9. 新しい人生が始まる
「英雄…?」
「そう、英雄!」
僕がトバリさんの言葉の真意を測りかねていると、ホムラが助けてくれた。
「君も九命猫に入る気はないか、と彼女は尋ねている」
「え!」
どうして僕が国家機関の組織に?僕なんか入れても何も役に立たないだろう。僕が動揺していると、ホムラが静かに話し始めた。
「…例によって君を本部送りにしても、君はおそらく理不尽に苦しめられることになる。君は本部の方針に従って記憶を消され、何もわからないまま周りの人間から好奇の目で見られることになる」
「記憶を消される…?」
僕がそう呟くとホムラは頷いた。
「『脳構造改造手術』を聞いたことは?セントラルエリアが秘密を抱えてから国家統率保安機関は民間企業が提供するこの手術を用いて、セントラルエリアの遭難者に適切に処置を施している」
ホーク・オルター…、認知症の改善に貢献したとして大きな賞賛を浴びている技術だ。僕はこの技術をよく知っている。確か、眠っている記憶を呼び覚ますことも、ある記憶をすっかり忘れさせることも可能なはずだ。
「セントラルエリアは原則立ち入り禁止だ。いくらここを拠点に活動しているからといって、俺たちのような若い人間がセントラルエリアにいるところを目撃されては、どうしても混乱を招いてしまう。だから今まで規制線内で保護した侵入者はもれなく本部で記憶を消去され、何事も無かったように都市で生活しているはずだ。今の都市にセントラルエリアの情報を流出させる訳にはいかない」
ホムラは淡々と説明を続ける。僕はこの話を聞いていていいのか分からなかった。
「…キミにこの話をしているのは、キミを家に送り返すわけにはいかなくなったから」
トバリさんが真剣な声色で話し始めた。
「いくらキミが規制線内に侵入したからといって、なんの考慮もなしに虐待の現場に連れ戻すのは、本意ではない。ボクらはセントラルエリアの番人だけれど、その前に大規模テロによって傷ついた人々を救うために作られた組織の一員なんだ。キミのように助けを必要としている人を規則によって突き放すようなことはしたくない。キミをこのまま本部に送ってしまえばキミは再びキミの叔父に虐げられ、かつ身に覚えのない出来事で非難されることになる。そうとわかってキミを苛烈な日々に放り込むのは…ボクの信条に反する」
僕の頭に電子の海に無限沸きする僕の姿がよぎった。きっと僕は多くの都市の人間に顔を知られている。
「だからボクたちとセントラルエリアに残って、寝食を共にしてほしい。キミを救うことに関してはきっとボクが適任だ」
トバリさんは僕に真っ直ぐな視線を向けた。
「…それにキミはボクに会いに来てくれたんだろう?ボクもキミを歓迎する。これ以上ないほど利害が一致していると思わないかい?」
「僕は…………」
トバリさんに会わなければいけない。そして彼女のそばにいなければならない。彼らの話が本当なら願ってもないチャンスだ。自分の使命を果たすと共に、あの地獄から開放されるのだから。僕は拳を握りしめ、顔を上げた。
「なりたい、です。トバリさんの仲間に…!」
僕の言葉を聞いて、トバリさんは安心したように息をついた。
「ありがとう、少年。キミのことはボクが守るよ」
トバリさんは僕の手をぎゅっと握り、穏やかな笑みを浮かべた。彼女の笑顔は月のように美しいと僕は思った。




