15話 寝不足ここに極まれり
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移動を続けて三日目。
街道沿いにあるカフェに入ったところで、おれは大欠伸をした。
「まあねぇ、なんというかねぇ」
副官のラウルが背後でため息をつく。
振り返ると、痛ましそうにおれを見るラウルと数人の騎士。
「気の毒としか言いようがないですねぇ」
「おいたわしい、団長」
ありがとうよ、とおれはまたひとつ欠伸をかみ殺す。
そんなおれに、ラウルがコーヒーの入ったマグカップを渡してくれた。
ずずず、と王子らしからぬマナーでそれをすする。
ヴァンデルに会いに行く。
これだけのことが、こんなに苦行になるとは思わなかった。
初日だ。
初日が悪かった。
あの、竜紋。
それを見たというか、触ったというか。
正直に言えば、シトエン嬢の右胸をわしづかんだ日から、もう、妄想に囚われているというか、シトエン嬢の胸が気になるというか、もっと触りたかったというか、おれ、彼女の胸を見過ぎて透視できるんじゃないかというぐらいの状態になってるというのに。
毎晩一緒の部屋。
もちろん手は出せない。
すやすやとシトエン嬢は心穏やかにお眠りになり、ついでに、昨日はおれの手をにぎったままだった。その隣でまんじりともできずに横たわる、おれ。
寝不足ここに極まれり。
宿泊した屋敷の領主なんかは、にやにやして『お若いですなあ』とか言いやがるから、叩き斬ってやろうかとぼんやりした頭で考える。
いや、おれ、やれるんじゃね? 王子特権で許されるんじゃね、と考えるが、騎士団の騎士たちとラウルがいるからそれもできず……。
かれらを路頭に迷わせるわけにはいかない。それに、ラウルは今から嫁をとるんだ……。まだいないけど。これから探すらしいけど。
現在、ヴァンデルの領地に着くのが先か、おれが寝不足で死ぬのが先か、という状態になっている。
「カフェでシトエン嬢がお休みになっておられる間、眠りますか? 二階を押さえれば可能になりますよ」
ラウルが声をかけてくれるが、その間、騎士団のみんなは馬具を整えたり、馬に飼葉だ水だと世話をしたり、行程をチェックしたりしているのだ。
おれだけ寝ているわけにはいかない。
こうやって、コーヒーを飲ませてもらってるだけありがたいってもんだ。
「いや、平気。シトエン嬢は?」
首を横に振ると、ラウルは苦笑いする。
「あちらですよ。侍女のイートンと一緒です」
掌を上にしてラウルが示す。
カフェといっても、それは店内ではなかった。
中庭だ。
警備上のこともあり、屋外テラスを貸し切り、今はシトエン嬢とイートンが籐製の椅子に座ってお茶を楽しんでいた。
木陰になっているようだが、シトエン嬢の銀色の髪が木漏れ日を浴びて、まぶしいぐらいだ。
シトエン嬢の表情はいつもと変わらず、イートンの話に相槌を打っては微笑んでいるが、疲れていることは明白だ。
この数年、アリオス王太子にほぼ幽閉されていた。
屋敷から出ることはなかっただろうし、人に会うことも制限されていた生活だ。
それなのに、現在、真逆の状態にある。
毎晩毎晩初めての人に会い、挨拶をして世間話をする。
そつのない態度で接し、昼間はずっと馬車移動。
しんどいだろうに、まったくその素振りを見せない。
夜、寝室でふたりきりになると、『なつかしい言葉で話せるからほっとします』と、タニア語でたあいない話をしながら、眠ってしまう。
昨日はおれの手を握ったまま離さなかった。
気を張ることも多いんだろうと思う。
「同席されては?」
マグカップのコーヒーを立ったまま飲んでいるおれに、騎士の一人が声をかけてくれるが、首を横に振って断る。
休憩の時ぐらい、側にいる人間を制限し、好きな菓子やお茶を楽しんでほしい。
どうやらおれのことは嫌っていないみたいだが、それでも他人だ。そっとしてほしいときはあるだろう。
そんなことを考えていたら、かちゃりと扉が開く音がした。
カフェの方から銀盆を持ったウェイターがシトエン嬢のところに歩み寄ろうとしている。
盆に乗っているのは、煌びやかなタルトだ。
「桃やりんごは?」
ついラウルに尋ねる。
「すでに伝えてあります」
でも安心できず、目をすがめてタルトの内容を見る。
ぶどう、いちご、それからあの黄緑色の果物はなんだろう。上から何かコーティングしているのか、日を浴びてきらきら輝いていた。
ウェイターは一礼をしてシトエン嬢の前にタルトを差し出す。
今から切り分けるのだろう。
イートンが「美味しそうですね」と言っている。
シトエン嬢がにこやかに頷く。
ウェイターが手を腰に延ばす。
変だ。
盆の上に、取り分け用のナイフがある。光を反射している。
それなのに。
ウェイターは、自分の腰に手をあてがった。
「離れろ!」
咄嗟におれは怒鳴った。




