9話 いますぐ断ってらっしゃい!
その日の夕方。
俺は屋敷の一室でラウルと警備計画の打ち合わせをしていた。
長兄から命じられたアリオス王太子御一行の件だ。
「わかりました。それでは明日一番、各班長を集めて人員配置について調整を行います」
メモを書きつけたクリップボードをテーブルに置き、ラウルは緩く右肩をほぐすように回す。そしてため息を吐いた。
「ですが、メイル嬢も狙われているとは。そんな状態で来ないでほしいなぁ」
「国内ではそうらしいが、国外までで及ぶかどうかはわからん。だが最大限注意を払わんとな。あっちの宰相も来るらしいし」
「じじいですか、そいつ」
「知らん。婚約破棄事件のときにもいたのだろうが、誰が誰やら……」
腕を組んで思い返してみても、あのときに印象深かったのは動く白繭のようなシトエンだ。あとはノイエ王が「お待ちください、バリモア卿!」と叫んでいたことか。ひょっとして「平にご容赦を!」とその後ろから平身低頭謝っていた細身の男がそうなのかも。
「じじいなら嫌だなぁ」
ぼそりとラウルが言うから思い出した。
「あ。会ったのか。例のタニア王国に詳しい教授!」
「会いましたよ、最悪でしたよ。僕、思いましたね。年とっても簡潔に話せる男でありたいって」
わかる、と笑ってしまった。団長クラスの年配者にも多い。
雑談とうんちくと過去の苦労といいつつ自慢を延々と口から垂れ流し、結局本題は数分で済むというやつ。
「家で誰も話を聞いてやらないから外で話すんでしょうかね」
「そんなくだらない話は家族でも聞かねぇだろうよ」
「だったら、じじいになっても面白い話ができるよう、小ネタは常に用意しておくよう努力します、ぼく」
まだ若いのに老後のことを心配しているラウル。俺が言えたことじゃないが、もっと別の心配をしろ。いまを生きろ。
「で、竜紋の話はどうだった?」
椅子の背もたれに上半身を預けると、みしりと音が鳴る。気にせず足を組むと、ラウルはテーブルに頬杖ついた。
「ってかね。竜紋までまだ話が行かないんですよ。三時間ぐらい話を聞いたんですけど、タニア王国創国のいきさつから始まりましたからね」
「創国って……それも竜がまつわっているんだったか」
目をしばたかせると、ラウルは渋い顔で頷く。
「完全にこのあたり神話でしょうけど。カラバン連合王国の中では一番王家の歴史が古いんですよね」
ティドロスより古いんじゃないかな、確か。
「いまのタニア王家は、もともと山岳地帯の一部族だったらしいです。で、ある年のある夏。まったく雨が降らず、困り果てていたところ、当時の宗主が祭壇を組んで焚火をし、願いを天に向かって三日三晩唱えたところ、突如黒雲が沸き上がり、それは渦巻となって竜となった、と。で、そこからは、どばーっと雨が降り民は救われるわけです」
まぁ、とラウルは続ける。
「竜巻かなにかってところなんでしょうが、この黒竜はしゃべるんです」
「喋るのか」
俺が驚くと、とラウルは肩を竦める。
「で、黒竜から啓示を受けた宗主は、それまでばらばらに作っていた麦の田を整備していくわけです。我々もタニアで見たでしょう? あの棚田」
「ああ。あれ」
いやだけどさ、と改めて愕然とする。
「創国の頃から今まで……石垣だのなんだのが崩れてないってわけか⁉ どんな組み方なんだよ! すげぇな」
「だからその辺を黒竜が教えてくれたんだそうです」
「うちにも来ねぇかな、その竜」
ラウルは笑って続けた。
「タニアの冬は雪が深いらしく、その雪解け水や山からの湧水などを効率よく田に分配して一番下まで水が届くようにしてあるそうで。そういった灌漑設備的なことも黒竜は教えてくれたそうなんですねぇ。いやあ親切です」
「アフターケアもばっちりしてくれそうだな」
「で、この初めて黒竜とコンタクトが取れた宗主ですが、なんでも生まれながらに背中に特徴的な痣があったとか」
「それが……竜紋か?」
「その辺ははっきりと言いませんでした」
ラウルはため息交じりだ。
「そもそも竜紋は『見ても口にしてはいけない』ものですからねぇ。形にして、文字にして残すなんてご法度なんでしょう。ただ、教授はこの宗主であり、初代国王にあやかったのは確かだろう、と。その後、王家の血筋の中で、なんらかの力を宿した者に竜紋が与えられているようだ、と」
「血縁の濃さは関係ないのか? 王の寵愛とか」
シトエンはどう考えてもタニア王に溺愛されている。
「いえ、関係ないようです。シトエン妃だってそうでしょう。確かにタニア王の覚えはめでたいですが、バリモア卿は王家の傍流だ」
「それもそうか……」
「誰に竜紋が与えられるかは大僧正と国王が話し合うそうなんですが、なんにせよ竜紋を持つ者というのはタニア王国に一生涯をかけて益をもたらすのだそうで、大切に囲われてめったに外に出ないとか」
「益? シトエンもか?」
いや、でもシトエンはおもいっきり外に出ているぞ?
「人それぞれの役目が違うのでしょう。シトエン妃の場合、外交上、非常に重要な役目を果たしておられるではないですか。外国語に堪能なうえに大変聡明でらっしゃる」
改めて指摘され、今更ながら思い至る。
そうだ。
シトエンと暮らしている日々が幸せ過ぎてヤバいのだが、これ。
政略結婚ではあるんだよなぁ。
シトエンは立派にタニア王国とティドロス王国の懸け橋となっている。それが使命だと言われればそうなるに違いない。国益にはつながっている。
「じゃあ、竜紋というのはタニアに国益をもたらすもので、それは初代国王の痣を模して施される、と?」
「うー……ん。どうなんでしょうねぇ。なんかあの教授と話していたら、初代国王というより竜がなにか意味しているような気がするんですよねぇ」
ラウルが頬杖をとき、腕を組んで唸る。
「竜? 例の黒竜か?」
「もともとタニア王国では、竜というのはこの世界と別世界をつなぐ存在なんだそうです」
「ん? どういう意味だ」
眉根を寄せると、ラウルは人差し指を立てて空中の三点を行ったり来たりさせる。
「なんていうのかな。ティドロスだと、天国と地上、地獄があるわけじゃないですか。タニア王国は、天界と地上、それから冥府みたいな感じなんですよね。で、人は死んだら天界と冥府のどちらかに行くわけです。で、竜はというと、イメージ的に天界というか……なんか別世界?になるのかなぁ。そこも自由自在に行き来できるようなんです」
「ふんふん」
「このあたり、どうも輪廻転生が絡んでくるようなんですよね。竜が行き来しているのか、人が輪廻転生しているのか……。まずは宗教観から勉強しないとさっぱりなんですよ」
ラウルはみたび大きなため息を落とすと、立ち上がってクリップボードを手に取った。
「気乗りしませんが、しばらくあのじじいのところに通うことにします。また有益なことがわかれば団長に報告しますね」
「ありがとう。こっちもルミナス御一行様の詳しい日程が決まればすぐに知らせる」
語尾に柱時計の音が鳴る音が重なり、俺は椅子から飛び上がった。
「しまった! ダンスの時間だ!」
「は? ダンス?」
クリップボードを脇に挟んだラウルが訝し気に言うが、気にしている暇はない。バタバタとドアに進む。
「うちの王太子夫妻が、アリオスたちをもてなすのに舞踏会を開くらしい。ファーストダンスの次に俺とシトエンが踊るらしくて……っ」
「最悪じゃないですかああああああああ!」
ラウルが絶叫した。
ちらりと視線をやつに向けると、顔色がないどころか目が血走っている。
「いますぐ断ってらっしゃい!」
まるで拾ってきた野良猫を戻してこいと命じる母親のようだ。
「俺だってそうしたかったよ! でも兄上が練習しろ、って」
「練習してどうにかなるものならぼくだってそうしましたよ!」
「とにかくもう決まってんだよ!」
「だったら団長、足を折って!」
「はああああ⁉」
「しまった……。結婚するとこういう機会が出てくるのか。でも、怪我なら仕方ないって王太子殿下も思召すでしょう。そうだ、いますぐ足を折ろう!」
「なにをバカなことを……っ!」
「あんな二足歩行の熊踊りを公衆の面前で晒すよりましです!」
「熊踊りって……」
お前は俺のことをそんな風に思っていたのか……。
「必死にいままで隠してきたのに……っ! ぼくの管理不行き届きが陛下と王太子殿下に知られてしまう!」
やばい。ラウルの目が座っている。
俺はドアをバンと開いて脱兎のごとく廊下に逃げた。退室間際、目の隅でラウルが鞘ごと剣を抜くのが見える。
本気で折る気だ、足を!




