37話 どうします!?
おれの左腕が、ぐいと下に引っ張られる。
いや、そんな生易しいものじゃない。腕ごと持っていかれそうになる。
がくん、と身体を傾かせたとき、シトエンの悲鳴がその口から迸った。
「シトエン!」
左ひざを地面につき、彼女を見る。
シトエンは、うつぶせに倒れ込んだまま、すごい勢いで庭木の中に引きずり込まれている。
自身も状況が分かっていないらしい。
目をぱっちりと開いたまま、蒼白の表情でおれから遠ざかる。
「シトエン!」
その姿は最早、生垣の中に消えた。
おれは佩剣の柄を握りしめ、前かがみに飛び出す。
ぱん、と頭の奥で何かが破裂する音がした。
熱の粒子が怒涛のように身体を巡る。
ぎり、と奥歯を噛み締めた。
しゅい、と視界が澄み渡る。
薄闇の中、対象物だけが白く浮いて見えた。
生垣を跳躍する。
同時に鞘から剣を引き抜いた。
しゅるり、と刃が鞘を滑る。
振りかぶった。
眼下。
芝生の上。
シトエンはうつぶせに押さえつけられている。
足を捕らえている男がひとり。
頭側には、おれに背を向ける形で男がひとり、抜刀してシトエンの首を刎ねようとしていた。
「どけぇ!」
怒鳴り、着地するより先に剣を叩きつけた。
どっと上がる血しぶきを、身体を右に傾けて避ける。ぴ、と一粒だけ血が左頬に付き、思わず舌打ちした。
「シトエン! 立って!」
噴水のように湧き上がる血の向こう。
脚を押さえていた男が腰を浮かせ、小刀を腰から抜くのが見える。
シトエンの背を狙っている。
彼女は必死にもがいた。
その彼女の上に、さっきおれが斬り捨てた男が倒れ込もうとするから、蹴りつけて軌道を変える。
どん、と重い音が聞こえた。
芝生の上に倒れたんだろうとは思うが、確認はできない。足元にいた男がシトエンの背に刃を立てようとしている。
シトエンは逃げ出そうとしているようだが、間に合わない。
おれは身体を起こそうとしているシトエンの上に覆いかぶさった。
べしゃり、とおれの腹の下でシトエンが再び地面にうつ伏せになる。
「サリュ王子!」
悲鳴と、背中の痛みと。
それから、重さは一斉にやってきた。
「……くっ!」
おれの背中の上で男が呻く。
どうやら服の下に着こんでいたプロテクターに小刀の刃が食い込んで動けないようだ。なにしろ、貫通しておれの背にまで切っ先が届いているんだから。
「サリュ! サリュ!」
腹の下ではシトエンがもがく。
「じっとしてて!」
おれは言い、強引に立ち上がった。
刃を抜こうともがいている男がよろめいて態勢を崩す。ぶるん、と水を振るう犬のように胴体を揺すると、男がおれの身体から離れた。
そこを、思い切り蹴りつける。
「どいて! 団長!」
背後からラウルの声が聞こえ、咄嗟にシトエンの方に身体をよじる。
おれのすぐ、きわっきわを、ぶぅおん、と剣の素振り音がし、ラウルが飛び込んできた。
刃はまっすぐに男の肩を強襲し、夜闇に赤い花のような血が噴く。
「……ちい……っ」
男は肩を押さえ、舌打ちした。そのまま背を向けて逃走する。
「追え」
ラウルが騎士数人に声をかける。それに従う騎士に、おれは慌てて声をかけた。
「大事にするな。まだ披露宴の最中だっ」
聞こえたのかどうなのか。騎士たちは一瞬おれの方を見たものの、がちゃがちゃと拍車を鳴らして去って行った。
だから、その喧しい音をどうにかしろって!
「どうします」
ラウルが剣を振って血を飛ばし、鞘におさめながら小首を傾げた。
芝生の上で絶命している男をつま先でつつく。
「これの身元を今から探りますか?」
「披露宴会場に賊が忍び込み、殺されかけました、なんて末代までの恥だ。隠せ、隠せ」
おれは言い、立ち上がってラウルに背中を見せる。
「ちょっと、これ抜いてくれ」
「うわあ。どうすんですか。まだ参加者のお見送りがあるのに、服に穴開けて」
「前だけ向いてたらわかんないんじゃね? 背中だし」
「えー……。どうかなあ」
「あ! マント! マント着よう!」
「おお、ナイスアイデア!」
ぱちり、とラウルが指を鳴らし、ふたりで笑っていたら。
「背中を見せて!!!!」
シトエンが絶叫した。驚きすぎて、気づけばラウルと抱き合ってしまった。
目の前で。
シトエンが仁王立ちしている。
その姿がとんでもないことになっていた。
ざくろ石のネックレスが無事なのが、なによりほっとしたけど、ドレスの前部分は、全面ぼろぼろだ。
たぶん、うつぶせに転がされ、かつ、引きずって行かれたせいだろう。スカート部分が破れ、全体的に土で汚れてしまっていた。
「ひぃ!! 参加者のお見送りどうするんですかっ!!」
「代わりのドレス!! なんか、ドレス!! どこかにあるのかっ」
ラウルとおれがあわあわと足踏みをしたら。
「刺されてるのよ!? なに言って……! なに言ってんの、ばか!!」
ば、ばか呼ばわりまでされた……。




