14話 宰相閣下登場
「サリュ王子、宰相閣下です」
シトエンに囁かれ、最後に馬車から降りて来た人物に視線を向ける。
おっ、と背筋が伸びた。
さきのふたりとはまるで雰囲気が違う。
年齢は五十代といったところだろうか。細身の身体だが、ガリガリに痩せているというわけではない。
その身を包むのは濃緑の燕尾に、深紅のタイ。漆黒のズボンと磨かれた革靴。
無駄な装飾は一切なく、唯一胸につけた勲章の石ぐらいだろう。
宰相が馬車を降りるのを確認し、執事のひとりが恭しくポーチを示す。ラウルを先頭にして、アリオス王太子と腕を組んだメイル。それから宰相が続いてやってきた。
「長旅、お疲れ様でした」
俺が声をかける。
……まあ、一応この場では俺の役目だろう、これ。
アリオス王太子は以前より砕けた様子で笑うと、礼儀正しく俺に対して一礼をした。
「謝罪式では格別の配慮を賜り、感謝している。本日はその礼を兼ねてお邪魔した」
それから顔を上げ、穏やかにシトエンにアリオス王太子が微笑む。
「シトエンも。その節は寛大な心で対応してくれて感謝している」
「とんでもありません。ご丁寧にありがとうございます」
シトエンも深く一礼をしたのちに言うのだけど。
よく考えたら元婚約者同士というこの関係性がさぁ……。
いや、俺はいま、シトエンの夫だから!!!
相手が美青年だろうが隣国の王太子だろうが関係ねぇ!
俺はシトエンの夫だ!
そんなことを強く己に言い聞かせていたら、なんか強烈な視線を感じる。
ん? とその視線に向かって顔を動かすと。
メイルだ。
わくわくした顔でなんか待っているが……。
あ! 俺の声掛けだ!
「メイル嬢も長旅ご苦労さまでした。お疲れでは?」
すげぇな、こいつ。ちゃんとマテができるようになったじゃねぇか。
「サリュ王子殿下におかれましてはご機嫌うるわしゅう!」
おお、ティドロス語を覚えたのか、お前……。
カーテシーもできているぞ、ちゃんと!
……た、大変だったろうな……。ルミナス王国の家庭教師たち……。会ったことはないが、お前たちに対して猛烈に感動している……っ。
メイルは続いてシトエンに対してもカーテシーをした。
そして顔を上げるや否や。
「シトエンさまぁ、お久しぶりですー! はぁい!」
言うなり両手を広げるからたじろいだ。
え。なに? ハグ? ちらっとアリオス王太子を見ると、愛でている。そんなメイルを愛でている。
「ねぇ殺していい?」「消すでしょ?」
俺の背後からロゼとモネが物騒なことを言うから、シトエンが慌てたらしい。
「お久しぶりです、メイル嬢」
優しい……。シトエン優しい……。
ハグしている……。メイルとハグしている……。
いかんいかん!
こういうのがシトエンのストレスになるんじゃないか!
「さ、宰相閣下にはお初にお目にかかる。ティドロス王国第三王子サリュ・エル・ティドロスです」
盛大に咳払いし、お前のターンは終わったぞ、とメイルに示しつつ宰相に対して俺は挨拶を行う。
横目で見るに、メイルはしぶしぶとシトエンから離れ、アリオス王太子のところに戻ったようだ。やれやれ。
「このたびはサリュ王子殿下にお骨折りいただき、誠に申し訳ございませんでした。おかげをもちましてタニア王からのお許しを得ることができたこと、言葉に尽くせぬほど感謝しております」
握った拳を右胸に当て、腰を折る最敬礼をとられ、俺としても恐縮した。
「いや互いにいろいろあったが……。タニア王もこれからの関係性を望まれての寛大なご処置であるのだろう。シトエンもいまはこのように元気に過ごしているのでどうぞ、もう……」
お気になさらず、とはさすがに言えない。気にはしてほしい。
「宰相閣下、無沙汰をしております。お別れ以来、なんのご連絡も差し上げず、とんだ無礼を……」
シトエンが声をかけると、宰相は目を伏せたまま首を横に振った。
「とんでもございません。こちらこそなんとお詫びをすればいいのか……。非礼を詫び続けねばならないのはこのわたしめでございます」
「畏れ多いことです。どうかもう。わたしはこのようにティドロス王家のもとで健やかに過ごしております。どうぞ宰相閣下も御心健やかに」
宰相はそれでも顔を上げることはない。
そのどこか頑ななところにちょっと俺もシトエンも困惑した。
「失礼いたします、ぼっちゃん。みなさま下車なさったようです」
執事長が俺の側に近づき、小声で伝える。
見やると、他の馬車に乗っていた侍女や従者たちも降りてそれぞれ準備ができたようだ。
「……まあ、大したもてなしはできないが、夕食会が始まるまでどうぞ我が家でゆっくりくつろいでください」
空気を変えるようにわざと明るめに言う。あちらの侍女や従者はイートンに仕切りを頼んでいる。すでに屋敷内で待機しているはずだ。
執事長が静かに玄関扉に近づき、白手袋をした手で開いた。
「さぁ、どうぞ。お茶を用意している」
「これはかたじけない」
アリオス王太子がにこりとほほ笑んだ。腕につかまるメイルも嬉し気に顔を輝かせたからほっとした。
俺とシトエンが先頭に立って屋敷に入る。
ホールに集まっているメイドたちは一斉に頭を下げてルミナス一行を出迎えた。
「わー、すごーい。ひろーい」
メイルの声が聞こえたかと思うと、いつの間にかてててて、とシトエンの隣に移動して来る。
「ここでサリュ王子と生活しておられるんですか?」
「ええ、そうです」
「えー。シトエンさまの好みとかないの? あたしならもっと自分好みにするのになぁ。なんか地味ぃ」
途端に控えているメイドと執事の眉間に青筋が立った気配がある。俺だけでなくシトエンも慌てた。
「わたしは気に入っています。とても品が良く、飾られているこの花瓶など……」
「あ! わーかった!」
シトエンの言葉を遮り、メイルはぶう、とふくれっ面を作って俺を睨む。
「きっとサリュ王子が許さないんでしょー。かわいそう、シトエンさま」
「この屋敷は俺が陸軍士官学校を卒業してから陛下からいただいた屋敷だ。調度品、家具の配置、すべて使用人が俺の使い勝手がいいように、俺の好みで用意してくれている」
きっぱりと俺はメイルに言ってやる。
「ゴテゴテしたのは好かん。品とは簡潔の中にある」
おお、となんか執事もメイドも俺に対して拍手を送らんばかりの意欲を見せたのだが。
「ふぅん。……それって貧乏ってこと?」
「茶を! 早く茶を用意せよ! 怯むな!」
俺が指示を飛ばして叱咤激励しないと、使用人たちは死屍累々の惨状……っ! ラウル! お前も床に片膝ついているんじゃない!




