十数本目 (2)
小部屋に移動して煙草に火を点けると、ロベールはいかにも面倒そうな様子でこぼした。
「このあとナミュール家のご令嬢と会う予定があって……、婚約が決まりそうなんだ」
特段の他意なく、アメリーはいつもの世間話の延長で返事をする。
「おめでたいことではないですか」
「……本気で言ってる?」
彼は少し大袈裟に、じとっとした視線を作ってアメリーを見やった。
それから、せっかく火を点した煙草を口にすることもないままに、大きく息を吐いた。
「生涯猫を被って接する相手が増えるかと思うと、頭が痛いよ」
ナミュール家といえば昔ながらの名家だ。一人娘のブランシェ嬢は可憐でたおやかで、輝くばかりの美女だというのはアメリーでも知る話(もっとも実際に見かけたことがある訳ではなく、情報源は言わずもがな姉たち)。
彼女を第二王子妃にというのは、王家及びナミュール家、双方にとって申し分ない話に聞こえる。
政略結婚であることは明らかだが、仮にも夫婦として一生を共にするのだから、相手に素顔を晒してもよいのではないか。そんなふうに思ったアメリー。
素を見せたらいいではありませんか――、言いかけた言葉を、けれども彼女はすぐさま飲み込んだ。
――こんな姿、深窓のご令嬢が目にしたら気絶してしまうわ……。
一旦開いた口を閉じるアメリーを見ながら、ロベールはおかしそうに、ふふっと小さく笑った。彼女が今何を考えたのか、大方察しがついたのだろう。
それから彼はゆっくり目をすがめると、口の両端を持ち上げ、美しい顔を存分に使って意味ありげな微笑みを浮かべた。
小首を傾げてアメリーを見据え、わざとらしく甘ったるい声を発する。
「君が相手なら良かったのに」
「…………はあ」
それが意図的に作られた表情だと分かって、アメリーはなんとも気の抜けた声を返した。
片眉をハの字型に顰めながら、冗談とはいえ光栄ですくらい言っておいたほうがいいかしら? などと考えている始末。
その、さほど困惑もせず一切気にもしていない彼女の様子を見て、ロベールは思わずぷっと吹き出した。珍しく声を上げ、全く愉快だとでもいうように笑っている。
「僕にこんなことを言われて、頬を染めない女性は君くらいだよ」
この数か月、アメリーは、彼がおよそ気を許した態度を見せる場面に何度か立ち会った。だが、ここまで大っぴらに笑うところを見るのは初めてだ。
きょとんと彼を見つめつつ、思う。ここは頬を染めて恥じらうのが正解だったのかしら。でもどう見ても冗談だと、向こうもそれを分かってやってみせているでしょうし。……まあ楽しそうだから、良しとしましょう。
いつの間にか、一緒になって、彼女もつい柔らかに顔を綻ばせていた。
ひとしきり笑ったあと、ロベールは気が済んだ様子でふうと息を整えた。
続いて、先ほどとは違ったごく自然な笑みを湛え。
まるで何かがすっきりと吹っ切れたような。そんな濁りのない面持ちで、彼はからっと言ってのけた。
「正式に婚約が纏まるまで、こうして君との時間を楽しむことにするよ」
彼の手の中にある煙草は、既に大分短くなっている。それをようやっと、あたかも今気づいたという雰囲気で、彼は唇の間に挟んだ。
呼吸に合わせ、煙草の先端の火はじわり、一瞬だけ橙色に染まった。
不意に、外でざあっと樹々が揺れる音がした。
何の気紛れか、普段はごく細くしか開けない窓を、彼は今日、少し広めに開けていた。ある程度まとまりを持った風が勢いよく部屋へと流れ込む。
以前は夏の暑さを和らげるように思えた快い風、それが、今は自身の首筋の温度をすっと下げて通ってゆくのを感じながら。
アメリーは、この季節には終わりがあることを識った。そんなこと、少し前までは当然のように分かっていたのに。