一本目 (3)
「…………は?」
アメリーは耳を疑った。
この国において、煙草は貴族の嗜好品だ。
ひと昔前は、煙草を吸う男性は格好良いなどと持てはやされ、社交場での流行りとなった。だがその後、煙草の煙は健康に悪い、しかも吸う本人だけでなく周りにも影響があるという研究が発表され、流行は下火に。
多くの貴族たちは禁煙し、今では煙草のイメージはあまり良いものとはいえない。清い印象が重要視される立場の者――例えば王族とか――から、そんな言葉が出るとは誰も思ってもみない。
「持ってる訳ないか。一本あれば大分回復しそうなんだけど……、なんとか部屋まで戻るしかないね」
そう言って、ほとんど病人のようにも見えるその王子はソファーから身体を起こした。床に足を下ろそうとして、少しふらつく。
彼が戻るという部屋までどれほど距離があるのかは分からないが、とても無事に辿り着けるとは思えない。
この状況は一体何なのか。困惑しつつも、アメリーは慌てて彼に声をかけた。
「あ……、待ってください。今、誰かを呼んできますから」
「いや、誰か呼ばれたらバレるでしょ。色々」
「…………」
青白い顔で、彼は口の端を少し上げて微笑んだ。
アメリーは思わず、不躾にもその顔をまじまじと見つめ、ぱちくりと一つ瞬きをした。
――バレるって、色々って、何?
王子が護衛も付けず、一人でこんなところにいること? 抜け出してきたとかそういうことかしら?
それともこの、体調のこと? 私の耳がおかしくなったのでなければ、さっき煙草がどうとか仰っていたわ。もしかして……。
アメリーは、自分が知る限りの煙草の知識を絞り出した。確か、煙草には中毒性がある。一日に何本も吸う人が煙草を切らすと、頭痛や倦怠感などの身体症状が出るらしい。彼のこの体調不良は、まさか。
アメリーが考えているうちに、彼はふらふらと歩き始めた。
「まあ、なんとかするから。君、ここで見たことは誰にも言わないでね」
「で、でも……」
あんな様子で部屋まで戻れるのだろうか。アメリーは肩を貸すことも考えたが、彼女に成人男性を一人で支えられる自信はない。
それに、王子がどこぞの者とも知れない女性と二人で歩いていれば、色々問題な気もする。いや、具合が悪いのならそんなことは言っていられない――。
様々思い巡らすうち、アメリーははたと気がついた。
煙草なら、持っているではないか。
「あ、あの。私、煙草持ってます」
「……え?」
本棚を伝うようにして歩みを進めていた彼が、アメリーのほうを振り返った。
アメリーはお使い用の手提げかばんを開き、そこから新品の煙草を一箱取り出してみせた。
「君のようなお嬢さんが、そんな物を持ってるとは。何にせよ、助かったよ」