31話 おまえのそのくそ女に似あえばな
「あー………」
つい、声が漏れた。
そうだよ。母上が呼んだんだ。
おれも父上も「やめろ」って言ったのに。
『ほほほほほほほ。みせつけてやればいいのよ。幸せになった姿を』
って邪悪な顔で。ついでに、王太子である兄も、『ははははははは。やってやれ、母上』ってけしかけて……。あのふたり、似てんだよなぁ。
「その……、ほんと、申し訳ない」
頭を下げると、シトエンが驚いたように目を丸くする。
「なぜ謝るのですか? いいではないですか、サリュ王子」
くすり、とシトエンは笑う。
「しあわせなところを見せつけてやればいいんです」
あー……。あの母とうまくやっていけそう、この子。
「カラバン連合王国ルミナス王国アリオス王太子とメイル《《嬢》》」
呼ばわる声に、おや、とおれは思った。
ちらりとシトエンに視線を走らせると、彼女も、長い睫毛をぱちぱちさせておれを見上げている。
王太子妃メイル、ではない。
ということは、まだあちらのノイエ王は認めておられない、ということか。
足音が聞こえて来たので、姿勢を正して廊下の先を見る。
ヴァンデルみたいなやつばっかりが祝福に来てくれればいいのに、めんどくさいやつらの方が多いんだから、ほんとやだ。つくづく、自分が長男じゃなくてよかったと思う。王太子って大変だなぁ、と心の中でぼやいた頃には、目の前に、見覚えのあるふたりが立った。
「このたびは、おめでとうございます」
アリオス王太子は短く言祝ぐと、礼儀正しく頭を下げる。言葉はこちらに合わせ、ティドロス語だ。
なんだやればできるじゃん、とおれは認識を改める。ただのアホ王太子ではなかったか。
服装だってそうだ。一国の王太子らしく、慎み深いものだった。
あちらの国でも王太子は軍事と深くかかわるのだろう。陸軍の軍服に身を包み、勲章を胸にぶら下げていた。そもそも、外見は非常に良い。父上から聞くところによると、頭もいいのだそうだ。内政もうまくやれそうなんだが……。
「きゃあ! 素敵!」
あまったるいカラバン共通語が聞こえてきて、おれは視線をそちらに向けた。
アリオス王太子の隣り。シトエンの真ん前だ。
小柄なその女が、いきなりシトエンに抱き着いてきた。
がちゃり、と物騒な音がして、おれは慌てて会場側と、おれの背後に指示を飛ばした。
「よせ! あいさつだ、あいさつ!」
披露宴会場とはいえ、当然警備はいる。
いまは、大丈夫だが数カ月前にはシトエン嬢は狙われていたのだ。今日のような、大勢の人間が宮廷にやってくる場合は特に気が抜けない。おれだって、軍服の下にプロテクターをつけている。ただ、祝い事ではあるから、来客の目につかないところに配置されているだけだ。
突如王子妃に近づいた無礼者に対し、威嚇のために騎士たちが飛び出してきたらしい。
「え!? なに、なに!?」
メイルがシトエンにしがみついたまま、怯える。いや、こっちからしたら、挨拶もなしに抱き着くやつがいるか、と言いたい。
「なんでもありませんわ。メイル嬢。お久しぶりでございます」
シトエンがなだめるように、自分にしがみつくメイルの背を撫でる。言葉だって、あっちに合わせている。寛容……。寛容だなあ。もう、惚れるわ。
「メイル、まずはカーテシーだ」
アリオス王太子が小声でメイルに呼びかけるころには、騎士たちもまた持ち場に戻って行った。いやほんと。そういうのちゃんと躾けてから来いよ。あのヴァンデルでさえ、挨拶してからハグしてきたぞ。
「はあい」
メイルはにこりと笑ってシトエンから離れると、ててて、と距離を取った。その後、優雅に礼をしてみせるのだが。
はは、おれはなにをみせられてるんだ。
あのな、こういうのを見て「よくできましたねぇ」というのは、年がひとけたまでだ。
あの女。ドヤ顔してやがる。おれは褒めるべきなのか? いや、おかしいだろう。この女、もう十代後半だろ? だけど、アリオス王太子が圧をかけてくる。「ほめろ」と訴えて来る。なんだこいつ。
「ごきげんよう、メイル嬢。ようこそティドロス王国へ」
意地でも褒めんぞ、おれは、と、引きつった笑顔で声をかけた。
「ごきげんよう、くまさん」
くすり、とメイルが嗤う。おれの異名を覚えてやがったか。
こいつの頭を殴って記憶を改竄したい。
「シトエン様、素敵ですぅ」
さすがに殺意を覚えたおれから、するりと視線をかわすと、メイルはシトエンに笑いかけた。
「ありがとうございます」
シトエンが微笑み返す。
……まあ、女同士の方があれか。うまくやれるんだろうか。
「そのざくろ石、素敵! シトエン様には、もったいないぐらい!」
前言撤回だ、このやろう! ケンカ売りやがって!
おれが一歩前に出る。さすがにアリオス王太子が止めに入るかと思ったのに、あっちは睨みつけてきやがった。
おう。いいぜ、そのけんか、買ってやるよ。
実戦経験もないくせに軍服着やがって。
恥かかせてやんぞ。
「ええ、そうなんです。タニア王からの贈り物で」
シトエンの声が、おれとアリオス王太子の間に滑り込んできた。
つられるように、おれはシトエンに顔を向けた。
彼女はメイルにざくろ石のネックレスがよく見えるように前かがみになっていた。
「そちらは鉱物の売買が停止されたとか」
ふふふふ、とシトエンが優雅に微笑んだ。
「もう二度とこのような最高級の鉱石が、ルミナス王国に入ることはないでしょう。メイル嬢が手にすることはないので、残念ですね」
ぽかん、と。
メイルがシトエンを見ている。
それはアリオス王太子も同じだった。
さっきまで、噛みつかんばかりの顔つきでおれを睨みつけていたのに、今は唖然とシトエンを凝視している。
これが、本当にあのシトエン・バリモアなのか、と。
「なんなら、うちが売ってやってもいいが、どうだろう」
おれは腕を組み、アリオス王太子に微笑みかける。
「タニア王国から買い付け、そちらに転売するが……。それに見合うだけの女にプレゼントされてはどうかな」
おまえのその、くそ女に似あえばな、このネックレスがあああああああ!!!!!!
内心で高笑いしながら、言ってやったぜ。
しん、と場が静まる。
アリオス王太子がおれを睨みつけ、メイルがシトエンを上目遣いに見て唇を噛んでいる。
その中を、会場から侍従が「会場へどうぞ」と声掛けに来た。
「のちほどまた、商談でお伺いしましょう」
おれは言い、それからシトエンがあいつらの視界に入らないように立つ位置を変える。
会場に入る直前。
アリオス王太子と目が合った。
いや、多分あいつはシトエンを見ようとしたのかもしれない。
「ずっと、だましていたんだな」
吐き捨て、会場に足早に入る足音だけが聞こえてくる。
だます?
誰が、誰を。
目をすがめていたが、ふと、シトエンのことが気になった。
彼女にも聞こえたかな、と思ったが、どうやら違うらしい。小声だったからだろう。おれにしか聞こえなかったし、口の動きも見えなかったようだ。
シトエンと目が合う。
「……………や、やっぱり」
ぷ、と小さくシトエンが噴き出すから何かと思ったら。
肩を震わせて笑っている。
「やっぱり、サリュ王子は、王太子殿下の弟で、あの王妃様のお子様ですわ。よく似て……。よく似てらっしゃる」
「似てないよ。おれは言わなかったからね?」
そこは念を押す。
「お前の連れてるくそ女に、この宝石が似合うかよ、って」
口の悪さに呆れられるかと思ったのに。
一斉に笑い声が聞こえてきて驚く。
周囲を見回すと、警護の騎士たちだ。武具を鳴らして笑うから憮然としているのに、シトエンがいたずらっぽく目を細めた。
「みんなも、同意見のようですよ」
と。




