23話 宰相の発言
「おお、これは見事だ」
アリオス王太子が声を上げ、宰相も目を細めて周囲を見回す。
六角形の温室は、壁面に一枚物のガラスを使用しており、部屋を覆う天井部分も半分はガラスだ。
もちろん全面ガラス張りだと強度の問題があるから、俺の腰あたりまではレンガを組んで土台を作り、その上からガラスを使用しているが、それでも見ごたえはある。
今日のように日差しが強い場合は幌を下して室内に入る日差しを調整するが、冬場なんかはかなり温かい。
本来は南国の観葉植物なんかを育てていたようだが、最近ではもっぱらサロンの場所となっており、いまも布を張った椅子やテーブルを配置し、カフェ風に仕立ててみた。
「素敵―! アリオス王太子、あたしも新居にはこういうの欲しい!」
早速メイルがきゃあきゃあ騒いでいるが、気に入ってくれてなによりだよ。
給仕が手際よくケーキと飲み物を準備し、退席する。
予定ではこのまま俺の騎士団が護衛しながら連れ帰る予定だ。
俺は室内を見回してホッとした。
長椅子にはアリオス王太子とメイルのものが並べられ、俺とシトエン、それから宰相のものは丸テーブルに。
昨日は冷や汗ものだったからな。
先を制して先に席を決めてやった。
メイルはアリオス王太子とくっつくように座り、早速ケーキにフォークを入れている。
俺はシトエンをエスコートして座らせてから、ふと宰相の前に並べられた皿を見る。
「宰相閣下。甘いものが苦手なようなら酒を用意しますが」
彼の前の皿にはチョコが数粒載っている。そういえば初日もスコーンを食べていたっけ。
だが宰相は制するように軽く手を上げて見せた。
「とんでもない。甘いものはたくさんいただけないだけで、実は好物なのです。あ、これは王太子殿下にも陛下にも内緒に願います。極秘事項でありますので」
宰相は悪戯っぽく片目をつむってみせる。シトエンが「まあ」と口元を隠してくすくす笑った。
「長旅な上に明日まで行事が目白押しで……。お疲れではございませんか?」
そこまで高齢ではないだろうが、なんか細いので心配になって声をかけた。
「サリュ王子殿下ほどではございませんが、これでも若い頃は武術でならしましたものです。お言葉だけありがたく頂戴いたします」
宰相は軽く会釈をすると、品よくカップの把手を持ち、茶を飲んだ。
俺もそれに合わせ、カップを取る。
かちゃ、と小さな音がするから、茶を飲みながらシトエンを見た。
紫色の瞳をキラキラさせてシトエンはフォークを持ち、どこから食べようかとわくわくしている。
かわいい……。
思わず口から茶をダバダバ垂らすかと思った。
ちょ……、待て、おかしい。なんでこんな物を喰うだけで可愛かったりするんだろう。他の女はどうなんだ、とメイルを見るが、なんも思わん。虚無だ。あいつがケーキを喰っていても心は凪だ。
やっぱうちのシトエンは違うな。
別格だ。
どんな女よりも群を抜いていて、けた違いだ。
こんなことでも度肝を抜かされる。
「今日はなにケーキなんだ、それ」
いかんいかん、阿呆みたいに見惚れていた。俺は腹に気合を入れてシトエンに尋ねる。
「イチジクのケーキなんですっ。みてください、この表面! つやつやして輝いてて……っ! ああ、崩してしまうのがもったいないです!」
くう、と言わんばかりにシトエンはぎゅっと目をつむり、まだどこからフォークをいれようか迷っている。
こんな表情を見せてくれるんなら、あの店主を俺の屋敷に住まわせようかなと真剣に考えた。鞭を打ってでも毎日作らせよう。
「サリュ王子」
メイルだ。
なんだよ、お前。俺はいまからシトエンがケーキ喰うところを見るんだよ。声掛けんなよ、とは言えないので。
「なんだ。どうした」
と返事をする。
「明日の舞踏会、サリュ王子もダンスを踊るの? シトエンさまと」
ぱく、とスポンジケーキを口に運びながらメイルが小首を傾げる。
「そりゃあ……そうだろう」
他に誰がシトエンと踊るんだ。そしたらびっくりした顔をして「踊れるんだ」とかいうから、部屋からたたき出してやろうかと思った。
「サリュ王子のリードはとても人柄が現れていると思います」
シトエンが俺を見る。
「強引なところも自分勝手なところもなく、いつもわたしを気遣ってくださって……。一緒に踊っているととても満たされます」
シトエンはしゃべりながらどんどん顔を赤くして、最後には俯いてしまう。
「その……幸せだなって勝手に思っています」
「俺も俺も俺も俺も! 俺も幸せだって思っている!」
がっくんがっくん首を縦に振って同意すると、シトエンは真っ赤になったまま俺に微笑んでくれた。
「よかった。わたしだけじゃなくて」
絶対俺の方が幸せだって――――――――――――!
全身全霊で叫びたいのを堪える。必死でこらえる。
茶を飲んでケーキ喰ってるが、これは公務。
外国からの賓客を迎えた場なのに、その国の王子が「幸せだー!」って絶叫したら国家の問題だ。ティドロスの品格が問われる。
「よかったですねぇ、シトエンさま。幸せな結婚ができて♪」
メイルが無邪気にそんなことを言うから。
なんか一気に現実に引き戻された。
「あたしがアリオス王太子と結ばれたから、シトエンさまは幸せなんですよ」と言外ににおわせている。
知らずに拳を握りしめた。
そのせいでシトエンがどれだけ傷ついたかこいつは想像したこともないのだろうか。
シトエンの両親や友人や……タニア王がどれだけ心を痛めたかまだわからないのか。
よくそんなこと言えるな。
咄嗟に口から言葉が飛び出そうとしたのだが、すぐ側で聞こえた深いため息に動きを止めた。
宰相だ。
無表情を通しているが、その瞳には暗い怒りが燃えている。
「メイル。ほら、わたしのケーキにも興味はないか?」
さりげなくアリオス王太子が声をかけ、フォークに刺した一口分のケーキをメイルに差し出した。「あーん♪」とメイルが口を開く。
俺は舌打ちしたい気分で茶を喉に流し込んだ。
「サリュ王子、わたしたちもいただきましょう。ね? 宰相閣下もお茶のお代わりはいかがでしょうか?」
シトエンが気遣っているのがわかるだけに、俺も宰相も何事もなかったのを装い、お茶を飲んではケーキを喰うことを繰り返す。
そうして一時間が過ぎた頃、ラウルがやってきた。馬車と警備の準備ができたという。
この仮想デートが終われば、馬車に乗ったままだがルミナス一行を観光名所まで案内することになっている。
馬車は三台。
俺とシトエンが乗った馬車、ルミナス一行を乗せた馬車、それからもう一台はダミー。
先頭はダミーで、二番目が俺とシトエン。三台目がルミナス御一行の順だ。
順列については極秘事項であるため、俺とアリオス王太子、宰相しか知らない。
先頭と後方、それから脇にも騎士が警備のために騎馬で並走する。
王都近郊の風光明媚なところを順に回る予定だが、メイルには「くれぐれも途中で馬車から降りるな」と言っている。
「これが終わったら一番にお前が温泉に行け。俺が許す」
だんだんやつれていくラウルの肩を軽く小突くが、それだけで奴はよろめいた。やばい……相当疲れている。
「馬車の準備ができたようなので、そろそろ」
立ち上がって声をかけると、メイルは元気いっぱいに「はあい!」と返事をした。
シトエンがアリオス王太子とメイルのところに行き、ホステスとして世話をしている。
さて俺も先に馬車の方に行っておくか、と思ったものの。
宰相だ。
宰相を放っておくわけにはいかんな、と俺が振り返るとちょうど目が合った。
「馬車までご案内しましょう」
「これはいたみいります」
宰相は深く礼をしたあと、一緒に並んで歩き始めた。
「貴国ほどではございませんが、うちも名所と呼ばれる場所があります。ぜひご堪能を」
俺が言うと、宰相はわずかに目を伏せる。
「今回はこちらが礼を述べに参りましたのに、いろいろとお手数を……」
ああ、メイルのことだなとは思ったが、「そうですね」と言うこともできない。
「いやなに……もともとレオニアス王太子からは警備を命じられておりましたから」
「そうでしたか。いや……しかし、此度は訪問させていただいてよかったと思っております」
宰相はちらりと後ろをついて来るシトエンたちを一瞥した。
てっきり、アリオス王太子のことだと思った。
あのように成長された姿を見て……嬉しいです、とか泣いたりするのかな。
そう思っていたのに。
「あのように楽し気に、そしてお健やかにお過ごしのシトエン妃を拝見することができて安堵いたしました。それもこれもすべてサリュ王子やティドロス王家の皆様方の心配りがあってのこと。ルミナス王国では見られぬお姿です」
シトエンのことで内心驚く。
しかも「まったくその通りです」と肯定するわけにもいかない。
「また、ルミナスご滞在時のときには発揮できなかった才覚をここでは開花させたとか。宮廷医師団と情報交換をなさっているそうですね、ティドロス王からお伺いしました」
「まあ……ええ」
「そのうえ、ご夫婦仲もむつまじい」
なんか意味ありげに言われたので、なんと返していいか口ごもる。これ、あれか? 世継ぎもすぐにご誕生するでしょう的なことを言われるのかなと身構えた。
そしたら宰相は勝手に納得し、うんうんと頷く。
「素晴らしいことです。ところで」
さらり、と宰相は妙なことを言い出した。
「サリュ王子、お身体はどうでしょう? なにか不調とか」
「え? 俺ですか?」
戸惑った。
いや……そのタニアに訪問したとき、タニア王に「子はまだか」とシトエンが聞かれたことがあったからそっち系のなにかを突っ込まれるのかと思ったんだが。
シトエンじゃなく……俺?
「例えばですが」
宰相の声は淡々としているのに。
瞳はやけに粘着質だ。
「妙な夢を見たり、見ず知らずのはずの誰かを妙に懐かしく感じたり……。妙な執着心を覚えたり」
いきなり斬りつけられたかと思うほどの衝撃を受けた。
誰にも……シトエンにも言っていないはずだ。
それなのになぜ《《あの夢》》のことを宰相は知っている?
「さぁ、なんのことだか」
動揺は気取られただろうが、誤魔化すしかない。笑い飛ばして見せた。
「俺はティドロスの冬熊と呼ばれていますが、冬眠しらずではありません。夜は夢もみないほどぐっすり眠れております」
宰相は深く頭を下げる。鋭い眼光が動きに合わせて光の尾を引くようにさえ見えた。
「これは差し出がましいことを口にしました。どうぞお聞き捨てください」
「いや……ご心配ありがとうございます」
俺も言葉を濁し、そこからは少し早足かなとおもう速度で玄関まで歩いた。宰相は別に意に介すことなく、時折世間話なんかをしながらついて来る。




