36話 あいつは顎を上げ、なにかを見た
「未練など!」
憤然とアリオス王太子が言うけど。
なんか、はたから見たら、そうなんだよなぁ。
「ねえねえ、シトエンさまぁ」
一番端っこにいたメイルが、アリオス王太子の肘から手を離し、ててて、と近づいて来る。
なんか強引にシトエンとアリオス王太子の間に割り込んできた。
「すっごくすっごく、サリュ王子と仲良しなんですね」
にこにこ笑顔で話しかけてきた。
「そう……、ですね」
ちらりとシトエンがおれに視線を向けて来るから、そこははっきり言ってくれ、と頷いておれも口を開く。
「仲良しですよ、おれとシトエンは」
ふうん、とメイルは人差し指を立て、その先端を自分の唇に押し当てる。
「アリオス王太子と婚約なさっていたのは、半年ぐらい前でしょう? よくそんなに次々と好きな人が変われるんですねぇ」
メイルは鳶色の大きな目を細め、おれとシトエンを交互に見る。
「またすぐに、サリュ王子以外の人を好きになったりして」
聞いた途端。
おれは。
引いた。
ドン引きした。
なんだ、この性悪女。
いいのか、これを将来の王太子妃にして。
いや、男でもいるよ、こういう感じのやつ。
そういうやつって、ひとりなんだよ。
一応、つきあいってもんがあって、みんなその場では上手くやり過ごすけどさ。
深い付き合いにはならないわけで……。
いっつも、ひとりでいるんだけど、自分がひとりだとは気づいてないんだよな。みんな、そいつの前では大人の対応するから。
だから、自分はうまくやれている、って勘違いしたまんまなんだよ。
おれ、友達多いんだ、とか。あいつとは長い付き合いでね、とか。
ドヤ顔で言ってるけど、内情はみんな知ってるわけで。
だけど訂正なんかしない。「へえ」とかで済ましちゃう感じ。
だから、勘違いがいつまでも続く。
まあ、それが無力な、というか。なんの権力もないやつならいいけど。
この女、今から王太子妃になろうとしているわけだろう? これは、荒れる。
社交界が絶対荒れるし、宮廷内がえらいことになるぞ。
「わたしはアリオス王太子をお慕いしていました」
静かにシトエンが口を開いた。相手にしなくていいって、と言いたくなる。放っておけ、と。だけど、シトエンは、ちらり、とメイル越しにアリオス王太子を見る。
「国同士が決めたことですが、わたしはわたしなりに、アリオス王太子に誠意を示したつもりでした。ですが、わたしの不徳のいたすところなのでしょう。気持ちは伝わらず、距離は縮まることなく、このような結果となってしまいました」
「お前は、わたしを愛していたとでもいいたげだな」
アリオス王太子が鼻を鳴らす。おれは呆れた。
ないない。それはない。
お前、アツヒトにも負けてるぞ。
実際、シトエンは、なんともいえない笑みを口の端に乗せていた。
「わたしは、アリオス王太子に対し、真摯であろうとしました。ですが、王太子がそれを拒否なさったのです。聞きたいものを聞き、見たいものを見た結果が、これではございませんか?」
痛いところを突かれたとばかりに、アリオス王太子が顔を顰める。
「ただ、結果的にわたしを手放してくださったことには感謝しています。おかげで、サリュ王子という素晴らしい王子に……。その」
シトエンはそこで口ごもるから、なんだろうとおれは視線を下げた。
暗がりでもわかるほど、シトエンは顔を真っ赤にしている。
「愛するひとに巡り合うことができたのですから」
目を見てはっきりと言われ、おれもなんだか顔が熱くなる。
「いや……、その、ほんと。アリオス王太子には感謝しかありませんな」
はは、と笑うと、すごい顔で睨まれたが、何とも思わない。むしろ、優越感すら覚える。
おれ、愛されてるし!!!!
「サリュ王子、サリュ王子」
気づけばメイルは、ちょろちょろ動き、おれの腕を取って引っ張る。
「な、なに」
いや、言っちゃなんだけど、王族に対してこれはないぞ、お前。
特に今は左にシトエンいるし。なんで反対側にお前がぶら下がろうとするんだ。
「シトエンさまの肌には うろこ がびっしりあるのよ。驚かないでね」
こっそり、とばかりにメイルは言う。
おれは確信した。
こいつだ。
アリオス王太子に偽情報を流し込んだのは。
お前のようなものが、と言わしめた原因は。
「いいかい、お嬢ちゃん」
おれはにっこり笑うと、ぐい、と小娘に顔を近づけた。
「嘘つくやつはいずれ相応の地獄をみるぞ」
鼻先が触れるぐらいの距離で、低い声で唸ってやる。
この教育的指導が効いたらしい。
メイルは慌てた様にアリオス王太子の元に駆け寄り、彼の左腕にしがみついた。なにか必死に訴えているが、知らん。先に無礼を働いたのは、あの娘で、しかもアリオス王太子もその非はわかるだろう。なんだかなだめているが、メイルは納得しない。言葉の断片だけが聞こえてくるが、「あいつを叱って」とか言っている。
はあ!? だれが だれに なにを 言っているのかな あの子は!!
おもわず足を止めると、アリオス王太子がため息交じりに前髪を掻きむしった。
「申し訳ない。ちょっとメイルが疲れたらしい」
「そうじゃない! あのね、アリオス王太子!」
苛立ったようにおれを指さし、今度ははっきりと言い切った。
「あいつ、悪いやつなのよ! あたしを怖がらせるんだもの!」
……………お前、ほんとすごい女だよ。
もう、言葉もでんわ。
「一度会場にもどって飲み物を取ってくる。ここで待っていてくれないか。……ほら、メイル」
アリオス王太子は舌打ちをし、メイルの腕を掴んで元来た道を戻り始めた。
だが、不満は解消されていないメイルはひどい興奮状態だ。
きぃきぃ言いながらも、アリオス王太子に引っ張って屋敷の方に引きずられていく。
「……あんなので大丈夫なんですかね」
おれはアリオス王太子の背中を見ながら呟く。
つつじの生垣を超え、小道をゆっくりと彼は歩いている。メイルをなだめながら。
「ルミナス王家には優秀な教育係がたくさんいらっしゃいます。大丈夫でしょう」
シトエンは答えるが、語尾はため息に消えた。
まあ。他家のことだしな、と。
彼女に視線を移動させようとしたとき。
視界の端っこ。
アリオス王太子の顔が動くのが見えた。
ん、と。
おれは動きを止める。
アリオス王太子は、今はもう前を向き、とぼとぼと歩くメイルを腕に掴まらせて、もう少しで観音扉をくぐろうとしているところだった。
だけど。
ついさっき。
あいつは顎を上げ、何かを見た。
方向的に西だ。
生垣の先。
おれは首を巡らせる。
庭を楽しめるように、今日は開放されている。
同時に警備も配置していた。
かがり火は至る所に用意されているが、あんまり明るすぎるのは趣がない、と庭師が怒るので、薄暗いことは薄暗い。
だが、今も会話が届かないぐらいの位置に騎士が数人立っているのが見える。
闇に紛れているが、ラウルもこちらの様子を窺っているのは知っている。
……まあ、あいつの場合、おれがシトエンに手を出さないように見張っているのかもしれない。というのも、しつこく「寝室に入るまではなにもするな」と言い続けているから。
「どうしました?」
庭の様子を確認していたら、シトエンが尋ねる。
視線を下して、おれの左ひじをとる彼女を見た。
きょとんとした顔。
それが可愛いのなんの。
一瞬で唇がほころんだ。
「いや、なんでも」
ありませんよ、と答えようとした瞬間。




