32話 こんなはずじゃなかった【幕間】
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こんなはずじゃなかった、と、アリオスは下唇を噛んだ。
結婚披露宴の食事会は終了し、いまは会場を移して歓談となっている。
会う人会う人、みながシトエン・バリモア。いや、いまや、ティドロス王国第三王子妃となったシトエン妃をほめそやしていた。
お世辞ではないことぐらい、アリオスにはわかる。
なぜなら、みな、シトエンのいないところで彼女を褒めているからだ。
いわく、領民が苦しむ病をたちどころに治し、国に益をもたらした。
いわく、あの気難しいティドロス王妃と王太子妃に気に入られ、我が子同然に可愛がられている。
いわく、しゃべれない言語はないのではないか、といわれるほどの才媛。
そしてなにより。
夫となるサリュ・エル・ティドロスに溺愛され、その配下の騎士団に女神のように扱われている。
「よい妃を迎えられたものだ」
「王太子は国をがっちり支えているし、サリュ王子は武に秀でておられる。それに、隣国に婿に行かれた第二王子の外交力はなかなかのもの。ティドロス王国は安泰だ」
そうして、誰もが覚えめでたくあろうと、シトエンの元に行き、愛想笑いで言祝ぎを述べる。
ルミナス王国にいた時の彼女とはまるで違う。
彼女はアリオスの屋敷に閉じこもり、社交界の場に連れて行った時でさえ、自分から離れて、こそこそと高齢の女ども相手になにかやっていた。高慢ちきで、すぐに自分の位を笠に着て、メイルに意地悪をする。
あの女は、そんな女だったはずだ。
「いやしかし……。幸せそうですなあ」
「政略結婚だろうが……。こんなに仲の良い夫婦もまた珍しかろう」
アリオスのすぐ前を横切ったどこかの王族が微笑ましそうに言う。
そうだ。
それもまた、腹立たしいひとつだった。
自分の前では能面のような顔をしていたくせに。
ぎり、と奥歯を噛み締め、会場中央にいるシトエンを睨みつけた。
今、サリュ王子の腕を取り、彼女は目を細めてほほ笑んでいる。サリュが何か言ったようで、それに対して、口元を隠して可笑しそうに笑った。
その顔を見て。
ふと、思い出す。
いや。
遠い昔。
そう、まだシトエンがルミナス王国に来た当初は、あのように笑っていたような気がする。
『アリオス王太子』
優し気な声でそう言い、自分に対して微笑みかけてくれていた。
だけど。
『あの服の下って、とかげみたいに、うろこがあるんですって』
鼓膜を撫でるのは、甘ったるく舌足らずなメイルの声。
そうだ。
自分はいつの間にかそう思うようになっていた。
あの女の首から下には、びっしりとうろこの刺青がほどこされ、まるでトカゲ人間のようなありさまなのだ、と。
『王太子殿下は、ご覧になられたのですか』
宰相の声が耳に蘇る。
あれは、半月ほど前だったろうか。
自分の執務室に、彼がやって来た時の話だ。




