2話 シトエンへのお土産
「じゃあ、ぼくはこれで。教授からなにか有意義なことが聞き出せればいいのですが」
ラウルはため息ついてくるりと背を向けた。
「気をつけてな」
「お疲れさまでした」
ラウルはひらひらと手を揺らして屋敷を出る。
さて、じゃあ俺はシトエンにただいまの挨拶をしようかな、と考えた時。
階段から華やかな笑い声が聞こえてきた。
「あら、ちょうどよかった。お嬢様ですね」
イートンがいそいそと階段に向かう。俺もその後ろをついていく。
2階の私室につながる階段は踊り場を挟んでくの字に曲がっている。コツリと硬質な音がしたあと、手すりにそっと手を添えたシトエンが姿を現した。
あそこだけスポットライトあたってんのか⁉
執事長がなにか視覚効果を狙ったのか⁉
そんなものなくてもシトエンは光り輝いているのだけど!
俺の目にズーム機能でもついているのか、シトエンの表情がくっきりはっきりばっちり確認ができてしまう!
俺と目が合い、びっくりしたように目を見開いて。
それからすぐに嬉しそうに微笑んで。
「サリュ王子! お帰りなさい!」
その表情の可愛いこと!
ぐはあああああああああ! 一撃をくらった!!! なんかわからんが一撃を食らった!
一週間ぶりに見た嫁が可愛いぃぃぃぃ!
意味もなく屋敷を飛び出して走り回りたい! そして叫びたい!
うちの嫁が可愛すぎる―――――!
な、なんて贅沢な悩みなんだ。恐ろしい。俺はこの世に生を受けて以来ずっと王子だが……こんな贅沢をいままでしたことがなかった。
申し訳ない……申し訳なさすぎる。国民のみんな、すまん。嫁が可愛すぎるなんてこんな贅沢を味わえるとは……っ!
「もう少し早いか遅いかにしてほしかった」
「中途半端だわ」
冷ややかな声に我に返る。
シトエンの両脇にはモネとロゼが控えていて、俺を見ていた。
「なんだ、お前らもいたのか」
つい口に出てしまった。
シトエンにかすんでまったく気づかなかった。
「いやさっきからずっといたし! ムカつく!」
「あのシトエン妃しか興味のない目が絶妙に気持ち悪い。常に獲物を狙っている冬熊みたい。シトエン妃、会ってすぐに近づいてはいけません。御身が危険です」
「ロゼちゃん、モネさん!」
慌ててたしなめているシトエン。
ほんと、あいつら俺に対して悪口しか言わないな。
ただ、モネの立ち姿というか、シトエンとの距離感は素晴らしい。
なにかあればすぐに対応できる姿勢を保っているし、スリットのはいったロングスカートの形から推察するに、中には剣を隠しているようだ。
留守中もこうやってシトエンの警護をしていてくれたのなら本当にうれしい。お前、役に立っているぞ。
今もピリピリと警戒感マックスだ。
……俺に対して。
おい、おかしいだろ! シトエンは俺の妻だぞ! なんで俺が加害者扱いされないといけないんだ!
シトエンはそんなモネとロゼを従えて俺のところまで歩み寄る。
「ただいま、シトエン」
「お出迎えが遅れて申し訳なかったです」
シトエンはそう言ってからちらりとイートンに視線を送る。イートンはすぐさま近づき、小声で「先ほどご到着されました」と伝えていた。
シトエンはすまなそうな顔をしているが、取り込み中だったんだから仕方ない。
そんなことを考えていたら、ロゼが盛大にむくれた顔で俺を見ている。
「なんだよ」
「ほんっとシトエンさましか興味ないのね!」
ロゼが腕を組み、ぷんすか怒っているが、そんなもん当然だろう。なにいってんだ、このガキは。
「あ、わかった!」
「な……なによっ」
ぽん、と手を打って笑いかけると、ロゼは顔を赤くしてぷいとそっぽを向く。
「土産だろう! 安心しろシトエンだけじゃなく、お前の分も買ってやったぞ。なんか吹くと音が出るおもちゃ」
「違うし! ってかすぐそうやって子ども扱いするっ!」
ぎゃあぎゃあと怒鳴りながら地団駄を踏んでいるが、お前はまだ子どもだ。大人ぶるところなんてほんとそうだ。
「まぁ! よかったですね、ロゼちゃん。あとで見せてくださいね」
シトエンがにこにこ笑って言うと、ロゼは何とも言えない顔でむくれつつも、「うん」と頷いている。なんだ、やっぱり欲しかったんじゃないか。
「モネとイートンにもあるぞ」
モネは「いらない」と言い、イートンに「これっ」と叱られていた。
「シトエンの土産はあとで運び込むから」
「運び込む、とは⁉」
イートンが目を丸くしている。
いや、単純に大きくて……。
「楽しみです! いつもありがとうございます」
シトエンが俺に微笑む。
これだよ……。この返事、この表情、この佇まい……っ。
これが見たくてプレゼントを選んでいるようなものだ!
「あ。その……サリュ王子にご相談したいことがあるんです」
「なに?」
さっき取り込み中って言ってたことと関係があるのかな。
「サリュ王子がご不在の間、宮廷医師の代表と仰る方のご訪問を受けまして」
「宮廷医師? シトエンどっか悪いのか⁉」
前のめりになったが、シトエンはぶるぶると首を横に振る。
「その、わたしの医療の知識のことを陛下からお聞きになったようで……。一度情報交換を兼ねた勉強会を開きたいと。わたしの知識がこの国の医療に役立つのであれば本望だと思っていますし……。あの……参加してもよろしいでしょうか?」
上目遣いに尋ねたあと、慌てたように早口に付け足した。
「もちろん公務には支障のないように行います!」
「いや、いいんじゃないか? シトエンの無理がない範囲なら」
あっさり俺が応じたのがよほど驚いたのか、びっくりしたようにしばらくぽかんとしている。
「陛下が承諾なさっているのなら問題ないだろうし、宮廷内でするんなら安心だ。ただ、俺の同席か……それが無理ならモネかロゼのどっちかを侍女のふりさせて護衛で連れて行ってもらいたいけど」
シトエンがちらりとモネとロゼに視線を向ける。
「いいですよ、シトエンさま!」
「むろん問題ありません。ご同行いたします」
モネはびしりと敬礼をし、ロゼは優雅に一礼をしている。
……なぜ、その態度で俺に接しないのだ。
意欲満々な姉妹のそばで、イートンは対照的に肩を落とし「それまでになんとかこの姉妹に礼儀作法を徹底させねば」とすでに疲れ果てていた。




