11話 タニア王との謁見
◇◇◇◇
四日後。
タニア王国に入った。
ルミナス王国の騎士と、モネ・ロゼ姉妹とはここでお別れだ。
シトエンは「なにかあれば連絡を」と自分の実家を教えていた。優しいなぁ。
その後、一路タニア王がおわす王城に向かう。
この時間なら、今日中に謁見がかなうという。
山岳地帯らしい急な山場を越え、この国ならではの山並みなんかを感心しながら眺めた。特に山の斜面を利用した小麦畑は美しく、時間帯によって移動していく羊やヤギの群れはずっと見ていられる。ティドロス王国にはこんなに急で険しい山々が続くことがないから……。団員も興味津々だ。
そうして、夕方には俺とシトエンはタニア王国の宮殿内の謁見室にいた。
だだっ広いその部屋には、漆塗りの椅子がいくつか並べられ、正面には数段高い席が用意されている。
本来は御簾を下していて、タニア王はそこに着席されるらしいのだが、『竜紋をもつ娘』とその配偶者ということで、ご尊顔を拝することができるらしい。
そういえば、結婚式にご参列いただいたが、あれは相当のレアケースだったらしく、シトエンが大事にされていることの証明でもあったらしい。
「……これ、本当は床に座るんだったんだよな」
まだ謁見室には俺とシトエン、それからラウルしかいない。こっそりと隣のシトエンに話しかけた。
「たぶん、サリュ王子に配慮なさったのでしょう」
シトエンが微笑んでくれる。
……申し訳ないな、と思いながらも、タニア王国の作法にはあんまり精通してないので助かると言えば助かる。
本来であれば、椅子ではなく床に直に座るらしい。
なので、タニア王国では絨毯やクッションなどが床に並んでいると聞く。
だけど、今日は椅子が用意されているから、磨き上げられた不思議な色合いの木材がそのまま見えた。案内してくれた侍従に尋ねると、「黒クルミを使用しております」と教えてくれる。へー。今度王太子に教えてやろう。王太子が好きそうな色合いの床だ。
侍従が壁際に待機すること数分。
訪いの鈴が鳴り、重々しく扉が開いた。
シトエンがわずかに頭を下げるので、ラウルとともにそれに倣う。
「苦しうない。顔を上げよ」
入室するいくつかの足音と共にそんな声が聞こえ、ゆっくりと顔を起こした。
壇上の椅子に座っているのは、タニア王。そのすぐ下に設置された椅子に座るのは、シトエンの実父であるバリモア卿とどこかの貴族数人。
俺はタニア王を見た。
年は42歳。黒い髪と黒い瞳は黒曜石のように鋭く、あまり動かない表情も相まってものすごくとっつきにくく思える。
前合わせのボタンがないシャツを着ておられ、その上からこの国の衣装でもある袖なしの、丈が長い上着を羽織り、腰のあたりを帯で締めているのだが……。その刺繍が豪華絢爛だ。銀糸で竜が施されている。
「サリュ王子、結婚式以来であるな。長旅ご苦労であった」
「とんでもございません。このたびは、妻の名誉回復のためにお骨折りいただき、誠にありがとうございます」
立って頭を下げた方がいいのかどうか、めちゃくちゃ悩んだが、その場で頭を下げて挨拶をする。
「なに。予も腹に据えかねておったからちょうどよかったのだ。のう、バリモアよ」
声をかけられ、バリモア卿は無言で頭を下げた。
俺の父と年は変わらないのだろうが、無駄な肉のない体つきと隙が無い身のこなしは全く違う。初めてお会いしたときも思ったが、この方、かなりの武人とみた。
「シトエン、かわりはないか?」
打って変わって随分と丸い声でタニア王がシトエンに声をかけた。
「はい。ありがとうございます、陛下。ティドロス王とサリュ王子のおかげで、このように健やかに過ごしております」
シトエンも一礼したのち、にこやかに答えた。
「それは良かった。予からも礼を言おう、王子」
「なんともったいない……」
ちょっとびびる。
いや、本当に溺愛してるな、シトエンのこと。よくまあ……。こんな娘をルミナス王国は袖にしたもんだ。うちの王太子が「ルミナスの王太子がアホでよかった」と言っていたが……。ほんと、アホなんじゃないだろうか。
「陛下」
タニア王の後ろに控えていた貴族が耳元で何かを言った。「うむ」とタニア王は頷かれ、それから俺を見る。
「道中、賊に襲われた同国人が世話になったとか。重ね重ね礼を言おう」
「なにをおっしゃいます。それに、傷を癒したのはシトエンです。礼ならばシトエンに」
「いえいえ。サリュ王子が賊を追い払ってくださったからです。〝ティドロスの冬熊〟とその名を聞いただけで賊は震えあがったとか。サリュ王子こそが、陛下からのお言葉を頂戴すべき人です」
互いにそう言っていたら、タニア王が声を立てて笑った。
「仲が良くてなにより。予は安堵した。これならば、今後もうまくやっていけるだろう。なあ、バリモア」
「まったくその通りかと」
バリモア卿も目元を緩められた。その表情に俺がほっとする。
なにしろ、公開婚約破棄のときは……。この御仁、いたたまれなかったからな……。
「シトエンよ」
「はい」
シトエンが返事をする。タニア王が小首を傾げられた。
「子はまだか?」
途端にシトエンが、ぼんっと火を噴くかと思うほど真っ赤になる。
俺だって狼狽えた。
「いや、まだ結婚して一か月ほどしか……」
言い訳がましく言うと、タニア王がバリモア卿を一瞥する。
「だが、結婚前から一緒に住んでおるのであろう?」
「婿殿は律義に婚儀を待ったのでございましょう」
「何と忍耐強い」
あれだけ無表情だったタニア王が、若干引き気味の顔をする。いや、俺だって手を出したかったよ!!! でも、うちの使用人や団員やラウルが邪魔ばっかするんだよ!
「なるほど、では子が腹におってもまだわからぬの。そうかそうか」
タニア王が納得したようなのでほっとしたものの……。
次に「え……? あの初夜のとき、もうできたってこともありうるわけ?」と思い至る。
そ……そうだよな。そういうことしたんだしな……。
なんとなくシトエンに顔を向けると、もはや水蒸気でも上げそうなほどの顔色で、必死に首を横に振っていた。
……あ、できてない……のかな?
「ティドロス王に伺いは立てるが、シトエンの第一子は予が名付けてもよかろうかの」
ほっとしたり焦ったり、ちょっと残念に感じたりしていたら、タニア王がとんでもないことを言ってきた。
「は? え? いやあの……。光栄ではございますが……」
いいんだろうか、これ。受けても、と今度はラウルと目を見交わして慌てる。
「陛下、そういったことは実際に子ができてから申し上げては?」
「それもそうよの。どうもシトエンのこととなると気が早くなる」
バリモア卿が助け舟を出してくれて身体中から力が抜けかけた。
「さて、堅苦しいのはかなわん。食事にしよう」
タニア王はそう言い、背後に控えている貴族に合図をする。
「シトエンも長らく友人や親族に会っておらぬだろう? 今すぐ来るゆえ、しばし待て」
「まあ! ありがとうございます!」
シトエンが両手を合わせて喜ぶ。婚約破棄後、一度帰国したものの、それでもすぐに俺との婚約式だ。母国でゆっくりできるなんてシトエンにとっては久しぶり。そりゃ嬉しいに違いない。
「謝罪の場が開催されるまで王宮にいてもらっても構わぬのだが、バリモアがどうしても自分が接待するのだ、とうるさくてな」
タニア王がため息交じりに言う。え、そうなの? 俺もてっきり王宮に泊まるんだと……。
シトエンと一緒にバリモア卿を見ると、胸を張って答えられた。
「タニア王国は地から湯が沸くことでも有名。ぜひ、婿殿には温泉に入って帰ってもらわねば。シトエンも久しぶりだろう? 存分に味わって帰りなさい」
温泉!!!!!!
温泉ですか、舅殿!!!!!
シトエンと温泉!!!!!!
「ちょ……、団長鼻血出さないでくださいよ」
「だ……大丈夫だと思う」
小声でラウルに注意され、なんとなく腹に力を入れて息を止める。それで鼻血が止まるのかどうかは知らんが。




