追いかけっこ猫
「やぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「お待ちくださいタマ様〜〜!!」
バターン!とドアを開け放ち部屋から逃げ出すのは少年にも少女にも見える幼い子供…彼はほんの少し前までは“蜘蛛猫”と呼ばれ悪徳貴族と愉快な仲間たち、それとマッドサイエンティストに利用されてこの王都を騒がせていた暗殺者だった…その“蜘蛛猫”は今は名をタマと名を改めてこのセカンド大陸の王族であるエルセルディティア家の第一王子であるアンドリュー殿下の保護下で暮らしている
「お待ちになってくださ〜〜〜い!!」
「やだぁーー!おべんきょ、おべんきょやだぁぁぁぁぁぁ!!!」
そんな“蜘蛛猫”改めタマを白銀の長いストレートの髪をたなびかせ追いかける青い瞳の美少女は王宮騎士団二番隊隊長のシャリー・サンティスだ
かつて修道女であった彼女は教会のシスターとしての職務と教会の隣にある孤児院で事務と雑務を兼任してこなす女性だった、その女性の平均身長程度しかない身体にスキル『剛力』を宿し全長5メートル以上はあるオルガンを運んだり、中身のぎっしり詰まったタンスを運んだり、事務仕事の傍らで他の職員に茶を淹れる気遣いを見せたり、庭の邪魔な木を引っこ抜いたりしていた
しかしある夜、教会に忍び込んできた15人の手練れの夜盗集団をボッコボコのメッチョメチョにして王宮騎士団まで1人で引きずってきた腕を見込まれてスカウト、これもまた神のお導きと素直にスカウトを受けた彼女は王宮騎士団を三足目の草鞋と考えていたが流石にアンドリューが孤児院と教会の管理を買って出た
郷に入っては郷に従え、騎士団であるのなら騎士道を身につけねばならず騎士とはきっと厳格な人間であるべきなのです!と張り切って言い切った彼女は生来の生真面目さと勤勉さをいかんなく発揮して半年と経たずに最も厳格さと騎士道精神を重んじる二番隊の隊長という立場にそっと押し込まれた
「今日こそこの騎士教本に記された騎士道をタマ様にも理解して頂きたいのです〜!!」
「やっ!!いやっ!!きらいっ!!」
「嫌い?!そこまで仰らなくてもよろしいではありませんか!?」
「うぅぅぅぅぅ…いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
騎士道精神とは言うが実際のところシャリーに騎士道精神があるかは危うい、ただ彼女の性格と実力を鑑みると二番隊が適任、そしてスキル『剛力』の圧倒的パワーと訓練に真摯すぎるほどストイックに打ち込む彼女が実力を異常なほどメキメキと伸ばして他の隊員をぶちのめし隊長となるのは自然な流れだった
「私!本日からタマ様の教育係を殿下から拝命いたしましたのにー!!」
そんなシャリーは今日の朝アンドリューに呼び出されタマの“世話係”を任命された、密かにかわいいもの好きなシャリーはこれに喜んだがタマにとって彼女の行う世話は退屈でしかない
そもそもタマの中でシャリーは『寝る前になんかよくわからない小難しそうな本を読み聞かせてくる人』以上の認識はないし、彼女はそれに気づいていない
ただ不器用でただまっすぐ押す事しか知らない彼女は勉強というコンテンツをゴリ押し、そして今に至るというわけだ
「どうしても『騎士教本』ではお眠りになってしまうタマ様のために!私本日は『モンキー種でも兄貴の言っていることが言葉でなく心で分かる騎士道入門~キミが泣くまで鍛錬をやめないんだよォ編~』を持ってきたのです!!お部屋で読みながら鍛錬を致しましょうタマ様〜!!!」
「い、イヤっ!イヤァァ!!」
小さくて可愛らしい生き物のように拒絶するタマはその身体能力を本気で発揮しているがシャリーを引き離せない…それどころかどんどんとその差は縮まっている上に彼女はまだ本気で走ってはいない
「タマ様!何が嫌なのか言ってくださらないと!私どうしていいのか検討も付きません!!」
「うぅ〜〜……つまんない!!!」
「……見当も付きませんの!!」
さらりと聞こえなかった事にした彼女を見て分かるだろう、生真面目だがロボットのように正確で厳格なのではない、例えるのなら彼女は合唱コンクールでめちゃくちゃ腹から声を出すけど張り切り過ぎて声がひっくり返る…元気にポンコツな副委員長的な存在なのだ
「見当が付きませんので…実力行使させて頂きます!!」
そう言ってシャリーはぐんと姿勢を低く落とす、床を掴むようにしっかりと踏み締め目標であるタマの背中をロックオン…そして一気に溜め込んだ力を解放するとただ適度な力加減の中の全力で“立ち幅跳び”をした
真横へと落下していくかのように地面と平行に加速した彼女は空中でタマを優しく抱きしめると床をキュイーっ!と鳴かせながらブレーキをかけて優しく微笑んだ
「ふっふっふ、捕まえましたよ」
「やだぁぁぁ〜っ!おぉぉぉぉアぁあぁあぁあぁあぁあぁぁぁ〜!!!」
「暴れても放しませんよ!さぁお部屋に戻って教本から騎士道を学びましょう」
「わかんないー!!」
「…そんくれーにしてやったらどうだ?」
「きゃあっ?!」
不意に背後から声をかけられシャリーはタマを抱えたまま驚きの声を上げる、横抱きにされたタマは声の主を匂いですでに見つけており驚いた拍子に緩んだ拘束を抜け出してそちらへとトタタッ走った
「たっでぁー!」
「よっ、元気そうだなタマ」
「げんきー!」
彼は三番隊隊長のタッディア・アイグリム、王宮騎士団の中で初めてタマの世話係を担当した隊長であり騎士団の中でタマがなついている相手ランキングでアンドリューを抑え堂々1位の男だ
「アイグリム様、私は今タマ様に騎士道が何たるかをですね…」
「シャリー嬢は真面目だねぇ…ただ騎士道ってのは押し付けるもんでもねーだろ?」
「ぐっ…それは、そうですが…」
「タマも本気でアンタがイヤで断ってるんじゃないさ、買い物の仕方も知らなかった小さい子供に騎士道ってのはちーっとばかし難しくて退屈なんだろうよ」
腰にしがみつくタマの頭をくしゃくしゃと撫で回すタッディアのことがシャリーは苦手だった、ただ苦手だと思う原因はタッディア本人ではなくシャリーが大人の男性という存在に漠然とした苦手意識を持っているが故のものだ
タッディアもそれを彼女の態度から何となく察していて、またシャリーも“察されている事”を察している…ただこの異性への苦手意識なんてものは性別問わず大体の人間が抱えていたり通ってくるものだろうと割り切れるタッディアに対して、シャリーはその生真面目な性格から「ぼんやりとした苦手意識を相手に示すのは失礼だ」という感覚から緊張と申し訳なさに苦労している
「…そう、ですよね。すみませんタマ様…追いかけ回してしまって、怖がらせてしまいましたね…」
彼女は『剛力』である、だがそれはメンタルの強さとは関係がない
教会も孤児院も王宮騎士団も言ってしまえば“まともな場所”であった、本人のまっすぐな性格も合わさって彼女の騎士道はまだあまり汚れていない…言ってしまえば幼く、未熟なのだ
もっと端的に言えば気を遣いすぎる上にメンタルが弱い
「まぁまぁそんな落ち込むなって、タマも追いかけっこは楽しかっただろ?」
「んーーー……たのしかった!」
「ほーら、な?タマはまだお勉強よりかけっこのが好きってだけだ」
「はい…」
だがシャリーがタッディアを苦手に思うのは最近になって急に態度が軟化したことも原因だった。以前はこんな風に優しく諭すような事はしてこなかったし、そもそも二番隊と三番隊は仲が悪かったのだ
真面目で規律を守りたいタイプが集められている二番隊、そんな真面目な彼らでは対応に困ってしまうような案件を柔軟かつ臨機応変に対応する三番隊とは根本的に性格が合わなかった
だがとある時期…というか三番隊がタマの世話を引き受けて彼らは年相応に活発にはしゃぐタマの世話をする内に秘められていた父性や母性が開花してしまったのだ、おかげで「あらあらウフフ」とでも言いたげな懐の深さを得てしまった二番隊に対してかつてはちゃらんぽらんだと彼らを罵っていた二番隊はますます苦手意識を拗らせた
火花散らす関係だった者達の片方が急に相手を受け入れ始める、バランスが崩れて変な拗れ方をするのは明白だった
「でもシャリー嬢、二番隊が生真面目な奴らだってのは俺も知ってるが追いかけ回してまでお勉強させようってのはダメだったよな」
「はい……すみません、タマ様…」
「あぇ?」
「でも本人が分かってねーからこの話はここで終わりっ!……あっそうだ、二番隊のやつら庭に出してくれよシャリー嬢」
「はえ?」
話を強引にまとめたその言葉が理解できず間抜けな声を返してしまうシャリーを無視してタッディアは「ほれ行くぞ〜」と強引にその背を押して庭へと向かう、外で遊ぶのだと理解したタマも「いくぞー!」と元気いっぱいだ
「ほら、二番隊集合は、訓練場に〜っと」
「あぁちょっと!勝手に何を…」
「しゅっこー!」
「はははっ出発出航〜!」
「話を聞いてください?!」
ぐいぐいと背を押され困惑するシャリーからサッと連絡用魔道具を抜き取ったタッディアは隊全体に「訓練場に集合」の合図を送ってしまう、にわかにざわめき出す二番隊の隊舎からチラホラと人が出てきてタッディアに押されるシャリーを見て困惑の表情を浮かべた
その集団の中から1人、背の高い金髪の青年が見るからに気難しそうな不機嫌な顔で3人の元へと歩いてくる…彼は二番隊の副隊長でありシャリーに負けるまでは隊長だった男、ギリーだ
「隊長、これは一体?」
「ワリーな、呼んだのは俺だ。ちょっくら追いかけっこでもしようと思ってな」
「追いかけっこ…?!失礼ながら三番隊の隊長殿、我々はこの王宮騎士団に遊びに来ているわけでは…」
「おやぁ?天下の二番隊副隊長様は追いかけっこで負けるのが嫌だから逃げるのかなぁ〜?」
「ッ!…ただ遊んでいる時間はない、それだけの事だ。最近になってやっと人並みの落ち着きというものを覚えられたよちよち歩きの三番隊とは違ってな。」
あからさまな挑発にギリーは苛立ちを腹の底へと押し込みながらタッディアへ一つ皮肉を返すとできる限りシャリーだけが視界に入るように向き直り…そして彼女にひっついている小さい子供に気がつきギロリと睨んだ
「…コレが例の、ですか」
「おはよござまいます!」
「もう昼だ、そして挨拶をしたいのならばキチンとしろ」
「えっと、えっと…こんちわごます!」
「タマ様、“こんにちはございます”では?」
「いや“こんにちは”だけでいいだろ」
「……それで隊長、これはどういう状況なので?」
ギリーは眉間に寄ってしまった皺を指で揉みほぐしながらタマの事も視界から除外する、気を張りなおしたせいかさらに圧の強くなったその態度にシャリーは少しだけ怯えを感じるがなんとかアンドリューからタマの教育係に任命された事とここに至るまでの過程を話す…
「…事情は理解しました。おい三番隊隊長殿、“コレ”は二番隊で預かった案件だ、さっさと自分の隊へ帰れ」
「あぁ?」
「隊長困ります、貴女はこの二番隊の隊長なのですよ?その自覚を持って己の行動を決め、心を律し、民の手本であり、そして薄汚い悪党共が唾棄したくなるような正しい人間で在らねばなりません。」
「それはっ!……は、はい…すみません…」
別にシャリーが二番隊の隊長へ登り詰めたのは昨日今日の話ではない、すでに半年以上の時が経っているがそれでもギリーからの叱責は絶えなかった…だがそれは自分が至らないからだとシャリーは自覚しているしギリーの言葉には怒気はあれど理不尽は無い
だがそういう正論に待ったをかけるのがこのタッディアという男だ
「おいおい子供の前で大人が説教すんなって、みっともない」
「お前の隊のようなちゃらんぽらん集団と違って二番隊は規律を重んじるというだけだ」
「規律のためにモラルが犠牲になってるって言ってんだよ」
睨み合いバチバチに火花を散らすタッディアとギリーにシャリーはあたふたとしながらも一声も発する事ができない
「子供を“コレ”扱いして?そんで俺を帰らせた後は訓練の時間までテキトーにここで待機させて時間が来たら無理やり型に嵌めて剣でも振らせるってか?」
「それの何が不満だ、王宮騎士団に居る以上は訓練も規律も必要となる。それともお前の隊は同情するだけで何かが身につくのか?まるで慈愛の女神様じゃあないか」
「テメェは昔っから合理性だのルールだの振り翳して頭を使おうとしねえ、だから俺に負け越すんだよいっつもギリギリイライラの歯軋りギリー君?」
そう言いながらニマニマとからかいの笑みをしたタッディアがペチペチとギリーの頬を叩けば彼の顔は目に見えて怒りに染まって赤くなり、さらにその下ではよく分からないままタッディアの真似をしたタマがギリーの腿をペチペチと叩いて…
そしてついに彼の堪忍袋の緒が切れる
「そういうところが気に食わん!剣を持てタッド!!」
「おー怖っ!俺の専門は槍だっての!ほら2人とも逃げるぞっ!!」
「えっ?!」
「おい待て!今日こそお前のその捻くれ弛んだみっともない性根を叩き直してくれる!!」
「わきゃー!」
突然逃げるぞと言われて手を引かれシャリーは思わず素直に従ってしまい、そして走り出した3人の後ろを怒りの形相のギリーが追いかけ回すという光景…きっとみんなに呆れられてしまうと思ってチラリと視線を送った先にいた彼らを見てシャリーは思考が止まった
何故なら二番隊の隊員達は止めに入るでもなく、なんだ悪戯かとため息をつき隊舎へ帰るでもなく、ただその場で退屈そうに待機することを選んでいたからだ
「(あれ……?)」
彼女という人間は生真面目な性格というだけで厳格には成りきれないからこそ、まだ訓練の開始時刻まで10分以上も暇があるというのにただ立って待機しているだけの彼らに何とも言えない不快感が湧いた
目の前にはキャーキャーと叫びながら走っていく小さく可愛らしい子供と己の手を引き子供のように笑うタッディア、そして後ろには怒りの表情をしたギリー…
「(なんでしょう…なにか…)」
こんなの規律からも騎士道からも外れている、不真面目極まりない…なのに普段二番隊で感じていた圧迫感のような息苦しさが消え失せていて、そして同時にただボーッと立ち続ける他の隊員が奇怪に映った
「(これは…ダメ、ではないでしょうか…?)」
隊長といえど新参の自分には意見を言う権利は無い、彼らは国と民を守ってきた立派な騎士であり、規律を守る正しい人間であるのだから
「あ、あの…」
口をついて出たのは遠慮がちな声、シャリー自身が自己嫌悪する相手の顔色を窺う卑屈で臆病で消え入りそう小さな声だ…だがそんな声にキャッキャとはしゃいでいた小さな子供は気づいてその可愛らしい猫の耳をピピン!と立て、そして声の主がシャリーだと気づいてわたわたとしながらも器用に後ろ向きで走りながら…
「おっかけっこたのしーねー!しゃいー!」
にっこりと向日葵のように笑った
その顔を見てシャリーの手は自然と通信用魔道具へと伸び、そして大きく息を吸い込み、腹筋に力を込めて——
「二番たぁぁぁい!!追いかけっこ訓練、開始ぃぃぃぃぃぃっ!!!」
予想外の大声と内容に二番隊全員が驚く、その中で誰よりも驚いたのが想像していたよりもずっと大きな声が出てしまったシャリー本人だった
後ろから追いかけてきていたギリーも呆然とした顔で失速、それに合わせてシャリー達3人も足を止めた…
「今、何と?」
「えっ?…あっ!えっと!」
「今!何と言いました!えぇ?!二番隊の!隊長殿ッ!!」
ギリーの表情は呆れと怒りに染まってズンズンとシャリー目掛けて不機嫌そうに近づいてくる、それに対してシャリーは怯えながらも通信用魔道具に再度声を入れた
「……はっ、あわっ…さ、最初の鬼は…ギリー、副隊長ですっ!」
「黙れ!何をやっているんだ隊長ともあろう者がァッ!!」
「お、おおおっおにおに鬼っ!鬼は!ギリー副隊長っ!!総員、走ってくださいっ!!」
それだけを言い残して逃げていくシャリーにタッディアとタマが続く、そして再びそれを追いかけるギリー…光景はほぼ変わっていないが隊員達は首を傾げながらも隊長命令だからと追いかけっこへ意識を向ける
「おい…どうするんだ、隊長命令という認識でいいのかこれは…」
「俺が知るわけがないだろう…だって、その…追いかけっこだぞ…?」
「と、とりあえず形だけは走っておいた方がいいのだろうか…?」
「分かるわけないだろう…!こんな馬鹿げた指示初めてだ…」
静かな静かな阿鼻叫喚、強い困惑に思わず待機姿勢を崩してコソコソと相談を始めた隊員達を見てギリーはいよいよ怒りの頂点に達しつつあった。彼が隊長だった頃ならば隊員達はこの程度の揺さぶりに惑わされるような人間ではなかった…と彼の中では思っているからだ
「お前のような小娘が!隊長になるなどっ!はぁ…はぁ…私は認めない!!」
「そう言われましても!勝った方が隊長だと言ったのはギリー様ではないですか!!」
「私が小娘に負ける想定をするわけが無いだろう!!」
「ぶっは!!テメェ弱い者いじめしようとして返り討ちにあったのかよ!ダッセェ〜!!」
「だっせだっせー!」
「ええい黙れ黙れぇ!!」
鎧を着込んでいるにも関わらずかなりの速さで走るギリーというなんともシュールな光景が逆に追いかけっこ訓練という馬鹿げた指示が本気の隊長命令であると察し始める…何せ現隊長と元隊長である副隊長、さらには敵視しているとはいえ三番隊の隊長が参加してしまっているのだから…それでも彼らはその場から動くには至らない
「タマ!GO!」
「にゃー!」
「ぬぅん?!」
ゴーサインに応じたタマはタッディアの指示通りギリーへ飛びかかる、突然飛び掛かられたギリーも参加する気は一切無いが一応追いかけっこであると聞いているのに逃げている側が鬼とされた自分に飛び込んでくるとは思わず混乱する
民間人を危機から救うために訓練したソフトキャッチを見事成功させたギリーの腕の中でタマはきゃーきゃー楽しそうにしながらタッディアに大成功だとアピールしている
「よし、タマが捕まったな」
「あぇ?…………は、はわっ!!」
「いやお前がけしかけたんだろう?!」
「それでもタッチはタッチだ、ほら次はタマが鬼だぞ〜10数えろよ〜?よーしお前らー!次はあの小さな子供が鬼だー!逃げろ逃げろー!!」
「いや…私は別に参加しているわけじゃあ…」
あまりにも突然が過ぎる展開に怒りも引っ込んでしまったギリーの腕の中からモニョモニョと動いて抜け出したタマがその場でしゃがみ込んで目を隠す
「じゅー!きゅー!……」
いやその数え方は追いかけっこじゃなく隠れんぼじゃなかろうか?そう思いながらもカウントダウンが始まれば焦りが生まれるのが生き物の性、ギリーも困惑して首を傾げながらも鎧をガッシャガッシャと鳴らしてタマから小走りで離れた
「……にぃー!いーちっ!もーいーかーい!」
「もういいですよー!」
いやそれは隠れんぼだろう。
シャリーの返事にタマはパッと立ち上がり1番近くにいる者をロックオンする、そこに立つのは誰か?それは困惑したまま待機姿勢を崩したにも関わらず走りもせず他人の判断と行動を待っていた二番隊の隊員達だった
「にげない?」
「い、いや…あのですね…僕はぁー…ははは…」
てててっとかけていったタマは不思議そうに隊員の1人を見上げた、いまだ困惑の境地にいる隊員はその場を動けず、かと言って純朴そうな子供に今の状況からどう声をかけたものかも分からないでただ困ったように苦笑するしかない
たっぷり3秒ほどタマと隊員は見つめ合い…
「たーっち!」
「えっ?!」
そしておもむろにタマはその隊員の足をタッチした
本当に?マジで追いかけっこをするんですか!?…そう言いたくて彼は隊長であるシャリーの方を見る、だが普段ならこういう時に1番困った顔をしながらどうしましょうと言うであろう彼女は通信用魔道具を構えた
いや大丈夫だ、何せ恥ずかしい話だが隊長が厳しくて口煩い青年から胸の大き…いや可愛らしい元シスターに突然変わって二番隊は情けなくも距離感を掴みきれず…いやハッキリ言おう、どいつもこいつも真面目な野郎として生きてきた故に女慣れしていなくて彼女を避けていた
だからどうせ彼女はこちらの名前なんて知らな……
「つ、次の鬼は!第4分隊マイル・ミーダット隊員ですっ!」
「はぁっ?!な、名前っ!えぇっ?!」
第4分隊所属のマイル・ミーダットは心底驚いた、シャリーは彼の名前を知らないどころか同じ鎧を着て遠目じゃ誰かなんて判別もつかないであろうマイルを見分けて名を呼び、さらにどの分隊所属かまでキチンと把握していた
どうしようかとマイルが困っていると鎧の裾をくいくいと引かれる、なんだよと彼がそちらを見れば今し方自分を鬼にした子供が顔を覆うジェスチャーをしていた
「えっ…僕も数えろって、事か…?」
「あいー!」
「…………じゅーう、きゅーう…」
素直にカウントダウンを始めたマイルを見て周囲からおいおい嘘だろというざわめきに晒される、マイルも多分横で見ている側ならそういう反応をしただろう
「ハチナナロクゴォヨンサンニィイチはいタッチ。」
「はぁ!?本気でこんな茶番に…付き合うのか…?」
「10数えろ、僕もやった、これも訓練だぞ」
「次の鬼は第2分隊のセキミヤ・ルゥ・トントットです!」
「うわぁ…本気かよ…」
不意打ちでタッチされたマイルの隣に居たセキミヤがシャリーに名を呼ばれて次の鬼になる、ガッシャガッシャと鎧を鳴らしてトンズラこくマイルの背を恨めしそうに見送ったセキミヤもまた10カウントを開始してうんざりしながらも同僚を追いかけ始めた
「おいおいおい!本気でこんなお遊びに参加する意味は!?無いだろそんなもの!」
「隊長命令だから仕方ないだろう?!それに彼女がどこまで俺達の名と所属を覚えているか気になるじゃないかロードン」
「いや、それは気にはなるが…」
「じゃあタッチだ」
「次は第3分隊セシリア・ローティドンアリアです!」
「いやお前の名前可愛らしすぎだろ、プリンセスかよ」
「だからロードンって名乗ってんだよ…じゅーう!…」
捕まって、名を呼ばれ、走って捕まえて…こうして彼らは日が暮れるまで追いかけっこを続けている内に自分達が真面目なのではなく他人とのコミュニケーションを避けているだけの頑固者だったと自覚していく
何故なら隊員の名前なんて知らないだろうと思い込んでいたシャリーは全員のフルネームを把握していて、自分達が案外普段話している相手以外は名前を曖昧にしか把握していなかったと気づいたからだ
「はぁ…はぁ…!お、追いかけっこ訓練、終了…!!各自装備に洗浄の魔法をかけてから、シャワーに行ってください…!!」
『了解…っ!!』
「あいあいー!」
息も絶え絶えで地面に転がっていた屈強な野郎達が重たい体と鎧を地面からバリバリと引き剥がしながら返事をする横でタマだけはまだまだ遊び足りないと言わんばかりに元気な返事を返す
そこへどこかにこっそり隠れていたタッディアが現れてニマニマしながら二番隊全員に声をかけた
「どうだ?追いかけっこも案外訓練になるだろ、特にお前らみたいにクソ真面目に鎧着てる奴らは」
全員がその言葉にカチンと来ているが誰も言い返さない、言い返す体力が残っていないし汗と土で体も鎧もドロドロな不快感に気力を削がれている
だが唯一副隊長のギリーだけはタッディアに向かってイライラと土を蹴りながら口を開いた
「はぁ…はぁ…口の利き方はともかく、鎧を着ての長時間のっ…ダッシュは!良い訓練だったとも…はぁ、はぁ…!」
「自分らが避けてた相手の意外な一面も見れたしなぁ?」
「……なんのことやら」
図星を突かれたギリー…とその他大勢はスッと視線を逸らした。タッディアは二番隊が最近少しギスギスしていた事も、その原因がシャリーの遠慮と隊員達の女慣れの無さ、そして全体のコミュニケーション不足である事もわかっていた
追いかけっこになったのはタマが走り回れる遊びを選んだだけ、問題の解決は時間をかけて少しずつと思っていたがシャリーの意外なファインプレーでかなり良い雰囲気になった
「タマ、こういう大人になるなよ」
「いやちゃらんぽらんになる方が不味いだろう、“蜘蛛猫”、絶対にコイツみたいにはなるな」
「はわ…しゃ、しゃいー、どうしよ…」
「えっ?!わ、私ですか!?えっと…ど、どちらにも良い点があると言いますか…!」
「シャーリー隊長〜!優柔不断で曖昧な返答は良くないかと!」
「ビシッと規律正しく騎士道を学べと言い切ってくださいシャーリー隊長〜!」
「私の名前はシャーリーではなくシャリーですっ!!私は皆さんのお名前を覚えているのにぃ!!」
ドッと笑いが起きて場が和む、こんな空気になるのも久しぶりで良い息抜きになった…二番隊の全員が感じながらも誰1人としてまだそれを口に出せるほどの勇気は出せないでいた
「今日は…良い、息抜きになった…」
「えっ…?」
「誠実に規律を重んじ、実直に騎士道を重んじ、確かな実力を以って民を守るのが二番隊であると…そう思って誰かと話す事よりも訓練を、誰かを思いやる暇には剣を握った…それでいいと、誰かと関わる事から逃げていた」
口を開いたのはギリーだった、静かに懺悔するように吐き出されたその言葉は二番隊全員の心を掬い取るように優しく抉り、共感と謝意を湧き上がらせる
「シャリー隊長…何故隊員の名を?我々が貴女を遠ざけていたのは分かっていたでしょうに…」
「……私、自分が助けたいな、役に立ちたいなって…そう思える相手のことが好きで…そんな相手のために尽くす時間が好きなんです
もちろん疲れますし、しょげちゃいますし、やめちゃおうかなって思う時もあります…」
「ならば何故…?」
「私が隊長になったあの日、ギリー副隊長は私に隊員名簿と今までの訓練メニューを下さいましたよね?」
「えぇ、貴女に二番隊を引き継いでもらわねばなりませんから」
「その名簿もメニューも全部同じ字で書いてありました…訓練メニューには読みきれないくらい細かな改善策やメモが添えられていて、名簿にもたくさん皆様に関するメモがあって…私感動したんです
皆様も会話こそ少ないけれど仲が良い方とはその少ない会話だけで理解し合っていて、手を出しただけなのにタオルを投げ渡して、しかもそれを見ずにキャッチしているのを見た時は驚いてしまいました…!」
隊員達はそうだっけか?とそれぞれに仲が良い相手と互いに顔を見合わせ、ギリーはそういえばそんなメモもしたなと懐かしさに小さく笑った
「だから…だから尽くそうと思ったんです、皆様がどれだけ私を避けていても、私が感動して尊敬した方々に輝いてもらいたいと身勝手に尽くしたかった…」
シャリーの言葉には強い想いが感じられた、今この場にシャリーの言葉を綺麗事だと笑う者もこの場に沿った話を吐いているだけの嘘吐きだと思う者も居ない
「それで…今日は凄く嫌だったんです。私の話を真面目に聞いていただけないのは仕方がありません…でもすぐ目の前で起こっている事をまるで鏡の向こうの夢か幻のように傍観して、いつかその消極性が目の前にある命を取りこぼすのではないかと…不安になってしまって……」
「……否定は、無意味ですな。確かに他者との関わりを面倒だと切り捨て訓練をしたところで我々は賊を斬り倒すだけが仕事ではない…民と国を守るため事が使命です。それを忘れ、訓練で腕を磨けばそれで良いと勘違いをしていた事は本心がどうであれ事実、お恥ずかしい限り…」
そう言ってギリーが自嘲気味な笑みを浮かべれば2人の会話を聞いていた隊員達も思うところがあるようで顔を伏せた…
そんな様子を見てタッディアがもう大丈夫そうだなと判断して立ち上がるとひょいとタマを抱え上げて座り込むシャリーの膝の上に乗せる、不思議そうな顔でタッディアを見上げるタマの頭を「またな」と言ってくしゃりと撫でる
そしてそのまま立ち去ろうとするタッディアにシャリーは慌てて声をかけた
「あ、あの!アイグリム様っ!!」
「なんだ?シャリー嬢」
「えっと…そのっ…あ、ありがとう、ございましたっ!!」
「ヘヘッ、気にすんな、ちゃらんぽらんからのちょっとしたお節介だ」
そう返して立ち去るタッディアの背に向かってギリーが手をあげ見送ると鎧の動く小さな音に気づいたタッディアも無言で手を軽く振って返した
タッディアを見送ったシャリーは膝の上でぼーっと転がる二番隊達を眺めているタマのつむじに顔をうずめる
「タマ様も、ありがとうございました…」
「???…またあそぼーね、しゃいー」
「えぇ…今度は隠れんぼ訓練が良いかもしれませんね」
「それは訓練じゃ……遊びを訓練にするのはほどほどにしてください、シャリー隊長殿?」
「はいっ!ほどほどに、たまにみんなで遊びましょう!」
この後皆シャワーを浴び、夕飯を済ませ、そして寝床へ潜り込む。二番隊の全員、碌に訓練もしないまま一日が終わるのはこれが初…しかしかつてないほどの満足感と疲労の中でゆっくりと意識を夢へと預けて眠りについた
…シャリーとタマ以外は
「タマ様、それでは寝る前の読み聞かせのお時間ですよ?本日は『モンキー種でも兄貴の言っていることが言葉でなく心で分かる騎士道入門~キミが泣くまで鍛錬をやめないんだよォ編~』ですっ」
「うぅぅぅ〜…いやぁ〜…」
「(あぁっ!やっぱりタマ様は困っている時の顔と声が1番可愛いっ!!)」
実は二番隊は何かしら歪んだ部分を持っている者が自然と集まる部隊であると密かに他者から認知されている、純朴で誠実で生真面目な彼女もまた…二番隊に居る1人のこじらせガールなのだ