赤い花 (4)
「……でも、私はただの田舎領主の娘で」
初めて彼女の口から出た反論ともいえる言葉に、ロベールは満面の笑みを以て返した。そんなことは想定内だとでも言うように。
「ついでに言うと、君との結婚も陛下は了承済みだ。使えるものは使わないと、王子の権力というのはこういうときのためにあるんだよ。普段は真面目に“王子”をしてるんだから、たまにはいいでしょ?」
余裕たっぷりの笑顔に気圧されつつ、アメリーはなおも食い下がった。
応酬が何度か続く。
「妃教育とかそういうものも、私は当然受けていませんし」
「君に王子妃の責務を求めるつもりはないよ。これまでと変わらず、図書館員の仕事を続けてくれたらいい。君が生き生きと仕事する姿を見るのは僕の望みでもある」
「あと、私はあなたより三歳も年上で」
「そんなこと気にしてたの。少なくとも僕は君の年齢なんか気にかけたこともない。もしかして、僕のこと年下だなんて見くびってる?」
首を横にぶんぶん振って黙したアメリーを見て、ロベールは満足げに、ゆっくりと瞳を細めた。手を伸ばし、彼女の頬に触れる。
瞬間アメリーはぴくりと肩を震わせ、再び彼の顔を見上げた。
「で、でも」
「まだ何かあるの?」
僅かにムッとしたようなロベールの表情は、まるで小さな子どものようで。
図らずもそこにむず痒さのような感覚を覚えながら、アメリーはこの場において一番の核心であろう問いを投げかけた。
「どうして、私のことを……?」
彼は目を見開いて。
それから心底呆れたという様相で、大きく溜め息を吐いた。
「……人を好きになるのに理由なんか要る?」
途端に、アメリーは自身の頬が急速に熱くなってゆくのを感じた。燃え盛る炎をすぐ側で受けているような、熱。
「強いて言うなら、あの場所で君と過ごした時間が楽しかったから、かな。君だって同じじゃないの、こんな物を持って」
言いながら、ロベールはアメリーの右手をとって胸元の辺りまで掲げた。
その手に握られていたのは、一枚の赤い花びらを閉じ込めた小さな栞。
「あ……」
アメリーは、そこで初めて自身の手の中に栞があることに気がついた。予期せぬ訪問者に遭ってバタバタするうち、引き出しに仕舞い損ねて握ったままになっていた。
「まったく……、君は僕のことなんか何とも思っていないのかと。最後の日までは」
ロベールは、第二図書館にて最後に見た彼女の姿を思い出していた。
花束を手渡した際の彼女の反応は、想定とは少し違っていて――つい、消すはずだった火が燻った。
突如として詰められた距離に、彼女は精一杯の拒絶を示した。けれども、その瞳には隠しきれない涙が滲んでいた。
「だからあのあと、僕はご令嬢との婚約話を白紙に戻した。少し調整に時間がかかって、待たせちゃったけど」
一歩、ロベールは彼女との間にある距離をさらに縮めた。
思わず後退りしかけたアメリーの身体はそれを見透かされていたかのように、易々と彼の腕によって抱きとめられる。
点った炎はゆらゆらと妖しく揺らめいて、止まることを知らない。
「ねえアメリー、僕と結婚してくれるよね?」
例えば遠慮や手加減だとかの概念。それらはどうやら彼の中から完全に消失したらしい。
恐ろしいほどに美しい笑顔がアメリーの眼前にじわじわと迫ってくる。一段と緋く燃える二つの灯を伴って。
――呑まれる。待って、もう少し、まだ完全に頭の整理がついていないというのに――。
ほとんど目眩にも似た感覚を押して。必死に、アメリーは足掻くように両手を上に伸ばした。
にじり寄るロベールの顔と自身との隙間になんとかその手を滑り込ませる。
それからやっとのことで、彼女は小さく声を絞り出した。
「――条件が、あります」