雄猫?雌猫?
“蜘蛛猫”の目が覚める、そこはさっきと同じような部屋…あちこちから安心する己の血の匂いがしたからきっとさっきと同じ部屋だと判断した
きょろきょろと辺りを見回し、そして視界に入った扉の向こうに何人か居る気配を察知して無意識のうちに毛が逆立った
そしてするりと音もなくベッドを降り…ようとしてふっかふかの羽毛布団に身体を取られ転げ落ちた
「に"っ"。」
“蜘蛛猫”の間抜けな悲鳴を聞いて扉が開く、中に入ってきたのは真っ赤な紅の髪をした女性…モーナとその脇に控える2人の騎士団員だった
駆け寄ってきたモーナと団員に向かって“蜘蛛猫”は警戒心を露わにして身構える、それを見てモーナは手で団員を制止させてからしゃがみ込む
「おはよう、目が覚めましたね」
「……だれ?」
「私はモーナ、安心して?もう怖い事する人はいない……あぁ、えっと…痛い事はしないけどここに居るのはあなたの味方の人よ」
「みぁた…?」
「みーかーた、お友達になる人よ」
聞き慣れない言葉だったのか少し舌っ足らずにオウム返ししてくる様子にモーナは少し毒気を抜かれる、やはり異質な部分を除けば見た目相応の無垢で幼い子供だ
「おともだち…オトモダチ……」
「そう、お友達」
「…おともだち——」
“蜘蛛猫”はモーナの言葉を何度か頭の中で咀嚼してやっと理解した、というよりは思い出したが正しい
私の目の前で膨れ上がった殺気、それが首を狙っているとわかったのは経験と鍛錬を積み重ねてきたおかげだった
「っ!?」
「モーナ様!!」
「抜かないでッ!!」
団員が剣を抜きかけるのを止める、無防備だった私の首を狙ったその一撃は服の下に仕込んだ鎧で間一髪防御できた
「……下衆めッ!」
不意打ち気味に首へと振り抜かれた“蜘蛛猫”の爪…そして攻撃を防がれたと理解するや否や蜘蛛の糸で天井へと張り付いて剣の間合いから抜け出し黄金色の瞳が私たち3人を見下ろした
下衆という言葉はもちろんだがこの場にいる人間に向けた言葉ではない、明らかに“蜘蛛猫”は『おともだち』という言葉に反応して牙を向いた…ならば考えられるのはそう仕込まれた可能性だ
「剣を納めなさい、“蜘蛛猫”は保護する…殿下の御言葉よ」
「し、しかし!」
「副団長の許可も出ているわ、そして殿下の側近である私も同意しています…剣を納めなさい」
「——ハッ!」
立ち上がり天井からこちらを伺う“蜘蛛猫”を見上げる…そして敢えて無防備に手を広げた
当然ながら飛びかかってくる“蜘蛛猫”、普通ならこんなあからさまな隙は罠と読んで動かないが生き物としても暗殺者としてもまともな教育を受けられていない“蜘蛛猫”だからこそ飛び込んでくると読んだ
「ふっ…!」
小さく息を吐き読み通りさっきと同じ首を狙ってきた“蜘蛛猫”の一撃を躱してそのまま背後から抱きしめる、そして私はポケットからとある秘策を取り出した
「すんすん……にゃ…?」
「キャット種が好む香の原材料よ、マタタビというの」
「まにゃにゃびぃ…?」
鼻先にチラつかせたそれを無警戒にスンスンと嗅いだ“蜘蛛猫”はあっという間に酔っぱらったように呂律も回らずぐにゃりと脱力した、小さな体を抱えてベッドに戻そうとするとまだ諦めていないのか限界ギリギリまで私の服を掴んで離さない…結局引き剥がしきれず仕方がないのでそのままの体勢で廊下に待機させていたメイド長のマダムを呼ぶ
「マダム、食事を用意してくれますか、出来れば幼児用のを」
腕を掴まれたままの無理な体勢でいるのも疲れるので仕方なくベッドに腰をかける、マタタビの効果が回り切ったのか“蜘蛛猫”はぐでんぐでんのふにゃふにゃだ。私が握るマタタビにスンスンと鼻を鳴らしながら腕に絡みつくようにじゃれついてくる
やはりこうして見ていると子供…いやここまで来るとただの可愛いキャット種の動物に見えてくる、緩みそうになる口元を団員の前だからと律して食事を待つ
「……モーナさん笑ってるよな…」
「……しっ!聞かれたら怒られるぞ…」
「はいはいコソコソ話する男達はどいたどいた、摺り下ろしアーポウのミルク粥がお通りですよ」
「おっと失礼マダム」
マダムの仕事は相変わらず速い
ただマダムとだけ呼ばれる彼女はこじんまりとした丸眼鏡をかけた茶色い髪をした熟年の女性だ、噂では何百年も前の王族にも支えていてなんと魔道具で撮った写真が実際に残っているし私も見た
「あら、意外と可愛らしい仔猫ちゃんなのねえ」
「えぇ…見た目はそうですね、しかしかなりの手練れですよ」
「モーナ様が仰るのならそうなのでしょうねえ」
この何のことはない会話の間にもテキパキと食事の用意は進んでいるし、いつの間にかマタタビに寄せられて私の腕にじゃれついていたはずの“蜘蛛猫”がキチンと座らせている……えっそれはいつの間に?
「ほら“蜘蛛猫”様、粥でございますよ」
「かうー…?」
「はい、あーん」
「んあー……むぐむぐ…」
「美味しいですか?」
「しらないー…」
知らない…知らない?
それは食べさせられているミルク粥という料理を知らないという事だろうか?それとも美味しいという感覚自体を知らない…?
おそらくだがこの様子からして後者だ、脳内にある“蜘蛛猫”の資料をめくればそれらしい記述…「実験体の魔力回復方法について」がヒットした
「あらあら、ではもう要りませんか?」
「……いるー」
はいはいと返しマダムは微笑みながらも手際よく粥を食べさせていく、皿が空になる頃には酔いも醒めて意識がはっきりとしてきたのか美味しそうに粥を食べていく…皿はあっという間に空っぽになってマダムと空皿に期待の目を交互に向けて尻尾をピンと立てている
「今はおしまいですよ、一気に食べてはお腹が痛くなってしまいますから」
「えっ……」
あぁ尻尾がへにゃりと崩れ落ちて…“蜘蛛猫”の尻尾は本人以上に感情豊かなようだ、殿下に報告しておこう
マダムは粥はあげられませんが…と言いながらマグカップに入ったホットミルクを差し出した。最初こそ首を傾げながら眺めていた“蜘蛛猫”だったがこちらを見るのでマグカップを口に運ぶ動作を示してみると素直にこちらの真似をした
「あらあらあら!」
だが飲むという発想にまでは至らなかったようでただ閉ざされた口に向かって流れたホットミルクは“蜘蛛猫”の口周りからその下に向かって滝のように流れ落ちてしまった。咄嗟にマダムがマグカップの角度を下げてくれたことでベッドにまでは染みなかったがベットリとホットミルク塗れになった“蜘蛛猫”は呆然としている
「……あわぁ」
あわぁじゃないが、あわぁじゃ。
仕方なくメイド数人を呼び風呂に入れる事になったのだが流石にメイドだけでは危険だと判断して私も浴場へ共に入る…
だがここで一つ問題が発生した、“蜘蛛猫”が湯を嫌がったのだ
「やっ!やぁ!!ややややややややや!んぎぃーーっ!!」
「こ、こら!暴れるな!」
手足をバタバタさせながら湯を嫌がる“蜘蛛猫”を抱え上げなんとか湯船に入れようとするのだが器用にくねくねと動き回って入ろうとしない、しかしホットミルクはベタつくから風呂に入れない訳にもいかない
「そ、そうだ!マタタビ〜?マタタビあげますよ〜?」
「まななび!…………うぅぅぅぅ!!」
大人しくはなった、大人しくはなったが湯船に浸からない…大人しいのに何故湯船に浸からないかというとすごい器用に水面から一定の距離を保って火を通した食用オクトパス種のようにくるくると丸まって逃げていくのだ
「く、“蜘蛛猫”っ…それはっ…くっ…フフフッ…!」
尻尾から順に水面から弾かれるようにくるくると腕の中で丸まり、やがて腹筋がつらいのかぷるぷると震え出す姿が可愛らしいやら面白いやらでつい吹き出してしまう
そこで視界の中に“蜘蛛猫”の腹が見えてふと気になった、彼は雄なのだろうか雌なのだろうか?顔は中性的…子供故かあどけなさがあってどちらかといえば少女のように見える、しかし行動はどことなく雄のようなヤンチャさを感じられた
だが仮に雄だった時に私が股間を凝視するのは恐らく将来的に良くない、多分だが
「マダム、“蜘蛛猫”の性別を確認してもらってもよろしいですか?」
「えぇ……あら?」
「どうしました?」
「これは…あらまぁ…どちら、なのでしょうねえ…」
言ってる意味がわからない、言うのも少し憚られるがマダムが確認しているのは股間だ。なのに性別がハッキリしないというのは何故なのだろう、あまり想像したくはないがあれだけの暴行を受けていたのだから悪戯に切り落とされていたり焼き潰されるなどの拷問を受けた可能性はある…だがそれならそれでマダムは教えてくれるだろう
仕方なく後ろから抱え上げていた“蜘蛛猫”をくるりと反転させて股間を確認する、将来に遺恨を残したら申し訳ないから自然と忘れてくれる事を願おう
「……どっち?」
何も無かった、あまり明言したくないから控えるが本来凸にしろ凹にしろ何かしらがあるはずの場所には本当に何もないのだ、ただただ最低限人間のシルエットをしながらも異質な平地だ
困っているとマダムがひょいと“蜘蛛猫”を私から取り上げた
「これ以上は身体が冷えてしまいますから、手早く済ませてしまいましょう」
そこからはもう早業だった…丸まって回避する間も無く湯船にざばん!と入れられた“蜘蛛猫”は全身の毛を逆立てて短く「に"っ"!!」と鳴いて暴れ出した、そんな抵抗を全て巧みに抑え込みながらマダムはホットミルクの汚れをざっと洗い流しまたもざばん!と引き上げた“蜘蛛猫”の身体をいつの間にか手に持っていた石鹸の泡がついたタオルで手早く洗ってから桶の湯で泡を流してしまう、高速で洗われながらも不満の声は絶やさない“蜘蛛猫”の「ニニニニニニ」という震えた声を無視したマダムが頭からざっばーんと桶の湯をかけて泡を洗い流すとそこには綺麗な毛並みへと戻った“蜘蛛猫”がいる
その間わずか30秒足らず…風呂嫌いな“蜘蛛猫”もよく分からないまま終わったのかキョトンとした顔で私を見た
「あぁ〜…あとでマタタビ嗅いでいいですよ。マダム、“蜘蛛猫”をお願いしてもよろしいですか?副団長が私の代わりに付きますので」
「まななびぃ!!」
「あらあら、はいはいお任せくださいませ」
浴場を出てわっしゃわっしゃと拭かれている“蜘蛛猫”にしゃがんで視線を合わせながら「また後でね」と告げると素直にバイバイと言われた、マタタビと粥のおかげかオトモダチという言葉で襲いかかってきた時とはまるで別人のように素直に話を聞いてくれるようになったのが少し嬉しい
「(…でもマタタビをまななびと言い間違えているのはいつか直してあげないと)」
さて、ここからは仕事——いやさっきまでも仕事です!…“蜘蛛猫”に多少懐かれた事で気が抜けてしまっているかもしれない、しっかりせねば
「殿下、いらっしゃいますか」
「入れ」
扉の向こうには資料を読むアンドリュー殿下がいた、付いてきてくれと言われて辿り着いたのは地下牢…その一つにあの研究員の男が転がされていた
私は男に侮蔑の視線を送ってから殿下の持つ資料の束を受け取りザッと読む…その資料は“蜘蛛猫”の教育事項についての資料のようで複数の人物から暗殺術を学んでいたようだがそれ以外の項目が一切ない
「“蜘蛛猫”の暗殺術について師を受け持った者がいる、覚えはあるか?」
「…………。」
「だんまり、か」
「一部はあの夜に捕縛した者のリストに居ましたが捜索中の者も何人か居ますね…見たところ暗殺術以外は何も教えていないようですが」
「当たり前だろう!!」
そこで牢の床に転がりだんまりだった男が声を上げた…私と殿下、2人分の視線を向けられた男は一瞬怯むがすぐに狂気の笑みを顔に貼り付けて己を大きく見せようと大声で喚く
「あの実験体は唯一の成功作品だ!余計なことを教えて己の頭でものを考えさせては不純物が混じる!」
「ほう?では執拗に痛めつけたのは何だ?唯一の成功作品ならば安易に破損させるのは悪手だろう」
情報を聞き出すためとはいえ利用されて暴行を受けていた無垢な子供を奴らの尺度で物のように扱う事の憤りからか後ろで組まれた殿下の腕の先ではギリギリと唸るように拳が握りしめられている
対して男はやっと話を理解できるまともな奴が来たとでも言わんばかりに貼り付けた笑みの中へ安堵を混ぜて興奮気味だ
「そんなのは知らん!私の作品だぞ?耐久性が低いわけがない!そもそもあの下衆共が勝手に始めた躾けだ、私は関係ない!!」
「では一般常識に欠けるのは何故だ?余計な情報を入れずというのは理解したがそれでも歩き方すら知らない小鳥では空も飛べないだろう」
「そこは私の仕事じゃあない…私は科学者だ!貴族社会でぬくぬくと育てられた男爵が勝手に教育でも躾けでもやればいい!!」
「では“蜘蛛猫”の身体については何なんです、アレでは健康に影響が出るでしょう」
「身体?健康?……あぁ排泄機能と生殖機能が無い事か?そんなものは不要だ、アレらは排泄されるような物すべてを分解して魔力に変換して動くように造った。生殖機能は過去の作品にはあったがどれもこれもあの下衆共が使い潰すか叩き潰して破損の原因になるため取り除いたのさ」
下衆の思考というのは触れるだけでも腹立たしい事この上ない物だと思い知らされる、侮蔑の視線を強めた私に向かって男はヘラヘラと挑発するようにその饒舌な舌を回した
「いやぁアイツらは良いスポンサーだった…それらしい数字と小難しい言葉を並べた資料の束を差し出し金が足りんと言ってやれば大して中身も確認せず多額の資金を援助してくれた!!どれもこれも汚い手でかき集めた金さ、私の手が汚れるわけじゃあない分心置きなく使えた!!」
男の言葉は真実だろう、監査で押収した書類の中にはめちゃくちゃな事が書かれた物が多数あり、さらにゲドゥー男爵から謎の人物へと出資が繰り返されていたという情報とその証拠を掴んでいる事を殿下に耳打ちする
その謎の出資先本人が地下に潜んで違法な研究を続けていた事は想定外だったがあの家の悪事はすでに粗方調査済みで情報は全て王宮騎士団で把握している
「つまり“蜘蛛猫”があの状態なのはお前の方針ではなくゲドゥー男爵一派によるもの…そういう事か?」
「あぁそうだ!早く私を解放しろ!世界の歩みが止まってしまうだろう?!早く新しいスポンサーを見つけて研究を再開せねば——」
「その研究とは“蜘蛛猫”のような新たな人類種を造る事か?…少し興味が湧いてきたな」
興味が湧いてきたという言葉に研究員の男はみっともなく身体をモゾモゾと蠢かせて何とか起き上がると喜色満面の笑みを浮かべ鉄格子越しに殿下の足元へとすがりついた
「分かるか!分かるか私の研究の素晴らしさが!!」
「あぁ、強さは国の平和に繋がるからな。新たな兵器を作り大々的に知らしめるのでは逆に戦を煽る…だが“蜘蛛猫”のように見た目は普通の子供であるならば油断を誘い新たな力の存在を安易に悟らせない」
「そうだろう!!やっと私の研究を理解する者が…っ!学会とギルドの間抜け共を見返す機会が舞い降りてきたのだ…!!くっ、ククク…!ハハハハハ!!」
「しかし博士、キミの扱いを捉えた犯罪者から変えることはこの話を理解しない者からの反発を産む、新たな非検体を仕入れることもだ」
「あぁそうだろうとも…!薄っぺらな平和にかまけた愚か者は強さを悪戯にしか求めない、私たちこそが真の平和を願う者さ第一王子殿…!!」
「あぁそうだな博士、なので地下牢に俺の部下を送る、彼らにキミの研究や理念について詳しく教えてやってはくれないか?」
「良いだろう…世界平和のために…!」
「あぁ…世界平和のために。」
地下牢の中で勝ち誇ったように笑う哀れな男を残して殿下の書斎へと戻る、きっと男はこれから聞いてもいない事をベラベラと捲し立てて己がいかに非人道的で醜い行いをしてきたのかを親切にも紙に書いてくれるでしょうね
書斎へ戻る途中でメイドに頼んでおいたコーヒーを受け取り礼を言ってから殿下へ差し出す、互いに怒りで力がこもっていた拳と肩を脱力させるため盛大に大きなため息を吐いた
「…頭は良いのだろうが馬鹿で助かったな」
「えぇ、怒りを抑えるのに一苦労しましたが…」
「それは同意する、まるでこの資料に書かれた小さな文字を10時間ずっと追い続けた後のような疲労を感じたよ…」
軽口を飛ばし合いながら2人揃って眉間の皺をほぐし伸ばす、立場上保護した対象である相手にこんな事を考えてはいけないのかもしれないが“蜘蛛猫”にマタタビだとかを与えてぐでんぐでんになっている姿を見て癒されたいという気持ちが若干あるのを否定できなかった




