3話 なんて提案をしてくれるんだ、王太子!
その数時間後、俺とシトエンは並んで王太子の執務室の前に立っていた。ラウルは屋敷前で待機。
訪いの声を衛兵が上げると「入れ」と短い返事が聞こえた。
すぐに衛兵が扉を開けてくれるから、シトエンを伴って中に入る。
ふわり、と風が動いて王太子の背後にある紗のカーテンが揺れた。窓が開いているのだろう。日中とはうってかわり、この時期はまだ風も涼しい。
「昨日はご苦労。早速呼び出して悪かったな」
王太子は書類に視線を落としたままサラサラとサインをしている。すでに決裁書入れには山と書類が積まれていた。
「王太子こそお疲れ様です」
思わず苦笑いする。この文書量だ。多分、俺がベッドで「起きない!」とごねていた時にはすでに仕事をしていたのだろう。
「よし。これを持って陛下のところへ」
王太子は決裁書類箱を手に取り、執務机付近で待機している文官に渡した。恭しく受け取ると、文官は俺たちにきっちりと礼をして、部屋を出る。
「実はルミナス王国とタニア王国から手紙が来た」
王太子は前置きもなく切りだす。
「ルミナスと」
「タニアですか」
俺とシトエンが尋ねると、王太子は無表情のまま引き出しから2通の手紙を出す。
1通は封書。もうひとつは巻物だ。
「ルミナスは……この前、使者が来ていましたね」
王太子と一緒にあいさつしたから覚えている。だが、打ち合わせには出席していないから内容までは知らないが……なにかあったのだろうか。
「タニアからなにかございましたか? あいにくわたしは父から何もきいてはいないのですが」
不安そうなシトエンの背中に手を添え、王太子の執務机に近づいた。
封書にはルミナス王家の封蝋がしてあり、巻物の裏張りにはタニア王国が神と仰ぐ竜が描かれていた。
「シトエンの婚約破棄に伴う石炭及び鉱物の輸出停止はまだ続いているようで、ルミナス王国はなんとしてもこれを解除してもらいたいらしい」
はん、と王太子はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「あの国はタニア王国ほどではないにしても、寒い。越冬が厳しいのだろう。不意打ちをくらったようなものだからな。石炭の備蓄がそこまでないのかもしれない」
そういえば、ルミナス王国の王族が描かれた肖像画というのは、テンだのユキヒョウだのの毛皮をこう赤いマントにどどーんと縫い着けているものが多い。ルミナス王国から嫁いでこられた母上も、「ここはあまり雪が降らないのねぇ」と冬によく言っておられた。
「タニア王の赦しを得ようと何度も使者を送り、うちにも仲介してくれと来ていたが……。どうやら、タニア王が『シトエンに正式に謝罪するならば』と言ってきたらしい」
そう言って王太子はまず、巻物を机の上に広げた。
そこには達筆なタニア文字がつづられていて……。
「ごめん。俺、タニア語は喋れるけど文字が……」
シトエンに小声で告げると、彼女は頷いて読み上げてくれた。
それは王太子の説明を裏付けるような内容であり、かつ「そろそろルミナスを許してやってもいいが、竜紋を持つ娘への侮辱は取り消してもらわねばならん」ということが書かれており、「ルミナス王国がシトエンに正式に謝るであろうから、腹立だしいであろうがどうかシトエンよ、ルミナス王国を許してやってくれ」というような締められ方をしていた。
「で、ルミナス王国からだ」
今度は封書から便箋を取り出し、王太子が机に広げてくれた。
俺とシトエンが顔を並べて読む間に、手早く巻物を片付けている。
ルミナス王国からは、「このたびは本当に申し訳ない」「タニア王の御前でシトエン妃に正式に謝罪をしたい」「ついては忙しいとは思うがどうかタニア王国まで来ていただきたい。もちろん、それに関わる費用やルート作成についてはこちらが受け持つので」と書かれていた。
「タニア王国で謝罪の場を作る場合、どうしてもルミナス王国を通らねばならない。その旅程や通行許可証、宿泊場所についてもルミナスがすべて請け負うらしい。どうだ、サリュ。シトエンの護衛を兼ねてタニア王国まで行ってもらえないか? 謝罪式までは公務だが、その後は私的旅行で構わん。タニア王国でゆっくりしてくればいい」
「もちろんです。行きます」
王太子の提案に即座に返事をする。
「あの……でしたら、わたしが公務としてひとりで参ります。タニア王国にいる父にお願いして警護の兵や道中の支度などを手配してもらうというのはいかがでしょう。王太子やサリュ王子のお手をわずらわせるなど」
恐縮しきりとばかりにシトエンが首を横に振った。
「もともとは、タニア王国とルミナス王国のことです。ティドロス王国を巻き込むことなど。謝罪式が終わり次第、すぐに戻りますので」
「だが、シトエン。今はサリュと結婚し、ティドロス王家の人間ではないか。われわれの身内だろう? 親族が関わることは、我々にも関りのあることだ」
きっぱりと王太子が言いきる。俺もぶんぶんと首を縦に振った。
「それにほら……。タニア王国でのんびりしたくないか?」
謝罪もそうだが、シトエンにゆっくり里帰りさせたかった。
シトエンは、ルミナス王国に婚約のために入ったのだけど、それが2年前。
その後婚約式で衆人の元、一方的に破棄される。
そこを「あらあら、じゃあうちがいただいちゃいましょう♡」とばかりに母上がシトエン獲得に走り、現在俺の妻になった。
婚約破棄後、一時帰国したものの……。それもわずか数か月。タニア王から指示を仰ぐためだ。友人と会ったり、まったり実家で過ごすなんてこともなかったろう。
「それはそうですが……。わたしは望んでこの地にいるのです。サリュ王子の妻として」
サリュ王子の妻。
シトエンの口から聞くとこれ……。また顔がにやけそうになる。
いかんいかん。しゃきっとしろ、俺。
「里帰りというか……俺もシトエンが……自分の妻がどんなところで生まれ育ったのか見てみたい。一緒に行ったら、だめか?」
腰を屈め、シトエンの顔を覗き込んで尋ねると、彼女は顔を真っ赤にして「いえ……それは」と口ごもる。
「タニア王国で羽を伸ばすのが心苦しいというのであれば、わたしの別荘を貸してやろう。帰りはそこにしばらく逗留するといい。お前たち、新婚旅行もまだだろう?」
王太子が便箋を封筒に戻し、机に頬杖をついてシトエンを見た。
「あの別荘、ここ数年使っていないから風を通したい。使ってくれるとわたしが助かるんだが、どうだろう」
「えっと……では。その。サリュ王子がよろしければ……」
ここまで言われては、ということだろう。俺は力強く首を縦に振る。
「もちろん! 一緒にタニア王国に行こう!」
やれやれ、とばかりに王太子は肩をすくめ、「そうだ」と俺を見た。
「あの別荘、山の中だがプールがあるし、二階から見える夜の風景はなかなかのものだ。池には確かきれいな魚もいる」
魚や風景なんてどうでもいい‼
プール‼
プールだと、王太子‼
なんて提案をしてくれるんだ、王太子‼
み……水着……っ‼
シトエンが水着を……っ‼
水着のシトエン‼
シトエンが水着……っ‼
「ひゃあ! サリュ王子! 鼻血、鼻血っ!」
「なにをやっているんだ、お前は」
気づけば鼻血が出ていたらしい。
俺は顔を押さえて「し、失礼しますっ!」と慌ただしく執務室を飛び出し、屋敷の前でラウルから白い目で見られた……。




