表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/25

休日 (2)

 

 だから、万が一。もし、もしも億が一……



 このところ少し、見えるような気がしていた彼の心の一部分。それらは余すことなく、始まりと同じ完璧な笑顔の裏へと引き上げられてしまった。


 寂しいなどと――。こんな微かで頼りない、胸の奥の(わだかま)りみたいなものが、()()であるはずがない。万が一、億が一そうであるとしたって、なくて構わないものなのだから。




 ……こうした彼女の憂鬱は、とある休日のこと。


 ふと、先の水曜の、第二図書館での出来事を思い出したアメリー。気晴らしに読書でもしようと適当に開いたその本がよくなかった。


 前日職場を出るときに、中身も表紙さえ見ずになんとなく借りてきた一冊。それは、恋愛経験のないまま大人になった主人公が、徐々に想いを自覚しながら進んでいく壮大な恋物語だった。



 主人公の幼少期から綴られるその境遇は、どことなくアメリーのものと似ていて。自身の記憶や考えを、彼女は自然と呼び起こさずにはいられなかった。

 主人公が少しずつ、とある男性への想いに気づき始める――そんな場面まで来て、アメリーはついに本を閉じた。いたたまれなかった、何かが。


 知らないなら知らないでそのまま生きていけたであろうものを、未だ形をとらないその感情には名前があるのだよと、ちくちく横から誰かが(つつ)いてくるような感覚。全くもって余計なお世話。放っておいてくれたらいいのに。



 アメリーは手にしていた本を、表紙を下向きにして、そっと机の上に置いた。


 まだ十分日が高い時刻だが、彼女はおもむろにベッドに上がる。そして枕に顔を(うず)めた。平日とは違って無造作に束ねた暗めの赤茶色の髪が、首元をするりと撫でていく。


 王城を出てすぐの、単身者向け居住施設。王城内で勤務する未婚の者は大抵ここに住んでいる。



 アメリーはここが気に入っていた。

 一人暮らしにちょうどよい小じんまりとした部屋。ベッドや簡素な机、飾り棚など、最低限の家具は作り付け。少しの着替えなどを持って、彼女はここにほぼ身一つでやってきた。その気軽さが、なんだか自分だけの秘密基地みたいで。


 職場である図書館では本が借り放題、借りてきた本を部屋で一人ゆっくり読むのが、休日のアメリーの至福の時間。

 仕事での失敗とかちょっとした落ち込みも、時々は実家が懐かしくなってしまうのも、現実世界でのあれこれは本を開けばさっぱり忘れてしまえた。それなのに。


 忘れるために手にした本によって、反対に現実へ引き戻されてしまうなんて。

 いえ、むしろ、開かなければ見なかったことにできた、そこをこじ開けられたような気も……。




 一つ、アメリー自身にも不思議だったのは、あの第二図書館での時間がもうすぐ終わりを迎えるという事実、それよりも。

 一度は見えていたものが見えなくなった、どうやら自分はそこに応えているらしい、ということ。透明な扉を、急にがしゃんと閉められたような心地がした。



 ――全て、なかったのではないか。

 あの、彼の笑顔。見た瞬間に思った。



 気乗りしないままに、でもどうしても振り切れずに図書館へと向かった、そこで見た、光と影。


 緋く揺らめく炎、一回一回点いたり消えたりしながらも、静かに燃え続けていた赤。


 届かぬはずの煙草の匂い、香ったそれが全く不快ではなく、また、手の中にある時間は存外あっという間だったことも。


 内側にある表情だって――。



 それら全部、全部が、本当は最初から存在なんてしなかったのでは。


 そう思った瞬間何かが、彼女の喉元、肺より少し上の空気を止めた。




 息が苦しくなってきたので、アメリーは枕から顔を上げた。


 窓の外、少し向こうに、きれいに並んだ街路樹が見える。すっかり黄色く色づいて。照る時間が短くなった日の光を全身で受け止め、素直に、健気に一層輝く姿。


 眩しい、彼女の脳裏にはそんな一言がよぎった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ