奥様が旦那様に興味を持つ作戦、その③-4
「あの……」
「…………ん?」
「旦那様は怒っていらっしゃらないのですか?」
はにかみながらかすかに照れるような素振りを見せていた旦那様は、私の質問にきょとんとしたように目を少しみはった。
「何をだ?」
「何をって……私が旦那様に何も言わずにこちらにやってきたことです」
「ああ」
「ああ、って……」
さすがに旦那様がやってくるとはまったく思っていなかったけど、戻ったときに怒られるだろう、とは思っていた。
何も言わず夫の実家に帰るのは、貴族でも平民でも、普通のことではない。
しかも執事や侍女にもバレないよう秘密裏に動いていたのだから。
納得したかのように頷くと、旦那様は微笑みながらハッキリと告げた。
「驚きこそすれど、怒ることはない」
「……旦那様は、お優しい方ですね」
その言葉には、驚きを通り越してすこし呆れが混じっていた。
だがすぐに旦那様は「どうだろう」と曖昧な言葉で応えた。
「俺は、人と関わることが少ないから、自分が優しいかどうかはわからない。だが、あなたに対しては、噓偽りなく誠実でいようとは心がけている」
「……でも、夜会ではだいぶ頑張っていらっしゃるでしょう?」
「ははっ、それは許してほしい。俺だって精一杯頑張ってるんだ」
旦那様が声を出して笑う姿は珍しい……というよりか、結婚してから初めて見たかもしれない。
彼は普段よりもずいぶんと柔らかい雰囲気をまとうと、おもむろに立ち上がり、私のほうへやってくる。
「あなたといると、自分の心が温かくなるのがわかる」
そしてきゅっ、と優しく私の手を握った。
「いつも女性に恐れられることが多くて、表面上は優しくされても、目を見れば恐怖が垣間見えていた。でも、あなたは私を心の底から心配してくれた。それが、とても嬉しかった」
淡々と話してはいるが、こちらを見つめる視線は普段よりも少しだけ柔らかい。
普段の旦那様も同じような視線を向けてくることが多い。
難しそうな本を読んでいるときや、朝食や夕食をとっているとき、エントランスホールでお出迎えやお見送りをしたときのことを思い出す。
そのときも、今よりもすこしわかりづらいが、似たような視線だった。
(……待って。つまり、普段からそう思っていたってこと……?)
私は今まで、大きな勘違いをしていたかもしれない。
旦那様と私は政略結婚だったから、旦那様から私に対して恋愛感情があるとは思っていなかった。
でも旦那様は、実はいつも私のことを大事に思ってくれていたのだ。
とはいえそうなると、疑問が湧いてくる。
「旦那様はどうして、私と二人きりになるとお静かになるのですか?」
そもそもリズと作戦を決行しようとした理由として、旦那様が夜会では饒舌に話してはいれど二人きりになると黙る、というところに疑問を持ったところから始まる。
まあそれ以外に、いつも一緒に寝たことがなかったり、もはや離縁できるくらいには白い結婚が続いていたり、という理由もあるけれど。
先ほど夜会では頑張っている、と言っていたけれど、あくまで夜会では表面上を取り繕っているだけだと思っていた。
じっと旦那様を見上げる。
彼の瞳はかすかに揺れていたが、ぎゅっと瞼を握ったかと思うとすぐに開き、目を逸らす。
その表情は、先ほどよりも照れた様子だった。
「……あなたと二人きりになれたことが嬉しいのと同じくらい、緊張してしまって…………話そうと思っても、言葉が出てこないんだ」
「…………」
「……すまない、やはり変だっただろうか」
眉尻を下げて、まるで子犬が怒られたときのような表情の旦那様を前に、私は自分が空回っていたことにようやく気づいた。
王都騎士団の団長で、夜会でも他の参加者と優雅に話をして、誰もが羨む侯爵様。
しかしその実、妻と二人きりになると緊張で言葉出せない……
(旦那様ってとても、可愛らしい方なのね)
なんだか悩んでいたのが馬鹿らしくなって、私はため息をついた。
びくっと肩を震わせる旦那様の手から手を離し、逆に旦那様の手を上から握ると、怯えたような目つきの彼をじっと見上げた。
「旦那様。私たち、これからたくさんお話ししましょう!」
「話す?」
おうむ返しに訊ねる旦那様に、私は大きく頷いた。
「私はいままで旦那様のことを勘違いしていましたし、わかりませんでしたし、そのせいで旦那様の前では自分の素の姿をお見せしていませんでした」
「そうなのか?」
「そうなのです」
驚く旦那様をよそに、私は彼の手を引いてベッドへ横たわらせた。
私も蠟燭の火を消してから、ベッドに入る。
2つあるうちの旦那様が寝ているほう、つまり同衾ということになる。旦那様は一緒の部屋で寝るのが初めて、と言っていたけれど、さらに先を行ってしまった。
……まぁと言っても、本当にただ同じベッドで寝るだけなのだけど。
「だから旦那様のことを知りたいです。細かいところまで教えてください」
「……そうだな」
「そして、私のこともたくさん知ってくださいね」
「…………」
「…………あれ、旦那様?」
隣を見ると、旦那様はすでに寝てしまっていた。
結婚してから2年が経つというのに、初めて見るそれになんだかドキドキしてくる。
たしかに、今日は騎士団のお仕事があって、そこから馬を飛ばして隣の領地までやってきたのだから、団長とはいえ体力が尽きてしまったのだろう。
「ふふ、おやすみなさい、旦那様」
寝息を立てる彼にそう言うと、彼はごそごそと動き私のほうへ寝返りを打つ。
なんだかその表情が嬉しそうに見えて、私は彼を抱きしめ、彼の温かい体温を感じながら、初めて一緒に寝る夜を過ごしたのだった。
◆
なんだか気恥ずかしくなって、寝たふりをしてしまった俺は、傍から見れば男らしくない軟弱な野郎なのだろう。
あまりに自分に都合が良すぎて、幸せな夢かと思ったが、そうではないようだ。
ぎゅっと体に回るか弱い腕は、ルイーゼのもの。
初めて見る彼女の寝顔は本当に可愛らしく、絵師に描いてもらいたいくらいだった。
……いや、独り占めしたいから、絵師に見てもらうのも嫌だな。
「……ふはっ」
そんなことを考える自分にびっくりして笑ってしまう。
いけない、声を出したら起きてしまう。ルイーゼは明日も早いのだから。
俺は、彼女の体に腕を回してぎゅっと抱きしめ、瞼を閉じた。
「俺は、君と一緒にいられるだけで、本当に幸せなんだ」




