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赤い花 (1)

 

 それでもアメリーには、彼にもらった小さな赤い花を捨ててしまうことはできなかった。

 彼女はそれを花瓶に入れ、一人暮らしの部屋の片隅に置いた。


 鮮やかな花は毎日少し、ごく少しずつ、その赤色が薄ら抜けていくように感じられて――といっても彼女はそれをじっくり眺めることはしなかったのだが――数日経って、溜め息ひとつばかりの躊躇いの後、彼女は目の端に揺らめく赤の花びらを一枚だけ摘み取った。


 手のひら大の紙片上に重ね置いた花びらに、職場の器械を借りて透明の保護膜をかける。そうして出来た栞のようなものを、彼女は仕事机の引き出し奥に仕舞い、固く閉ざした。



 外では街路樹たちが葉を落としていた。芯の冷える寒さが、街を、生活を覆い尽くしてゆく。一方で、凍える季節は人に温もりを思い出させる役をも負っている。

 王都に住む多くの人たちと同様、冬の休暇がくるとアメリーは実家へ帰省した。


「お帰りなさい、アメリー。寒かったでしょう、さあ早く入って」

「ああアメリー、久しぶりに会えて嬉しいよ。元気にしてたか? 都会の暮らしは慣れたかい?」

「二人とも久しぶり、元気よ。職場の人は皆優しいし、うまくやってるわ」


 愛情深く、気取らない両親。そこに気さくな兄夫婦と幼い甥姪が加わって、年末、実家の食卓は絵に描いたような家族団欒。


 ひと月の半分以上にもなる休暇のほとんどを、アメリーはその温かな場所で過ごした。

 外に吹く寒風や氷雪が一切届かない、全てから守られた安心そのものである空間。憂いなどつゆ知らぬ子どもに戻ったかのような時間。それらは彼女に、深く仕舞い込んだ一片の赤の存在をひと時忘れさせた。



 休暇明け初の出勤日、空は新年に相応しい晴れやかな青空だった。

 道路脇には雪が残るが、道自体はきれいに整えられている。社会生活の始動に備えて除雪作業が行われたのだろう。王都ではこうした作業がきちんとなされている。


 昨年アメリーが初めて王城図書館に勤めた日も、同じく澄み渡った冬の朝だった。あたかもその日が戻ってきたような、そんな新たな気持ちと共に、彼女は年明けの仕事を開始した。


 年始業務が少し落ち着いた頃、職場には新参の図書館員が一人入った(人手が足りない訳ではないが、ここが王城施設であるという性質上、様々な伝手(つて)等による人員の増減がある)。

 新人の仕事である水曜日のお使いは、引き継ぎと何度かの同行を経て、彼女の手を離れた。




 ――彼はまだ、時々あの場所で“息抜き”をしているのだろうか。


 降るのか降らないのか、どっちつかずの雨が零れたあの日以来、アメリーは第二図書館を訪れていない。“逢瀬”に出向いていないことは勿論、図書館員としての用事もなかったからだ。



 元々あの場所は、彼の唯一の憩いの場だった。


 おそらく様々な面で兄より優れていたであろう第二王子は、無用な争いを避けるため、幼き頃より愚弟に徹した。

 王座になど何の興味もないと周りに意識付けるかのように、高貴な者に有りがちな、芸術という趣味に耽ってみせた。いつしか実直な兄王子と対比して語られていたことすら、計算のうちとでも言いそうな様子。しかし愚か過ぎるのもそれはそれで問題になるため、あくまで程度を見ながらといった徹底ぶりで。


 それから彼は、どうやら裏で重要な任を果たしているらしかった。

 長らく戦のない平和な世といえど、王族には多大な責務がついて回る。領土の状態、税関係の確認やそれらに関する政策の制定、執行、国内外の要職者や高位貴族との交流、権力均衡の把握、調整……。平和にかまけてそれらを(ないがし)ろにしていれば、どこかで足元を掬われるとも知れない。


 兄フェルナンは優しくて真面目だが、ある種の狡猾さも必要である政治の機微を感じ取り、実務に反映することにおいては少々心許(こころもと)ない。

 兄を心から慕う一方、否だからこそ、彼は第一王子の資質を冷静に測ったうえでさりげなく政務の重要な部分を補完していた。勿論自分のほうが秀でているなどとは悟られないよう、細心の注意を払って。


 こうした王子としての諸々を、王政を補佐する文官や他の貴族たち、民の目に晒されながら、彼は日々涼しい顔でやってのけていた。


 と、ここまで直接的な言葉で彼がアメリーに説明した訳ではないが――。



「好きでやってることとはいえ、たまに疲れちゃうんだよね。他人の顔を窺ったり、()()()()表情ばかり作ってたりすると」


 曇りがちだったその日、一瞬だけ途切れた雲間から小部屋に()が差した。唐突にふりかかってきた強い光に、彼は顔を(しか)めた。


 再び雲が空を覆い部屋が薄暗さを取り戻したとき、ほっと安心したように息を吐いた彼の横顔を、アメリーは思い出していた。



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