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“蜘蛛猫”

土砂降りの雨、それに晒されてバタバタと駆け回る人間の足音、そして薄汚い澱んだ空気の裏路地にそれがいる


「………あった」


黒いマントに隠されたそれは随分と小柄で1メートルほど、窓の向こうにいる男の背を見てスンと鼻を鳴らして静かに頷いた

金色の瞳だけが暗闇で僅かな光を吸い込み発しているように光っている、するりとマントの中から細く簡単に折れてしまいそうな腕が現れると建物に備え付けられた窓の鉄格子へ巻き付いた


あの男のやっている事は違法だ!いや、仮に法に触れていなかったとしてもとても許される行いじゃない!!


中にいる男は何やら喚いている、片耳しか無いそれにも聞き取れるほど興奮しているらしい

誰かと話しているようすの男とその誰かにバレないようマントを体に巻き付ける、豪雨が運んだ暗闇と夜の闇がそれを一層覆い隠す


明日には騎士団へこの証拠を持って行こう…手遅れになってしまうかもしれない!

で、ですがあの男を探った者は皆猫に喰われると…事実不審な死を遂げた者も多数報告されています!!


それには小難しい話は分からない、ただそれは“パパ”に言われた通りにするだけだ、むしろそれ以外を知らない

だから今回もそうするだけ…


…ッ誰だ!!


音もなく窓が割れる、“パパ”が持たせてくれた魔法石にはいつも通り消音の魔法が封じ込められている

一瞬の出来事だった、声を発する間も無く鋭い爪が護衛だか部下だかの首を刎ねそれの姿を見た男が驚愕の表情を浮かべる


な、なぜ…君のような…?!


それが男の最後の言葉だ、消音の魔法の中で男たちはあっという間に2度と音を発する事のない肉の塊になった


「……これ、あってる、だいじょぶ」


魔道具によって撮られた写真と何度も何度も見比べて、でもやっぱりちょっぴり不安になってもう一回真横に並べて見比べる

小さく呟いたそれの足元には血溜まり、今回も“パパ”の指示通りにおつかいは終わった…帰りは雨で身体を洗って行こう



残念ながらおつかいは半分しか成功してなかったみたいだ、硬い鉄の棒で殴りつけられながらそれは痛みの中でぼんやりとしていた

始末した男の証拠は“パパ”のおつかいの話に含まれていなかった、部屋にある紙は全部片付けろって言われたからマントに雨を溜めてせっせと濡らしてきた、だって“パパ”の近くにいる人は紙が濡れたら「ダメになった」って言ってたから


お前は!本当に!役立たずでッ!失敗作でッ!!この!何か言ってみろ!ほら悲鳴の一つでもあげたらどうだ!?


叩かれて、叩かれて、骨もたくさん折れてて、殴られるたびに動いてしまう全身がすごく痛くて痛くてたまらない

でも前に「大切な妻に感謝を伝えたいんだ」って獲物が喋ってるのを聞いて、だから“パパ”にありがとうと伝えたら気味が悪いから喋るなと言われたのでずっと屋敷の中では喋らなかった


「ご、め…なさい…」


人の言葉を真似るなこの化け物め!!


また間違えてしまった、ダメだったらしい、それの胸は辛い気持ちでいっぱいになる

殴られたり怒鳴られるのは仕方がないけれどそれが怒っているからだって事は獲物だとか“パパ”たちから学んでいた

あぁそうだ!人の言葉がダメならコレはどうだろうか!


「……にゃあ…?」


それを殴りつける手が止まった、コレが正解だったのかとそれは嬉しくなる

だが直後“パパ”は天を仰ぐほどに高らかに笑い始める、“パパ”が笑っている、笑うのは良い事だ、良い事なのは嬉しい事のはずだ

周りにいる“パパ”の近くにいる人たちもゲラゲラと笑っている、それを指さしているからそれが“パパ”たちを笑わせているのは確実なはずだ


「にゃー!」


鳴くたびに“パパ”と“パパ”の近くにいる人たちが笑う、嬉しいから思わずそれも腫れ上がって血まみれになった顔で笑った

直後殴られた、笑いながら殴られた

混乱する頭の中でそれはきっと笑うのがいけなかったのだと判断して笑うのを我慢しながらにゃーと鳴く、だが笑い声は高らかになるのに殴りつける手は止まらなかった



「ぃや、あ…!に、あ…!」


口の中が血に溺れ、意識がチカチカと明滅し、視界のほとんどが赤と黒に覆われて見えない中で必死にそれは猫の真似をする

しかし血の臭いと何も見えないそれにはもう周りに誰もいない事などわかりはしなかった

形だけの雑な拘束などとっくに血で滑って解けている、しかし彼らはそんなことをせずともそれが一切抵抗も逃走もしないと分かっているから気にも留めない


「げほっ…にゃ、あぁー…!」


血溜まりの中でそれが転がる、猫の真似をしながら夥しい量の己の血の匂いを覚えながら鳴き続けている

それは今、誰かに飼われる幸せと誰かが己を見ている幸せを噛み締めながら静かに意識を手放した




それが意識を失って数日が経った、いつもなら仕事か雑用で叩き起こされるはずなのに、それを殴るのが好きな人間たちのために寝たふりをし続けているそれを誰も起こしにこなかったのだと思って首を傾げた

何よりもぼんやりと見える景色は薄暗い石壁ではなく明るい光が差し込む…“パパ”がいつも綺麗な女の人と奥に消えていく部屋に何となく似ているし、いつも“パパ”と女の人が一緒に乗っているベッドに今はそれが乗っていた


「……あっ、あっ…おりる、しないと…うぐっ!」


慌ててベッドから出る、それがベッドに乗るのを“パパ”はひどく嫌がっていたから。しかし散々痛めつけられた身体はうまく動かず床に足をつけた瞬間に駆け抜けた鈍い痛みにそれは床へと崩れ落ちた


「ここ…ちがう?」


痛みではっきりとしてきた頭でそれは今自分が屋敷にいない事を理解した、知らない匂いしかない、落ち着かない

それはおもむろに自分の腕に噛みついて流れ出す血を乱暴にベッドと床に擦り付ける、もう片方の腕にも噛みつき流れる血をまた手の届く範囲にある家具に擦り付けた

自分の臭いに包まれて安心感が出てくると今度は好奇心が出てくる、知らない屋敷だが“パパ”におつかいを言われていないのに屋敷にいるのだ、多分おひっこしというものをしたに違いない


「っ…、ィ……!ん、ぐ…!!」


痛みで軋む身体を無理やり立たせる、本来なら立ち上がる事など不可能に近いがそれが動けないと“パパ”は怒ったし困るから無理にでも立ったり走ったり、おつかいが出来るようにそれは努力を惜しまなかった

両手から出る血を気まぐれに擦り付けながら部屋の中を探索する、広い部屋のなかには色んなものがあって好奇心が止まらない


「ほん…」


それの好奇心を1番刺激したのは本だった

字はあまり読めないが“パパ”の近くにいた人たちは忙しなく色んな事を書いていたからところどころ読める、本のタイトルには色々な文字が踊っていて…


「し…れら…しょくぶつ…まもの……あっ」


本に血がついた、当たり前だ両腕から絶え間なくポタポタ垂れるほどに出血しているのだから

だがそれはパニックになった、紙を濡らした、紙は濡れるとダメになる、“パパ”のおつかいでは濡らすだけじゃダメだったが紙が濡れるとダメになるのは“パパ”の近くにいた人が言っていたから間違いではない

ぐしぐしと拭うが血まみれの手で拭ったところで新たに塗り広げるだけだ、パニックがパニックを呼んでどれだけ痛めつけられようと溢れる事のなかった涙が溢れてくる


「や!いや!やだ!」


必死になって拭うが血で濡れた本がついに耐えられず破けてしまう、突然ビリ!と破けた本にそれは悲鳴をあげて逃げ出すが足がもつれて床に倒れ込む、パニックでうまく動かなくなった手足を必死に動かしてベッドの下の隙間に身体を捩じ込んだそれは本に怒鳴られたと思った事と綺麗な本を汚して壊した行いでパニックを起こして涙をぼろぼろとこぼしながらひゅーひゅー呼吸した


どうした!?


バン!と開いたドアから知らない声と匂いが入ってくる


なぜ血が!?


それはまたパニックになった、自分が無自覚のうちにやった血のマーキングがいけない事だとは知らなかったからだ


ハッ…!あの子は!!


足音と匂いと声があちこちに動き回る、ベッドの隙間から見える足が部屋の中を歩き回っては隠れているそれを探している

大変な事をした、怒られてしまう、でも“パパ”以外の人に怒られるのは果たしてどうしたらいいのかが分からない


「にゃ……にゃあー…」


っ!そこか!!


分からなかったから1番記憶に新しい事をした、猫の鳴き真似だった

声を出せば場所がバレる、そんな当たり前のことすらそれは分からずもっとパニックになった

近づいてくる足と足音と匂い、そしてついにベッドの下の隙間が覗かれた


居た!!


綺麗な顔の男だった、綺麗な金色の髪と紺碧の瞳…煌びやかな服はあちこち探したせいかそれの血がちょびっと付いていた

だがまだこの男が“パパ”の友達なのかは分からない、“パパ”はたまに知らない人だとか女の人を屋敷に入れていたから目の前の男を壊さないといけないのか壊しちゃいけないのか分からない以上は抵抗していいのかも分からないのだ


ほら、おいでっ…大丈夫、痛いことしないから…


痛いことをしない…それをどう受け取っていいのかが分からない、痛いのは嫌だがその感情はそれの都合であって“パパ”たちの都合には関係がない

しかし差し出された手と向けられた瞳が優しくて、おずおずとそれは手を伸ばしてしまった


捕まえた!!


「ひっ!!」


捕まえた、それは前に一度だけおつかいの途中で“パパ”が嫌いって言ってた鎧を着た人間がそれを捕縛した時に言っていた言葉と同じだ…つまり嫌な言葉だ

だが目の前の自分を捕縛した男は“パパ”の友達かもしれないから抵抗してはいけない、もしかしたら壊されてしまうかもしれないがそれに決定権なんて無いと“パパ”はいつも言っていた


ほらおいで…


ずるりと優しく、それの体に負担がかからないように優しく優しく引きずり出されて1メートルほどしかないそれが男に抱え上げられる


「にゃ…にゃあー…」


わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない

どうしたらいいのかわからない、だからそれは抱え上げられてなおご機嫌取りのために猫の鳴き真似をする


な、なんだ?


困惑した顔をするその男を見てそれはまだ足りないのだと判断した、だから“パパ”や“パパ”の友達が喜んだのはなんだっけと必死に記憶を探った

それは男の腕から慌ててするりと飛び降りるといつの間にか着せてもらっていた清潔な服を脱ぎ捨てる、男が困惑の声をかけてくるが無視して服を全部脱いだそれは次に未だ出血を続ける自分の腕を強く殴りつけた


お、おい!?


ぽきり、栄養の無い骨はあっさりと折れて腕が曲がる。次にそれは折れた箇所をえぐるために勢いよく噛みついた、“パパ”たちはそれを裸にして痛めつけよく笑っていた、だから男を喜ばせるためにそうしなくてはと思ったのだ

痛みにチカチカ瞬く視界のまま己の肉を噛み千切ろうと顎と首に力を込めようとした時、それはまた抱え上げられ顎を掴まれて腕から歯が抜ける


なにをやっているんだ!!


「ちがう、ましたか…?ごめん、なさい…?」


“パパ”たちからは一度も教育は受けていない、彼らの会話や彼らの日常から覚え盗んだ拙い言葉を発して許しを乞う

己のやり方が退屈だったから機嫌を損ねてしまった、服を脱いだことか、骨を折ったことか、肉をうまく噛みちぎれなかったことか、はたまたそれがまだ壊れていないことがだろうか?

何一つわからないままそれは許しを乞う


もういい、そんな事しなくていいんだよ


「………??」


全部の感情を上塗りされる、そんな事をしなくていいという言葉の意味は理解しているが己の何をしなくていいのかがわからない…それはまともを知らない

困惑しているそれの頭に手が伸びる、あぁなるほど殴るなら直接が良かったのかとそれが安心していると…


「???」


優しく頭に手が触れて、そして優しく頭を擦られている?

訳がわからずそれがますます困惑していると男はおもむろに拳を握った、それは歓喜した、訳のわからなかった男の行動がここに来てやっと理解できる形になったからだ

甘えるように尻尾を揺らし大人しく頭を差し出す…だが男は「ごめんな」と言ってまたそれの頭を優しく左右に擦る


「??????」


本当にこの男が何をしたいのか分からない、早く殴るなり蹴るなりしてもらわないと己はどうしたらいいのか判断がつかないじゃないか

それを痛めつけるならこの男は“パパ”の新しい友達でここは次の屋敷、しかしそれ以外なら己はどうなったのか分からないし目の前の男も謎のままなのだ


「うっ…うっ…はやく…」


それは頭を擦る男の手を掴むとギュッと拳を作らせて己の頭へ戻す、さぁお前はどっちなんだという答えをもらいたい

だが男はそれをベッドに座らせると何かしらの魔法を腕にかけてくる…あぁそうか!焼くのか!!ならばベッドでやると燃え移るかもしれないし汚れる、そう思って床に降りて腕を差し出すが男はひょいと抱え上げてベッドに戻してしまう


「………はっ!!」


そうか丸焼きだ!!それはベッドに倒れ込んで柔らかな羽毛布団を掴んで身に纏わせる、丸焼きにするのなら布のあるベッドに戻すのは当たり前だ

さぁどうぞ!と期待の目で男を見ながら燃えやすいようにあまり血で濡れていないさっき噛み付いた方とは別の腕を差し出せば男は困惑に苦笑しながら両の手を掛け布団から引っ張りだして魔法をかけ始めた

こんな距離だと男も魔法に焼かれるのでは?と思っていると腕の痛みが引いていく、なんだなんだと思って腕を見るために引っ張ろうとするが男の方が力が強くて敵わない


あんまり治癒の魔法は上手くなくて、ごめんな…


そう言いながら申し訳なさそうにシュンとする男の顔に向かってそれはついに疑問を口に出した


「…だれ?」


ぶふっ!と男が吹き出した、やっと笑った!これであってるんだ!よく分からないがこの男は猫の真似よりも「誰」が嬉しいのだ!


「だ、れ!だれ、だれ?」


そうだよな、訳わかんないよな


だれ?と鳴いていると男は苦笑したままにまたそれの頭を優しく擦る、痛みが引いてその感覚に集中する余裕が出てくると頭を優しく触られる感覚が心地よくてゴロゴロと喉が鳴った


俺の名前はアンドリュー、キミを助けるのが遅れてごめんな


「だれ…?」


助けるってなに?という意図でそれは鳴く、人の言葉を喋ると“パパ”たちは怒ることが多かったから鳴き声というものを覚えたそれは一度決めた鳴き声を安易に変えなかった


誰ってアンドリューだって、フルネームも言うか?アンドリュー・エルセルディティア、このセカンド大陸で第一王子をやってるんだ


第一王子、その単語は覚えている

“パパ”がいつかころしてやると前に言っていた男のことだ、ころすは壊すだ、これは壊さないといけない男だったんだ

……が、体が動かない


なぁんだよお前ぇ〜さっきから喉ゴロゴロ鳴らして猫みたいなやつだなぁ?……えっ?!まさかアイツそういう趣味だったのか?!


ち、違うのだ、壊さないといけないのは理解しているのだがこの男に頭を擦られていると気持ちが良くて力が抜けてしまうのだ

だんだんと色々訳わかんなくなってきてしまったそれは困惑の坩堝の中で喉をゴロゴロ鳴らしながら大人しく頭を擦られる


「ウゥゥ〜…!」


威嚇で歯を剥き出しにして唸る、唸りながら手に力を込めるがひょこっと出た爪はいつもと比べて随分と手入れがされていて丸っこく整えられていた


「…ウゥ?」


どうしよう、できるかなぁと自分の手を引っ掻くがまるーく整えられてしまった爪は全力でガリガリと引っ掻いても皮膚を切り裂くことなく真っ青なミミズ腫れがせいぜいだ…そして出来上がったミミズ腫れは男が「はいはい、やめような〜」と言いながら魔法で治してしまう

ならば糸で首を!そう思って糸を出すがいつも糸を出している手のひらを男がすかさずキュッと手のひらで塞いでしまったので出口を邪魔された糸がひゅるるーと隙間から左右に散ってしまった


知ってるよ、あのクソ野郎が俺の暗殺計画をお前に漏らしてたんだろ?もういいんだ、あのクソ野郎は俺が捕まえて…


「ッ!!パパ!!」


捕まった、“パパ”が捕まった、それはまずい助けに行かないと!!

そう思えば体に力が戻った、それがそう動くと予測していたのか男はそれが怪我をしない力加減で捕まえる。邪魔をするなと腕を振るえばその綺麗な頬に真っ青なミミズ腫れ…ではなく柔らかな皮膚だからか血が流れた

滅茶苦茶に暴れた、男を殴りつけ、蹴り付け、ひっかき、噛み付いた…それでも男はそれを放さなかった


「ウゥゥゥゥッ!ガァッ!!うあああっ!!はなす!はなす、して!パパぁっ!!!」


何分も何時間も暴れた…しかしまともに食事も与えられず、何度も酷使され、痛めつけられたそれの体力が長く保つはずもなくやがて気を失った

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