさんは万物を魅了せんとする微笑みで僕の名を呼んだ。
「シグレ」
彼女の手が僕の頬をなぞる。その瞬間僕は戦慄した。
(トバリさんじゃない…!)
胸がどうしようもなくざわつく。今僕の目の前にいる何かは、人間ではないと確信する。美しすぎるのだ。まるで人間を欺いて思うままにするために、人間を模倣しているかのような異常の塊がそこにいた。そしてそれがトバリさんをまねていることに、どうしようもないほど腹が立った。
「誰だ…」
僕は僕に手を伸ばす異常の手を振り払い、それを睨みつけた。
「お前は誰だ…!」
「無事にこの子に会えたみたいだネ。シグレ」
無機質な声が聞こえた瞬間、目の前の異常がトバリさんの姿から変形していく。溶けて崩れて、現れたのは白い髪を持つ美しい少年だった。
「お、お前は…?」
少年と対面した瞬間、僕の中で失われていた記憶がよみがえる。そうだ。僕は叔父の家で自殺をしようとした。包丁で首を切って、両親に会いに行こうとした。しかし首を切った後に出会ったのは、この苦しいほど美しい少年だった。僕は彼の言葉に耳を傾けることしかできなくて、体と心を支配されて家出をした。僕の行動はすべてこの少年によって仕向けられたものだった。セントラルエリアで初めて会ったはずのトバリさんを記憶していたのは、少年が僕にトバリさんのことを認知させていたからだ。
「やっと会えタ。ボクのシグレ」
少年は口元だけを動かして、僕に笑いかけた。口端を持ち上げることだけが笑顔だという風に認識しているのだろうか。彼は酷く不自然に表情を浮かべた。
「ボクとの約束、守ってくれて嬉しイ。あの時、シグレを死なせなくてよかっタ。キミはとっても優秀なニンゲンだネ」
少年が僕に歩み寄ってくる。いや、彼の足元の水は揺らいでいない。少年は水面からわずかに浮遊していた。
「キミに生きる理由を与えてあげるヨ。シグレ、どうかあの子を助けてあげテ」
少年が僕をまっすぐに見つめる。僕はこの感覚に覚えがある。この人のために生まれてきたと、自分のすべてを目の前の少年に捧げたくなる。そんな気持ちになる。僕は奇妙な胸の高鳴りを感じながら、少年を問い詰めた。
「…あなたは誰?どうして僕のこと知っているの?」
少年は不自然な笑みを浮かべたまま、答えた。
「わからないノ?キミがボクに会いたいと思ったから、キミの願いをかなえに来たんだヨ。ボクはニンゲンのことは何でも知っていル。だからキミのことも知っていル」
「あ、『会いたい』って…」
僕は少年のことは知らない。彼の容姿も声も記憶にない。そもそも彼は通常の人間とは明らかに異なっている。あまりに信じがたいが、彼は人間とは全く別の存在なのだろう。頭があり、胴があり、四肢がある。形は人間と酷似しているが、まとう雰囲気はどう考えても異質だ。そして叔父の家で彼を見た時にも感じたように、何よりも彼の目が異質だった。眼球の中で何かが蠢いており、それはどこかの内臓のように脈動していて、血肉を思わせる鮮明な赤とピンク色だ。吐き気を覚えるようなおぞましさをしているはずなのに、不思議と目が離せない。
(僕がこの人に「会いたい」なんて、いつ言ったんだ?)
少年は何もしゃべらず、こちらを見ている。僕が自分で答えにたどり着くまで、何も言わないつもりだ。僕は叔父の家で起こったことを必死に思い出す。僕が自殺を図ろうと部屋を出てから、少年に頭の中を支配されるまでのことを。僕は一生懸命に失われた記憶をたどった。
(人は死ぬと神様に会いに行くという。僕はこれから神様を殴りに行く)
僕は一つの答えを導きだした。僕は確かに、それに会いに行こうとして首を切った。でもだとしたら、どうして少年は生きている僕の前に現れたのか。
「キミ自身が足を運ばなければならないのに、わざわざボクが会いに来てあげたんだヨ」
少年はたいそう不遜な口ぶりでそう言った。僕は目の前でゆらゆらと揺れる彼を見た。
「……神様」
少年は僕の答えを聞くと、こころなしか満足そうに口端を上げた。
「シグレはボクのものになる権利を得たんだヨ。これからはボクのために生きて、ボクの手助けができるんダ」
神と名乗る少年は異様に偉そうな口調だった。もし、ほかの人間にこんなことを言われたら、僕は間違いなく腹を立てるだろう。まるで僕が彼の所有物であるかのような言い方だ。しかし、なぜか僕は彼にそんな失礼な物言いをされても、「心地よい」と感じてしまった。
「手助け…?僕は何をすればいいの?」
少年にこの身を捧げたい。そんな考えが頭を支配する。少年は僕に優しく微笑んでくれた。
「キミが出会った、あの子を助けテ。あの子はとてもひどい呪いをかけられているんダ。キミはきっと呪いを解くための力を得られる資格を持っていル。キミにはその力を目覚めさせてほしいんダ」
「あの子」というのは、トバリさんのことだろう。わざわざ神と名乗る少年が、僕の記憶の中にトバリさんという存在を植え付けたくらいだ。彼にとって、トバリさんは大切な存在なのだろうか。僕は一瞬、トバリさんがひどく「うらやましい」と思ってしまった。
「力…、資格…?どうすれば力が目覚めるの?」
神と名乗る少年は少し悩むような素振りを見せた後、こう答えた。
「それは、それもキミが力を目覚めさせるために気づかなければならないコト。キミはあの子のそばにいて、あの子を助けテ。大丈夫。キミはやり遂げられるって信じてル」
少年の話は、どう考えても理解が追い付かないものだった。僕は疑問が尽きなかった。なぜ少年が僕に接触してきたのか、僕が得ることができる力とはいったい何なのか、トバリさんにかけられた呪いとは何なのか。僕は神と名乗る少年に異議を申し立てたかった。だがどうしてだろう、どうしても口を動かすのが億劫になってしまう。少年に反抗することができない。僕は徹底的に彼に服従させられていた。
「さあ、元の場所に帰ろウ。あの子がキミを呼んでいるヨ」
少年が僕の瞼に触れる。溺れてしまいそうなほど甘美だった。でもこのままじゃいけない気がする。僕は、この少年にきちんと事情を聴かなければならないと思う。このまま少年の言いなりになりたい気持ちもあるが、それではまずいと直感が告げている。
(声を、出さなきゃ…!)
僕は抵抗した。少年に愛でられている自分を俯瞰している僕に意識を向けた。僕はそこにいるのではない。僕はずっとここにいる!僕を縛り付けていた、甘美の鎖が綻んでいく。僕は初めて自分の言葉で少年を問い詰めた。
「……っどう、して」
少年の目が大きく見開かれる。
「君が神様なら、どうして僕の両親を助けてくれなかったんだ…!!」
僕は白く輝く美しい少年を睨んだ。そして愛しい彼に憎しみの感情を向けている自分に耐え切れず、涙を流した。僕はあの崩壊したシアターの中で死にゆく父の息遣いを聞きながら祈った、酷く惨めな時間を思い少年を責めた。彼が神と名乗るのならば、僕にはやらないといけないことがあるだろう。神に魅了されてはならない。神は僕たちを見捨てた。こんなところで、神に篭絡されてはならない。瓦礫の下で泣き、施設のベッドで泣き、叔父の家で延々と泣き続けた僕が見ている。救わなくては。僕の手で彼らを救わなくては!
「…………フフ、…アハハハハッ!!」
少年は突然笑い出した。彼の声がこの何もない空間にこだまする。心臓を直接殴られているかのような衝撃が伝わってくる。彼が僕の首に触れる。僕がかつて自ら傷をつけた個所をなぞった後、少年は強い力で僕の首を掴んだ。ぎちぎちと皮膚に爪がたてられる音がする。呼吸が苦しくなる。
「予想外ダ。オマエも自我が強いのカ。オマエはボクに一度命を救われたことを忘れたカ?」
少年に触られた場所が熱い。じわじわと焼かれていくような感覚、そして僕の中に無理やり何かが入り込んでくる。
「よかったナ。ボクはオマエのようなニンゲン、嫌いじゃなイ。だからオマエはボクのそばにおいてやル。ボクの地上での手足として、ボクのために行動してもらウ」
熱い。顔が、腹が、足の裏が。全身が焼けてなくなるかと思った瞬間、少年が僕を解放した。ばしゃりと水辺に落とされる。
「うっ…ぐ」
少年はするりと僕の顎を撫で、上を向かせた。僕の体が再び甘美に沈んでいく。
「オマエはボクの目的が達成されるまで、死ぬことは許されなイ。自我が抗おうとも、オマエの肉体はボクに従うこと、覚えておくといイ」
「ワが天命に従い、憐れな輪廻を断ち切る英雄として地上に革新の鐘の音を響かせヨ!」
..........................
..............…ねん…
...............少年…
「少年!!」
「わわっ!?」
部屋の時計を見ると、午前5時を指していた。トバリさんが僕を起こしてくれたようだ。僕は眠気まなこをこすりながら、ソファから起き上がる。
「おはよう、少年。こんな早くにすまないね。昨日も伝えた通り、これからボクとホムラとともに『九命猫』の本部がある国家統率保安機関の本庁に向かうよ。キミは一応お尋ね者扱いだからね。あまり人目につかない時間に出発したいんだ」
僕はトバリさんに連れられ、ダイニングテーブルにつく。向かいの席でホムラが紅茶を片手に読書していた。彼は僕と目が合うと「おはよう」と挨拶した。
「おはよう、ホムラ」
「体調は問題ないか?」
「うん…大丈夫」
ホムラは本に栞を挟み、それを閉じてテーブルに置いた。本の表紙に人間がもつれ合うように重なっている、おどろおどろしい意匠が施されている。
「それ、どんな本…?」
「旧時代の小説だ。彼女に薦められた」
「面白い?」
「ああ。程よく倫理が崩壊していて、俺は好きだ」
「…そうなんだ」
僕はあまり小説を読んでこなかった。本という媒体に触れるのは、ほとんど図鑑を読む時だけだった。都市には一つ大きな図書館があるが、そこも一度も訪れたことがない。
(ホムラもトバリさんも本が好きなのかな)
そんなことを考えていると、トバリさんが朝食を運んできてくれた。
「残り物ですまないが食べてくれ。ジャムのスプーンは共有だから、間違えてそれでスープを飲まないように気をつけて!」
トバリさんはそう言いながら、部屋のカーテンを開けた。ベランダに通じる大きな窓から、セントラルエリアの風景が見える。ビルとビルの隙間から僅かに差し込む朝日が、今日の訪れを知らせている。トバリさんは僕の隣に着席し「いただきます」と手を合わせた。僕も彼女に倣って朝食に手を付けた。
「少年、きちんと休むことはできたかな?ここには空き部屋が二つあるのだけれど、あいにく物置と化してしまっていてね…。近いうちに必ず使えるようにするから、少しだけ待っててほしいんだ」
トバリさんはケチャップとチーズをのせてトーストした食パンに、タバスコをトッピングして食べている。チーズの色が真っ赤に変色しているのが気になるが、彼女はおいしそうにトーストを頬張っている。一方ホムラはジャムをたっぷり塗ったその上に、さらにチョコソースをかけようとしている。用意された食パンの枚数に対して、味付けの材料がやけに多いと感じたがこういうことだったのか。
「キミはまたそんなに甘そうなものを食べて……。見ているこっちが胃もたれしそうだよ」
「君もずいぶん体に悪そうなものを食べているじゃないか。刺激物の過剰摂取は消化器官によくないだろう」
(..............)
トバリさんとホムラは互いのトッピングのセレクトに関して小競り合いをしている。僕はトーストにマーガリンを塗ってかぶりついた。二人が僕の味気ないトーストを見て、それぞれの好みのトッピングをのせようとしてきたが、何とか死守して温かい朝食を楽しんだ。二人が楽しそうで、なんだか僕も楽しい気分だった。
「あの、トバリ……」
身支度を整えて迎えの車が来るまで待機している間、僕はトバリさんに接触した。
「なんだい?少年」
トバリさんは僕に優しいまなざしを向けてくれた。
「えっと..............」
(神が言っていることが本当なら、トバリさんは呪いにかけられてるって話だけど…。朝の様子を見るとそんな感じはしなかった…。トバリさんも知らないうちに呪われたってこと?)
どうすればトバリさんを助けられるのか探りたかったが、彼女に何を質問すればいいのかすらわからなった。
「その…、トバリは神様って信じてる?」
悩んだ末に、変な質問をしてしまった。トバリさんは明らかに驚いているようだ。当たり前だろう。この都市で神様を蔑ろにする人はまずいないのに。それに突然こんなことを聞かれたら不思議に思うにきまっている。
(でも直接「呪いをかけられてますか」なんて聞けないし。僕と同じで神様に会ったことがあるか聞きたかったんだけど..............)
「ご、ごめんなさい…。忘れて」
僕が発言を撤回しようとすると、トバリさんがいつになく真剣な声色で答えた。
「……いいや。少なくとも、都市のみんなが想像するような神は存在しないと思っている。神様が慈悲深く、人間を愛しているなんて市民が作り出した幻想だ。大規模テロに心を壊されたあの日から、ボクは神を恨んですらいる」
トバリさんは拳をぐっと握りしめた。
「もし神がボクらを愛してくれているのならば、セレスチャルはこんな状況に陥っていないはずなのだから」
「トバリ……」
彼女は僕を振り返り、再び微笑んだ。
「キミとボクは神に裏切られた同士だろ?キミのように若い力は世界を変えられると、ボクは思ってる。なんとしても本部の大人にキミの入隊を認めさせて、良いスタートを切ろうじゃないか!」
「…うん!」
そうだ。僕はこの組織に入ったばかりなんだ。ゆっくり考えていけばいい。神がいうことの真意も、トバリさんの呪いの正体も、これから探っていけばいい。
(トバリさんのこと、絶対助けてみせる…!)
「二人とも、到着したみたいだ」
迎えの車が来たことをホムラが教えてくれた。僕達は階下に下りて、玄関前に停めてある車に乗った。
(セントラルエリア内に入ることを許されている人達なのか…)
トバリさんは助手席に座り、運転手と会話している。僕の隣に護衛としてもう一人知らない大人が座っている。
「さ、少年!今からセントラルエリアの外に向かうよ!くれぐれも人目につかないよう気を付けて」
車が発進し、気が付くと規制線を越えていた。都市には人目につかずにセントラルエリアに入れるゲートが作られていたのか。僕が監禁されている間、都市はすっかり変わってしまったようだ。セントラルエリアを抜けると、護衛の人がカーテンを閉めた。車内が一気に閉鎖的な空間になる。僕はそわそわして足をすり合わせた。
「..............ん?」
「?どうした、シグレ」
「いや…何でもない.............」
僕は昨日の夜まで存在していた、足裏の痛みが消えていることに気づいた。かなりの重症だったはずだ。それに止血の処置しかしてもらってなかったはず。
(一晩で治るなんて、ありえないよな…?)
思えば、殴られて腫れた顔の違和感も、痣まみれの腹部の痛みも今は消えている。
(全身のけがが、なくなってる…?)
「何で.............?」
僕は得体のしれない気味の悪さを感じつつも、その原因を見つけることはできなかった。
2025年9月1日 改行ミスを修正いたしました




