1話 俺の嫁が朝から可愛い件
◇◇◇◇
「153………」
そんな自分の声で目が醒めた。
カーテンが少しだけ開いていたらしい。朝の光に目を刺されて呻いた。
最悪だ。
夢の中ではラウルと額をつき合わせて旅費の計算をしていた。何度計算しても153ダリン足りない。これでは王太子に叱られるとふたりで必死になって算盤を弾いたり、紙に書いて計算してもそれでも153ダリン足りない。
そんな夢だった。
せっかく王太子の護衛が終わったというのに、夢でまた王太子に会うところだった。
やれやれと寝返りを打ち、また悲鳴を上げかける。
そこに。
シトエンがいたからだ。
右側を下にしてシトエンは羽根枕に顔を埋めている。
銀色の長い髪は緩く束ねて後ろに流しているから、顔のラインがはっきりしていた。
卵型の小さな顔。
いまは閉じられているが、紫水晶のような瞳が印象的な美しい娘。
というか、俺の妻。
ナイトウェアから出たデコルテや細くしなやかな腕は、きめ細やかで白い。窓から差し込む朝日を浴びて潤んだようにさえ見えた。
すやすやと眠るシトエン。
呼吸に合わせてその胸がゆっくりと上下する。
もちろんナイトウェア越しだからいまは見えないが、その下には竜紋が隠されている。
それはタニア王国の王族にしか施されない印。
桜の花びらのような小さなそれは、シトエンの胸の中央……というより、右胸よりのところにある。
もちろん、俺はそれを見たことがある。
夫だから!
見たことがあるし、なんなら触れたことも、その竜紋に口づけたこともある。
夫だからな!
だけど……。
思わず呻きたくなる。いや、身体を起こして頭を抱えた。
新婚初夜以来、見ていない……。
「う……ぅん」
俺が動いたからだろう。
シトエンが小さく声を漏らして身じろぎをする。
その拍子にナイトウェアがちょっとはだけて……なんていうか、胸元が少々こう……。谷間がね……。こう、見えて……。いや、見えていない! 見えてないぞ! 見えそうなだけ!
あわわ、と慌ててキルトケットを掴み、シトエンの肩まで覆って「やれやれ」と思ったもの……。
え、ちょ……待っ……。俺、夫だから別に見てもいいんじゃないか……? ってかむしろ眼福って眺めてもよかったのでは。
「ぐは……」
顔を両手で覆って呻く。
なにやってんだか。
今朝だけじゃない。昨晩もだ。
新婚初夜以降、バタバタしていてこうやって一緒に眠れたのが実は半月ぶり。
結婚してそれで終わりってわけじゃなく、その後の事務処理や王太子を手伝って賓客の送迎や接待。シトエンはシトエンで、王妃である母上を手伝って接待だの御礼状だの社交界でのあいさつだのがあった。
夜はどっちかの帰りが遅く、顔を会わせて会話するのは朝食の席だったり、王宮で互いに賓客を交えて、みたいな感じだった。
極めつけはあれだ。王太子の護衛。
やれやれ、そろそろゆっくりできるかな、と思っていた矢先、辺境に王太子が視察に行くことになり、その護衛を俺の騎士団が命じられて……。
公務。そうだよ、これは公務だよ。
だけど、新婚家庭に外泊付きの出張命じるか⁉
そりゃ王太子のところはいいよ、もう結婚して何年目だよ! そもそもあんたら、幼馴染で同じ屋敷で育ってるからな!
うちは違う!
出会ってまだ1年も経ってないし、一緒にベッドを共にしたのだって、「共にしただけ」の方が回数多いからな!
これから心も体も距離を縮めようと思っていた矢先。
公務……。こぉぉぉむぅぅぅぅぅ。
あんたひとりで行けよ! と言いたいのは必死で堪えた。だって、これはお仕事。お仕事を疎かにしたら王族の意味がない……。そんなの俺だってわかっている。
だから視察の移動は最高速度に設定した。
俺の指揮系統のもと、騎士団一丸になって馬を飛ばし、馬車に乗っていた王太子は激しく揺れ、乗り物酔いで嘔吐したらしいが、知らん。
王太子はもともと仕事のできる男だから、乗り物酔いが酷かろうが、睡眠時間が極端に削られようが、視察自体は問題なく執り行った。
そしてまた、王太子に嘔吐用の桶を手渡して馬と馬車を飛ばし、王都に戻ってきた。
……のだけれど。
予定より大分早く戻ってきたため、シトエンはすでにベッドに入って寝息を立てていた。
起こそうかな、と思ったんだよ。ちょっとだけ。
戻ってきたよシトエン、って肩を揺すってさ。瞼にキスなんてして。
そしたら目を醒ましたシトエンが「おかえりなさい」とか言ってくれて。
そんな彼女と朝までいろいろこう……。な? 熱い夜を過ごすのもいいかな、と。
だけど。
すやすやと安心しきって眠っているシトエンを見たら、起こすのも可哀そうになってきた。
シトエンはシトエンで公務を頑張っているわけで。
なにより、言葉も違うし出会って数日の人たちに囲まれて生活しているわけだし。
そんなの、俺より疲れているわけじゃないか。
夜ぐらいゆっくり眠らせてあげたい。
そんなことを考えて、俺は彼女の隣で眠ったのだけど。
「あ……。サリュ王子……?」
まだ不明瞭な声で名前を呼ばれた。
その後、はっきりとシトエンが目を醒ましたらしい。
驚いたように目を見開くと、紫水晶のような瞳が俺をとらえた。
「深夜に戻ったんだ」
言い訳がましい口調になってしまったのはなんでだろう。
ただいま、とか、おはよう、とか。
なんなら会いたかったよ、と言えばよかったと、口にしてから悔やむ。
「ごめんなさい、わたしったら……」
もぞもぞと身体を起こそうとするのだけど、シトエンって割と朝が弱いんだよな。
起きてすぐに動けないし、無理やり動こうとしたら顔が真っ青になる。
「いいよ、まだ寝てて」
慌てて押しとどめる。そのときに触れた肩が本当に華奢で。そっと、そっと、と自分に言い聞かせる。それでも、初夜のときは理性がふっとびそうで、シトエンが壊れないか本当に不安になったのを思いだし……。
なんか、ひとり顔を熱くする。やばいやばい、とそっぽを向いたら、軽やかで甘い声が鼓膜を撫でる。
「おかえりなさい、サリュ王子。道中ご無事で安心しました」
声にいざなわれるようにして目を向けると、キルトケットにくるまったシトエンが俺を見てほほ笑んでいる。
「あ……、うん」
たぶん、呆けた様にしばらく彼女に見とれていたと思う。
だから全然まともな返事ができなかった。
改めて思うんだが。
やっべえええええよ! くっそ可愛いぃぃぃ!!!
俺の嫁、めちゃくちゃ可愛い!!!!!
なに、この可愛さ!!!!
他の女がどうだか知らんが、起きてすぐ可愛いものなのか⁉
違うと思う!!!!
シトエンだけだろ、こんなに可愛いの!!!!
やべえええええ!!!!!
俺、超絶に幸せ者じゃねえか⁉
聞いて!!!!
国中のみんな、聞いて!!!!
この娘の夫、俺ぇぇぇぇ!!!!!!
俺ぇええええええ!!!!!!




