1話 シトエンと竜紋
◇◇◇◇
一週間後。
里帰りしていた次兄を国境まで送り、予定通り俺は屋敷に戻った。
次兄を急かしたい気持ちはやまやまだったが、王宮につくなりほっとした顔で父上や母上と話しをしたり、王太子夫妻と過ごしている様子を見たらシトエンと重なるところもある。
他国の王家に婿入りした次兄。
将来的に王になるのは結婚相手の王太子であり、次兄は王配になる。
小さなころから気配りができて心根の優しいところがあった。だからかもしれないけど、こうやって里帰りしても愚痴ひとつこぼさない。
シトエンも母国を離れてこのティドロス王国にいる。
謝罪式の時に里帰りし、ご両親や親しい友人に会っていたが、彼女は母国語を話し、とてもリラックスしているように見えた。
せめて帰国したときぐらい、羽を伸ばしてもらいたいと、次兄の笑顔を見て思った。
だから、本来なら馬車を爆走させて隣国まで次兄を送り届け、疾風のごとく屋敷に戻ってシトエンに会いたかったのだけど。
今度いつ帰国できるかわからないのだから、と。
予定通りのんびりと。
車窓を楽しんでもらいながら隣国まで送り届けた次第だ。
「お疲れさまでした。それではぼくはここで」
「え? 帰るのか?」
執事が扉を開けてくれてふたりして玄関ホールに入った途端、ラウルがそんなことを言うから驚く。
振り返ると、俺の副官であるラウルは、やれやれとばかりに左肩を回して凝りをほぐしている。今日は馬上の時間が多かったからなぁ。疲れたんだろうか。
「メシを一緒にどうだ?」
まだ夜の8時を回ったぐらいだ。
俺より5つ上の乳兄弟でもあるこの男は未婚。本人曰く、「団長を差し置いて結婚できないと考えていたら婚期を逃した」そうだ。
任務の時は俺と一緒。それ以外のときは実家の男爵家に住んでいたのだが、最近兄が継ぎ、立て続けに子どもが生まれたから、居場所がないとぼやいていた。
おまけに自由に出入りしていた俺の屋敷もシトエンが嫁いできてからはめちゃくちゃ遠慮するようになった。この頃は騎士団の宿舎に住んでいる。
宿舎には食堂があるが、料理の提供時間は決まっているはずだ。いまから戻ったところでメシにありつけるのだろうか。
だったらねぎらいも兼ねて一緒に食うか呑むかしようかと考えた。
待機している執事を一瞥すると、頷いてくれた。夕食の準備はできているようだ。
「いえ。このあとちょっと会う予定があって」
「女か!」
「じじぃですよ。ちょ……圧! 圧がすごいっ」
顔をしかめて押し返された。
すまんすまん、と言いつつもつい我を忘れるところだった。
あいつが嫁を貰ったら一番に祝いをするのは俺だと決めているからな、勝手に。
いやはやびっくりした。俺の知らぬ間に女を作ったのかと思った。こいつ、顔もいいし優秀だし。未婚なのがびっくりなんだよ。
「違いますよ。タニア王国史に詳しい教授に会う約束をしているんです」
「あ」
竜紋か、と口にしかけて慌てて閉じる。
ふたたび執事に視線を走らせると、意を汲んで移動してくれた。
「王立図書館とか伝手をたどっても限界がありますしね。専門家に連絡してみました」
玄関ホールに人がいなくなってからラウルは言う。
「なにかわかりそうか?」
「まだなんとも」
ラウルは腕を組み、顔をしかめて見せる。
「『見たことさえも口にしてはならぬ、形さえ口にしてはならぬ。竜紋とは存在そのものが高貴であり、尊い』とは聞きますが……。かなり秘匿されたものなんですね。ここまでとは思いもしませんでした」
俺も唸り、頬を掻く。
竜紋。
それはタニア王家の限られた王族に施された刺青のことだ。
俺はてっきり王家の人間であるという印なのだろうと思っていたが、同じ王族でも竜紋を持つ者と持たない者がいるらしいことを知った。
しかも竜紋を持つシトエンの扱いがタニア王国では格別だ。
そう。
シトエンには竜紋がある。
彼女の胸……というか右胸のふくらみの際んところにある。
誰にも見せることはできないのだが。
俺 は 見 た こ と が あ る。
何回も、だ! ここを強調したい! 何回も、見たことある!
しかも!!
触ったことすらあるし、キスだってしたことがある!!
なぜなら。
夫だからだ―――――――――!!!!!!!
だけど。
竜紋は最重要機密事項並みに秘密にされているせいで、さまざまな憶測を呼ぶ。
シトエンと一度は婚約を結んだルミナス王国の王太子アリオスは、全身にうろこのような刺青がほどこされていると嘘の情報を吹き込まれ、婚約破棄を申し渡した。
あの婚約破棄事件は思い出してもはらわたが煮えくり返る。
結果的にシトエン獲得にいち早く走った母上によって彼女は俺に嫁ぐことになり、幸せに過ごしている。
いや。幸せに過ごせるように俺は努力している。
「シトエンがずっと狙われている理由はやはり竜紋だろうなぁ」
独り言ちたのだが、ラウルも無言で深く頷く。
そうなのだ。
俺と婚約して以降、シトエンはずっと命をつけ狙われている。
結婚式もそうだったし、謝罪式の道中でも何度か危険な目に遭った。
その刺客だったのがモネとロゼだったわけだが、あいつらは命を救ってくれたシトエンに忠誠を誓うものの、暗殺命令をしたやつらについてはなにも言わない。
「いっそシトエン妃に尋ねますか? 竜紋について知っておられることを我々に教えてほしい、と」
「……だけどなぁ。その竜紋の件でいろいろ辛い思いもしてきたわけだし」
なんか面と向かって竜紋のことを切り出しにくいんだよなぁ。
シトエンに直接尋ねるのは最終手段にしたい。
ラウルは仕方ないとばかりにため息をつき、また口を開く。
「ただ、アリオス王太子が『気をつけろ』と警告したということも気になります。ルミナス王家もからんでいるということでしょうねぇ」
「警告というか、あれは忠告に近いものだった」
思い出しながら言う。
謝罪式のあとだ。
さりげなくシトエンが退席するように仕向け、部屋で俺とふたりっきりになったとき、
『単刀直入に言う』『シトエンが暗殺集団に狙われている』『わたしも出来る限りのことをするが、まだ力が足らぬ。いまはこれしか言えない。奴らの腕は確かだ、十分に気をつけろ』
あいつはそう俺に言った。
「ですが……一方的に婚約破棄したのはルミナス王国なんでしょう? なんで国を離れて、しかも他国に嫁いだシトエン妃にそこまで執着するのか」
「そこになんで竜紋もからんでくるかってところだよな」
わしわしと俺は頭を掻く。
そう。
ラウルと話し合って出した結論は「竜紋」。たぶん竜紋にまつわるなにかのせいで、シトエンは命を狙われている。
「モネとロゼを拷問にかけてはどうですか?」
しれっとラウルが言うが。
そんなことできるものか。シトエンはあの姉妹に心を許している。
引き離した上にそんなことをしてみろ、シトエンがどう思うか。
それにあの姉妹、腕は確かだ。
公務の関係で出張もあるし、四六時中俺がシトエンに張り付くことができない。
モネの剣技とロゼのナイフ技はうちの騎士団でも通用する。ロゼはともかくモネはたっぱもある。なにかあったとき、シトエンの盾になることは可能だ。
「女だと役に立つこともあるだろう。男じゃ立ち入れない場所もあるしな」
「甘い。団長は甘いですよ」
眉間に縦皺を入れてラウルは言うが、俺の意見に逆らってまで動くことはしないだろう。
「あ。あのバックルとネックレスの行方はどうですか? あれからなんか情報はつかめそうですか」
ラウルが期待に瞳を光らせる。
対外的には、モネとロゼは捕獲され、俺が拷問して死んだと情報を流している。
そしてその情報と共に、モネが腕にはめていた黄金のバックルと、ロゼが首にかけていた翡翠のペンダントを街に放ったのだ。
「ヴァンデルから定期的に報告は受けている」
バックルとペンダントは、王都で盗品をさばく奴らに依頼して噂と共に市場に出したようだ。
それは、買い手をどんどん変えながら移動している。
「いまは辺境に近いところまで移動している」
「ヴァンデル卿のいらっしゃるシーン伯爵領ですか?」
「いや、東西真逆。エセル領」
答えた途端、ラウルの眉根が寄る。
「つい最近行ったところですね」
「ああ、そうだ。ルミナス王国に近い領だ」
そう。
バックルとペンダントは徐々にルミナス王国へと近づいていく。
「ならやっぱりルミナス王国がらみは確定ですね」
ラウルが呟く。
少し前なら「予断は禁物だ」とたしなめていたところだろうけど。
確定に近くなってきている。
ルミナス王国がシトエンに固執する理由。
そこに竜紋があるはず……なんだ。
「これはこれは。お帰りなさいませ、サリュ王子」
階段を降りて来る足音に顔を向ければ、シトエンの侍女であるイートンだ。
お仕着せに、長髪をきっちりと束ねてお団子にしたヘアスタイルもいつも通り。手には大きな籐籠を持っていた。
「お嬢様はいまちょっと取り込み中でして……」
「いや、あとで俺から会いに行く」
答えた俺の言葉を食い気味にラウルが声を発した。
「そうだ! 彼女だってタニア人ですよ!」
言われて、イートンはきょとんとしていたが、俺も手を打つ。
「確かに! ちょっとイートン。お前に聞きたいことがある。来てくれ」
訝しい表情をしつつも、イートンは籐籠を前に抱えたまま玄関ホールへと移動した。
「竜紋について知りたい。お前はどこまで知っている?」
「竜紋ですか? お嬢様がお持ちの?」
目を真ん丸にして尋ね返す。俺は頷き、ラウルは黙ったままだが興味深げにイートンを見つめているから、イートンは居心地悪く身を小さくした。
「私も詳しくはありません。そもそもなにもかもが秘匿されておりますし」
「じゃあ、イートンもシトエン妃の竜紋を見たことがないのか?」
ラウルが尋ねると、もちろんだとイートンは頷いた。
「私はお嬢様が竜紋を授けられたときから側でお世話させていただいておりますが、一度も見たことはございません。お嬢様自身、見せないように気を付けておられますし、こちらも見ることが無いよう、下着を着用してからお召し物の準備をさせていただいています」
イートンは更に早口に付け加える。
「もちろんあの姉妹にもしっかりとそのことは教え込んでおりますよ? 以前衣装を仕立てたときも、当然竜紋が見えぬよう、また、見ないようにと」
「ああ、そういうことを心配しているわけじゃなくて」
俺が首を横に振ると安心したように、ほぅとイートンは息を吐いた。それから小首を傾げる。
「まぁ……竜紋といえば、王族に施される刺青である、とか。竜紋を持つ者はそれだけで国を体現している、とか。とにかく格別なのです。そんな方にずっとお仕えすることができるなんて、本当に光栄です」
「王族すべてに施されているわけじゃないんだよな、竜紋は」
誇らしげに胸を張るイートンに尋ねると、不思議そうに目をまたたかせた。
「ま……あ、そうですね。なにしろお嬢様のお父上であるバリモア卿にはございませんし。というか、竜紋を与えられる方は本当に数少ないのです」
「その基準はなんだろう。男女比とかあるのかい?」
ラウルがさらに突っ込む。だがイートンは困惑したように首を横に振った。
「わかりません。啓示を受けた方に大僧正様がお授けになるのです」
「シトエンがどうして竜紋を授けられたのかを知っているか?」
俺の問いにもイートンは首を横に振った。
「わかりません。お嬢様は16歳になったときに、竜紋を授けられたとお聞きしました。ですがその理由ともなると、私のような者にはわからないことです」
ラウルとふたり、顔を見合わせる。
イートンが嘘を言っているようにも誤魔化しているようにも見えない。
ということは、同国人であっても竜紋に関する知識は我々と同じということか。




