16話 あたしと一緒に、はいらない?
「では、衣装を決めましょうか。ロゼちゃんも手伝ってくれるのでしょう?」
シトエンがにっこり笑う。
「も……もちろんだよ! あ、でもね。姉さまがサイズを調整したりするから……。色だけ合わせる? どんなのがいいですか、シトエンさま」
ロゼはハンガーラックに駆け寄り、シトエンが好きそうな色をいくつか出していく。
うん、見る目はいいぞ、ロゼ。シトエンは青っぽいのが好きなんだ、青っぽいの。
「そうですねぇ。サリュ王子はどう……」
「俺? そうだなぁ」
と、応じた時、つつつつ、とモネがシトエンに近づき、長く下した銀色の髪をくるりと束ねた。
「失礼いたします。首周りのアクセサリーも見ていただきたいので」
そう言ってお団子にしてかんざしで留めたあと、シトエンの首周りを指でするりと撫でる。
「このあたりのお肌を際立たせるものが欲しいですわねぇ」
ふふふ、とシトエンの首元に口を寄せて笑うんだが……。
なんかこう……。
なんかこう……っ。
近いぞ、俺の嫁に!!!!!
目つきがあれなんだ! 獲物を狙うユキヒョウじみてんだよ!
同性だからってちょっと違うんじゃないのか⁉
「いくつか一気にお召し物を着ていただきたいので……。一度、いま着ているものをすべて脱いでいただけますか? その方がサイズもわかりやすいですし」
「ちょっと待てぇい!」
なんか激しく俺の中の野生の……なんかが警戒する。
「お前、プロなら服の上からでも分かれよ!」
モネに怒鳴りつけると、はん、と鼻で嗤われた。
「というより、婦女子の着替えの場に殿方がいるというのが私には理解できないんですけど。ロゼ、王子様と一緒に外に出ていて?」
「お前のようなユキヒョウとシトエンを一緒においておけるか! 喰われるわっ」
「冬熊にいわれたくないですわね。王子こそ冬眠前にシトエン妃を食らいつくすおつもりでは? おお怖い。シトエン妃、十分警戒なさってくださいませ」
じろりと睨まれたが、俺だって睨み返してやる。
その間でシトエンが、あわわわわ、とあっち向いたりこっち向いたりしていたが。
「わたくしが目を光らせておきます!」
びしりと挙手して駆け寄ってきたのはイートンだ。
おお、お前がいた!!!
役に立つのかどうかわからんが、この侍女も危機意識を持ったらしい。
シトエンの側にぴたり、と寄り添う。
「まあ、お好きにどうぞ。私は王子が退席してくれればいいので。ロゼ」
ため息交じりにモネが妹の名を呼んだ。
「王子様に温泉を見せてもらったら? こんな大きなお屋敷に沸く温泉ってどんなのかしらね」
「う……うん。王子、行こう。見に」
納得いかないけど、仕方ないという顔でロゼは衣装をハンガーラックに戻す。
そのあとなんだかいつもの元気をなくして俺の側に近づき、袖を引っ張った。
どうした、ロゼと思ったのは確かだ。
この場にいたければ、きっとモネに「えー! あたしも絶対いる!」「姉さまの手伝いをする!」って言うのに。で、モネもそれを最終的には許すのに……。
「王子。行こう、ほら」
ぼそぼそとそんなことを言う。
シトエンも気になったのだろう。俺と目を合わせ、「一緒についててあげてください」と促した。
「じゃあ……イートン。あとは任せた」
めちゃくちゃ不安だが、という声はとりあえず飲み込み、ロゼと一緒に退室する。
そのままロゼがぼんやりと左に向かって歩いていくからあわてて手を引いた。
「違う、こっちだ。温泉場を見に行くんだろう?」
「……うん」
まだ少し元気が無いから、ちょっとだけはしゃいだ感じで説明してやる。
「源泉かけ流しらしいぞ。さわると熱いかもしれんな」
「そうなの……? 中に入ってさわっていいの?」
なんかためらいがちに尋ねる。
珍しいな。こいつならグイグイ来ると思ったのに。
「女湯の方ならな。まだシトエンが使わないだろうし……」
男湯の方はもうすでに班長クラスが使っているかもしれん。追い出して見学させてもいいが……。まあ、それも可哀そうだろう。
「女湯と男湯があるの? っていうより、このお屋敷、もともとなんなの? 旅館?」
長い廊下を挟み、いくつも横引の扉が続く。
宿泊場、といわれても確かに納得だ。
「バリモア卿が仰るには、ここは王族の湯治場だったらしい。だから王宮から近いんだそうでな。いまの王妃さまはあまり足をお運びにはならないが、先々代の王妃さまは足繁く通っておられたとか」
「へー」
「だから、女湯と男湯。それから今日は団員が使うが側回りの者が使用する湯と、湯がみっつあるんだそうだ」
ふたり並んで廊下を歩いていたら、警備の団員に何人か会った。ちゃんと配置についているようで素晴らしい。
「やっぱり王宮出たからこんなに警備が厳しいの?」
ロゼが見よう見まねで敬礼しながら、俺に尋ねる。団員も微笑ましくそれに応じてくれていた。だいぶん、ロゼの気持ちも上向きになりつつあるようだ。ちょっとほっとした。
「それもあるし……。もともとシトエン、なんか狙われてるからな」
「そうなんだ……」
呟くロゼに、口をへの字に曲げて見せた。
「理由はわからんがな。ま、ここんところは平和だったんだが……」
いつなんどきまたなにが起こるか分からない。特にいまはシトエンの母国だ。こんなところで、あんなに大事にされている娘になにかあったら……。
ティドロス王国の警備体制自体を疑われそうだ。
「ほら、ここだ」
廊下のつきあたり。
そこに、大きめの横引扉がふたつついている。
扉の上部に青いすりガラスがはめられているのが、男湯。赤いすりガラスが女湯だ。
女湯の方の引き戸に手をかけ、スライドさせる。
ふわ、とすぐに鼻先をかすめたのは硫黄の独特の臭い。
「……あたし、この臭いきらい」
すぐ真横でロゼが顔を盛大に顰めた。笑いながら一緒に中に入る。
入ってすぐは脱衣所……なんだろうか。
ただ、屋外だった。
ちょっとびっくり。
てっきり屋内に温泉を引き込んで、バスタブを満たしているんだと思ったけど、違うらしい。
いわゆる露天だ。
地面にすのこのようなものが渡してあり、布を垂らした几帳が並べられた奥からは湯気が立ち上っている。すぐ横が男湯のようで、仕切りになっているのは竹を割って作った壁。
結構な高さがあるからのぞくことはできないんだろうけど……。声は聞こえそうだな。
すのこの上には植物の蔓で編んだ籠がいくつかあるから、あれに衣類を入れるんだろう。
ロゼとふたり、すのこをがたがた言わせながら進む。
几帳をくぐると、もわりとした湯気が顔を撫でた。
「おお」
「わー」
ふたり同時に声を上げた。
周囲を竹垣で囲われたそこには、黒御影石を敷き詰めた洗い場に、大理石や黒御影石を使って組み上げた湯船がある。
湯船はどうやら男湯とつながっているらしい。
間に竹垣の仕切りはあるが、縁石は隣に続いていた。
一番奥には石で作った竜の頭があり、その口から、だばばばばばばと湯が流れていた。あれが源泉なんだろう。なにしろ湯気、上がってるし。
「これ、夜とかキレイんだろうな。星見ながら風呂入るとか、贅沢だな」
周囲は竹垣に囲われているが、上に屋根はない。絶景だろうな。……いや、夏場だから蚊がいるか……?
「ねえねえ」
そんなことを考えていたら、袖をつんつんと引かれる。
「ん?」
顔を向けると、ロゼだ。
中腰になって温泉を覗いていたが、急に腰を伸ばし、いたずらっぽく笑う。
「あたし、この温泉に入りたいな」
「ん? ……あー……。シトエンが使った後ならな。っていうか、でもあれだろう。お前ら商売終わったらすぐ帰るんじゃないのか?」
「だったらさ、いま一緒に入らない? あたしと一緒に、この温泉」
「は? なんだ。ひとりで頭が洗えないのか?」
やっぱり子どもだな。
だが、途端に顔を真っ赤にして怒られた。
「頭ぐらいひとりで洗えるわよっ! そうじゃなくって! いま、シトエンさまも誰もいないんだから、ふたりだけで温泉に入ろうって言ってるの!」
「なんで俺がお前と入らんといかんのだ」
全く意味がわからんと答えたのに、さらに顔を赤くして地団太を踏まれた。
「誘ってんのよ、このバカ熊! なんでわかんないのよ! ロゼとお風呂に入りたいとか、一緒に寝たいってひと、山ほどいるんだよ⁉ お金だっていっぱい払ってもいいとか‼」
「えー……。お前……そんなやばい奴とつきあうな。それに、そんな付き合うとかなんとか、お前にはまだ早い。そもそもガキじゃないか」
男女恋愛に興味があるのはわかるぞ、うん。
「ガキかどうか見せてやるわよ、もうっ! バカにして!」
言いながら、いきなり衣服のスカート部分をがっしり掴み、まくり上げようとするからドン引きする。
「おい、ロゼ……」
やめろ、という前に。
「はい、そこまでー。手を下ろして、離れて。なにもしないで。ほら、団長にふれないで」
いつの間にか入ってきたのはラウルだ。
まるで警備兵のようにロゼに近づき、スカートを掴んだ手をばちりと上からたたいた。
「いったー! なにすんのよっ」
「それはこっちの台詞だろう。お前もなにしようとした。出ていけ」
「はあ⁉」
「ほれ、出ろ。団長も出ますよ」
じろっと睨まれ、はいはい、とロゼを引っ立てるラウルに続く。
「だから言ったでしょう。危ないって」
小声でラウルに言われたが、顔をしかめてやる。
「危ないも何も、ガキじゃないか。それより、俺からすれば女湯の真隣が男湯というのが気になりすぎる。シトエンが入っているときは絶対誰も使用させるなよ」
ラウルに命令したら、「はいはい」と軽く流されてしまった。腹が立つ。




