奥様が旦那様に興味を持つ作戦、その③-2
「夫人、ようこそいらっしゃいました。領の皆、歓迎しておりますよ」
「ふふ。歓迎していただいて、ありがとうございます」
買い物を終えた私たちは再び馬車に乗り、フォンダン侯爵領の中心にある、侯爵領本邸へとやってきた。
出迎えてくれたのは旦那様のお兄様、エルドリック様だ。
肩あたりまで伸ばしたグレーの髪を一つに束ね、綿の簡素なシャツとボトムスを身につけた装いは貴族らしくなく、どちらかといえば商人にほど近い。
旦那様と違って表情豊かでわかりやすいのも、商人らしいのだろう。
正直に言えば、目元あたりにかすかに似た雰囲気こそあれど、旦那様とエルドリック様はほとんど顔立ちが似ていない。
(聞いてみないことにはわからないけど、何か複雑な事情でもあるのかしらね……)
そんなことを考えるがおくびにも出さず、私たちは案内されるがままに本邸へ足を踏み入れた。
案内された応接間のソファに座ると、エルドリック様は「少し準備をしてきます」と言って席を外し、応接間には私とリズだけになった。
今回は旦那様の過去についてを聞くのが主目的だけど、侯爵夫人として、今のフォンダン侯爵領の特産品について勉強するのも目的の一つ。
とはいえ、王都の屋敷を午前中に出て、時刻はすでに夕刻すぎ。
商人さんたちは基本的に朝早くから活動し、終わるのも夕方早くなので、今から訪問すると迷惑になってしまう。
だから明日早めに出立して、特産品についてじっくり勉強させてもらおうとしていた。そのための手配は、すでにエルドリック様がしてくれている、と聞いている。
(ただ、旦那様のことを今聞くのは少し憚られるのよね……)
来て早々「旦那様って、なんであんなに寡黙で無表情なんですか?」と聞くのは、デリカシーに欠けると思う。
大して理由がなかったら構わないけれど、重い過去があったら大変だ。
さりげなく、そして周囲に人があまりいないときにエルドリック様に聞かないといけない。
対して今は、王都のお屋敷よりは少ないとはいえ、この本邸にも使用人はたくさんいる。
使用人たちが事情を知っているか知らないかはわからないけど、知らないという前提で動いたほうがあとあと良いと思うのよね……
(あーもう! タイミングがわからないわ!!)
うだうだ自分の中で考えて、結局結論は出なかった。
ふう、と誰にも聞こえないようにため息をひとつつくと、対面に腰かけたエルドリック様がこちらを見やって口を開いた。
「アルベルトは元気でやっていますか?」
「え、ええ! 騎士団ではいつも辣腕を振るっていますし、社交でもとてもうまく立ち回っておられますわ」
「それはよかった。私の体が強くないばかりにすべて任せてしまったから、大変そうだったらどうしようと思っていたのです」
そう言い、エルドリック様は目尻を下げ嬉しそうにする。
その表情はどう見ても兄が弟に見せるそれで、直前まで考え込んでいたことがなんだか馬鹿らしくなってしまった。
「旦那様はいつも侯爵家のためにとても真摯に働いておりますから、まったく問題ございませんわ」
「はは、ずっとそばにいる夫人が言うなら安心ですね」
エルドリック様は声を出して笑うと、一口紅茶を飲んだ。
「でも、アルベルトはなかなか表情が読みづらいし、自分の考えもあまり口に出さないから、一緒にいて戸惑うでしょう?」
その言葉には、すぐに返答できなかった。
何せ、その理由を聞きに来たのだから。
というか、私がいつ聞こうか悩んでいたというのに、まさかその話をエルドリック様のほうから振ってくるとは思わなかった。
(なんて言おう……嘘はついてはいけないけれど、でもエルドリック様を悲しませるようなことを言うのも……)
私の黙考はさほど長時間ではなかったはずだが、エルドリック様は「ふはっ」と再び声を出して笑い、カップをソーサーに置いた。
「まぁ、あいつはあれでいて意外とわかりやすいものですから、よかったらまだ見捨てずに一緒にいてやってください」
そういうエルドリック様の表情は、やはり兄が弟のことを想うようなものだった。
「ところで、アルベルトはいつこちらにやってくるでしょうか」
「旦那様ですか? いえ、とくに来るとは伺っておりませんが……。もしかして先触れが届きましたか?」
そもそも旦那様には、今回の訪問についてはすべて事後報告。
旦那様の執務机の上にお手紙を置いていて、それに全部書いてあるし、なんなら「旦那様はお仕事頑張ってくださいね」と書いたから、たぶん来ないだろう。
そう思ったのだが、エルドリック様はかぶりを振りつつ、応接間の扉に視線を向けた。
「いえ、届いてはいませんが……ああ見えてあいつは意外と、直情的なのですよ」
「直情的?」
旦那様が? 感情を隠さないでそのまま行動すると?
何かの冗談だろうか。
まさか、緊張している私をなごませるための?
でもエルドリック様の表情は余裕めいているとはいえ、冗談を言っているようなものではない。
……とそのとき、扉の向こうからドタドタと荒い足音が聞こえてくる。
そしてノックもされず、勢いよく扉が開いた。
「ルイーゼ!!」
「……でしょう?」
扉が開くなり、まっすぐにこちらに向かってきたのは――旦那様だった。
肩を大きく動かして荒く呼吸し、仕事からそのまま来たのだろう騎士団の服は胸元が開いている。
なんだか普段のきっちりした服装とは違って、崩れた雰囲気が少し色気を感じて――
「よかった……!!」
「きゃっ!」
しかし旦那様がその勢いのままぎゅっと私を抱きしめたものだから、私の頭に浮かんでいたそんな考えは、すべて吹き飛んでしまった。




