第二十一話 統帥
諸君が指揮官になった時、部下に死を与えることを躊躇してはならない。死とは、ただ人間がこの世に入ってきたドアから、また出ていくだけだ。誰も、自分がどのドアから入ってきたかは知らず、それに文句をいう者もいない。ージョージ・パットン
〜世界首都ゲルマニア〜
「彼は確かにこれまで我々を導いてきた。だが、彼は劣等人種を理解できないらしい。退廃していく者に遠慮はいらないだろう。君たちの手によってのみ、国際ユダヤはアーリア人の理想郷から駆逐される。それは何らシラミ取りと変わらない行為だ。君たちの覚悟を、勇気を、忠誠を、その手で示すのだ。同胞諸君の健闘を祈る。」
〜ローマ〜
ここローマはある男がおよそ30年にわたって支配していた。べニート・ムッソリーニだ。彼はファシズムという思想を世界に知らしめ、イタリアにて実行に移した。しかし、彼は反ユダヤ主義者ではなかった。彼は人種主義よりも民族主義に重きを置いていた。そしてそれは、第二次世界大戦で枢軸国が勝利していた世界でもドイツとイタリアの溝を生んだ。ましてやナチス親衛隊はナチズムを具現化するための組織であり、親衛隊がドイツの権力を全て掌握したことにムッソリーニは相当な危機感を抱いていたのだ…
「ご来場の皆様、本日はお集まり頂き誠にありがとうございます。本日はローマ進軍での成功から30年の節目を祝わせていただこうと思います。それでは早速ではございますが、第59代イタリア王国首相ベニート・ムッソリーニ閣下からお言葉を頂戴させていただこうと思います。それでは統帥閣下、壇上にお上がりください。」
「えぇー。紹介に預かりましたべニート・ムッソリーニだ。我々がローマ進軍を行った際のイタリアの状況をよく知らない者もきっといることだろう。手短にその頃のイタリアの状況を最初に話させていただきたい。第一次世界大戦でイタリアは戦勝国となった。戦死者は60万人を越えたと言われている。しかし、これだけの多大な犠牲を払ったというのにイタリアは豊かにはなれなかった。パリ講和会議では、ロンドン密約で保証されていたはずのイタリアの植民地拡大はほとんど認められなかった。未回収のイタリアも全てを回収することはできなかった。フィウメもユーゴスラビアの領土となった。賠償金も英仏と比べると僅かな金額しか獲得できなかった。イタリアは『講和での敗戦国』とまで言われた。当然、我々にとっては屈辱的なことであった。イタリアの同胞諸君の失望と怒りも同時に爆発しようとしていた!しかしそんな状況でも、この国の実験を牛耳っていたのは無能な政治家だったのだ!だからその時、我々は立ち上がり!ローマへの行進を開始したのだ!あの時、イタリアはまさしく運命の分かれ道にあった。凡人はそこで立ち止まり、ただ絶望するだけであろう。だが、我々は違った!我々は必ず進み続けた!イタリアの未来を決めるのは、他国でもない!無能な政治家でも、ローマ教皇でもない!我々なのだ!あの革命によって我々は偉大なイタリアという誇りを取り戻したのだ!我々が進み続けたローマへの道はただの道ではなかったのだ!栄光のイタリアへの道だったのだ!」
(パチパチパチパチ)
「誠に素晴らしいスピーチを有難うございました!」
ムッソリーニがスピーチを終えて、壇上から階段で降りている時のことだった。
「ドスッ」
彼は突然倒れた。
我々を掻き立てる衝動は一つ、我々を集結させる意思は一つ、我々を燃やす情熱は一つ。それは祖国の救済と発展に貢献する事である。ーべニート・ムッソリーニ




