7話 ぎゅ、ってしてくれたら……元気が出るんですが
◇◇◇◇
その二時間後、俺たちはルミナス王国が用意してくれた宿泊所にいた。
王家が所有している屋敷で、狩猟時期によく使うのだという説明通り、山から程よい距離にあり、ログハウスを模したような平屋の屋敷だった。
団員たちは到着と同時に馬をねぎらい、馬具を整え、道具を点検し始めた。
モネとロゼの治療のための部屋をシトエンと共に準備をしながら、俺はルミナス王国の騎士と打ち合わせをする。
本来ならば、明日の朝にはタニア王国に向かって発ち、明後日には彼の国に到着する予定ではあったが、馬車の中でモネが熱を出したのだ。
シトエンに聞くまでもなく、どうも数日は容体が安定しそうにないように見えた。
そこで、タニア王国に『到着が遅れる』旨を伝えて欲しい、と申し出たのだ。
ルミナス王国の騎士は、もちろんだ、と伝令を飛ばしてくれた。
タニア王国側も、タニア国民の保護と治療のためと説明すれば納得いただけるだろう、と。
なにより、タニア人が正規の手続きを踏んでルミナス王国で商売をし、その時に賊に襲われているのだ。
これをまた、タニア王国側につつかれたら厄介に違いない。
ルミナス王国の騎士たちは必死に動き回ってくれた。
俺も打ち合わせが終わると、ラウルに団員たちの食事と宿泊の指示を出した。ついでに、イートンに調理の手伝いを頼む。予想外の宿泊日数のため、調理場が戸惑ったのだ。
『お任せください』と答えたイートンはそのまま調理場に向かう。あいつが自信満々なのを初めて見た気がした。実はあいつ、侍女とかより調理の方が得意だったりするんだろうか……。
その後、シトエンがいる治療部屋に向かった。
厨房に立ち寄ってシトエンやモネ、ロゼの食事をバスケットに入れてもらい、屋敷内を歩く。
夜も更けてきたので、廊下やリビングには灯りがいれられていた。
壁にはトロフィーなのか、鹿の首や熊の毛皮が飾られていて、ちょっとなんともいえない気持ちになった。
ルミナス王国では、競技としての狩猟がある。
強い動物と戦い、自分は勝った。だから、その証としてはく製にして飾る。
……飾られた方はたまらんだろうな。
勝ちも負けも、運だと俺は思っている。
もちろん毎日の鍛錬や技術の向上は必要だが、技量が同じであるのであればあとは運だ。
だからこそ、勝負が終わったあと、互いに健闘をたたえ合って別れる。
そこでおしまい。負けたものを罵るでもなく、勝ったものにこびへつらうわけでもない。
そして、そのお相手とはまた次に相まみえるかもしれないし、一生その機会がないかもしれない。
だからこそ、勝負は心にも記憶にも残るのだ。
俺にはこのはく製になった獣たちが不憫でならない。まるで、負けをずっとさらされているようだ。
ティドロスでも、もちろん狩猟はする。肉は食うし、毛皮は防寒着として利用する。だが、こんな風に獣を飾る風習はない。
どっちがいいとか悪いとかじゃなく、陸続きの国とはいえ、こういうところでやっぱり文化が少しずつ違うんだなぁ。
バスケットをぶらぶらさせて廊下を進み、一階の西端へ移動する。
リネン室の隣で、通常メイドが使用する部屋を治療室に充てていた。
さて、ノックしようと拳を緩く握ると、ドアが内側から開く。
出てきたのは白いエプロンをしたシトエンだった。
「あ」
驚いたような顔で俺を見上げる。
陶器の水差しを抱えていたが、すぐに後ろ手でドアを閉めた。ちらりと見えた室内は明るい。モネは眠っているのかもしれないが、ロゼが起きているのだろう。
「どうされました?」
「飯、喰ってないんじゃないかと思って」
バスケットを目の高さまで上げると、嬉しそうにシトエンが笑う。
可愛い……。もう、こんな笑顔作ってくれるんだったら、なんでも運ぶ。毎日運ぶ。
「モネさんは眠っているんですが、ロゼちゃんがお腹を空かせているでしょうから」
シトエンがちらりとドアを見た。
「どうぞ中でお待ちください。わたしは水差しに水をいれてきますから」
「だったら、俺がいれてくる。シトエンも食べてないんだろ? ほら、交換」
俺はバスケットを差し出し、空いている手でシトエンが抱える水差しを指差した。
「そんな。サリュ王子に水をくみにいかせるなんて……」
ぷるぷるとシトエンが首を横に振るから可笑しくなって噴き出した。
「それを言うなら、俺たちみんなそうだ。王子妃にけが人の治療させているんだから」
シトエンは、ぱちくりと目を見開いたあと、愛らしい声で笑い始めた。
「そうですわね。でも、お水はわたしがくみに行きます。なので、サリュ王子はわたしが戻るまで、中で待っていてくださいますか?」
「そりゃもちろん。でも、シトエン無理するなよ? 疲れているのなら、ほんと、俺が水ぐらいいれて持ってくるから」
声をかけると、歩き出そうとしていたシトエンは動きを止め、水差しをぎゅっと抱きしめて上目遣いに俺を見る。
「ん? なに?」
花柄が描かれた水差しが大きすぎるから、胸の前で抱きしめたら、シトエンの顔は半分ぐらいしか見えない。
その目元が朱をさしたように赤い。
「あの……。疲れたといえば、疲れたのですが」
「おおう⁉ そうなのかっ! それは大変だっ! いますぐゆっくり……」
バスケットを持ったまま、オロオロしていたら、またぷるぷると首を横に振られた。なんかこう、身体を小さくするみたいに水差しを抱えて、シトエンは言う。
「つ……疲れて……、その。このところあんまり一緒にいられないので……。その」
薄暗い廊下でもわかるぐらい火照った顔でシトエンはきょろきょろと周囲を見回した。
「もし、サリュ王子がよかったら……。ぎゅっ、ってしてくれたら……元気が出るんですが」
ちょっとだけ震えた小声でそんなことを言うもんだから……っ。
「もちろんもちろんもちろんもちろんもちろん」
する! ぎゅってする! いますぐやる! なにを戸惑うことがあろうや!
バスケットを持ったまま、すぐさまシトエンを抱きしめた。
いきなりすぎたからか、「ひゃあ」と声を上げられたものの、すぐに楽し気に笑う。
水差しが邪魔だなぁ、と思うものの、シトエンは満足らしい。遠慮がちに俺にもたれかかるようにしてしばらくじっとしていたのだけど、ふう、と吐息を漏らした。
「シトエン?」
「ごめんなさい。本当は公務を優先してタニア王国に行かなくちゃいけないんでしょうけど……」
予定が変更し、この屋敷に数泊することを言っているのだろう。視線を落とすと、シトエンが眉根を下げていた。
「タニア王もバリモア卿もわかってくださる。それに、ルミナス王国の賊に襲われたんだ。ルミナス王国の治安が悪いからで、別にシトエンが謝ることでも気に病むことでもない」
はっきりと断言するが、シトエンはそれでも迷うように瞳を揺らせた。
「どうしても……放っておけませんし」
「それがシトエンのいいところじゃないか」
彼女の身体に回した腕に少しだけ力を籠める。苦しいかな、痛いかな、って思ったけどシトエンは嬉しそうに目を細めてくれた。
「ありがとうございます。その……元気が出ました」
ああああああああああ。
超かわいいいいいいい。
どうしようううううう。
かあああわあああいいいいい、
うぐぐぐぐぐ。いかんいかん。
俺も別の意味で元気がでそうだよ……っ!
ん……? ちょっと待て。
……そうだよ。
予定変更して、これから数泊ここにするんだからさ。
それって公務じゃないんじゃないのか?
だって、予定変更じゃないか。
予定にないってことだろう? ってことは、今日とか明日とか……。
シトエンと一緒に夜を過ごしてもいいってことだろう⁉




