嫌われ猫
「こらぁー!待てぇー!!」
「あっははははー!またなーい!!」
騒がしい声が王宮騎士団宿舎の廊下を駆け巡っていく、お魚…ではなく仕込み途中のローストビーフの塊が入った袋をくわえたタマは縦横無尽に宿舎の廊下を飛び跳ね駆け抜けまっしぐらに逃げていく、それを追うのは王宮騎士団の五番隊隊長を任されている少女バナンだった
「全く騒がしい…一体これはなんの騒ぶげっ?!」
「わぁー?!」
「ごほぉっ!?」
ガチャリとドアを開けて出てきたクレタスの顔面をタマが踏んづけ、そして体制を崩してのけぞったその腹へとバナンの頭頂部が激突した
意図せぬ連携攻撃に肺の中の空気を全部外へと弾き出されたクレタスは顔と腹を抑えたなんとも間抜けな格好で床へと倒れ伏して悶絶する、しかしダメージを受けたのはクレタスだけではなかった様で遠距離戦闘を基本にするとはいえ王に仕える騎士団として恥のない鍛えられた成人男性の肉体に激突するには少女の身体はいささか体格が負けていた、バナンもクレタス同様に頭を抑えて痛みに悶えてうずくまった
「何やってんスか…!クレタスさん…!!」
「君がぶつかってきたんだろうバナン…!!」
「おわぁ〜」
天井に蜘蛛糸でぶら下がり左右にゆるーく揺れながら痛みに悶える2人を少し離れて見守っていたタマ、しかし好奇心は猫をも殺す…のんびりと眺めていたタマを突然2人がギンと睨みつけた
「【コールド】!!」
クレタスが詠唱すると同時に左右にぷらぷらと揺れていた糸が凍りついた、それに対してタマは「お肉が凍ったら美味しくない!」とローストビーフ入りの袋をくわえたままグッと上を…いやこの場合は上下逆さまなのだから下を見上げたとでも言うのだろうか?ともかく袋を出来る限り冷気から逃すために体を伸ばした
「クレタスさんコレ借りるっス!」
隙を逃さず一気に駆け出したバナンがクレタスからひったくったのは……
「バナン!それは今日おろしたばかりなのですが!?」
クレタスの懐に入っていたシルクの手袋だ
「『ウェポンマスター』……」
バナンが手袋をギュッと握るとその体がさらに一段階加速する、そしてまるで風に遊ばれる布のようにふわりと優雅に飛び上がり上下逆さまのタマの無防備な首に向かって…
「『シルク仕立てのおしおきビンタ』ッ!!」
ばっちぃん!!!
「ッッッに゙ぃ゙ぃ゙っ?!」
シルクの手袋とは思えない軽快で鋭い音が廊下にビリビリとこだました
バナンの持つスキル『ウェポンマスター』は人間種の種族スキル『才能』からしか発生を確認されていないレアスキル、その能力はありとあらゆる武器を達人級に使いこなすと同時にありとあらゆるものを武器として扱う
故にクレタスのおろしたて新品ピカピカのシルクの手袋すらも立派な武器であり武術、無防備に晒されたタマの首は一瞬で真っ赤っかになりシルクの手袋と全く同じ見事に真っ赤な紅葉型を刻みつけたというわけだ
「ふぎぃっ!!」
「もう、イタズラはダメっスよ、タマ?」
どたーん!と床に落下したタマから袋を取り返したバナンがタマに向かって指を立てて「めっ!」と窘めると構ってもらえて満足したのかタマはヒリヒリとする首をすりすり撫ぜながら「あーい…」と返事をした、その反省してるのかしてないのか分からない態度にバナンは不満げな表情でふんと鼻を鳴らした
「…で、なんの騒ぎだったんですかコレは。」
「あぁクレタスさん、手袋ありがとうございましたっス。実はタマの世話を殿下に頼まれたんスけど、正直何をどうすれば〜って感じであーし困っちゃって…」
「全く…本来の用途で本人が使用する前にとんでもない用途で他人に使われるだなんて上等なシルクが泣きますよ…!
それで、対応に困ったのがどうして袋を咥えたタマとの追いかけっこに繋がるのですか?」
「それが……へへへ」
バナンの語った敬意にクレタスは頭を抱えてため息を吐かざるを得なかった
曰く頼まれたはいいが訓練への参加は二番隊で、王都の見学と教育の一環として買い物に連れていくのは三番隊、目一杯遊んでやるのは四番隊がやったのは報告書で把握済み…となると何をやればいいのか良い案が浮かばなかったのだ
彼女が率いる五番隊は事情持ちの巣窟…バナンが管理統制して半ば更生施設と化しているがそれでも所謂“輩”なタイプが多い、それは報告書にあったタマの事情を鑑みて好ましくないと判断した彼女は何を思ったかとりあえず自分の趣味に付き合わせる事にしたのだそうだ
「……って感じで、何食べたい〜って聞いたら元気に『おにくぅ!』って言われて、あーしもこんな素直でかわいい反応が返ってくると張り切っちゃうわけでしてぇ…それでローストビーフを作ったんスけどぉ…」
「肉を寝かせる工程があるのを忘れて、美味しそうな肉の塊を前に我慢できなくなったタマに強奪され追いかけていた…と」
「ご明察!さすがクレタスさんっスね!」
「ご明察じゃありません!監督不行き届きですよバナン!!」
「ひぃぃぃ!ごめんなさいっス〜!!」
「あわぁ〜」
しっかりタマの手綱を握っておきなさいとみっちり注意されたバナンはローストビーフの入った袋を担いでトボトボと厨房へ戻る、そして状況がよく分かっていなかったタマもクレタスに「あまりバナンを困らせないであげてください」と注意を受けてそこでただ遊んでもらっていたんじゃないと理解して大人しくバナンの後ろに続いた……10歩ほどだが。
「……ちょうちょ」
ヒラヒラと飛んでいった蝶々に付いていく姿は100センチにも満たないタマ相応なのだが意気消沈のバナンの耳はタマの発した小さな好奇心を拾うことはなく、彼女がまたタマが居ない事に気づいたのは厨房に入ってからだった
「……なんでぇぇ?あーしなんかしたぁ…?」
半べそになりながらも袋をキッチンのテーブルにどん!と置いてバナンは来た道を戻る、幸いな事にきゃーきゃーとはしゃぐ子供の声が聞こえてすぐに目的のタマは見つかる
中庭には蝶々相手にぴょんぴょんと飛び跳ねてじゃれつくタマとそれを横から笑顔で見守るシャリーが居て、バナンに気づいたシャリーは小さく手を振った
「シャリー、タマを捕まえておいてくれたんスね、ありがとうっス」
「いえいえ、私は偶然通りかかっただけでタマ様はずっと蝶々と戯れていましたよ?」
「あぁやっぱ途中ではぐれて……こら!タマ!なぁんであーしのそばからそう簡単に離れてっちゃうんスか!?」
「んぇ?……あぁ〜!」
「なんスかその『そういえばそうだった!』みたいなリアクション!あんたあーしの事ナメてるっスよねぇ!?」
「…………???」
何やら怒っている様子のバナンの言葉に小首を傾げてハテナマークを飛ばしながら、恐る恐るタマはぺろぺろと己の手を毛繕いした
「ベロじゃなくて態度の話をしてるんスよ!あーしの言う事聞いてくださいっス!!怒られるのあーしなんスよ!?」
「まぁまぁバナン…そう怒らないで?」
「シャリーは昔から小さい子に甘いんスよ!孤児院でだってそれが原因で床に固定されてたパイプオルガンを机でも運ぶみたいによいしょって持ち上げるまでナメられてたじゃないっスか!!」
「おっ、オルガンを持ち上げちゃった事はもう忘れてくださいっ!!そもそも!あれはスキルが原因で……」
やいのやいのと言い合う2人の横で蝶々に飽きたタマは小さく丸まってくぁぁとあくびをしていた
2人はかつて同じ孤児院で過ごした時期がある、シャリーは職員として、バナンはそこに世話になる子供の1人として…
当時バナンは自身の『才能』から変化した『ウェポンマスター』に振り回される日々だった、パッシブなスキルである『ウェポンマスター』は本人の意思とは関係なく何か握ればそれを武器にしてしまう、そのせいで日常的にバナンの動作や思考はスキルのせいで戦闘に関するものへと無自覚に寄っていき他の孤児たちと喧嘩になることも多かった
そこへ現れたのがシャリーだった、最初は物腰柔らかでお嬢様丸出しな彼女をバナンは下に見ていたがある日それは起こる
『おいおい、ガキがまだ起きてんじゃねえか…』
夜盗だった、たまたま目を覚ましてトイレに行きたかっただけなのにバナンは夜盗に目をつけられてしまった
孤児院如きで夜盗が何を盗むのかと思うかもしれないがバナンの居た孤児院は裕福とは言わないが特別貧乏なわけでもなかった、適度に家具もあれば売れば金になる…例えばパイプオルガンの上質な金属だとかがあるのだ
ナイフを向けられバナンは怯える、しかし『ウェポンマスター』はそれを許さない。自身への敵意を察知したスキルは咄嗟に手に握っていたロウソクを夜盗の目に突き立てたのだ
『熱ッ!?テメェガキいッ!!』
ロウソクの火と眼球が潰された事による痛みと熱に夜盗は怒りをあらわにした、ロウソクは既に手からこぼれ落ちて勇敢な『ウェポンマスター』は無責任にも手元を離れた、丸越しのバナンというただの怯える少女だけがその場に取り残されて夜盗の振り上げたナイフが彼女の柔らかな肉を切り裂こうと迫る…その時だった
『やめな……さいッ!!』
夜の孤児院に響いたその声は轟音と共に夜盗を窓から外へと弾き出し、それでも収まりきらない衝撃はその身体をゴロンゴロンと地面の上で乱回転させた
『なんだなんだ?…チッ、あいつ気づかれた上にあんなひょろい女に…』
『おいおい嘘だろ?10メートルはぶっ飛んでんぞ、あのネーチャンは魔物のハーフか?』
ゾロゾロと暗闇から現れたのは10人を超える柄の悪そうな夜盗…窓の向こうでぐったりと動かない仲間と状況に対してそれぞれなリアクションをしながらも共通しているのは明らかな害意と凶器だった
……のだがシャリーの『剛力』の前には儚き塵と同じ、襲いくる夜盗を千切っては投げ千切っては…いや衣服しか千切れてはいない、中の肉は知らないが少なくとも見た目的には服しか多分千切れていない…はず?
……ともかくシャリーはあっという間に夜盗を制圧、バナンはその事件から自身の力でもある『ウェポンマスター』に振り回されないように、何より誰かを守れる自分になるために力を磨き続けてついに王宮騎士団五番隊の長にまで登り詰めたのだ
「あーしが面倒見るからには上下関係はキッチリと!好き勝手したかったらあーしに勝ってからにして欲しいっス!!」
「かったらあそんでいい?」
「……やっぱナメてるっスよね、お前。」
売り言葉に買い言葉…この場合はバナンの暴走でもあるがケンカを止めようとしたシャリーの頑張りも虚しく血気盛んな五番隊がやんややんやと焚き付けて結局シャリー立会いのもと一対一でのケンカが五番隊の訓練所で始まろうとしていた
「本来ならこれは五番隊の通過儀礼、真剣勝負して負けた方が勝った方の舎弟っスよ」
「しゃてー?」
「子分になるってことっス、もちろん常識の範囲内っスけどざっくり言えば飼い主とペットみたいに上下をはっきりさせるんスよ」
「わ、かった…?」
徹底的な実力主義、それが問題児の更生施設とも呼ばれる五番隊のルールだ
問題を起こすような血気盛んな輩はバナンの提案を断りはしないしそもそも拒否権などはない、そして幼い少女であるバナンを見てナメた者から叩きのめされて彼女の圧倒的な実力に惚れ込むわけだ
共通の強敵に負けた舎弟たちは同一の目標や憧れを共有して結束し、バナンの指示に従い国と民を守る…その小さな身体で力を示し仲間を従える姿がバナンをポーンであると同時に勇者と呼ばせた
「時間無制限、武器もルールも無制限…命さえ奪わなけりゃなんでも有りっスよ」
「んー?……んー…わかった!」
本当に理解しているのだろうか、そう思おうとわざわざ親切に聞いてなどやらない。戦場に限らずとも日常に突然降って湧いてくるように現れる命のやり取りはいつだって無制限であり、不意打ちであり、そして真剣で貪欲な方が勝つのだから
既に2人を囲うようにたくさんの槍や剣が収められた木箱や弓矢のセット、変わった物ではモーニングスターやハルバードに異国から取り寄せたカタナ、さらには長さが異なる魔法を補助する杖までもがズラリと用意されている
「それじゃあ、始めますよ〜」
シャリーがその手をスッと上に上げると同時にバナンは重心を後ろへとシフトしながら片足に体重を乗せつつ体の反転を始めている、狙うは身軽に戦える短剣が収められた真後ろの木箱——
「はじめっ!!」
手が下ろされて勝負が始まるよりワンテンポ速く、バナンは後ろに飛ぶように駆け出す。チラリと視線をタマへと向ければ彼は興味津々な様子でたくさんの槍が収められた木箱を物色している
それを鼻で笑ったバナンは木箱を飛び越えながら目当ての短剣2本を素早く引き抜くと木箱を遮蔽物にしながら構えをとる
「——危ない!!」
「っ?!」
前髪が何本かハラハラと舞う、文字通り間一髪で空を切り裂いたのはタマが物色していた木箱に入っていたはずの槍だった
「いくよー!」
無邪気にそう声をかけるタマの前には地面に突き立てた2本の槍の間に糸を巡らせた即席のスリングショット…人によってはパチンコと言った方が伝わるだろうか、粘着性のある糸で槍を固定して伸びる糸を引き絞り発射する、至極単純なそれは端と端にまで距離を開けてもせいぜいが200メートルも無い程度の広さしかなく木箱程度しか遮蔽物のない訓練場の中では脅威極まりない極悪非道の発射装置となる
「見物人に当たる!それやめろっス!!」
「だめ?」
「そんなの当たったら死ぬっスよッ?!」
「……そっかあ」
既に周囲で見守る何人かが流れ弾ならぬ流れ槍を避けきれず怪我をしているのが視界の端に映っている、だというのに目の前にいる小さな猫は本気でよくわからないが怒られたからダメなんだろう程度の態度だ
「(やっぱコイツは指名手配犯、“蜘蛛猫”っス…!!みんな絆されてるっスけど最悪ここで始末をつけて——)」
「じゃーこっち!」
「くっ!!」
真っ直ぐに発射された糸が短剣を2本とも絡めとる、咄嗟に手放すがそれはつまり『ウェポンマスター』のブーストが消えてしまうということ…初手の槍はスキルのブーストで得た反射神経とスピードがあったからこそ回避できたのだ
「一旦武器を…!」
「あげるー!」
「きゃあああっ!?」
なんでもいいから武器を…そう考えて手を伸ばしていたバナンに向けて武器が入ったままの木箱が投げつけられ中に収められていた剣が飛び散る、当然訓練用の刃を潰したものではあるがそれでも怪我をしないわけでも絶対に刺さらないわけでもない
金属が暴れ転がりぶつかり合うけたたましい音を巻き散らしながらバナンとその周辺にいた見物人を襲う
「(もうなんでも良いッ!!)」
そんな中で咄嗟に掴んだのはベルト付きの剣の鞘だった、鞘と剣の変則2刀で戦う犯罪者がいた事から追加された物だが残念ながら中身はすっぽ抜けて不在で鞘のみ…だがそれでも『ウェポンマスター』ならば一切の問題はない
それを掴んだ瞬間に再び目覚めた『ウェポンマスター』はバナンの思考を加速させる、一瞬のうちに宙を舞う剣の本数が13本であるのを確認、既にリーチの中に収まっている4本を瞬く間に叩き落とす
「ッハァ!!」
次いでパチンと鞘の上と下を結ぶベルトの下側を外して鞭のように振るいつつ後ろを振り返れば、確認した13本とは別に既にバナンの横を抜けて視界外にいた5本のうち2本をなんとか叩き落とした
そして手元へ戻ってきたベルトの先端をキャッチすると同時に今度は鞘側をリリース、リーチ内へと飛び込んできた残りの9本から7本を空間ごと薙ぎ払って弾き飛ばし、1本を足で蹴り返しながらラストの13本目を鞘でキャッチして収めた
「おわわわっ!」
予想外に蹴り返された剣をブリッジして避けたタマは慌てて倒した体の勢いを殺しきれずぺシャリと大の字に崩れ落ちる、そこに敢えて追撃をせず…バナンは怒りを露にした
「“蜘蛛猫”ォッ!やっぱお前は命を奪う犯罪者なんスね!!」
「???」
「すっとぼけた顔したって無駄っスよ!あーしを殺そうとしたのはまだ許せるっス……でも!でも見物してたやつらを狙うのは卑怯っスよ!!」
「バナン…?えと…えと…ごめんなさい?」
「ごめんなさい?!ふざッけんじゃねえっスよ!!ごめんで済んだらあーしら騎士団は要らねえってんスよこの殺人犯ッ!!!」
吠えるように怒鳴るバナンに気圧されてタマは困惑の表情で慌てる、だがバナンにとって当たり前のモラルというものはタマにはまだ無い
ゲドゥー達によって徹底的に都合の良いように産み育てられたタマに命の尊さなど教えるわけがない、彼らがタマに教えたのは命の奪い方だけで奪われ方すらも知らない…アンドリュー達が教えるまでは碌に食事というものすら知らなかったのだ
「やっぱお前はさっさと始末しておく方が良いっス!無知は同情を太らせるエサじゃねえんスよ!!」
タマにはバナンがなぜ怒っているのかは理解できない、戦えと言われたからいつも通りにやっただけ…他の隊でこの状況に至らなかったのは隊長格達が上手く舵を取っていたりその状況にならないよう監視と管理をしていたからだ
「武器をよこせっス!!」
「あ、姉御!落ち着いて……」
「黙るっス!今ここで殺人犯“蜘蛛猫”の討伐を行うっスよ!!こいつは生かしておく理由が無いっス!!」
「しかし……」
「…もういいッ!ナマクラだろうと『ウェポンマスター』ならギリ殺せるっス…!!」
殺す…ころす…
それを言われて“それ”はやっと理解した
なるほど、何かをしくじったかはわからないけどいつも通りこれからそれは殺されるんだ!
地面に寝転がったままなのは都合がいい、それは大の字に手足を伸ばして殴りやすいよう体の力を抜く…こうすると柔らかくなってパパたちが喜んだ
「なんスか…!!なんスかそれ!!」
「?」
こうじゃなかっただろうか、じゃあこっちかな?
それはすっくと立ち上がりバナンへ背を向けて両手を上に向けて直立する、いつもみたいに鎖で吊るされたりはしていないからなんとも間抜けな気もするが五体投地かこの間抜けな鎖吊りしか知らないのだから我慢してもらうか好きなように転がしてもらうしかない
「無抵抗で…!また同情誘ってんスか!?わたしかわいそーってしとけば相手が許してくれるとか思ってんスか!!」
「う、ごめんなさ……」
「黙れえッ!!!」
投げつけられた鞘が背中にぶつかる、骨が軋むような鈍い痛みと肉にジワリと広がるジクジクとした痛みにそれは思わず安堵の笑みをこぼした
あぁやっといつも通りになった、やっぱりこっちのほうが慣れているから落ち着く…美味しいご飯や楽しいお喋りや愉快な遊びも良いが誰かの役に立てると、何も教えてもらえないそれにとってよく見知っているコレが1番満たされる
「ヘラヘラ笑って…!!」
「やめなさいバナン!!!」
「何スか!放せっス…!コイツ本性現したんスよ!?」
ズンズンと怒りを乗せて地面を踏み締めタマに向かって剣を振り上げたバナンを止めたのはシャリーだ、『ウェポンマスター』のブーストがあろうとも力に特化した『剛力』には勝てない
バナンはシャリーを振り解こうともがくが流石にびくともせず振り解けないと理解する、そうなればあとはずっと内に押し込んでいた不満をぶちまけるしかない
「今後そいつみたいなやつ全部保護するんスか!?ここは託児所じゃねえし介護施設でもねえんスよ!!」
当たり前だ、王宮騎士団は国の有事に対処し、国内の治安を維持するため犯罪者を取り締まり、そして第一王子であるアンドリューの威光をもって平和を守るための組織であってタマの保護はあまりにもその境遇を気の毒に思いゲドゥーの非道に怒りを抑えきれなかったアンドリューの独断である
「どいつもこいつもソイツに絆されて!無知で無垢なら何しても許されるんスか!?ソイツ殺人犯の“蜘蛛猫”っスよ!?」
タマが殺した人数は決して少なくはない、人数に限らず命を奪う行為は大罪だがその人数が多ければ多いだけ与えられる罰を増やす要因になるのは当たり前だ
隊長格はバナン以外“蜘蛛猫”を受け入れた、だがバナンにとってはそこから既に理解不能だ
無垢とは決して免罪符ではないし、免罪符となってはならない。それがバナンの考える“正しさ”であり、同時に世間一般における常識であるべきだろう
「お前の態度も気に食わねえんスよ!!ヘラヘラして!どうせ殺したいんだろ!あーしのことも殺してみろっスよ!!」
ぴくん
殺してみろ、ころしてみろ……
怖い顔、怖い声、殺す…それが揃ったのなら多分バナンも“パパ”のともだちだ!
「わかった!!」
奪った短剣を握り直して“蜘蛛猫”は駆け出す、一瞬で距離を詰められたそのスピードもバナンの『ウェポンマスター』にとっては対応に難しくはない…だが正面からバナンを止めにかかっているシャリーはどうだろうか?
無防備に晒した背中、振り上げられる短剣、そしてシャリー諸共バナンを仕留めにかかるその瞳は純粋無垢に輝いて久しぶりに“おつかい”を言い渡されて嬉しそうに見開いていた
「シャリーっ!!」
咄嗟にシャリーを突き飛ばして短剣を防ごうとする、だがバナンが突き飛ばそうとするよりも早く…スッと短剣に合わせて掲げられたシャリーの腕が短剣の刃を受け止めていた
「えっ……?」
「タマ様、もう“おつかい”はずっとお終いですよ?殿下と約束をしたのではありませんか?」
「んえ?あぁ〜〜〜……あぁー!」
「ふふっ、でしょう?バナンはタマ様が危ない事をしたから怒ったんです、ごめんなさいしましょうか」
「あいー…バナン、ごめんなさい」
「えっ…あ、いや…えっと……」
「ほらタマ様、周りの方々にも怪我をさせてしまいました」
「ごめんなさい…」
素直に、本当に素直にタマは頭を下げる…終始狂気も害意も浮かばなかったその顔は今は心底申し訳なさそうに耳も顔もしゅんとしている
本気で害意は無かった、そう感じて周囲の隊員たちも「おう、次から気ぃつけろよ!」と返している中でバナンだけが突然振り上げた拳を降ろす先を取り上げられてタマを睨みつける…それに怯えたタマがシャリーの後ろに隠れたことで燻るようなところまで収まり出していた火が再発火する
「またッ…!!そんな被害者みたいな面して——」
「バナン。」
静かな声色、しかし強い圧を感じる音だった…それを発したのはシャリーだ、バナンが記憶している限りでは彼女が咎めるような強い語気で話す時は「いいから話を聞いて」の合図だった
「タマ様の保護を行なったのは何も同情だけではありません、治安を維持する意図もあれば真に悪意ある犯罪者が次の“蜘蛛猫”を生み出さないためという意図も含まれているのですよ」
「だけど…!現に今こいつは!」
「悪意を持った存在に産み落とされ、悪意だけを詰め込まれ、悪意で捻じ曲げられた知恵だけを注ぎ込まれたが故の過ちと無知をただ法に押し込め断罪するだけで良いのならば私たち王宮騎士団は、正義は必要ではありません…」
「ッ、でも!!」
「しかし何も考えず許すだけでも足りません!罪は罪、命を散らした者の為にも無かった事には決してしません…!
ただ無かった事にしない為に、その為にまずは無垢な無知を正す必要があるのです!」
「ぐ、うぅ……」
バナンは別にタマを恨んでいる訳ではない、仲間を傷つけられその危険性を目の当たりにしたが故の防衛本能に近く、また王宮騎士団という組織に属するが故の思考でもあり、そもそも主張自体は正しいのだ
だが多少脛に傷のある者にだってやり直すチャンスを与えるべきだと思ったからこそアンドリューの許可を得てバナンは五番隊に更生の余地がある者の受け入れ先とした…しかし“更生の余地”というのは自分が道を踏み外した自覚が無ければ生まれない、どんな異常者でも踏み外してしまう道そのものはどういう認識であれ存在を知っているものだ
「今までに関わった事の無いタイプですものね、タマ様は…」
図星だ
タマのような道を外れた自覚も無ければそもそも道自体を知らないなんていう道の外からスタートさせて道の存在をわざと認識させないまま生きてきた存在というのはよほどの無茶苦茶をしなければ生まれないが故にバナンにとってはタマが初めて関わる特例の存在だった
だがバナンが関わっていないだけで特例中の特例は何もタマが初めてというわけではない、今までもそういった特例達自体は居た…しかし彼らは酷く短命だった
命令を遂行できないと知れば自爆や自害を選び、奇跡的に生きたまま保護できたとしても知性も知識もない獣のような状態の者がほとんどで手厚い保護にも関わらず何故自分が生き絶えるのかも理解できないまま命を落としていく…
だから知性も知識もあり、かといって自死を望むでもなくただ無垢で無知なだけの特例中の特例はタマが初めてだ
「すぐに理解は出来ません、もちろん理解できるまでは償いに自覚も無いでしょう…それでもただ魔物を排除するように罪を裁く傲慢な存在にならない為、私たちが見守り育てる必要があるのです」
特例の多くは被害者でもある、だからこそタマをサンプルとしてでも対処法を探るために飼い慣らせるならば飼い慣らしてしまいたい…タマが成功例の一つとなれば今後遭遇することになるであろう特例達を救える可能性はグンと上がるのだ
「…………。」
「バナン……」
時には優しさや厳格さとは違う、盲目的で一方的で一般的な個人の価値観を求められる事がある
バナンならば彼女の中に未だ残る未熟な部分に押しつぶされる事なく己の力で答えを切り開けると信頼して、そうなるだろうと賭ける価値があると判断したからこそアンドリューは彼女に五番隊を任せた
「……部屋に、戻るっス。悪いっスけどあーしは“蜘蛛猫”の監視業務に不適任のようなので任を外しておいて頂きたいっス」
「バナンっ!」
「…これがあーしなりの、そいつとの関わり方っス」
そう言って拳を握り締め宿舎へと1人帰っていくバナンをその場にいた全員が見送る他なかった
賭けはハズレ、特例を受け止めるには彼女の正義は純真過ぎたようだ




