一本目 (2)
ああ、駄目……。どうやら見間違いじゃなかったようね。
アメリーはがくりと肩を落とした。
けれど、もちろん恐怖はあるが、彼女の心は意外にも落ち着いている。――深呼吸が効いたかしら。
さっさと館長の依頼をこなして戻りたいところだけれど、“あれ”はどうしましょう。不届き者だったら衛兵に知らせなければ。
一度外に出て鍵を閉めて、それで誰かを呼べば……。私の勘違いなら恥ずかしいけれど、何かあるよりはいいでしょうし。そうだわ、そうしましょう。
思案した結果。最善と思える策が纏まったので、アメリーはひとまず納得をした。
くるりと向きを変え、彼女がその場を離れようとした、そのとき。
「……う、待ってくれ……」
例の影から声がした。
アメリーは立ち止まった。恐る恐る、もう一度図書館の奥へと視線をやる。
影はもぞもぞと動いている。
薄暗い中に目を凝らして見ると、“それ”はどうやら書籍閲覧用のソファーに横たわっているようだ。
急に発せられた声に彼女は思わず身構えたが、襲いかかってくるなどの気配はない。むしろ――。
もしかして、あの人……? 亡霊? 何かわからないけれどともかく、具合が悪いのかしら?
先ほど彼女の耳に聞こえた声は、何か苦しんでいるような様子だった。
未知のものへの恐怖、自らの身の安全、困っているであろう人(?)からの呼びかけ。様々な感情に葛藤しつつも、アメリーは図書館の奥に足を向けた。
ぎゅっと拳を握り、一歩一歩近づいていく。
ソファーまであと一歩というところで足を止めると、彼女はその人に向かって声をかけた。
「あの、もしかして……、具合が悪いのですか?」
近づくにつれ、それがどうやら人間であることが分かった。
ソファーにうつ伏せに横たわり、上から薄い毛布を被っている。俯いているので顔は見えないが、毛布から髪がいくらかのぞいている。さらさらとして少しの癖もない、艶やかな金髪。
アメリーの問いかけに反応して、その人物は顔を上げた。
アメリーは驚きに目を見開いた。
ほとんど赤色に近い、澄んだ琥珀色の瞳。その瞳が、乱れた前髪の隙間から上目がちにアメリーを捉えている。
顔からは血の気が引き、陶器のような肌は青白い。なんとも気怠そうな表情だが、それがかえって彼の端麗な顔貌を際立たせる。ぞっとするような美しさ。
服装は黒にきわめて近い濃紺のジャケットに、同色のボトム、黒のロングブーツ。
一見地味にも見えるその衣装は、よく見れば上等な布地であつらえられ、同系色の糸で細かな刺繍をなすといった意を凝らしたもの。静かな上品さが窺えると共に、それらを纏う人物自身の華やかさがよく映えている。
不覚にも一瞬、アメリーはその恐ろしいとも云える美貌に目を奪われてしまった。
だが、彼女が驚いたのはそれだけではない。限りなく赤に近い琥珀色の瞳。この国でその瞳を持つのは王族だけだ。
王城内だから王族がいてもおかしくはないけれど……。何故また、こんなところに? 護衛も付けず?
年齢からして、きっと王子のどちらか……、第一王子はもっとふくよかだった気がするから、第二王子かしら。遠目にしかお見かけしたことがないけれど。
ああ、そんなことより。具合が悪いのならどうにかしなければ。どう見ても悪そうだわ。
次々と頭の中に浮かぶ考えを整理して、アメリーは改めて目の前の彼と向き合った。
まるで、彼女の情報処理が終わったのを見透かしたかのように。
彼は、アメリーが彼のほうへと向き直るのを待って、ゆっくりと口を開いた。
「……ねえ、君。煙草持ってたりしない?」