21話 またあの夢
その日の晩。
明日の警備体制とタイムスケジュールをチェックし、班長達と打ち合わせを行って屋敷に帰宅してみれば、すでに深夜だった。
執事長が「お夜食でも」と言うが、断ってシトエンのことを尋ねる。
俺の帰宅を待っていたようなのだが遅くなりそうなのと、明日もまた接待があることを考えてメイド長と家令までが加わって『先にお休みを』と説得して寝室に入れたらしい。
よくやったお前たち。シトエンは常にストレスにさらされていると考えよ。その都度、最適な状況で過ごせるようよく一致団結した!
俺は執事長だけでなく、メイド長、家令、その他の使用人に礼を言いながら風呂に入り、「今日勤務のものに金一封」と指示を出して寝室に向かった。
「……さて」
すでにシトエンは眠っているとは聞いたが、ノックもなしに入室するのはマナー違反かも。
そこでそっと三回ノックしてみる。
返事はない。
俺は静かに扉を開ける。
想像通り室内は真っ暗だ。
ベッドから離れたところに置いているテーブルの上にオイルランプがあるだけ。
足音を忍ばせてベッドに近寄ると、シトエンは眠っている。
ほっとして俺はベッドに上がり、ゆっくりとキルトケットを持ち上げて身体を横たえたのだけど。
わずかにベッドが軋んだ。
その音に、「ん……」とシトエンが声を漏らす。
やばい、と咄嗟に硬直したのだが、シトエンは紫水晶のような瞳をゆっくりと開いた。
「サリュ王子……? おかえりなさい……。ごめんなさい、わたし……」
「いや、いいんだ。おやすみ、シトエン」
口早に言ったのだけど。
シトエンは白くしなやかな腕を伸ばして俺の首の後ろに絡める。
「おつかれさま……でした……ぁ」
そのまま引き寄せられた。
ただ、だいぶん寝ぼけているのは確かだ。語尾もなにも不明瞭なのだけど。
抱きしめ方……。
抱きしめ方なのだよ、シトエン!
めちゃくちゃ……!!
胸の谷間に俺の顔があるんですけど……っ!!
埋もれてますけど!!!
ちょ……これはやばい。
これはまずい!
俺は知ってるぞ!
絶対シトエン、このあと寝るパターンじゃん!
なのに……っ!
俺は……っ!
俺の頬はシトエンのふくらみの中にあるんですけども! なんなら超いい匂いしてますけど!
え⁉ 俺とおんなじ石鹸使ってる⁉ 違うよね! 絶対違うやつだよね! 使用人に問いたい! シトエンは何使ってんの、これ!
なんならもっとシトエンの身体に顔を密着させたい気持ちではあるのだけど……っ。
「おやしゅみ……なさい……」
という地上で一番可愛らしく尊い「おやすみ」の挨拶を残してシトエンは健やかな寝息をたてておられる……。
……わかっている。
わかっているぞ、いや、わかるだろう、俺よ。
意識のない女性に手を出してはいけない!!!!
それは一番恥ずべきことだ!!
こんな……っ! こんな生殺しの目に遭っても、それでも耐えるのが漢というものだ!!! それでこそティドロスの冬熊だ!
自分自身に何度もそう言い聞かせ……。
たけれども。
それでも。
これは手を出したことにはならないはず、と。
俺はシトエンの胸の……竜紋付近に軽くキスをひとつ落として。
彼女の腕に負担がかからないようにしてじっとする。
というのも……。
俺を抱きしめたまま、手を離さないんだもんなぁ。
こんな状態で眠れるかな。
そう思っていたものの……。
眠りは、すぐにやってきた。
俺はまた、あの夢を見ている。
おかしな作りの庭。見たこともない建材で作られた建物。
いまはその内部にいた。
男だ。
あの、顔だけどうしてもよく見えない男が、この前見たときと同じ格好で長い廊下を歩いている。
よく見ると男と同じネイビーの半袖シャツを着たやつは多くいる。銀色のワゴンのようなものを押していたり、けが人や病人らしきものを世話している。制服……なんだろうか。あの半袖なんて下着に見えるが。
男は不思議な形の把手を握り、扉を横にスライドさせて室内に入った。
四人部屋、らしい。
ベッドが四つ並び、カーテンで仕切られるようになっていた。それぞれのベッドには年齢はバラバラだがいずれも男が座ったり眠っていたりしている。
扉と向かいあう壁には窓が切られているのだが……。
高い。ここは何階なんだ? 空がそのまま見えるうえに……。
この建物よりも高層の建物も立ち並んでいるようで唖然とした。
いったい、どうなっているのか……。
こんな世界、ありうるのか。いや、夢だ。これは夢の世界なのだから、と混乱した頭で自分を納得させていたら、男の声が鼓膜をなぞる。
相変わらず何語かはわからない。
男はベッドに横たわる高齢者に笑顔で話しかけていた。
高齢者の身体からはいくつもの管のようなものが伸びていて、それはちかちか光る四角いものにつながっていた。
あれは……なんなのだろう。
その脇には四角い箱のようなものがあり、数字らしきものとよくわからないマークが絶えず明滅して現れている。
「 」
高齢者がなにか言った。その顔は随分と不安そうだ。男は穏やかな表情のまま幾度か頷く。そして高齢者の手首に指を添えると、自分の手首に視線を落とす。手首に巻かれた、あの信じられないぐらい小さい時計を見ている。
男は高齢者の手首に触れたまま、しばらくそうやって時計に視線を落としているのだが。
ふと、気づいた。
シトエンも同じような仕草をしたことがある。
シーン伯爵領。
あの伝染病と間違えられて一か所に集められた病人。彼等を診て回るとき、シトエンはよくあんな仕草をしては「あっ」と小さく呟き、自嘲気味に笑った。
彼女がそんな笑い方をするのが珍しくて。
だから覚えている。
あれはいったいなにをしているんだろう。
男は確認するように小さく頷くと、また高齢者になにか話しかける。
高齢者はようやく安心したように微かに笑った。
その後。
「 !」
例の不思議な扉が開き、同じ服を着た女が、男に声をかける。この女は長い髪を束ねて後ろで丸めている。ちょっと意外だ。シトエンだと思ってしまう白衣の女は尼僧のように短髪だったから、この世界の女は男のように髪が短いのかと思っていた。
「 」
男は軽く手を挙げて応じ、高齢者になにか声をかけて廊下に出た。
女は男に黒板のようなものを渡し、なにか口早に言う。表情や口調から判断するに、多分叱られている。男は頭を掻き、黒板を受け取って女と共に歩き出した。
女はまだ怒っているようで、男に対してまだ何か言っている。
「 オペカン 師長 」
ふと聞き取れたその2単語。
どこかで聞いたことがある。どこだったろう。
そんなとき。
女が胸ポケットにいれていた四角い何かが音を立てた。
女は素早く耳に当てる。
どきり、とした。
嫌な予感が群雲のように沸き立ち、俺は居ても立っても居られない。
内面を鋭く掻かれるような焦燥感。
「 ⁉」
女がなにか言う。
途端に。
男は走り出した。
俺も彼について行こうと足掻く。
俺が行く!
俺が行かなければ……!
だってお前は……!
「俺が……っ!」
自分の声で目が覚めた。
寝室だ。
早朝らしい。
カーテン越しに朝日が漏れ入り、室内が淡い色に染められていた。
仰向けになったまましばらくじっとしていたが、心臓はバカみたいに荒れ狂っている。口の中がからからだった。首といわず上半身全体が不快で暑い。寝汗をかいているだろうか。顔に触れようとした手が震えていて自分でも驚く。
「サリュ王子」
ベッドがかすかに揺れ、シトエンがそっと上半身を起こして俺を見降ろす。
「大丈夫ですか? しばらく前からうなされていて……。どうしようか迷っていたのですが」
「いや……ごめん。シトエン、起こしちゃったな」
意識して笑って見せたが、顔が強張っていたに違いない。シトエンは心配そうにずっと俺を見ている。
「このところ疲れているからかな。なんか変な夢で……」
よいしょ、と俺も上半身を起こし、胡坐をかく。やっぱり背中もすごい寝汗だったらしい。動くと熱を放出してひやりと肌寒い。
「もしよかったらどんな夢だったか話してもらってもいいですか?」
シトエンがそっと申し出る。
言ってもいいかな、と単純に思った。
変な世界なんだ、シトエン、って。
想像もつかない場所でさ、って。
だけど。
俺は口を開いたまま言葉がでない。
あの建物をなんと言えばいいんだ? 「見たこともない建材」をどう表現する?
あの管につながれ、明滅する四角い箱は「なんの装置」だと言えばいい?
みんな下着みたいな服を着ているって言って……その珍妙さをどう伝えればいい?
「あー……、うん」
伝えるべき言葉が見つからない。
これは。
五感を共有しないと難しいほど、レベルが違う。
「なんかちぐはぐな夢だからさ……。また考えがまとまったらシトエンに話すよ」
そう言って俺は誤魔化す。
シトエンはしばらくじっと俺を見ていたけれど、膝立ちになってぎゅっと抱きしめてくれた。
「公務が終わったら温泉に行きましょうね。そこでゆっくりしましょう」
温泉!!!!
忘れてた、温泉!!!!!
シトエンのランジェリー!
それに……っ! シトエン、この体勢!!!
俺の顔、完全にシトエンの胸にむぎゅって……むぎゅって!!!!
「ちょ……ご、ごめんシトエン。あのちょっと離れてもらえたら……」
「す、すみません。苦しかったですか?」
「もうちょっと……その横になります……」
「やっぱり体調悪いんじゃあ……⁉」
いや……こんな下半身をみせられないだけで……。
しばらく俺のことは放っておいてください……。で、あなた。ちょっと胸元はだけすぎです……。




