35話 久しぶりだな、モネ
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モネが最初に気づいた違和感は、ロゼが視線を揺らしていたことだ。
(まったくあの子は……。もう監視に飽きちゃったのかしら)
ため息をつき、モネは妹に視線を送る。
彼女はモネのような団服ではなく、煙で汚れたメイド服を着ている。
被害にあった使用人として治療室に紛れ込んでいるのだ。
顔にも煤や埃をつけているので、サリュでさえ最初ロゼだと気づかず、前を素通りしたらしい。笑いながら教えてくれた。
モネは騎士団の団員としてシトエンの後方を守り、ロゼは変装をしてシトエンと向かい合うように壁に待機していた。もし窓から侵入者が現れればロゼが対応し、扉から賊が入ればモネがシトエンの盾になる予定だ。
だからこそ背後の窓に気を付けてほしいのに。
注意しようかと思ったが、ロゼの瞳に浮かぶ不安の色に気づいて動きを止めた。
(なにか……探している? そういえば、イートンさん……)
いま、気づく。
イートンの姿が見えない。
モネは動きを止め、感覚を研ぎ澄ました。
部屋の中は雑多な音であふれている。
うめき声、すすり泣き、励ます声。
それに混じって誰かがいつも走ったり足音荒く動いたり。
匂いもそうだ。
汗、血、アルコール、メイドたちがつけていた香水、湿布類のミントに似た臭い。それらが混濁してもはや麻痺しそうだ。
シトエンが「重傷者」と判定した使用人が運び込まれているこの部屋には、患者が11名。その付き添いが15人。合計26人。それからシトエン関係の3人。モネとロゼ、イートン。
シトエン以外に29人がいるはずだが。
数があわない。
(イートンさんは……戻ってきたはず)
患者は床に寝かされたり、壁にもたれるようにして座らされたりと、状況に応じてまちまちだ。その患者の側には1人から2人が付き添っている。移動するためには人を縫うようにしてジグザグに動くしかなく、モネはさっきから何度も舌打ちした。
だが、これも隣の軽傷者部屋に比べればましな方らしい。
それを教えてくれたのがイートンだった。
軽症者の部屋を担当しているのはグランデ医師だ。
人数は多いが、そのほとんどは軽い切り傷や打撲程度。縫うほどの受傷者はシトエンが引き受けている。
だが、頭部打撲の患者が数人いる。様子をみて、もし異変があればシトエンに連絡するように伝えていたのだが、その後、なんの報告もなかった。
状態が変わっていないのならいいのだが、見落としがあったり、そもそも忙しすぎて手が回っていない可能性がある。
そこでシトエンがイートンに『様子をみてきてもらえますか?』と尋ねたのだ。
イートンは指示を受けてすぐに隣に行き、すぐに戻ってきた。
……はずだ。『報告を忘れていたそうです。患者に異変はありません』とシトエンに話していたのをモネは見ている。
ほっとした様子でシトエンは頷き、そして次の患者へと移動する。
それに付き従いながら警護をするモネに、イートンがこっそり言ったのだ。
『隣はここより人の密度がすごいから……。うっかり報告を忘れることもあるでしょうね』
モネは無言で相槌を打ちながらも、それでも単純に患者数で治療のしんどさが決まるわけではないだろうと思った。
ここに来る患者は、ひとりひとり手間がかかる。
骨折であれば保定がいるし、切り傷であれば皮膚をしっかり合わせて縫合したり、ずれないようにぴっちりと包帯を巻く必要がある。
隣室のように流れ作業でできるようなものではない。さっき、シトエンを手伝って外れた肩関節の修復を手伝ったが、これもかなりの力仕事だ。コツもいる。
実際、シトエンは徐々に消耗しつつあるようにモネの目に見えた。
だから。
余計イートンのことが脳裏にうかんだのかもしれない。
『そろそろシトエン妃に休憩を』
そう声掛けしたほうがいいのかもしれない。
そんなことをロゼも考えたから、無意識に目がイートンを探したのだろうか。
(……どこに、行った?)
少なくともこの部屋にはいない。
患者の中にも、付添人の中にもイートンの姿はなく、気配もない。
シトエンがなにか指示したのか? いや、そんなはずはない。モネはシトエンから離れていない。彼女の姿が、声が見えるところにいつもいた。もしシトエンがイートンになにか指示を出したのなら気づくはずだ。
(嫌な予感がする。サリュ王子を呼ぶべき……?)
今回、モネが見せ警備で、ロゼが姿を隠したシトエンの警護役だ。
こちらの人数を敵に把握される愚策はとりたくない。セオリーどおりならロゼは動かさないほうがいいだろう。
そのロゼは、明らかにこちらの指示を待っている。
(だけど……ロゼを……サリュ王子のところに行かせる?)
彼はいま、ラウルと共に移動の打ち合わせをしに部屋を出ていた。
領主が2時間後には立ち去ってほしいと正式に申し出て来たためだ。
自分がサリュなら絶対この屋敷から立ち退かない。
だが気のいいというか……バカとしかいいうようのないほど人の好い第三王子とその妃は、「これ以上迷惑はかけられない」とばかりに、移動の準備をしはじめているのだ。
(退去すべきか、ここにとどまるべきか)
モネは微動だにせずに、視線をシトエンに移動させる。
いま、彼女は自分の目の前にいる。
両膝をついて、床で仰向けの姿勢になった患者から状況を聞き取っていた。
打ったのは胸らしい。
執事らしき男性の胸ははだけられ、額からは脂汗がにじんでいる。
「腕は動くようですね。鎖骨は無事……」
「息が苦しくて……」
「わかりました。ちょっと押しますね。最も痛いところを教えてください」
「わかりました……。ぐ、そこ……痛いです」
「肋骨ですね。だから息をしても苦しいというか……たぶん、痛いのだと思います。痛いから、息が浅くなって、苦しくなってきているのでしょう。いまのこの段階では、内臓に悪さはしていないようですので、しっかり保定しましょう。自然に骨が修復されるのを待つしかありません」
「それはどれぐらい……?」
「数週間から一か月でしょうか。もう少ししたらマーロウ先生がいらっしゃるはずです。痛み止めをお願いしておきます。それで呼吸も少し楽になると思いますよ」
シトエンが励ますように執事の手を握る。反対側の手は、泣きじゃくるメイドが握り締めていた。
「モネさん。晒布を巻きますので、手伝っていただいていいですか?」
両膝立ちになったままシトエンが振り返る。
モネはさっと自分も片膝立ちになり、シトエンを手伝った。
「そちらを持ってもらって……。ええ、ありがとうございます。はい、これで大丈夫ですよ」
シトエンは執事とメイドに笑顔を向け、少しだけ注意事項を伝えた。涙を浮かべつつも真剣にメイドは話を聞いたあと、「ありがとうございました」と頭を下げた。
そのころ合いを見はからい、モネはシトエンに顔を近づけた。
「どうしました、モネさん?」
「シトエン妃。ちょっとご相談が……」
「はい?」
シトエンが小首をかしげたとき、部屋の一角から悲鳴と大声が上がる。
「どうしました⁉」
シトエンが立ち上がった。
「血を吐いた!」
「シトエン様! こいつが血を吐いた!」
部屋の西隅だ。
人だかりになっている。
そのうちの執事らしい男が、血に染まった手をシトエンのほうに向けて叫ぶ。
「急に吐いた! 診てやってください!」
「わかりました!」
「待って!」
駆けだすシトエンを止めようと手を伸ばした。それより先に足を踏み出した。
途端につまづく。
わずかに上半身を揺らした間に、モネの手は宙を掻き、シトエンは人だかりのほうに走っていく。
モネは舌打ちした。
なににつまづいたのか確認するのはあとだ。
とにかくシトエンを止めねば。
数歩先にいるシトエン。
追いつこうとしたモネを、邪魔するように包帯だらけの執事が倒れこんできた。
「すみません、お手洗いに行こうとおもったら足が……」
詫びた執事を無言で突き飛ばし、シトエンの元に駆け寄る。
シトエンは。
両膝を床についてそこにいた。
シトエンの目の前にいるのは顔中吐血で真っ赤に染まった執事。
その執事をぐるりと取り囲むのは、6人ばかりの男たち。
執事だったり馬丁だったり、調理人の姿をしていたり。いずれも職種はバラバラのようだ。
「シトエン妃、何か変です。すみませんがここから離れましょう」
モネは口早に言う。
つまずいたのではない。なにかに足をひっかけられた。
あの執事も変だ。明らかに自分を邪魔した。
「さ、お早く」
モネはシトエンの背後から声をかけ、その右腕を捕まえた。
立たせようと腕に力を込めた途端。
血まみれの男がいきなり動き、シトエンの左腕をとらえる。
とっさにモネは佩刀ではなく、腰のナイフを抜いた。
血まみれの男の腕を斬り落とそうとしたとき。
モネは見る。
血まみれの男の左手に握られたナイフを。
それが、シトエンの腹部に突き当てられていることを。
「モネさん……」
「しゃべるな」
血まみれの男はシトエンに低く命じる。周囲の男たちがぎゅっと輪を縮めた。全員グルだ。モネがそう気づいたとき。
「なんだよ、おいおい。死んだんじゃなかったっけ?」
突然背後から声をかけられて、モネは喉からせりあがった悲鳴を飲み込んだ。
ぐ、と腰の後ろになにか押し当てられる。
ちくりとした鋭い痛みが団服越しに伝わる。
ナイフ。威嚇だ。反撃に転じようものならあっさりと差し込まれる。部所的に肝臓。一撃で致命傷だ。
「久しぶりだな、モネ。元気そうでなにより」
耳元で囁かれる。
「父さんも元気そうね」
モネは身じろぎもせず答える。だが、手は絶対にシトエンから離さない。
なんとかこの状況を打破しなくては。シトエンだけは絶対に守らねば。




