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9話 モネの傷

「そうですか。ではわたしのせいかもしれませんね。戻ってくるのが遅くなりました」


 おかしそうに肩を揺らして笑い、文机の端の方に水差しを置く。


「そんなことないです、シトエンさま。悪いのはこの王子です」

「人を指差すなっ」


 ばちりと手をはたき落とすと、ロゼは盛大にむくれつつ、手に持ったりんごに歯を立てた。かりり、と小気味いい音とともに特有の甘酸っぱい香りが室内に漂う。


「ロゼちゃん、パンやソーセージも食べないと」

「はぁい」


 おい、さっきと態度が違うじゃねぇか。


 むすっとした顔で足を組み、膝の上で頬杖をつくとロゼはロゼで、ふふんと笑うから腹が立つ。このガキめっ。


 なにか言ってやろうかと思った矢先、ベッドが軋む音がした。


 俺たちは全員顔をそちらに向ける。

 モネだ。上半身を起こしていた。


 長い髪をひとつに束ね左肩に垂らしているが、前髪は汗で額に張り付いている。裾の長いボタンつきシャツのようなものを着ていたが、汗ではりつき、身体のラインがはっきりわかる。なんというか……。こりゃ、団員の前に出せないな。いわゆるボン・キュッ・ボンッだ。


 ただ、そんなことより辛そうだ。

 熱が高い上に、痛いのだろう。左掌で顔を覆ってじっとしている。


 そりゃそうだよなぁ。受傷直後は結構普通にしていたけど……。あれ、相当だぞ。


「うるさくて起こしてしまいましたか?」

 シトエンが近づき、さりげなく首元にふれて熱を測っているように見えた。


「いえ、その……お手洗いに」


 憚るように言い、ゆっくりと足を床に降ろす。そのまま立ち上がろうとするが、ふらりと体勢を崩した。


 慌ててシトエンが支えるが、完全にしなだれかかったような感じだ。


「姉さま!」

 ロゼがりんごを放り出してモネに近寄り、腰にとりつくようにして抱えた。


「トイレか? 俺が抱えて連れて行ってやろう」

 立ち上がって呼びかけたのに、モネに強烈に睨まれる。


「結構です、王子にそのようなことをしていただくなど畏れ多くて……」


 いや、どちらかというと『汚らわしくて』と言いそうだぞ、お前の表情。


「では、このままちょっとお手洗いの方に。ロゼちゃん、手伝ってね」

「はぁい」


 そういって、ほぼほぼ三人四脚状態で歩き出す。


 見ててハラハラする!


 いつか後ろ向きに倒れるんじゃないかと思うのだけど、絶妙なバランスで三人は部屋を出ていく。


 ついて行って支えてやろうかと思うけど、とにかくモネの刺すような視線が、俺の黒歴史を刺激する……。ああ、そうだ……。俺、あの冬、あんな目で『臭い』って言われた……。


 それに、トイレはすぐ近くにある。

 なにかあっても駆けつけられるだろうと、部屋で待つことにした。

 よいしょ、ともう一度椅子に座ったら、遠ざかったはずの足音が戻ってくる。


「大変! 王子さま! 盥‼」

「はあああ⁉」 


 飛び込んできたロゼに、とりあえず水が入ったままの金盥を渡す。


 な、なんだ。何が起こった。出産? まさかな。

 意味もなく立ったり座ったりを繰り返していたら、ロゼがモネを抱えて戻ってきた。


「あれ? シトエンは?」

「姉さまがトイレで吐いてしまって……。その後始末を……。あたしがするって言ったんですけど……」


 しょぼんとロゼが答える。モネは最早蒼白どころか、顔色がない。


「俺も……」


 手伝ってこようかと思ったが、ロゼがモネを寝かせるのに苦戦している。

 文句言われようが叫ばれようが、とりあえず安全に寝かせる方が先だろう。


「早く寝かせよう。触るぞ」


 近づき、モネに声をかける。今度は言い返すだけの元気もなくなったようだ。ロゼを押しのけ、モネを横抱きにする。そのまま、ベッドに寝かせた。


「どうですか? まだ吐きそうですか?」

 キルトケットをかけ直してやっていたころ、シトエンが戻って来る。


「大丈夫か? そっち手伝いに……」

「もう終わりました。それに、もし感染性のものならわたしの方が処理に慣れているので」


 シトエンはにっこり笑う。よく見ると、エプロンを外していた。


 そのまま革鞄に近づき、瓶に入れている液体を手に振りかけた。濃いアルコールの匂いがするから、消毒なのだろうと知れる。


「ちょっと傷の状態を見ましょうか」


 シトエンが近づいて来るので、俺とロゼが下がる。

 モネはもう瞼を上げる力もないのか、仰向けにぐったりしたままだ。

 シトエンは彼女の右袖をまくり上げ、包帯を外していく。


「シトエンさま、すごいのよ。着替えも」

「着替え?」


 背伸びをし、俺の耳元でロゼが言う。


「ここに運び込まれた時、姉さま、また意識がもうろうとしててね。あの寝間着に着せ替えようとしたんだけど、あたし、なかなかできなくて……。そしたら、シトエンさま、姉さまをベッドに寝かせて、左右にごろんごろんさせながら服を脱がしたり着せたり。お身内でお身体が不自由な方がいらっしゃるの?」


「いや……」

 前世が医者だったらしいから、とは言えない。


「うーん……。大丈夫だとは思いますが、もうしばらく様子を見ましょう。しんどいですね。ここを乗り越えましょう。側にいますよ」


 シトエンは気遣わしそうに目元を下げ、モネの額に手を当てる。


 ちらりと傷跡を見たが、縫ってはいないようだ。

 きつめにぴたりと圧迫したのがよかったのか、血は止まっていた。膿らしいものもない。傷も腫れあがって真っ赤だが、ひきつったような感じはなかった。痕は残るだろうが、変な皮膚の付き方はしないだろう。


 俺だって、辺境警備の件でいろんな裂傷をみて来たが……シトエンの手際に感心した。


「さあ、ロゼちゃん。モネさんはこれでしばらく大丈夫でしょうから……。先にご飯をいただいちゃいましょう」


 シトエンはロゼを促す。

 しばらく心配そうにもじもじとしていたが、モネが眠ったことに気づいたのか、小さく頷いてシトエンと共に文机に戻る。


「サリュ王子。わたしはこのままこの部屋にいますので……。どうか先におやすみください」


 シトエンがぺこりと頭を下げる。


「無理だけはするなよ。力仕事が必要ならまた声をかけてくれ」


 俺はそれだけ言って……。

 立ち去るしかなかった。


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