19話 賊の攻撃
「……ここは僕が待機しておきますから、団長は女湯の前でシトエン妃を待っていますか?」
竹垣をぼんやり見上げていたら、ラウルに小声で提案された。
「シトエン妃も恥ずかしかっただけで、団長のことを本気で怒ったわけじゃないでしょうし。団長の方から『さっきは言葉足らずで』と言えば、向こうも折れやすいでしょう」
「……そうしようかなぁ……」
うなだれたまま呟く。
正直なところ、ラウル以外の男がここにいるのは嫌だが、ラウルなら安心だし……。
こいつに任せて、女湯の前で待ってるほうがいいかもしれない。
「じゃあ……」
よろしく、と言いかけたのだが。
「あ……っ!」
隣からシトエンの驚いた声が上がった。
その後、だぶんっ、と何かが水に沈む音がする。
バシャバシャとしぶきを上げる音がそれに続いた。
「シトエン⁉」
咄嗟に考えたのは、足を滑らせて湯の中に沈んだことだ。
俺が呼びかけたのに返事がない。激しく湯の表面を叩く音がまだ響き続けていた。
隣に向かおうとした俺の手をラウルが引き留める。
「飛び越える方が早い!」
ラウルは言うと、竹垣の前に立ち、指を組み合わせて俺と相対する。
返事もせぬまま、ラウルに向かって駆けだし、あいつが組み合わせた手に右足を乗せる。
ぐい、と。
ラウルが押し上げてくれた。
そのまま宙を飛ぶ。
足を振り、竹垣を超えた。
眼下に女湯の様子が見える。
石灯篭が5つ。
温泉を囲むように設置され、そのすべてに火が入っている。
橙色が温泉の表面を照らしているのだが、毛羽立ち、ぎらぎらした光を放っていた。
その中央にいるのは、シトエンらしい姿。
湯に沈んでいるから白い身体と銀色の髪しかわからない。
そして。
湯の中でシトエンを上から押さえつけている黒ずくめの人物。
「シトエン!」
名を呼んだ数秒後には、女湯に着地していた。
だばん、と湯柱があがる。
黒ずくめの奴が反射的にこちらを向く。顔も覆いをしているから表情はわからないが、まさか隣から飛んでくるとは思っていなかったらしい。
手が緩んだのだろう。湯からシトエンが顔を出し、悲痛な呼吸音が聞こえる。
途端にまた黒ずくめの野郎がシトエンの頭を湯の中に沈めた。
そこからはもう何も考えられなかった。
力任せに黒ずくめの顔をぶん殴る。
実際は顔というより首から右耳の辺りだったのかもしれない。ガンっと手ごたえはあったが、真っ向から力がぶちあたった感じはしなかった。
だが、黒ずくめはよろめき、シトエンから手が離れる。
その隙に腰をかがめてシトエンの腰を抱き、一気に引き上げる。
湯をまとっているからか、ぐん、と手がひかれたが、奥歯を噛んで抱え上げた。
激しく咳き込むシトエンを横抱きにし、黒ずくめを睨みつけたままゆっくり下がる。
とにかく湯から上がらないと。
足場が悪い。
黒ずくめは、さっきの一発で軽い脳震盪を起こしたのか、頭を左右に振ってよろめいている。
湯にぴたりと服が張り付いた身体を見て、ん? と違和感を覚える。
腕に抱えているシトエンは、荒いながらも呼吸が安定してきた。ほっとしつつ、黒ずくめを凝視する。
やけに、身体が細い。
いや、上背はある。ラウルほどはあるのだからあれだが……。
それに対してやけに線が細い。
じりじりと後退しながら様子を窺っていたら、かすかな物音に気付いた。
視線だけ移動させる。
なにかが光った。
シトエンを抱えたまま左に身体をひねる。
かんっと硬質な音がして大理石の岩に何かが刺さった。
ざばざばと、湯の中を移動しながらも確認する。
ナイフだ。
柄が極端に短いやつ。
しゅっと空気を切る音がし、俺は更に移動する。湯の中。シトエンを抱えて走るが、その背後をナイフが次々に襲ってきた。
「くそっ!」
とにかく湯から上がりたい。長靴で飛び込んだものだから、中に湯が入ってさらに重い。荷重をかけてトレーニングしているようなもんだ。
どこだっ。
どっから投げてる!
ってか、あの黒ずくめを含めてふたりなのか? 三人なのか?
探りをいれながら逃げ回っていると、ようやくナイフが尽きたらしい。一瞬、空白が生まれる。
その隙に洗い場まで近づき、一気に足をかける。
ざばあ、と湯を蹴散らしながらシトエンを抱えて温泉から出た。
長靴が、くっそ重い!
片足を振って長靴を投げ捨てようとしたら、盛大な湯音がした。
温泉の中にいた黒ずくめが手甲鉤をはめて俺に向かって突進してくる。
「ふざけんなよ、おい。良い度胸だな」
なんとか右足だけ長靴が脱げた。
温泉から飛び出し、襲い掛かって来る黒ずくめの野郎に、片頬で嗤ってやる。
「温泉につかるサルに、冬熊が仕留められると思うのか?」
手甲鉤が振り下ろされる。
ギリギリを待って半歩下がった。
鉤が俺の鼻先寸前で空を切る。
黒ずくめが前のめりになっているところを、どんと胸を蹴って下がらせた。
蹴った足を地面につけ、それを軸足にして身体を半回転させる。
シトエンや俺についていた水滴がしぶきのように飛ぶ。
よろめいて下がった黒ずくめの野郎の横っ腹を蹴り飛ばした。
今度は確実ヒット。
だが、腹に何か巻いているらしい。
ずり、と黒ずくめは横滑りに移動したが、思っていたほどダメージを受けていない。
「ちっ」
舌打ちしたとき、視界の隅でなにかが光った。
ナイフだ。
位置とか早さとか角度とか。
考えた結果、狙いはシトエンだと察する。
身体をよじるようにして背中を向けた。
「……つぅ!」
痛いというより、熱感に近いものを背中右上腕部に感じた。ナイフが刺さっている。まあ、斬られるよりましか。
「ぁああああっ!」
声にならないものを発して、黒ずくめの奴が手甲鉤を振り上げて襲ってくる。
確実に俺の反応が遅れた。
もう下がる時間はない。
向き合う。
腰を落とした。
この間合いで低く姿勢を落としたまま突進する。
手甲鉤が振り下ろされるより先に体当たりし、相手の体勢が崩れたすきに、足を引っかけた。
たたらを踏むが、黒ずくめだって倒れるわけにはいかない。
態勢を立て直すために、必死に下がって間合いを取る。
よっしゃ、時間確保。
足を肩幅に開いて睨みあっていると。
「団長!!!!」
ようやくラウルと複数の足音が聞こえて来た。
「賊だ! 遅ぇよ!」
俺が怒鳴る。
その声に弾かれるように黒ずくめは一目散に逃げた。
竹垣を超え、温泉の向こうにある崖の方に身をひるがえす。
それに続くのはもう一つの影。
「内側から鍵がかかってて……っ! どこ行きました⁉」
抜刀したラウルが怒鳴る。
「竹垣の向こう!」
「スレイマン班、行け! って、うわ! 団長怪我!」
「それよりシトエンだ。ちょ……。お前、見んなよ」
「見ませんよ」
ラウルが自分の上着を脱いで俺の腕の中で気絶しているシトエンにかけてくれた。
「部屋に連れて行く」
「団長、あと長靴。脱ぐか履くかどっちかにしてください」
「お前、いまそんなことどうでもいいだろうよ」
俺は呆れるが、ラウルは次々に団員に指示を出した。
「草の根分けてでも賊を見つけ出せ! 団長の弔い合戦だ!」
「おう‼」
「俺は死んでねえ!」




