10. セントラルエリアの秘密
「さあ、今度はキミがボクらに質問する番だよ。同じ組織に入ることになるんだ、ある程度情報交換はしておきたいし、キミにも真実を知ってもらって覚悟を決めてほしい」
僕はシャワーを浴びながら考えていたことを質問しようとした。しかし、いつの間にかホムラがテーブルの上に用意した、大量の洋菓子を前に言葉が出なくなった。
「…少年がいてくれてよかった。ボクたちだけでこれだけの甘味を消費するのは骨が折れるからね。本部がよくボクたちにそれぞれの欲しいものを与えてくれるのだけれど、彼がいつも甘味を要求するから。まったく、大人は量がおかしい気がするよ…」
トバリさんは目の前に広がるスイーツの大群に辟易していた。
「……俺は手伝いを必要としていないが」
ホムラは咀嚼していたマドレーヌを飲み込んでから「一人で食べきれる」と言った。彼はすでに3つマドレーヌを消費している。
「ちょっと、食べすぎはよくないと言っているだろう!キミが甘味に目がないのは承知してるけど、この後晩御飯も食べるのだからね!」
「夕食も問題なく食べられるくらい余裕はある」
「若いからと高をくくっていると糖尿になってしまうよ…」
トバリさんは呆れてため息をついた。ホムラは「これで最後にする」と言いながらショートケーキをつついている。
「第一こんなに大量に送られてくるのは君が手当を消費しないからだろう、トバリ。君の未使用の手当が多すぎて、俺たちに上乗せされているんだ」
ホムラは鉄仮面から呆れたような声を出し、トバリに反論した。
「う…、それは、ボクは本当に求めるものがないし、キミらのほうが有効活用できると思って…。だいたい、危険手当なんてボクには必要ないんだ!市民を差し置いて、ボクだけ贅沢をするのは…」
「九命猫である前に、君もセレスチャル市民だろう」
僕は彼らの会話に思わず呆気にとられてしまった。僕が蚊帳の外にいることに気づいたトバリさんが咳払いをして、僕に向き直った。
「い、いやすまない少年。話を戻そうか。…キミもよかったら好きなだけ食べてくれ。いや食べてくれないか?」
トバリさんはそう言って、特大のシュークリームを僕に差し出した。
「さあ、今度こそ質問してくれ。質問が思いつかないなら、ボクたちの説明を聞いて、疑問に思ったことに手を挙げてもいい」
僕はセントラルエリアに来てから遭遇した、最大の謎について聞くことにした。
「あの、規制線の中にいた、銃を持った男は何者なんですか…?と、とても正常には見えなかったというか…。とにかく不気味な感じでした」
僕は頭に銃を突き付けられた感触がよみがえって、身震いした。トバリさんは真剣な表情で話し始める。
「そう、キミが遭遇した男こそが都市が抱える最大の秘密。端的に言ってしまえば、奴は…奴らは大規模テロを引き起こした真犯人だ」
「え…」
僕は絶句した。正直、トバリさんが何を言っているのかわからなかった。
「だ、大規模テロの犯行グループは逮捕されて、死刑になったって…」
「公にはそういうことになっている。でも本当はまだ生き残りが存在した」
トバリさんは眉間にしわを寄せて、険しい顔になった。
「犯人は正体不明のテログループ、動機は都市に対する不満を主張するため。少年が知っている情報はこれくらいだろうか。…あまりにも不透明だと思わなかったかい?大規模テロが発生した当時、逮捕された者はたった30人。この人数で本当にあの規模のテロを完遂したと?そんなわけがない。正体不明とされていたテログループはある一人の逮捕者の自供によってその全貌が明らかになった」
「覚悟はいい?少年」とトバリさんは僕を真剣なまなざしで見つめた。僕はつばを飲み込んだ。
「……大規模テロを引き起こしたのは『燦然世代』という名の宗教団体。大規模テロ発生時、1000人以上の信者を抱えていたとされるカルト教団だ」
「燦然、世代…?」
聞き覚えのない名前だった。トバリさんは説明を続ける。
「キミを襲った男は燦然世代の戦闘員だ。奴らの中では『悪魔祓い』、別名を『Shiner』という役職名で通っているらしい。あの真っ赤に染まった目が奴が悪魔祓いである証拠だ。悪魔祓いは燦然世代の中でも特に忠誠を誓った信徒。奴らはセントラルエリアの中に息をひそめ、教団にとって最大の障害であるボクらを討伐する機会をうかがっている。奴らにとってボクらは悪魔なんだね」
僕は茫然としたまま彼女の話を聞いていた。テロの犯行グループがまだ無力化できていないこと、そしてセレスチャルにそのような頭のおかしい集団がいることが信じられなかった。
「燦然世代はとある一人の『教主(Immortal)』が束ねている。そいつの理想の世界を作り上げるため、燦然世代は大規模テロを引き起こした」
「理想の世界…」
「これは逮捕者の自白から得た情報だからいまいち具体性にかけているけれど、ボクたちが把握している燦然世代の目的は『神の再降臨』。地上の人間を『光の子(Children)』に転生させることで、地上を聖なる光で満たし、神を地上へ導くことでそれを成そうとしている。奴らが大量殺戮を犯した理由は奴らの手にかけられた者は光の子として生まれ変わることができるから、という身勝手なものだった。…恐ろしいね。まさに幻想に囚われた狂人の犯行だ。こんなに多くの命を巻き込むことさえ厭わないなんて…」
トバリさんは憎悪と悲愴を顔に露わにして、唇を噛み締めた。僕は彼女の話に耳を疑いたくなった。全身に憎しみの感情が走り抜けていく。
「そんな…っ」
あまりに憎くて涙があふれてきた。こんな気持ちになったのは、5年前ニュースでテロを発生させた者たちの顔を見たときぶりだった。頭を抱えてうずくまり、泣きながら叫んでしまった。
「父さんと母さんは、そんなくだらないことのためにっ……!!」
しゃくりあげる僕を見て、トバリさんは辛そうな顔をした。
「…ごめんね少年。こんな事実、テロ犠牲者の遺族が知ればどんな気持ちになるかなんてわかりきっているのに。理不尽に家族を奪われ、時がすべてを癒してくれるまで待つしかない無力感は、心の底から恨むべき相手が生きていると分かれば、きっと誰も止めることができない復讐心に変わってしまう。ボクは復讐のために遺族の人たちの人生を破滅させてしまう事態を避けたいと思っている。…でもこんな風にセントラルエリアを檻にして、真実を閉じ込めておくことは本当に正しいことなのかと時々葛藤してしまうんだ。キミがまた大人に傷つけられることを防ぎたいけれど、ボクの選択はキミを都市の膿を排除する汚れ仕事に巻き込んでしまうことになる。…全ての市民にひた隠しにしている秘密をキミにだけ教えるのはとても酷なことだと理解はしているんだ。でも、ボクたちはこの秘密を守るために活動している。この組織に入る以上、真実と向き合ってもらう必要がある」
トバリさんはどこかあきらめたような顔をして、深くため息をついた。
「…ボクがセントラルエリアで行動するようになってからもう3年が経っている。それなのに奴らの本拠地はいまだに突き止められないままだ。九命猫に異動させられる人材も少なくなっている。正直キミを無理やり言いくるめて仲間に引き入れようとするくらいにこの組織は危機的状況にあるんだ。市民は九命猫を英雄扱いするけれど、この現状とボクたちの任務を知ってしまえばどんな顔をするのかな」
トバリさんのぼやきに、いつの間にかケーキを食べ終わっていたホムラが口を出した。
「俺たちの任務は確実に完遂に近づいている。燦然世代の規模は格段に縮小できているんだ。奴らを皆殺しにしなければ、大規模テロ以前のセレスチャルを取り戻すことはできない。俺たちはやるべきことを行っているだけだ。君が弱気になっていてはシグレも不安になってしまうだろう、班長」
ホムラは相変わらずの無表情だが、その声音は優しく諭すようだった。ホムラの言葉にトバリさんは暗い表情にわずかに笑みを浮かべた。
「そう…だね。キミの言うとおりだ、ホムラ。少年を守ると大口をたたいた矢先にそんなことを言っていてはだめだ」
彼女は両手で自分の頬をパシッと叩き、僕に顔をまっすぐ向けた。
「少年、キミを巻き込んでしまうとしても、キミを危険に晒すことは絶対しないと誓うよ。さ!ほかに質問はあるかな?」
トバリさんはにかっと笑って見せた。僕は彼女の笑顔にどきどきしながら、次の質問をした。
「えっと、トバリさんと…ホムラさんの任務って一体…?」
僕の脳裏にトバリさんと出会ったその時の光景がよみがえる。彼女が放った弾丸は正確に赤目の男、悪魔祓いとやらを撃ちぬいた。彼女の射撃の腕は彼女が訓練された人間であることを表している。そしてホムラの発言の中にあった「皆殺し」という単語。僕は彼らの正体が単なる保安組織ではないことを察していた。
「これを聞いたらキミはボクらのもとから離れたくなってしまうかもしれないね。でも全てを聞いたうえで改めてボクたちのもとに残るか決めてくれたほうがいい。少年、ボクたちが所属する組織の正式名称を教えてあげる。『九命猫対最優先事項部一課、カルト教団燦然世代残党謀殺部隊一班』これがボクたち特殊部隊の名前。セントラルエリアで無謀にも生き延びている奴らを、根絶やしにすることを任務とする暗殺部隊だ」
暗殺、その言葉が僕を貫いた。二人は人を殺すためにセントラルエリアにいる。予想はついていたが、改めて言葉にされると知ってはいけないことを知ってしまった気がして鼓動が速くなった。
「……残酷な人間だと思われてしまったかな」
トバリさんは苦笑いをした。彼女は度々自嘲的な態度を取ることがあると気づく。
「……あの、どうして二人は九命猫に…?」
重苦しい空気を断つため、僕は再三質問した。どうして彼らのような若い人間が暗殺を任されているのか疑問に思った。
「復讐のためだ」
トバリさんではなく、ホムラが僕の問いに答えた。彼の声音から、強い意志を感じた。
「俺はあのテロで大切な友人を殺された。怪我をして動けなくなった俺を逃がすため、彼は囮となって奴らの前に駆け出して行った」
ホムラが強く手を握った。手のひらが軋むような音がして、腕には血管が浮き出ている。彼の鉄仮面に変化は現れていないものの、彼が激しい怒りを抱いていることは一目瞭然だった。
「彼は爆破ではなく銃撃によって殺された。幾人もの狂信者に囲まれて、一斉に撃たれたんだ。……でなければあんな遺体になるはずがない」
ホムラはそう言うと糸が切れたように脱力し、項垂れてしまった。彼の様子をトバリさんが悲しげに見つめている。僕は大規模テロが彼に残した傷を目の当たりにして、言葉を失ってしまった。
「……俺は友人を失って、住む場所も失った。家族とは連絡が取れず、しばらくセレスチャルの臨時被災者施設で暮らしていた。そこへ『八咫烏』から九命猫入隊の誘いが来たんだ」
「やたがらす…?」
聞き覚えのない単語だった。トバリさんがすかさず解説をしてくれた。
「国家統率保安機関の愛称だよ。シンボルに三つ足の烏が描かれているからね。最近では公式に使用されているみたいだよ」
「これ」と、トバリさんはシャツからバッジを取り外して見せてくれた。確かに羽を大きく広げた三本足の烏が描かれている。まるで濡れているかのような艶を持った毛並みの烏が後光を纏いながらこちらを見つめていた。
「八咫烏は俺に九命猫の設立を知らせたあと、先程シグレに伝えたような話を俺にもしたんだ」
燦然世代と、暗殺部隊の結成。これを聞かされたホムラはどんな感情だったのだろうか。
「八咫烏はテロの混乱の中で燦然世代の姿を目撃した者を探していた。そして、その中から有志で奴らを殺したいと願う者を引き入れ、そうでない者は脳構造改造手術で記憶を消された。俺は恐れたんだ。当時の俺は愚かで、手術によってどこまで記憶を消されるか予想できなかった。もし友人が死ぬ瞬間を忘れて、彼が死んでしまったこと事実すら忘れてしまったら?そうなれば俺は俺の罪を償うことができなくなる。そして、自分を庇って死んだ彼のことを忘れてのうのうと生きる自分を想像して脳が冷えたんだ」
ホムラは涼しげなつり目を細めた。
「何より、俺は犯行当時の奴らをこの目で目撃している。今でもその光景を思い出すと腸が煮えくり返りそうだ。俺は彼の命を奪った奴らにおなじ地獄を味あわせてやりたい、そう強く願っていた。俺にとって八咫烏の訪問はこれ以上ないチャンスだった。国が俺に復讐の機会を提供してくれたんだ。だから俺は九命猫への入隊を承諾し、現在に至る」
ホムラは一通り話終わると、一息ついていつの間にか用意していた紅茶を飲んだ。僕は彼の話を頭の中で反芻した。ホムラの目的である燦然世代への復讐。この組織に入れば、僕も両親の仇を討つことができるのだろうか。考え込む僕の肩をトバリさんが控えめに揺すった。
「少年?シグレ少年!…大丈夫かい?随分思考に耽っているようだけど……。やっぱりこんな血生臭くて非道徳的な話、聞くに耐えなかったかな…?」
トバリさんはとことん自嘲的な人なんだな、と思った。自分の身の上話と同じ組織の仲間の話をそんな風に言ってしまうなんて。僕は彼女を安心させるため、本心を伝えた。
「そんなことないです。むしろ、二人の話を聞けてよかった。僕も組織に入って、復讐を果たしたいと思えるようになりました」
僕がそう言うと、トバリさんは大きな目をさらに大きくした。しばらく固まったのち眉尻を下げて僕に笑いかけてくれた。
「……そっか。少年がここにいてくれるなら、ボクは安心だよ」
トバリさんは僕の背に手で触れた。彼女の手の温もりは僕の身体中についた傷すら癒してくれるのではないかと思うほど、心地よいものだった。
「…!」
ホムラの携帯に着信があったようだ。彼は使用済みの食器をキッチンに運びながら、電話で誰かと話している。
「そうか。了解した。彼女は俺が迎えに行く」
そう言うとホムラは電話を切り、身支度を始めた。
「カスミからかい?」
「ああ。任務のせいで約束の時間に間に合わないと」
「なるほどね。気をつけるんだよ。コハルをよろしく」
ホムラは頷くと、部屋を後にした。彼を見送ったトバリさんが小さな声で話しかけてきた。
「…ホムラのこと、キミはどう思う?」
「ど、どう思う、ですか…。その、意外とおしゃべり?なんだなって、勝手に寡黙な人だと思い込んでたから…。あと、さっきの話を聞いてちょっと親近感が湧いたというか、ちゃんと人間っぽいところもあるんだなって思いました」
復讐に燃えるホムラは、僕の目に好印象に映った。トバリさんは僕の答えを聞いて「よかった」と言った。
「そう、ホムラはおしゃべりなんだよ。ああ見えて冗談で人を笑わせることもあるんだ。…勝手にキミが彼を怖がってしまうんじゃないかと思いこんでいたけれど、杞憂だったね」
ホムラについて語るトバリさんは、僕と話しているときには見せなかった表情をしていた。頬が色づき、とても嬉しそうにしている。
「彼は表情が乏しいけれど、冷たい人じゃない。そこは理解しておいてほしいな。これからきっと長い付き合いになるのだから、誤解がない方がいいだろう?」
僕はホムラを「トバリさんの部下」から「同じ志を持つ良い人」に昇格させた。
「それから、この組織には他にも仲間がいてね。カスミとコハルというのだけれど、」
そこまでトバリさんが言うと、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「!?」
バン、と大きな音を立てて開かれた扉の前に、肩で息をしている少年が立っていた。
「〜っトバリ!ホムラはどこだ?もう行っちまったか?!」
少年はこちらを見ると、大きな声でトバリさんに尋ねた。
「さっき出て行ったばかりだよ。入れ違いになってしまったようだね。それはそうと、帰ってきたのならばまず言わなければならない言葉があるだろう?」
トバリさんがそう言うと、少年は「ただいま!」とそのままの声量で返してきた。トバリさんはにこやかに「おかえり」と返す。
「随分急いで帰ってきたようだけど、ホムラに連絡を入れたのならその必要はなかったんじゃないかい?」
「あいつに電話したのは保険だよ。くそー、敵がちょこまか逃げやがってさ。大人しく死んでくれりゃ間に合ったってのに」
少年は首をゴキゴキと鳴らし、僕の隣にどかっと座った。かなりの音量の舌打ちをして、苛立ちを募らせたため息をついた。
(ガラ悪いな…)
僕は思わず少年と距離をとった。すると、気配を感じとったのか少年は僕の方を見た。彼と思いきり目が合う。
「……?おいトバリ。こいつ誰だ?」
少年はずいと僕に詰め寄ってきた。かなり無遠慮な彼の態度に思わずひるんでしまう。少年は僕の顔を凝視していた。
「こら、そんなにずけずけと詰め寄っては少年が怖がるだろう。彼はシグレ少年。今日セントラルエリアで保護した英雄様だよ」
「英雄だあ〜?」
少年はトバリさんの言葉選びに疑問を感じたのか、僕を怪しむように睨んだ。彼の視線から逃れたくて思わず顔を逸らしてしまう。するとトバリさんが少年の頭にチョップを下ろした。
「あだっ」
「まったく…。ほら、少年に自己紹介して」
少年は頭をさすりながら、不満そうにしている。
「なんでだよ。こいつも本部送りだろ?どうせ俺らのこと忘れんのになんでわざわざ…」
「少年はボクたちの仲間になるのだから、記憶を消されることはないね。ほら、これから行動を共にする新しい隊員に挨拶!」
「は…」
少年は10秒ほどフリーズしたかと思うと、驚愕の2文字を貼り付けたような顔で「はああ?!」と叫んだ。
2025年9月28日 誤字を修正しました




